四.変わり者ジセン


 笙ノ町の大火に巻き込まれ、住処や田畑を奪われたトーリャは現在、小さな子ども二人と嫁いだリオの所で厄介になっているそうだ。


 旦那や体の大きい子ども達は故郷に残り、復興に当たっているのだとか。


 娘の嫁ぎ先は養蚕業。

 町の近くで桑の木を栽培してかいこを育てたり、蚕の作る繭から糸を紡いだり、また桑の木から取れる果実を売ったりして生計を立てている。


 それの手伝いをしているトーリャは週三回、糸の取引を行うために町へ向かっていると語った。


「三日前だったかねぇ。ユンジェが尋ね人になっている話を耳にしたのは。見つけて、傭兵に届ければ大金がもらえるって、商人達は騒いでいたよ」


 幼い頃から、ユンジェと付き合いのあるトーリャは、それが嘘だとすぐに分かった。

 身寄りがいないと知っているからこそ、兄と名乗る人間に胡散臭さを感じたし、ユンジェが追われているのだと悟った。


 そして今日。尋ね人を見つけたと騒ぐ商人の声を聞き、トーリャは心の臓が冷えた。

 捕まればきっと、胡散臭い人間の下に連れて行かれるに違いない。酷いことをされるやもしれない。


 その前にどうにか、顔を合わせなければ。


 思っていた矢先、トーリャは男達から逃げるユンジェとティエンを目撃した。方角で目的を察した彼女は、先回りをして二人を待っていたという。


「どうやら追っ手は、ここまで来ていないようだけど、念のためだ。家に着くまで織物をかぶっておくんだよ」


 荷馬車は山道をのぼっていく。がたごと、と馬車が大きく揺れた。


「トーリャ。途中までで良いよ。俺達はお尋ね者だから、このまま一緒だと迷惑を掛ける。二家族の仲を壊したくもないし」


 頭から織物をかぶるユンジェは、前で手綱を握るトーリャに意見する。

 同じく頭から織物をかぶるティエンも、どうか途中で下ろして欲しいと願い申し出るが、彼女は家に連れて行くと言って聞かない。


「リオがユンジェのことを、いたく心配していたんだよ。顔くらい見せてやっておくれ」


 心臓が高鳴ってしまう。何を期待しているのだろう。ユンジェは目を泳がせ、きつく口を結んだ。


 なのに、どうしても口元が緩む。


「それに、少しばかり頭を悩ませることがあってねぇ。ティエン、お前さんは農民じゃないんだろう? ということは、知識を学んでいるんじゃないかい?」


「文字の読み書きや、少々の政などに知識はありますが……何か遭ったのですか?」


 トーリャが深いため息を零した。これは良からぬことが遭ったのだろう。詳しいことは、リオの嫁ぎ先に着いてから話すと彼女は言った。


「でも、やっぱり不安だよ。いきなり押しかけるのって大丈夫なの? おばさんの家でもないわけだし」


「リオの旦那さんは変わっているけど、とても良い人だよ。事情を話せば泊めてくれるはずさ。とても変わっているけど優しいよ。あー……変人だけど」


 強調するほど、変わっているのか。二人は顔を見合わせ、不安を募らせる。



「それより、ほらお食べ。あんた達、逃げ回って何も口にしていないんだろう? 一個しかないから、半分にしておくれ」



 馬の手綱を片手で引きながら、彼女が葉に包んだ小さな月餅げっぺいを差し出してくる。


 滅多に食べられない菓子は贅沢品であるが、トーリャはぜひ食べて欲しいと頼んできた。

 曰く、それは得意先の主人から貰ったそうだが、これを持って帰ったところで、子ども達が喧嘩をするだけ。火種になるそうだ。


 そう言われてしまえば、遠慮する必要もないだろう。ユンジェは喜んで月餅を半分に割り、片方をティエンに渡した。


「ユンジェ。私の分も、お前が食べなさい」


 甘いものを美味そうに頬張るユンジェに、兄心でもくすぐられたのか、ティエンが月餅を返してくる。が、それを許さなかったのはトーリャであった。


「何を言うんだい、ティエン。あんたこそ食べなきゃ駄目だよ。そんな細い体じゃ、嫁さんが貰えないよ。残したら承知しないからね」


