忘れ形見(その3)

―ワシには娘が居ます。一人娘でそれはそれは可愛がって育てました。数年前に結婚して家を出て新しい家に引っ越し夫と二人で暮らしてます。帰って来るのはたまにで帰ってくると楽しそうに色々な話を笑顔で聞かせてくれてワシらはとても嬉しかった。子どもが産まれたと聞いた時は嬉しくて妻と二人して涙が出たのを覚えてます。今では仲良く三人で暮らしてるそうです。


一昨年の暮れに妻に先に逝かれました。ワシは涙も出ず心にポッカリ穴が開いた気がして、縁側に座ってる時間が長くなりました。ワシもそろそろだと覚悟しようと娘に話すと「バカなこと言わないで」と泣きながら怒られました。娘は優しく妻が亡くなった時も旦那の肩で泣いていました。とても優しい子に育って、ワシまで死んだらどうなるのか心配になるぐらいです。

けれど、最近体調がだんだん悪くなっていき外に出る回数も減っていきました。娘は心配して家に来る回数が増えてきました。朝は夫と子どものご飯を作って家事を終わらしてから子どもと一緒に家に来てご飯を作ってくれたりするようになりました。たまに泊まることもあります。ワシは「ワシのことなどほっといていい」と言うとダメ!と言われるばかり。よほど妻が亡くなったのが辛かったらしいです。


ただ家事の量が増えて娘は大変そうで目の下にクマまで出来てきてワシは見ていて辛くなりました。

自分がこんなに無力でダメな人間だと思って、娘に頼って、自分じゃ何も出来ない。親失格だと思いました。

娘のこんな姿を見るくらいなら早く妻の所に行きたいと思うようになるけどそれはダメなことだと分かっているから余計に辛い。


どうすればいいのか悩む日々です―


老人の顔は話すたびに暗くなっていき、聞いていた私まで辛くなった、と同時に娘さんはスゴいと思った。親が大好きなんだと思った。


「何か娘にしてやれることはありますかね」

 老人は私たちの方を向いて聞いた。


私は何も出てこなかった。口を開こうとするが言葉が出ない。何か一つは出るかと思ったのに何も浮かぶ出てこない。

二つの家の家事をこなし子育てもしている娘さんに出来ること、考えても出てこない。

そんな自分がスゴく嫌になった。私はお客様の話を聞いても何も言えず、良い案すら出せない私は無力で、相談にものれないただのお節介だと思うと悲しくなり、私は頭を下げて手に力をいれて泣きそうになる顔を隠した。


その時、マスターは私の手をそっと優しく握りしめた。私は顔を上げマスターの方を向く。


「それなら手紙、とかどうですか」

「手紙ですか?」

 老人は少し首を傾げて聞き返した。

「はい。これまでの感謝の気持ち、言いたいこと全部書いてみるのはどうですか?」

 マスターは私の手を握ったまま老人に笑顔で言った。

「そうですね」

 老人は少し考えて言った。

「紙とペンを貸してくれますか?」

「はい。喜んで」


そう言うとマスターは立ち上がり、とっさに私も立ち上がった。


「では、戻りましょうか」

 マスターは扉に向かって歩いていく。


老人と私は後ろに続いて喫茶店に帰っていった。


あの時、どうしてマスターは私の手を握ってくれたのだろう。私は握られた手を見つめながら考えていた。


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