理想郷 -utopia-

猫柳 リョウ

第1話 天才青年と書けない私

「お願いだから血迷わないで! それは、貴方が苦しみぬきながらも生み出した我が子でしょう?

それを、それをね、出来が悪いからなんて理由で捨てようとしないで! それは、親として許されざる態度なんじゃない?」



 打ちっ放しのコンクリートに、安物のパーテーションで仕切られた、狭い部屋。


 彼女は、必死の形相で私に訴えかける。ふわりと広がる亜麻色の髪に、ほっそりとした手。けれど見た目に反して、恐ろしいほどの怪力で、私の手を掴む。

ギラギラと光る瞳は、獲物を狙う猛禽類が如し。私が抱える「それ」を捉えて離さない。一歩でも身動きをしたら、恐らくそのまま飛び掛かってくる。


「ね、落ち着いて? ゴミ箱から離れよ? ね?」

「いや、むしろそっちこそ落ち着いて」

「それは貴方の赤ん坊、子供、ほら、そう思うと捨てられなくなるでしょ」

「いや子供じゃないから普通に捨てる」

「人でなし!!」


 このままだとらちが明かない。それに、鬼気迫った目でしがみついてくる女性というのは、正直怖い。


 ――ので、私は彼女の拘束をすり抜けるように、手首だけのスナップで『それ』を放り投げた。


「そぉれ」

「ああぁぁあぁああぁぁああぁッ!」


 宙を舞った紙束は、しかし目測を誤り、ゴミ箱の縁に弾かれて床に落ちた。内心舌打ちをする私を傍目に、私の友人、加奈子は床に落ちた原稿を涙目で拾い上げる。


「酷い! 人でなし! 親失格だぁ!」

「人聞きが悪い……」

「おっなんだ? 育児放棄か?」


 そこでガラリと部室の扉が開き、どうやら聞き耳を立てていたらしい部長が、ニヤニヤと笑いながら覗き込んできた。

 それに対して、加奈子がこれ幸いと口を尖らせる。


「聞いてくださいよ先輩、アスカったらせっかく完成させた原稿を誰にも読ませずにゴミ箱に放り込もうとしてたんですよ?ちゃんと完成してるのに、この子は日の目を見ることもなく、暗く汚れたゴミ箱で終わりの日を待つ……そんな暴挙、許されていいと思いますか?」

「原稿一つにそこまで熱弁振るえる加奈子氏の小説愛、俺は嫌いじゃない」

「向けられる方はたまったもんじゃないんですがね」

 私が肩をすくめると、部長は原稿片手に小躍りしている加奈子を見やり、「まったくだ」と苦笑した。


     ◇◆◇◆◇


 私――飛鳥井有紀の所属する文芸部は、大学一年から四年生までが二十名程度所属する、部とは名ばかりのこじんまりとしたサークルだ。

 夏休みも終わった今、再び始まった授業の合間を縫いつつ、秋にある文化祭に向けてゆっくりと動き出す、今は丁度そんな時期だった。


「しっかし、せっかく原稿終わったのに、それを捨てようとか正気か?それを文化祭に出しゃ良いのに」


 取り出したカップ麺の包装を剥きながら、部長が意外そうにぼやく。ピーピーと鳴くポットの湯を注げば、三人掛けの固いソファ二つでスペースが埋まってしまうこじんまりとした部室に、醤油ベースの良い香りが広がった。


「元々はそのつもりで書いたんですけどね、納得のいく出来じゃないんですよ。なーんか物足りないっていうか、盛り上がりに欠けるというか」

「ねぇ読んでいい? これ読んでいい?」

「加奈子、待てステイ

「Booooooo……」

 加奈子は大げさな動作は、どこか犬と似ている。華やかなフレアスカートの裾から垂れる尻尾の幻影が見えるほどだ。

「アスカ嫌い」

「納得できる出来になったら一番に見せるからさ」

「大好き」

「手のひら返し早すぎねぇか」

「そういう子なんですよ」

 コロリと機嫌を直した加奈子は、実にあっさりと原稿を私に返した。一度は捨てようとしたそれを、改めてまじまじと眺める。


 軽く折り目のついた紙の上に踊る、軽薄で味気ない活字達。タイトルは「ガラスの靴は眠らない」。文化祭の客層を考えたうえで書いた、割と軽めの小説だった。 誰もが知っている「シンデレラ」をモデルに、気の強いシンデレラとヘタレな王子が繰り広げる、ドタバタ恋愛コメディ。

