幼馴染み

 魔王城の図書館に置かれている本の数は、東の果てにある『知識の洞窟』よりは劣っているが、それでも蔵書は魔界の中でも指折りの数を誇っている。

 司書に挨拶してリズタルトは目的の本を集めるため、それらがあるだろう本棚に向かった。



(えーと……生物学で……)



 周りに他のグルーテリュスがいないかどうか見渡し、生物学のコーナーに入る。背表紙の題名を読み上げる。



(グール必見体の腐敗を抑える方法、スライムの全て、グルーテリュス骨格本、ドラゴン進化論に、海のグルーテリュス全員集合……うーん、やっぱり『人間』に関する本はなかなかないなぁ)



 リズタルトは『人間』というものを、改めて調べるつもりだ。自分も人間だが、生物学上人間だろうと、思考がそうとも限らない。普通の人間がどう考え、どういった生活をしているのか。全く知らないのだ。人間に関する知識は、ほぼないといってもいい。


 何も知らないのに、人間を否定することは出来ない。なにが正しいのか知るため、根本的に人間について調べることにしたのだ。



(世界の生き物の事典……これなら少しだけならあるかな)



 手に取って、目次を見る。一ページだけだがあった。他にもあるか探してみたが、題名を見た限りだと、これしかないようだった。



(ま、これだったらどうも思われないかな)



 その本を脇で抱え、生物学の棚から離れる。



(あとは歴史、だね。けど、生物学がこれだけしかないと、歴史のほうもそんなにないかなぁ……)



 長い月日……千年単位で交流が途絶えていたのだ。仕方ないのかもしれない。


 歴史のコーナーもほうも見てみる。今はこうして作られた、魔王伝、図で分かる千年の過程……やはり、なかなかない。原初の口伝、という本があり、目次を見ると人間に関することがあるらしかった。

 とりあえず、その二冊の本と人間とは全く関係ない本を三冊、合計五冊を借りて自室に持って行くことにした。


 図書館にも読書や書き物するための机と椅子があるのだが、人間について調べているのを他人に見られるのは、気が引けた。


 皇子が魔王が拾ってきた人間だということは、周りも民も知っていることだ。堂々と人間のことに調べていたら、あらぬ疑惑をかけられる可能性がある。だから関係の無い本、以前から興味があった本を借りることにした。


 自室の机に本を置き、まず『世界の生き物の事典』の方を読んでみることにした。


 曰く。



[人間とは


 グルーテリュスとは、我らと異なる文化を持つ者。ルタチナ・カミュアの向こう側の大陸で、繁栄している種族である。

 祖先は異なるが、同じ血を分けた混血種であり、グルーテリュスより劣っているものの、魔法が扱える。


 ただし、その魔法は我らグルーテリュスと少々異なる。


 我らが龍脈に流れるグリュースを吸収し魔法を使うに対し、人間はグリュースと共鳴して魔法を使う。

 どうして、人間はグリュースと共鳴するのか。古の血が薄まっているからなのか。はたまた他の理由からか。それは解明出来ていない。


 人間の構造は基本は同じである。我らのように種族の違いはそれほどないように思われる。ただ、文化の違いで争いがあるようだ。


 人間は、我らよりも脆い構造をしている。だが、結束するととてつもない力を発揮する。


 繁殖について。グルーテリュスと人間は身体の構造が違うものの、繁殖はできる。

 ただし、妊娠をする確率は限りなく低い。生まれてくる子供は極端で、極端に強い子が生まれることもあれば、極端に弱い子が生まれる事がある。


 その理由に関しては、百五十二頁に記載している]




 大体は、リズタルトが習った通りの事が書かれていた。項目の下には、絵が描かれていた。絵の横に【人間に関する絵は残されていないが、人間を知っている者の証言による姿絵である。ヴァンパイアやエルフと似たような姿をしているようだ】と追記がある。


 姿絵を見ると、猫背で耳が少し尖っていた。爪も少しだけ尖っている。目の形は暗いところにいる猫の目のようだ。自分は耳も爪も尖っていないし、猫目ではない。


 最後の頁に書かれている発行日を見てみると、発行されたのは十七年ほど前だった。自分が生まれる前のことだ。今でも一般のグルーテリュスにお披露目されていないので、人間を見たことがないグルーテリュスは人間はこういう姿をしているのだと思っているのだろうか。


 一般にお披露目されたら、この本を出版した本屋と著者はどうするのだろうか。


 苦笑を漏らしながら、次は『原初の口伝』を開く。


 

[遙か昔、グルーテリュスと人間は共存していた。だが、【ノアの来訪】が引き金となり、グルーテリュスと人間の間に争いが起こった。これがかの【大陸分裂戦争】である。


 西の大陸に人間が、東の大陸にグルーテリュスが陣取った。

 両者は熾烈な争いを繰り返していたが、この【大陸分裂戦争】は【滄海の狂乱】により、幕を閉じたのであった。


 以降、西と東は【滄海の狂乱】によって出来た【ルタチナ・カミュア】で隔たり、交流は完全に途絶えた。


 余談であるが、人間側は【ルタチナ・カミュア】のことを【境界の峡谷】と呼んでいる。

 人間は、グルーテリュスより寿命が短く、今でも我々の記憶にある【ノアの来訪】、【大陸分裂戦争】、【滄海の狂乱】の事を覚えていない。悲しい事に、我らが共存していた時代も忘れ去られてしまっている。


