1-2 自称魔王の幼女を拾いました。

 近所のスーパーへ超強力接着剤を買いに行った、昼下がり。


 ビニール袋で頭を覆いながら、僕は家路を全速力で走っていた。


「天気予報で雨が降るなんて言ってたかー?」


 僕は空を埋め尽くす灰色の雲を見て文句を垂れるが、その声は雨音でかき消される。


 ぽつぽつと降り出した雨は、いつの間にか本降りになっていた。春だと言うのに、雨の冷たさが濡れたシャツを通して滲みる。


 自転車は現在修理に出しているため、スーパーまでの距離はウォークアンドラン。こんな時に雨が降るなんて、実に運が悪い。


 帰ったら急いで熱いシャワーを浴びて、その後は暖房を効かせて、まったりと柚香の作ってくれた昼ご飯でも食べよう。電気・ガス代はさすがに親が支払っているので、無駄遣いし放題なのだ。……だったら食費も払ってくれよ、と反抗するのだが、無論母は耳を貸さない。


 そうやって至福のシチュエーションを考えると、春雨の冷たさを凌ぐことに成功した。あともう少し走れば幸せタイムが待っている!


 しかしその貧乏ならではのプチ幸せ思考は、すぐに別のものへと支配されることとなる。

 

「……ん?」


 コスモス荘まで残り直進三ブロックに差し掛かったところで、僕は少し先の電信柱に違和感を覚えた。塀と電信柱に丁度挟まる感じで、何かの物体がおちていたからだ。


 ゴミの不法投棄かな。


 正直それ以外は考えられない。むしろ、それ以外に何があるのだ。


 走るにつれて、だんだんと近づく不思議な物体。そして、ついにその距離二メートルほどになりそれが視認できた時、僕の心臓は一瞬電気が流れたみたいにマヒした。


「は⁉」


 要は、超驚いたのだ。それも、息がいったん止まるくらいのレベルで。


 電信柱にもたれていたのはモノ、ではなかった。


 人。ヒト。ヒューマン。それも小さな子供だ。春の服装にしては、というより日本では全く見慣れない服を召していた。真っ黒で、細部まで凝った装飾がされたその服は、ファンタジーの世界で作られた、と言っても納得してしまうくらいのクオリティだった。


 小さな子供はコンパクトに体育座りをして、顔をすっかりうずめてしまっていた。顔をぬらさないためか、そもそも顔を上げる力が残っていないのか、第三者の僕にはわからない。


 分かることと言えば、雨が容赦なく子供の体を打ち続けることのみ。


「お、おい! 大丈夫⁉」


 その時僕に躊躇などという言葉は生まれもせず、何かの力が働いて、すぐに電信柱に駆け寄った。そして咄嗟に着ていた一枚の上着を、子供の頭の上にかぶせる。直接雨にあたるよりはまだましだろう。代わりに虚弱体質の僕には大ダメージが入るのだが。


「……? ……」


 子供は一度顔を上げて状況を確認しようとするが、やがて力尽きたようにまた顔をうずめる。


 おい、これ、結構まずいんじゃないのか? 生死にかかわってくるようなやつなのでは?


「おーい! この子の親御さーん? おーい!」


 しかし何度叫んでも辺りを見渡しても、そこには僕と子供しかいない。一体この子の親はこんな土砂降りの中、何をしていらっしゃるんだ。こんなに子供が凍えているというのに。