 子どもを叱りつける母親の口調で言われるものだから、ティエンが気恥ずかしそうに首を引っ込めた。ユンジェは大笑いしてしまう。


「トーリャおばさんは怒ると怖いぜ? あのじじでさえ、恐れたんだからな」


「それは大変だ。気を付けないと」


 小声で呟くティエンは羞恥があるのか、まだ首を引っ込めている。


 けれども、どこか楽しげに目尻を和らげているので、嫌ではないのだろう。ユンジェは月餅にかじりつき、美味そうにそれを咀嚼するティエンを見守った。




 荷馬車は広い桑畑に入っていく。


 奥に進んでいくと、小さな平屋がいくつも見受けられた。

 ひとつは生活の場とし、残りは蚕を育成したり、糸を紡いだりする場として使用しているとトーリャは説明してくれた。


 荷馬車が平屋の前で止まる。

 吹き抜けとなっているその平屋は、外からでも中の様子が見えた。


 そこは竹で組み立てられた棚が、ずらりと連なっており、藁で編んだ大きな籠がたくさん収められている。あそこに原料の繭を作ってくれる蚕(かいこ)が飼われているそうだ。


 奥の棚で籠を収めている少女がいる、リオだ。

 ユンジェの記憶の彼女は、もっと幼い横顔をしていたのだが、向こうに見える彼女の横顔は色っぽい。子どもの面影を残しながらも、どこか大人びている。


「リオ、リオや。今帰ったよ」


 トーリャの声に顔を上げたリオが、荷馬車に向かって微笑む。

 しかし、それはすぐに崩れた。その目が自分を見つめてくるので、ユンジェが遠慮がちに手を振る。今度は泣きそうな顔で駆け寄って来た。


「ほら、ユンジェ」


 ティエンに背中を押されたので、ユンジェはおずおずと荷馬車から下りた。


 瞬く間に自分の前に立ったリオは、自分の両手を力強く握ると、「無事だったのね」と、言って大粒の涙を流し始める。

 かれこれ一年余りの再会なので、ユンジェはどうすればいいか分からなくなった。


「り、リオ。いきなり泣くなよ」


 上手く言葉が出ない。もっと気の利いた言葉を掛けてやりたいのだが。


「ユンジェ、無事で本当に良かった。里帰りする前に故郷は焼けてしまうし、貴方は行方知れずになってしまうし。かと思ったら、尋ね人になっているから、だから」


 痛いほどリオの心配が伝わってくる。


 本当に心配してくれていたのだろう。ユンジェは軽く、彼女の手を握り返し、「ありがとうな」と、礼を告げた。

 詫びられるように、感謝を口にした方がリオも受け取ってくれると思った。


 彼女は手の甲で涙を拭くと、はにかみを見せる。


「ごめんね、感極まっちゃって。そちらはティエンさんよね。一度お会いしたっきり嫁いでしまったものだから、憶えていないかもしれないけれど」


「いいえ、ちゃんと憶えています。初めて訪ねた時、優しく迎え入れてくれましたよね」


 ティエンの声を聞くや、リオは驚きの顔を作る。


「えっ。もしかして男」


「……よく間違われますので、お気になさらず」


 思いっきり気にしているではないか。

 ユンジェは、ティエンの苦虫を噛み潰したような顔に、ついつい噴き出しそうになった。


 リオは血相を変えてしまう。


「おっ、お母さん。どうして、はやく教えてくれなかったの。私、ずっと失礼な勘違いをしていたよ」


「あらあら。それって、あんたが竹簡に『奥さん』と書いていたことかい?」


 たっぷり間をおき、ユンジェは間の抜けた声を出す。


「奥さん? ……おいリオ。お前まさか、ティエンのこと」


 彼女は耳まで真っ赤に染めた。


「ユンジェが綺麗な人を連れて訪ねて来た時……その、年上の女性が好きなんだなって思っていたの。えっと、ごめんね。ユンジェ」


 ユンジェもティエンを拾った時、思いきり勘違いをしてしまったので、強くは言えないが、それにしても、である。

 誰よりも心寄せている少女から、あろうことか、とんでもない勘違いをされ続けていたのだと知ったユンジェの顔は青ざめてしまう。

 かなしい。ユンジェはいま、とても悲しい気持ちになっている。