 だが、この三つの事柄については、神話として語り継がれているらしい]




「あっちだと神話なんだ」



 本に書かれている【ノアの来訪】、【大陸分裂戦争】、【滄海の狂乱】は千年以上前の出来事だが、今でも生き証人が健在していて、その者達から当時の事を聞ける。


 その三つの事柄は、魔界に住むグルーテリュスにとって、重要な歴史の一部分で、常識として定着している。

 だが、あちらにとっては神話として語り継がれている。それはつまり、ほぼ空想物語ということだ。



(それくらい、寿命に差があるってことなのか)



 腕を伸ばし、肩を解して、本の表紙を見やる。



(今は、見た目はグルーテリュスと変わりないけど)



 掌を表紙に翳す。



(グルーテリュスは成長は早いけど、老化はとても遅い。人間は成長も老化も早い)



 サタンとその右腕であるルシウスは、千年生きているが、見た目はとても若い。グルーテリュスの年齢を見た目で計るのは、無駄の事だがそれでも。



(種族が違う……僕は、ここにいてもいいのかな)



 しかも、未来では魔王を倒す者と予言で詠まれている。

 ここにいない方が、魔界の為になるのではないか。


――ガタッ


 思考の闇に沈んでいた心を呼び覚ましたのは、小さな物音だった。

 窓の外から聞こえた。窓の方に視線を投げて、リズタルトは目を剥いた。


 爬虫類に似た姿をした、だが鱗と翼がある水色の生き物が、窓の外でリズタルトを見ていた。水晶のような角が、太陽の光に反射して眩しい。


 それは、ドラゴンと呼ばれる種族だ。そしてリズタルトは、そのドラゴンのことをよく知っていた。



「キラ!」



 窓を開けて、キラ、と呼んだドラゴンを部屋の中に入れる。


 部屋に入った瞬間、ドラゴンは水のような光を帯び、みるみるうちに形を変えていった。


 リズタルトと同じ、人間と酷似した姿になる。涼しげで、端正がとれた中性的な顔の、どちらかといえば少年寄りの顔だった。水色の髪から、水晶のような角がちょこんっと出ている。肩が露出しており、その肌は滑らかで雪のように白い。紫暗色の目が流れるように、リズタルトを見た。



「おはよう、リズ」


「おはよう、じゃないよ。毎回毎回、こっそり来て。幼馴染みでもちゃんと正面から来ないと、おじさんが怒るよ」


「だって、面倒臭いから」



 しれっと言い返したドラゴンに、リズタルトは嘆息した。


 ドラゴンの名前はキリランシェロ・セル・メシュリカ。サタンの右腕、ルシウス・セル・メシュリカの子供だ。歳はリズタルトと同じ歳である。



「ねぇ、リズ。一緒に城下に行こう」


「え、唐突だなぁ。なんで? お祭りがあるの?」


「ないよ。ただ、元気がないって聞いたから」


「誰に聞いたの?」


「執事の……えーと……ヴァンパイアの」


「ヴァンスロット?」


「多分その人、だったような気がする」



 キリランシェロは首を傾げながらも、首肯した。

 今朝のリズタルトの様子を訝しく思ったヴァンスロットが、キリランシェロにその事を告げた、ということだろう。



「うーん。そうだなぁ……」



 断る理由はない。むしろ、息抜きをしたほうがいいかもしれない。

 たまに身分を隠して城下町に行っているが、最近は忙しくて久しく城下町には行っていなかった。グルーテリュスには、人間と姿が類似している種族が存在するので、人間だとバレずに堂々と歩けるのだ。



「いいよ。行こうか」


「どこから抜ける? 北の抜け道?」


「その前に護衛を誰かに頼まなきゃ」



 お忍びで城下町に行くこと自体、父は反対していない。だが、必ず護衛を一人付ける、という絶対条件がある。これを破ると、父とルシウスによる長い説教が待っている。



「そういえば、そうだったね」


「とりあえず庭に行って、護衛してくれそうな暇な人を探そう」


「わかった」



 頷いて扉の方に向かうキリランシェロの肩を、リズタルトは慌てて掴んだ。



「ちょっと待って! そこから出るのは、さすがにまずいよ!」


「なんで?」


「面倒くさいことになるから!」



 扉から出て侍従に見つかったら、どうしてキリランシェロがここに、ということになり、最悪ルシウスの耳に入ってしまう。

 そうなると説教が始まって、城下町に行く時間がなくなってしまう。



「あ、そうか」



 と、キリランシェロは納得して、リズに向き直った。



「ということだからキラ。屋根の上まで、降ろしてくれる?」



 小さいほうが楽だから、とキリランシェロはドラゴンの時は小さい姿でいることが多い。だが、大きさは自由に変えられるのだ。さすがにルシウスのように、規模が大きい施設ほどの大きさにはなれないが、それでもリズタルトを乗せるには十分な大きさにはなれる。


 だが、それだと目立ってしまう。だから小さいドラゴンの姿になってもらい、下の瓦屋根に降ろしてもらったほうがいい。



「うん。わかった」


「じゃ、お願い」



 キリランシェロが先程と同じ、小さなドラゴンへと姿を変える。

 リズタルトはキリランシェロの手を握り、窓枠に足を掛けた。

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