 子供の華奢な腕を触ると、完全に冷え切っていた。


「くそっ」


 このままこの子の親を待ち続けていれば僕もこの子も多分共倒れだ。そうなってしまっては元も子もない。


 よし、一度家に連れて帰ろう。親探しはそれからだ。


 僕はそう決めて子供を抱きかかえると、今までよりも全速力でコスモス荘へと舞い戻った。


「はぁ……はぁ……」


 日に日に衰えていく体力を全て消費した僕は息を上げながら、自室のドアを開け、閉める動作は忘れてそのまま雪崩れ込む。


 ええと、冷えた体を温めるには風呂が適切だけれど……運悪く風呂はまだ沸かしていないし、子供の服を勝手に脱がせるのはいくらなんでも法に触れてしまいそうで怖い。


 本来そういうきわどいところまでやらなきゃいけないのが人命救助なのだが、生憎僕にそこまでの勇気は持ち合わせていない。


 とりあえず家にある全ての毛布やら暖房器具やらで服ごと温めよう。


 僕は穴だらけの襖からありったけの毛布を取り出して、洗面所にある棚からはドライヤーとバスタオルを引っ張り出した。


 まずバスタオルを子供の体に巻き付け、さらにその上に毛布を巻き付けた。これくらいやれば少しくらいは温かいだろう。あとは暖房だ。最後に――髪は乾かしておいてあげよう。


 コンセントにドライヤーの電源を差すと、すぐにターボモードに設定する。そして春巻きみたいにぐるぐる巻きにされた子供の髪を持ち上げて、撫でながら乾かしていく。体は無理だけど、髪くらいだったらいいだろう。大人はどうか知らないけど、子供の髪を触ってもさすがに罪に問われることにはなるまい。ならないよね?


「きれいな黒だなぁ」


 ブィーン、という音と共に熱風で靡く髪は、暗黒色と言っても過言ではない。今にも飛び込めそうな、さらに言えば吸われそうな、まるでブラックホールみたいな黒だった。


 ドライヤーで子供の髪を乾かしながら、僕はそんなことを思っていた。


 やがて髪を乾かし終えると、畳に布団を広げて、子供をしばらく置いておくことにした。


「すーすー」


 子供は心地の良い寝息を立てていた。体温も人並みまでには上がってきている。後は子供が自ら起きるのを待つだけだ。


 それにしてもかわいい顔をしているなぁ、この子。ひょっとして女の子なのかな? ……だとしたら服を脱がさなかったのは本当に正解だった。


 あぶないあぶない。軽く逮捕されちゃうところだったよ。


 子供が起きたら警察にでも行こう。いや、誘拐事件の自首ではなく、親探しのためにね。



   ***



 子供が目を覚ましたのはその日の晩、僕がモヤシ炒めを作っている時だった。


「……Heyr ha uwea!?ここはどこだ⁉ Wat? Muv gha in!?なんだ? 身動きが取れない⁉


 僕の背後――つまりは六畳間で、毛布に巻かれた子供が甲高い声で叫んでいた。本当に女の子だったようだ。同時に、まさしく海で釣られた新鮮な魚みたいに、胴体を使ってバタバタと跳ねている。


「あ、やっと起きたかー。このまま起きないんじゃないかと思ってひやひやしたよ」


 コンロを消して一旦モヤシを放置すると、女の子の容態を見るために距離をつめる。


Aari ai wo ririisu!早くあたしを開放しろぉ!

「ごめん、すぐに取るから待っててね」


 女の子は巻かれた毛布が苦しいようで、強く僕に訴えかけていた。


 しかし先ほどからこの女の子、何を言っているのかよくわからない。どこかの方言なのだろうか? いやいやさすがにそうとは思えない。方言だとしても少なからずの日本語は聞こえてくるはずだ。


 もしかしたらこの女の子は外国人なのかもしれない。


Aari! Aari!早くして!

「はいはいわかったから動かないでね」


 焦る女の子。当然女の子の話す外国語を理解しているわけではないので完全にフィーリングだが、それくらいなら気迫でわかる。


 別に人の手を借りなくとも抜け出せるのに。紐で巻いている訳じゃないんだから。


chiityd! 騙されたな!Uindmagik windurm!!風魔法ウィンドゥルム‼


 僕が暴れる女の子をようやく救出したとき。女の子は突如立ち上がり、僕の方を振り返ると右手を僕の方に突き出して、また何かを叫ぶ。


「へ?」


 僕がそう間抜けな声を出してしまったのも無理はない。女の子の突き出された右手の先に、緑色の回る円環のようなものが突然発生したら、誰でもこんな反応をすると思う。


 緑の円環だ。そんなファンタジックなものが今、僕の目の前でグルグルと回っていた。

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