第一話 幼女魔王を拾いました。

1-1 モヤシがなかったら僕はすでに死んでいた。

 春休みが始まって二日目。気分は『昼までおねんねタイム』だと言うのに、とあるお客さんのせいで正午を迎える前に起きることになってしまった。


 そしていきなりだが、僕は今怒られている。


「お客さんにお茶一つ出さないって、どういうこと?」


 仁王立ちになっている女の子が辛らつな眼で僕――及川智也を凝視していた。


 ちなみにここは僕のバイト先ではなく、マイホームだ。だからこの女の子もクレーマーではなく、友人だ。


 女の子の名前は美海柚香みなみゆうか。何か僕と縁があるのか、小中高と同じ学校に通う、僕と同学年の高校一年生。


 世間ではこれを幼馴染と言うらしいが、そんな感じはしない。どちらかと言えば親友の方がしっくりくる。まぁ向こうが僕を友達として認識しているかは知らないけれどね。


 そんな親友さんは視線で僕を威圧してくる。


「別にお茶は出せるんだけど……出す場所がないというかなんと言うか。あの有様なんです」


 柚香と一畳を隔てて正座している僕は、よろよろと今にも崩れそうな人差し指で指した。


 その先には卓袱台――なのだが四隅にある脚のうち、一本が根元から折れてしまった使い物にならない卓袱台。そして一回分だけ使った木工用ボンド。


「もういい加減買い替えなさいよ……」


 柚香はこの惨状に呆れたのか、やれやれとおでこを押さえながら固い畳の上に腰を下そうとする。


「僕にそんなお金の余裕があると思う? ……あ、どうぞこれを」


 部屋の隅に置いておいた座布団を手繰り寄せて、僕は家臣みたいな台詞回しで差し出す。


「悪かったわよ。でもさすがに座布団はあるのね。一個だけど」


 そんな皮肉を吐きながら、畳の上に座布団を敷いて足のポジションを整える柚香。


「柚香しか来客いないのに、もう一つ買うのはもったいないかなーって」

「どこまで貧乏性なのよ」


 えへへと笑った僕に、柚香が冷静かつ適切な突っ込みを入れる。


 実際のところ僕は貧乏だ。しかし両親がいないなどという悲しい理由ではない。むしろ僕の両親は共働きなので、一般家庭よりは稼ぎがあるだろう。


 そのはずなのに、何故僕は貧乏なのか。 


 それにはとある理由が絡んでいる。


 ――コスモス荘だ。僕が今住んでいるこのボロアパートの正式名称である。最寄り駅から徒歩三〇分、スーパーマーケットまで自転車で十分、学校病院公園コンビニ全て徒歩十分という「なぜこんなところに建てたんだ!」と声を大にして言いたいくらいに酷い立地。


 そこに我がアパート、『コスモス荘』はある。


 さらに築三十年が経ち、全体的にぼろい。


 台風が息を吹きかければ軽く飛んで行ってしまいそうなほどの薄い壁に、二階で力士が四股を踏めばすぐに抜け落ちてしまいそうな床。にもかかわらず利潤を追求しようとした結果、不相応すぎる家賃。


 そのおかげで入居者も集まらず、現在では僕一人だけ。


 かろうじていいところを上げるとすると……風呂とトイレがあることくらい?


 と、全くいいところのないコスモス荘で僕は、長期出張の母の代理として、三か月前からここの管理人をしている。……セキュリティの問題上、住み込みでだが。しかし、こんなところを管理していても全く無意味だと思うのは僕だけだろうか。


 しかもあの母ときたら息子にアパート経営のイロハも教えずに、お小遣いを上げてほしかったら『入居者を増やしてね』というのだ。


 結局、ほぼクリア不可能なクエストのせいで僕のお小遣いは増えることなく、コスモス荘の日々崩壊を続ける各室の修繕代としてゴッソリ持っていかれる。もちろん食費もなくなっていく。我慢して来月を迎える。月初めにお小遣いが通帳に送られてくる。コスモス荘の修繕費に回す。食費……、とエンドレスループなのだ。


 この理不尽な方程式が、僕が圧倒的貧乏になっている理由だ。ああ、三か月前の実家生活に戻りたい!


