A Study of Special

 教師を相手に論争を繰り広げているのか。もはや天才のレベルだな。それにその歳で詩を書いてる友人も凄い。論述や弁論で言い負かすことが出来たと見えるが、その後の記述を見ると、教師の側は受け流して逃げたんじゃないか? それはそれでやむを得ないのかもしれないけどさ。まあ、いいか。


 俺の個人的事情を絡めて応えたい。


 俺はおおよそ12歳のころに心身の調子を崩してしまった。それも相当酷い形で。一時期快方に向かったと思っていたが、全然向かっていなかった。良くなったと思い込んでさらに無茶をやってしまったんだ。そして、更に長く療養生活は続いた。そして、今もその途上にあるってことだろう。自分で食い扶持を稼げていないし、自立とは程遠い状況だからな。


 その頃の事をぼんやりと眺めるような時がある。思い出されるのは俺に対する強烈な攻撃の数々だ。大体言ってくることは、


 何が不満なんだ? 何がしたいんだ?


 どうすれば満足なんだ? どうすればその●●は治る?


 というようなものだ。


 今はそう言うのが頭に響いても猛烈に苦しむことは無い。少しは辛いけどね。


 その幻影に答えるとすると、


「何が不満かと言われても、何が不満なのか自分でもわからない。ただ、言われた通りに出来ないのは自分でも情けない事だと思う。どうにかしたいと思っているが、体が動かず、口も動かず、言葉も上手く紡ぎだせない。この状況を説明したいが、あんた方の強烈な態度に圧されて心も体も委縮してしまって震えてしまう。そこを更に責められると、もうどうしようもない」


 というようなもんだろう。


 ただし、それをどうにかその場で言えたとしても、向こうの反応が変わったとは思えない。


 今はどうにか『話し合う』ということがある程度出来るんだが、その状態で俺があれこれと誠実な受け答えをするんだが(※自分ではそのつもりだ)、だんだん相手の様子がおかしくなってくるんだ。一応俺の答えた事に更に答えを返しては来るんだが、表情が強張ったり、動きがおかしくなったりしてくる。何だか、話を早く切り上げたいんじゃないかと思えてくる。


 時々思うんだけど、話を切り上げたいものの、それは自分の主張の正しさが認められた上でそうしないと、その人たちにとってはダメなんじゃないかって思うんだ。だから、最近は何でもかんでも突っ込みを入れるということはしていない(と思う)。時々聞いたよくわからない言葉『負けるが勝ち』というのを、よくわからないまま心の中で唱えることもある。全体が上手く回るのを祈りつつ目の前の何かに集中するよう心掛けてるんだ。


 それで、最初の方に話した奇跡的に続編が公開された映画のことなんだけど。昔上映していたそのオリジナルの映画、そしてその原案、原作にあたるものがある。その登場人物のなかにスペシャルと呼ばれる者がいたんだ。その人物は世界が蝕まれた病の影響を受けて、体の状態が周りの人達とは違っているんだ。ただ、俺がみたところ、あの世界での『普通の人間』というのはどんなものかよくわからないんだ。


 何が言いたいのかよくわからなくなってきた。この症状はいつもの事なんだよ。すまないな。


 ただ、その人物は原作者が自身をモデルにしているらしい。というのを今日、初めて知った。続編公開の流れに乗って、その作者の小説がたくさん●語に訳されて本屋にあるんだ。『ジャック・イジドアの告白』ってタイトルに惹かれて思わず買ってしまった。色々と控えようと決めた矢先にこれだ。まだ読んでない本がたくさんあるってのにな。


 だからまあ、この返答集も俺と言うスペシャルの告白と取ってもらってもいいかな? これぞ、世界に一つのスペシャルだろう。


 やっぱり、恥ずかしかった。


 ありがとう。


K

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