 読みやすい内容にはした、つもりだ。分かりやすいテーマでもあると思う。


 でも多分、それだけ。


 何か、物足りないのだ。ただその何かが分からない。


「……部長、小説の批評とかしてくれません?」


 恐る恐る尋ねてみたが、ずぞぞー、と麺を啜り上げた後、部長は手で大きくバツを作った。


「悪いなー、頼みに応えてやりたいところだが、この後ちょっと教授のところに顔出さなきゃならねぇんだわ。あと純粋に、あんま批評とか得意じゃない」

「う、そうですか……」


 原稿に目を落とし、少し考え込む。

 正直な話、批評は小説を書くのと同じぐらい難しい。作品の巧拙を何となく感じ取ったうえで、何が問題なのか、細かいポイントで指摘しなければいけないからだ。それに何より、人の悪い点を指摘するというのは多かれ少なかれ波風を立てる。

 あまり良い言い方ではないが、慣れ合いの多いアマチュア一次創作界隈で、善意から改善点を述べてくれる人間というのは、ほんの一握りだ。


「じゃあ代わりに私が!」

「それはやめとく」

「うええええええええ」


 加奈子などが批評に向いていない良い例だ。活字である程度の起伏のある話ならば大概楽しく読んでしまう。楽しく読んでしまうので、感想は「面白かった!」の一言になることが多い。


