身から出るわびさび

 始めておいて何だが、これって同じ時代に生きていたら、とてもまずい行為だよな?


 だって、人様の日記にあれこれと意見を述べるってもんだろ?


 お前にしてみりゃ、誰にも見られないからこそ何でも言えるってもんで書き進めて来たんだろう。そうじゃなきゃ書けないよ。俺もその辺からやったこともある。


 だけど、今俺がこれを書いているのは他人に見せる、読んでもらうことを前提としたものなんだ。時代の差はある上にこの状況じゃとても対等の立ち位置なんて言えない。プライバシーの侵害でもあるだろう。


 さて、これは許されるかどうかわからない。でも、とりあえずやってみたいんだ。これも色々な所へのお詫びと願いがこもったものになりそうだし。


 つまりさ、誰かへの返答っていうのは少し楽なんだよ。何もないところから世界に自分の想いを発するって言うのはとても大変なんだ。お前の想いが意図せずに世界に拡散しているのは偶然か必然かわからない。俺も自分から発する場を持っているが、それも何かへの返答っていう形を脱し切れていないんだよ。幾つか自分が返答されるに値する発信もしてみた。それを突き詰めるのがこの先の目標だな。


 そんなわけで、読み進めさせてもらおう。


 プロフィールからすると、お前がこれを書いていたのは13歳くらいだよな? 人間観察においては非常に鋭いと言わざるを得ない。たいしたもんだ……と言ってもいいのか? きっとその辺の『能力』とでもいう何かで悩んでいたんじゃないか?


「勉強ができるけど、頭はよくない」


 なるほど、最近俺の周りでも時々耳にする言葉がある。『知識偏重型』というものだ。もしかして、この辺のことを言ってる? 俺には、わからないほうがいいかもな。


 それと、『崇拝者』って言葉を使ってる。これについては、さっき書いたことにちょっと関連があるのかもしれない。今なら少しわかる気がするんだ。(※気がする、だぜ?)


 ●や□や▲人のことについて、俺の理解は甚だ乏しい。だけど、人間の集団が出来た場合のことについては世界的共通事項の気がしてきたんだ。人種、国、地域、宗教、文化が違ってもある程度の共通点があるように思えて来たんだ。時代が違っても、だな。


 つまり、お前が言ってる『崇拝者』っていうもの。もしくは、誰かに『仕える』って言ってるのは、『最初に何かをやる』と手を挙げた人について行く人、という意味じゃないか?


 俺も『崇拝者』だった。多分今も少しそうだろう。その時の気分からすると、そういう状態にいるのは楽なんだよ。だけど、何かが出来るって思ったなら自分でも色々やってみたい。だから色々なことに手を出しているんだ。


 さっき書いた発する場というのが、俺が映画とか本とかについて感想を書いている場なんだ。そっちが表でこっちが裏ということにしてみようと思ってる。場合によっては変えるかもしれないけど。そうすれば、少しは対等になれそうな気がするんだ。


 正直、よくわからないけど、こんなやりとりもアリなんじゃないか?


 とにかく、ありがとう。あなたの書いたものを読めるのが、今の俺にはとても嬉しい。


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