 八つ当たりをするように、ティエンを睨んだ。


「ティエン。その女顔、どうにかした方がいいぜっ。もう、最悪だ!」


「遺憾なことに、この顔は生まれつきだ。それに、これは些細な勘違いだ。以前、私を姉で通したのは誰だったかな?」


 笑いをこらえるティエンの性格が悪いこと、悪いこと。

 ユンジェは己の心情を見抜いている男に強く唸った。言い返せないことが悔しくてたまらない。



「おや? 賑やかだと思ったら、トーリャさん帰っていたのか。おやおや、見慣れない顔ぶれはお客様かな。嬉しいね、養蚕農家へ遊びに来てくれる人間は少ないから」



 奥の部屋から丸眼鏡を掛けた男が出てくる。

 その容姿は若い男とも、老いた男とも言い難い。足が不自由なのか、杖をつき、遅い足取りで歩んで来る。彼はここの家主、つまりリオの旦那に当たる男であった。


「ジセンです。どうぞ、よろしく」


 ユンジェとティエンが頭を下げると、丁寧に頭を下げ返した。トーリャが故郷の友人だと軽く紹介すると、彼は二人の顔を交互に見やり、うんっと一つ頷いた。


 突然の訪問に不快感を示す様子はない。

 それどころか、あっさりと家に招こうとする。まだ詳しい素性も事情も聴いていないのに、ジセンは当たり前のように歓迎した。


 事情を説明しようとすると、「だめだめ」と彼は手を振って、それを制してくる。


「そういった話はお茶を飲んでからだよ。僕は誰であろうと、初対面の人間にはお茶を出すと決めているんだ。温かいお茶を飲み交わすと、自然と相手の人柄が見えてくるからね。これは僕なりの挨拶なんだ」


 それは挨拶といえるのだろうか。

 お茶を飲む習慣がないユンジェには、これっぽっちも分からない。分かるのは、ジセンは贅沢品を飲んでいるんだな、ということくらいだ。


 そこでティエンに視線を投げる。

 普段からお茶を飲んでいた彼なら、意味が分かるのではないだろうか。が、彼も力なく眉を下げていた。困惑しているらしい。


「そうだ。大切なことを聞いとかないと。君達は甘いものと、しょっぱいもの。どちらが好きかな? お供でお茶の味が変わるからね」


 いたく真面目に聞いてくるジセンに戸惑い、二人は思わずトーリャへ視線を投げた。彼女は肩を竦めると、苦笑いを浮かべる。



「言ったろう? 優しいけれど、変わっているって」




 ◆◆



 ジセンは本当に変わっていた。

 初対面の人間を家に通しただけでなく、烏龍茶と塩豆を用意して、見ず知らずの二人をおもてなす。


 自分達が危険だと思わないのだろうか。

 それについて尋ねると、義母のトーリャや嫁のリオの友だから大丈夫だと返された。疑う心を持たない男なのだろうか。


 しかし。彼は変人というだけで、頭が悪いわけではない。

 寧ろ、その逆だろう。二人から事情を聴くと険しい顔で相づちを打ち、ティエンの身分を聞くと、大層驚いた顔を作っていた。


「君があの噂の多い、麒ノ国第三王子ピンインさま? これは驚いた。そうとは知らず、無礼な振る舞いを。お許しください」


 ジセンは敬語に直した。それは知識が豊富な証拠だ。

 反対に傍で野菜の皮を剥いていたリオや、幼子をあやすトーリャの反応は薄い。


「お母さん。王子って何かしら? 商人? 地主? それとも僧侶かしら」


「さてねぇ。たぶん、偉い身分なんだろうねぇ」


 王子と聞いても、首をかしげるばかり。ユンジェも似た反応をしていたものだ。


「ジセン。どうか、敬語をお崩し下さい。私はすでに王族の身分を追われ、ユンジェと共に農民として過ごしております。今の私は貴方と同じ身分です」


 ティエンが敬語を崩さないのは、相手が年上だからだろう。ジセンは彼の気持ちを汲み、口調を戻す。

 大まかな事情を聴いたジセンは、ティエンとユンジェを見つめ、苦く笑った。


「若いのに、とても苦労しているんだね。とりわけピンイン……いや、ティエンは国を敵にし、国に追われている身の上というわけか。一方で、君の身分を欲する者がいる、と。新しい麒麟の誕生、か」


