バケモノ(その3)

いつもより遅れて私は喫茶店に来た。いつもなら十五分前には来ているのに時計を見ると時刻は九時十五分になろうとしていた。家を出て三十分以上時間が過ぎている。遅れただけでも怒りが芽生えるのに私は横を見るとさらにイライラとしてきた。


「えっと....朱音ちゃんの友達、かな?すごく怒っているように見えるのだけれど....」

 無言の殺伐とした空気の中、マスターは頑張って笑みを作り聞いてきた。冷や汗が少し出ている。

「違います。断じて違います。さっき来る途中で出会っただけです」

 私は口を尖らせそっぽを向いた。

「何で引っ張って来たのか説明してくれると嬉しいのですけど」

 とりあえずどうぞ、という感じにマスターは私と横の彼女の前にハーブティー置いた。

 

私はカップを取り思いきりハーブティーを口にいれた。結果喉が焼けるように熱かった。私はビックリしてカップを起き前屈みに咳をした。マスターは慌てて私の背中をさすってくれる。彼女はというと横でチビチビと口をつけ熱かったら息を吹いて冷まして飲んでいた。

私もそうすれば良かった。怒りに任せて飲むものでは無いと知ったのである。


「えっと、彼女が歩道橋で自殺を図ってたんです。私はそれを止めに入って…」

 喉の痛みが収まり私はマスターに事情を説明した。

「それは朱音ちゃんよくやりましたね」

 マスターは笑顔で私の頭を撫でてくれた、と同時に彼女を見た。

「何でそんなことをしたんですか?」

 マスターは優しく、あまり相手を怒らせないように慎重に聞いた。

「死にたかったからに決まってるじゃない」

 彼女は横を向いて言った。

「何でそんなことを思うんですか」

 私は立ち上がり、彼女の方へ向く。

「貴女に私の何がわかるのよ」

 彼女が私の方を見た。歪むほどの怒りをした顔で、あの鋭い目付きで私を見た。

「辛い経験だってあんまりしたことの無いような顔をして、勝手な善意で人の決意を止める」

 彼女も立ち上がり、声に怒りを感じる。

「自殺を止めるのがそんなに偉いの?私がどんな思いで決意して実行しようとしたのかも分からないくせに止めて、逆ギレしてここに連れて来てそれが良いことなの?」

 今にも襲おうとする気配で私との距離を縮めて来る。


私はまたしても彼女の気迫にビビり言葉が出なかった。近づいてくる彼女がとても怖く私は後ろに後ずさった。死にたいと思った人に出会ったのも初めてで、止めたのも初めてで、こんなにも殺意に満ちた気持ちを向けられたのも初めてだった。私の思考は追い付かなくなり、頭の中が真っ白になっていった。

何を言ったらいいのかも分からない。けれど何か言わなければ彼女の足は止まらない。私は口を開こうとするが口に力が入らず声が出ない。


「ちょっと落ち着いて下さい」

 マスターが私たちの間に手を挟み彼女の足を止め、この空気を断ち切った。

「何よ貴方も私の自殺を止めるの?」

 彼女の怒りは私からマスターに変わった。

「止めますよ。誰であろうと命を粗末に扱う人は僕は嫌いですけど止めます」

「善人ぶりやがって彼女と一緒かよ!」

「善意だけで人助けが出来ると思わないで下さい」

 静かだが声は重く、怒っている様子は微塵も感じないのにマスターの周りの空気は怒っていた。


マスターが怒るなんて初めて見た気がした。彼女はマスターの気迫に負け一歩退いた。 


「誰かを助ける時に感情は作用しません。身体が条件反射で動いてしまうものです。人を助けた時、感情が後ろからついてくるんです。助けられなかった時もしかり」

 マスターは彼女を見つめ言う。

「何が貴女をそこまでさせたのか話してくれませんか?」

「な、何で私が話さないといけないのよ」

「僕と朱音ちゃんを納得させられたら、自殺をしても仕方ないと思える理由なら僕はもう止めません」

「いいよ。納得するかは知らないけど話してあげるよ」  

 彼女は椅子に座ろうとしてマスターが止めた。

「あ、待ってください」

 マスターはカウンターから出てきて奥の扉に向かった。

「こちらにどうぞ。ここでは話づらいでしょうから」

 扉を開け私たちに向かって手招きする。


彼女は首を傾げたが文句は言わず奥の扉に入って行った。


「ほら、朱音ちゃんもおいで」

 マスターが手招きした。


私もマスター達の後に続き入っていく。

この中に入るのは久しぶりな気がする。前の時は入らなかったからかな?

奥に進んで行きながらさっきの彼女とのやりとりを思い出す。彼女をあそこまでするなんて何があったのだろうか。それにさっきのマスターの言葉、何か引っ掛かる。でもそれが何かも分からないまま私たちは扉を開けた。

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