「それで、お茶はいる? 机はないけど」

「もういいわ、要件終わらせたらすぐ帰るつもりだったし」


 そう言って、柚香は持ってきたデパートの紙袋を膝の上に乗っける。どうやらその中に何かが入っているらしい。


「要件? ああそう言えばなんで柚香は僕んちに来たの?」

「生存確認よ。ほら、あんたって学校がない休みの日はどこにも行かなさそうじゃない?」

「失礼な……でも否定はできない」


 反論の意思を見せた三秒後に、僕は黙り込むこととなった。


 外に出たって緊縮財政を敷いている僕の場合、散歩くらいしかやることがないからね。


「だから死んじゃってないかなーと思って」

「……僕そんな弱くないから!」


 柚香が冗談を交えてからかう。しかし本人は冗談のつもりでも、意外といいところをついているので、僕は一瞬だけ狼狽した。正直明日にでもぽっくりと行きそうなほど、僕は死にそうだ。


「……あと食費を削りまくって昼ごはん抜きにしそうじゃない?」

「うぐっ!」


 まるで心臓を矢で刺すみたいに、図星を突かれた。


「だから、はい」


 柚香は膝の上の紙袋を、僕の目の前に置いた。


「まさかその中身って……」

「ふん、味は保証しないけど、あんたのことだからご飯の味とかわからないでしょ。お昼作ってきてあげたから我慢しないで食べなさい」

「ありがとう神様仏様柚香様ぁぁぁ!」


 まさに光を浴びた天使だった。なぜだろう、今だけは柚香が西洋絵画に登場するような女神様に見えてしまう。


 一畳を隔てる大天使に思わずひれ伏す僕。


「ふん……今度コンビニのコーヒー奢ってもらうからね」

「……」


 そのまま僕は体だけ微動だにせず固まると、顔だけを機械人形みたいにぎこちなく上げる。


「う、嘘よ。だからそんな死に際の顔を向けないで」


 土下座のまま無の表情を向けると、柚香は慌てたのか、わなわなと手を動かしていた。


「柚香、冗談でも言っていいことと悪いことがあるんだよ」

「コンビニのコーヒーごときで大げさね!」


 声を大にして柚香が叫んだため、部屋に音が反響する。そしてその言葉は僕に火をつける。


「コ、コンビニのコーヒー『ごとき』⁉ 今『ごとき』と言ったな!」


 ひれ伏すのをやめ、ずいと柚香に顔を寄せる。


「言ったけど……」


 寄せた分、柚香は体を後ろにのけぞらせた。


「はい地雷を踏みましたー禁止ワードを言いましたー」

「何よ!」


 それ以上柚香がたじろぐことはなく、負けず嫌いな性格ゆえ、僕に反抗心を見せる。


「コンビニのコーヒー(Мサイズ)を一五〇円だとしましょう。ここで問題です柚香さん。このお金を食費とすると僕は何日暮らせるでしょう?」

「そんなの一日も無理でしょ!」


 僕も最近までそう思っていました。しかし!


「残念でした正解は――一五日でしたー」

「一日十円って無理に決まってるじゃない」


 それが生きられてしまうんだな、試験体の僕が今こうやって生きていることでそれは証明されている。


「近所のスーパーでモヤシがワンパックで税込み十円で売っているのをご存じない? ……ってなんだその眼は!」


 気づけば柚香が、まるで排水口に溜まった髪の毛を見るような目で僕を見ていた。

そして、はあ、と溜息を一つついて頭を抱えた。


「あんたよくそれで生きていけるわね……」

「うん、僕も不思議に思ってる」


 そう言うと、柚香が目を閉じて何かを思案していた。


「……わかったわ。明日沢山ご飯作ってきてあげるから」 


 それは天使からの祝福であった。また柚香が大天使様に見え始めた。あれ、翼が見えるぞ?


 でも、ひとつ確認しておかなくちゃならない。


「それは無料?」

「もちろん。冷蔵庫を空っぽにして待ってなさい」


 柚香の肯定に、僕は今日一番の安堵をする。


 本当は「もとからほぼ空っぽだけどね」という言葉を付け足すつもりだったが、さらに柚香を不安にさせてしまうような気がしたため、言うのはやめておいた。


「ありがとう柚香。君と友達になれて本当に良かったと思ってる」

「私の存在理由を『飯屋』にしないでほしいわ」


 僕の心からの感謝に、柚香はいかにも決まりが悪そうな表情を浮かべながら言った。


  ***


「それじゃ、また明日ね。冷蔵庫を整理しておくのよ」

「助かるよ、じゃ」


 コスモス荘の階段下で柚香が手を振りながら、道に出ていく。それを僕は最後まで見送った。


 さて、僕も超強力接着剤を買いに出かけなきゃ。待ってろよ卓袱台、すぐに助けてやるからな! 


 ……でも一体いくらくらいするんだろうか。


 玄関に置いてあった財布の中身を確認すると、僕は憂鬱な気持ちになりながらポケットにしまう。


 とりあえず今日の夜は……もやし炒めかな。

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