 麒麟のことまで、包み隠さずジセンに話したのは、この家に迷惑を掛けてしまう懸念を伝えるためであった。


 ユンジェもティエンもこれ以上、世話になるつもりはなく、すぐにでも発つつもりだ。長居をしたことで、どんな厄介事がこの家に降りかかってくるか。


 けれど、ジセンはその時はその時だと言って、二人にここで少し、体を休めるよう告げる。旅を続けるなら、余計に体を休めた方が良いとのこと。


「気に病むようなら、少しばかり仕事を手伝ってくれたらいいよ。僕は膝を悪くしていてね。荷運びを手伝ってくれると助かる。困った時はお互い様だ」


「しかしジセン。私は呪われた王子と呼ばれた者。長居すれば、どのような災いを運ぶか」


 しかめっ面を作る彼の言葉を、ジセンは呆けた顔で聞いていた。

 間もなく、笑声が部屋を満たす。ティエンは真剣に物申していたのだが、ジセンはそれを面白おかしそうに受け止めていた。


「なら、災いも一緒にもてなすよ。知っているかい? 不幸も歓迎すれば、幸福になるんだよ」


「え、はあっ……はい?」


 ティエンが動揺のあまり、声を裏返している。初めて聞く、間の抜けた声であった。


「だってティエンが災いを運ぶんだろう? そんな君を喜ばしたら、それが幸いになるかもしれないじゃないか! そしたらリオ、僕達はお金持ちになるやもしれないね」


 もしかしなくとも、ジセンの頭の構造は自分達と違うのかもしれない。

 頭が悪いわけではないのだろうが、変わり者だと強く謳った、トーリャの気持ちが今ならよく分かる。


 向こうでリオがおかしそうに笑っている。旦那の変わった面についていけるのは、妻の彼女くらいだろう。


「こういう時は、人の厚意を素直に甘んじるべきだよ。尤も、美しい君がどのような災いを運ぶのか、想像もつかないけど」


「追っ手が家を焼くやもしれないのに。将軍タオシュンの時だって」


 笙ノ町の大火事件はティエンにとって、大きな心の傷になっている。それでも、彼は生きる道を選んだ。これからも大火の悪夢を背負い、道を探していく覚悟なのだろう。


 温かい烏龍茶を飲み、塩豆を口放るユンジェは、彼の苦悩する横顔を見つめた。掛ける言葉が見つからない。


「ティエン、君の歳は?」


 ジセンの唐突な問いに、ティエンが面を食らう。


「今年で十九に」


「そうか、僕は今年で三十五だ。君より、十六も上だよ」


 ユンジェは指で計算を試みるが、生憎手の指は十本しかないので、それが正しい答えかどうか分からずにいる。


 分かるのは、リオとジセンが歳の差で結婚している、ということ。


 リオは今年で十五になる娘である。

 それに対し、ジセンは三十五。ずいぶんと歳が離れた夫婦だ。


 しかし農民の間ではよくある話なので、驚きこそするが、その程度に留まる。

 世継ぎのため、家のために貰われていく娘達は、歳の差があろうが何だろうが、受け入れなければいけない。農民の常識だ。


「ティエン、僕は十六も君より上。つまり、そういうことだよ」


 つまり、どういうことなのだ。ユンジェにはさっぱり分からない。

 ジセンはいたずら気に笑うと、軽く手を叩き、「夕餉にしよう」と言って立ち上がる。



「お茶で挨拶を終えた後は、食事で親密度を上げる。定石だよね。リオの料理は絶品なんだよ。その中でも、彼女の作る魚料理は最高さ。ちゃんと食べていくんだよ。なにせ僕は君達より、十六も上なんだからね。ああそうだ、リオ。酒を開けよう。せっかく、故郷の友と再会したんだから、みんなで飲まないとね」



「もう、ジセンさん。昨日、全部飲んじゃったでしょう?」


「おやおや、そうだったかな? 料理が美味しいせいだね」



 ようやくジセンの言いたいことが読めた。


 要は年上なんだから、若造のお前らは黙って言うことを聞け、と態度で命じているのだろう。身分の次に強く出てくるのは年齢だ。農民と名乗る以上、ジセンはティエンに遠慮せず振る舞うようだ。

 ユンジェはティエンの脇腹を小突き、苦笑いを浮かべる。


「やられたな。こりゃあ張り切って御馳走にならないと」


 ティエンは疲労まじりの吐息をこぼし、頬を掻いた。


「あの人と話していると、自分の主張が間違っている気分になる。なぜだろう。私は理解に苦しむよ。厄介な人間が突然、訪問してきたのに、もてなす……なんて」


 疑り深くなる彼に、ユンジェは肩を竦めた。


「単に食事をしたいだけなんじゃねーの。深い理由はなさそう。リオとトーリャが認めている男だ。悪い人じゃないさ」


 それに。


「俺がティエンを助けた時も、深い理由なんて無かったよ。なんとなく、困っていそうだったから拾っただけ。似た気持ちなんじゃねーかな」


 自分達が困っているから、妻リオの友人だから、手を差し伸べてくれているのだろう。きわめて変わった言い回しではあったが、ああいう男は嫌いではない。


(リオは良い旦那さんに出会えたんだな)


 素直に喜びたいけれど、ちょっぴり妬けてしまう自分もいる。ああ、気持ちというものはとても難しい。

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