 それでは、意味がないのだ。


「あぁ、そいやさっき下のコンビニで佐伯見たぞ。あいつに見せてみたらどうだ?」

 ふっと出てきた名前に、私は反射的に食いついた。

「あ、いいですねそれ。そうしよっかな」

「えっなにそれずるくないですか? 私の方が先にアピールしてるよ? 佐伯っち許すまじ?」

「はいはいどーどー」

「みんな私の扱い雑過ぎないかな!?」

「気のせい気のせい」


 ふてくされた加奈子に苦笑いしながら視線を泳がせていると、カララ、と部室の戸が開く。中に入ってきたのは、今まさに話に上がっていた男だった。


「おっ佐伯、良いとこに来たな」

「おはよっす。……何で俺睨まれてんの?」

「そなたに罪はない、しかし素直に恨まれて」

「訳分かんねぇんだけど」


 背負っていたリュックサックを下ろし、彼は小さく肩をすくめた。

 ひょろりとした長身痩躯に、乏しい表情と冴えない眼鏡。いかにも文学青年といった印象のこの男の名前は佐伯和真。これでも、うちのサークル屈指の物書き。


 そして、私の幼馴染でもある。


「実はさ、小説のアドバイス欲しいんだよね」

私が切り出すと、和真はレンズの奥の視線だけをこちらに向ける。

「……俺に?」

「そそ。後でお礼に奢るからさぁ」

 ざっと事情を説明すると、あぁ、と面倒くさそうに和真は首筋を掻く。

「俺もそういうの、苦手なんだけど。ネットにでも上げれば適当に評価つくだろ」

「ネット小説の流行り廃りって知ってる?正直ネット受け狙う作品じゃないんだよね」

「知らねぇ。適当に主人公無双でもさせれば?」

「感想もらうために内容変えたら本末転倒でしょーが」

「はーめんどくせ。とりあえず飯食わせて」


 けだるげに和真がぺリペリと包装を剥く。そのカップ麺に湯を注いでやりながら、部長が興味津々と言った顔で問いかけた。


「昔から知り合いって話は聞いてたが、何?アスカ先生の過去作も読んでたのか?」

「読んでますよ。こいつ小学生の頃から書いてたし」

「昔は和真もノリが良くて、私の作品の二次創作書いてくれたり」

「そうそう、当時流行りのマンガの影響で、チート級の女騎士の顔に入れ墨があって、あれが強いの何の。確か名前がナ……」

「和真それ以上はいけない」


 そこから先は若気の至り、黒歴史というやつである。これ以上口を開くようなら、こちらも貯めに貯めてきた和真の黒歴史をぶちまける羽目になる。


「あんだよ、もっと詳しく話せよー」

「嫌ですぅ。……というか、もう昼休み終わりますよ」


 時計に目を移すと、もうすぐ一時。三限が始まる時間だ。時計を見て、加奈子がうえっと呻く。


「やだぁ、小説見るまで授業行かないー」

「んなこと言ってると単位落とすぞ若人よ。俺も教授のとこに行かねぇとなぁ。ついでに可愛い後輩を授業まで送って来るか」


 そう言って、駄々をこねる加奈子に荷物をまとめさせ、部長は彼女を引きずっていく。二人がいなくなると、部室は随分と静かになってしまった。

 やがて、カップ麺を全て胃に流し込んだ和真は、ゴミを手早くまとめるとこちらに向き直る。


「――で、どれを読めって?」

「一応、これなんだけど」


 おずおずと、一度はゴミ箱に叩き込もうとした紙束を和真に手渡す。彼は原稿を受け取ると、無言でその中身に目を通し始めた。


 和真は自分から口を開くタイプではなく、常に何を考えているか良く分からない。付き合いが長い私ですらとっつきにくいと感じることもあるような男だった。

 しかし、作品を見ると、どこかやぼったい印象がガラリと変わる。

 幾重にも張り巡らされた伏線と設定。息つく間もない展開と、読者を振り落とさずついてこさせる描写力。

 今はまだ、プロではないかもしれない。けれどいつかその域に達するのではないか。そう思わされるような、天才。

 悔しいが、彼は確実に、私よりもレベルの高い物書きだった。



「うーん……」


 時間にして数分。最後のページまで読み終わると、和真は再び最初に戻り、少し考え込む。


「何でも言っていいんだな」

「うん」


「面白くないとは言わない。でも、たぶん二度三度は読み返さない。一言でいうならそんな感じ」


 軽く口元に手を当て、指先で顎をこすりながら、ポツリポツリと、彼は言葉を継ぐ。

「割と若年層向けだな、これ。軽くしようとしたんだと思うけど、たぶん飛鳥井の作風と噛み合ってない。あとキャラの性格が微妙。コミカルさを優先しすぎて、みんな軽薄でキャラも安定してない。さっきノリでネット小説にでも改稿すればとは言ったけど、これ以上軽くするとダメだな。

 学祭用だっけ。ならむしろもっと掛け合いを削っていい。どうせ学祭展示で長文掛け合いなんてしても誰も読まない。むしろ一文一文を大切にして。

 あとオチが……いや、全体的にメリハリがないな。ずっと同じようなテンションで動いてるから、話が締まらない。するすると頭の表面を滑ってく感じのコメディ。だからその場は面白いけど、記憶にはほとんど残らない」


 彼の口からポンポンと改善点が飛び出してくるので、私は慌ててメモ帳を引っ張り出してそれを書き記す。一通りこちらが書き終わったのを確認して、彼は原稿を机に置いた。

「でもまぁ正直、学祭レベルならこれで十分じゃねぇの?上から目線みたいな意見になるけど、ひどく読みにくいわけではないし、ちゃんと笑いどころもある。学祭の客層にも合ってるだろうしな」


 だから気に病むほどのものではない、と彼は言う。


「そっか……うーん……」

「自分で書いてて面白くない?」

「ないね、まったく……」

「そりゃ難儀なこった」

 

 私が頭を抱える横で、和真は誰かが置いていったお土産のクッキーの包装を剥く。


「てか、飛鳥井は割と世界観作り込むタイプだと思ってたんだけどな。昔はそういうの書いてただろ」

「世界観ガチガチすぎて書けなくなったからもう四、五年使ってないなぁ……」

「もったいねぇの。……で、奢りの件なんだが」

「待ってまだちょっと納得してない、もうちょっと、もーちょっと何かない?」

「知るか。俺の思ったことはもうすでに言ったし」


 そりゃないぜおにーさん。眉を引き下げて、もう少し食い下がろうとしたところで。



「ごめんください」


 カラリ、と軽やかな音。

 部室の入り口が、すっと開く。同時に響いたどこか幼さの残る凛とした声に、私達は言葉を忘れ、ただ茫然と入り口に視線を向けた。


「……ええと、どなた様、で?」


 そこに立っていたのは、金色の髪の少年だった。十歳前後だろうか、優しげな瞳は深い青色で、ヨーロッパ系のいかにも外人然とした顔立ち。けれど立ち振る舞いは、どこか老成した雰囲気すらあって。

 何よりも目を引くのは、濃紺のローブのような服装だ。まるで一人、ファンタジーの世界から抜け出してきたような。


「アスカイ・ユキさんは、貴方ですね?」


 流暢な日本語で、少年は私を見ながらふわり、と笑った。

 机を挟んで固まっていた私に、知り合い?と佐伯が耳打ちする。


「いや、外人の知り合いはちょっと」

「じゃあとりあえず追い出すか」

「お、おう。そだね」


 こちらの声が聞こえていたのだろうか、少しだけ、少年は悲しそうな顔をする。


「分からないのならば、それでも構いません。今日は、貴方に頼みたいことがありまして、お迎えに上がりました」

「え……」


 少年がすっと手を差し出す。その瞬間、風景が歪んだ。

 手足の感覚が消え、目の前が真っ白になっていく。まるで貧血のようだけれども、不快感はない、不思議な気分。


 ――おい待て。こういうの、テンプレっていうんだぞ。しかもな、もう五、六年前には既に使い古された、完全に流行遅れのやつでな、私は詳しいんだ。


 「おい、飛鳥井……ッ!」


 遠くで、和真の声が聞こえる。それに対して、ハハッと自嘲した、つもり。

 呆れた思考を置き去りに、私の意識は、スルリ、と深く深くへと滑り落ちていった。


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