第15話『あと、出来ればセロリも』

 二年前、天宮探偵事務所。


 この日、当時高校一年生の直人は事務所の掃除をしていた。


「ふぅ…」


 学校から直接事務所に来、住まいが見つかるまで事務所で寝泊まりしている。


 そんな毎日を送っていた。


 それもこれも、恩返しの為。


 詐欺事件に巻き込まれ、路頭に迷っていた所に八重と愛花に出会い、事件解決をしてもらった。


 両親は蒸発してしまったので、お金は勿論無い。


 そんな直人に出来るのは、一年程前に引退した八重の跡継ぎである愛花に尽くす事。


 いつかこの事務所を継ぐ彼女の手足になる事。


「よし…」


 掃除を終わらせ、次は夕食の仕度。


 時計を確認すると、五時。


 そろそろ次期所長が来る頃だ。


「こんばんはー」


 扉を開け、入って来たのは愛花。


 当時小学六年生。


 勿論、小学生が事務所運営出来る訳はないので、事務所へは勉強と夕飯を食べに来ているだけだ。


 愛花曰く、ここには過去に八重が解決してきた事件の資料があり、探偵として勉強する為だと言う。


 実はもう一つ、一人で食事するのは寂しいだろうという理由もあるのだが、それは直人は知らなかった。


「こんばんは」


「今日のおかずは何ですか~?」


「野菜炒めです。人参と、玉葱と、キャベツと、もやしと、ピーマンと…」


 瞬時に愛花の顔が凍り付く。


「ピ…ピーマン…」


 音を立てず、愛花は扉へと後退りする。


「逃がしませんからね」


「ぴゃっ!?」


 まるで後ろに目があるかの様だ。


 その声に、愛花は固まった。


「あの…後生ですからピーマンだけは…」


「『後生』なんて難しい単語、よく知ってますね。駄目です」


「うぅ~…」


「八重さんとメイドの倉橋さんに言われてるんです。愛花さんの好き嫌いを治せって」


「で…でも…好き嫌いも個性ですし…」


「愛花さん?」


 ゆっくりと振り向く直人の顔と同時に、キラリと光る包丁が見えた。


「…頑張ります…」


「宜しい」


「うぅ~…私に恩があるなら、もうちょっと優しくしてくれてもいいじゃないですかぁ…」


「優しくしてますよ。証拠に、今日のピーマンはかなり細く切って、他の野菜の味で誤魔化せる様にしてますし」


「それって、単に取り除き難くしてるだけですよね!?それならいっそ、太く切ったのを堂々と入れて下さい!」


「入れていいんですか?」


「嫌です!ピーマン無しを希望します!」


「ノーとハッキリ言えるのはいい事ですが、却下です」


「ですよね!」


 と、愛花の後ろで扉をノックする音が聞こえた。


「?誰でしょう?」


 扉を開けると、そこに居たのはスーツ姿の一人の男性。


 図体が良く、背が高く、不精髭を生やしている。


猪熊いのくまさん」


「よ、久しぶり」


 猪熊晴喜はるき


 過去に、直人が被害に遭った詐欺事件に携わった警察の一人で、階級は警部。


「猪熊警部、お久しぶりです」


「直人君も元気そうだな」


「ええ、御蔭様で。今日はどうしたんですか?」


「ちょっと近くに寄ったもんだからな、顔を見にね」


 と、手提げが付いた箱を渡される。


 箱に書いてある字を読むと、近くのケーキ屋の名前が書いてあった。


「モンブランだ。季節が季節だからな」


「わー…ありがとうございます!」


 愛花は深々と御辞儀をし、モンブランを箱ごと冷蔵庫に入れる。


「これから夕食ですが…お礼に一緒にいかがです?野菜炒めですが」


「いや、家で家族が待ってるからな。遠慮しとくわ」


「大変ですねぇ、お巡りさんも」


「だな。事件や事故で何があるか分からんからな…顔を見せれる時は見せて、安心させてやらんとな」


 これも何度聞いた事だろう。


 警察の誇りも、家族も、両方大事にするのが、晴喜のモットーだ。


「ま、お礼と言うなら…一つ、謎を解いてみないか?」


「「謎?」」


 突然の提案に、二人は疑問符を浮かべるだけだった。


「依頼…ですか?私、まだお仕事を受ける事は出来ないんですが…」


「いや、大きな事件を解決しろって訳じゃないんだ。ちょいと変な事に巻き込まれてな、それについて意見を聞かせて欲しいだけだ」


「はぁ…」


 つまり、ざっくり言えば世間話に付き合えという事だろう。


「興味無ければ、俺の愚痴って事で聞き流してくれればいい」


「まぁ…それなら…」


「よし。事の始まりは二ヶ月前…九月だ」


 二ヶ月前。




「ここか…」


 午後三時。


 晴喜は通報があった場所に居た。


 人通りの少ない路地で、二人の女性が一つの鞄を引っ張り合いながら言い争っている。


 すぐに現場を発見し、晴喜は二人の間に割り込んだ。


 一人は若い女性。


 もう一人は中年の女性。


 通報をした人が言うには、まるで、ひったくられそうになった鞄を取り返そうとしている、との事だ。


 傍から見れば、確かにそう見える。


「ちょっと、どうしたんだ!?」


「どうしたもこうしたも、このオバサンがいきなり俺の鞄を引っ張ってきたんだ!」


「だから、私は待って欲しいだけって言ってるじゃない!」


「知らねぇよ!俺はバイトがあるんだから、急いでんだよ!」


「ちょっと位いいじゃないの!」


 二人の言い分から察するに、この鞄は若い女性の物の様だ。


「おい、オッサン!何とかしてくれよ!」


「はいはい、ちょいと話を聞かせてもらえますかな?」


 オッサン呼ばわれには少しムッとしたが、今は話を聞くのが先だ。


「話…?貴方には関係ないでしょう!?」


「一応警察官なんでね、見過ごす訳にはいかないんだな、これが」


「警察…!?」


 警察という単語に反応してか、中年の女性の握力が緩む。


「チッ…!」


「あっ!」


 その一瞬の隙をつき、若い女性は鞄を奪い返した。


「警察なら丁度いい!捕まって、しっかり反省してやがれ!」


 最後にそう言い残し、陸上選手もびっくりなスピードで走り去って行ってしまった。


「ちょっと…どうしてくれるのよ!やっと会えたと思ったのに!」


「だから、傍から見れば貴女が彼女の鞄を奪おうとしている様にしか見えなかったんだ」


「うっ…」


「兎に角、何で彼女を足止めしてたんだ?無理矢理鞄を引っ張ってまで」


 中年の女性は暫く黙っていたが、観念してか、漸く口を開いた。


「…あの娘が…」


「あの娘が?」


「生き別れの…私の娘だからよ」


「…はい?」


「生き別れの娘にやっと会えたと思ったから、確認の為に呼び止めたのよ!」


「な…る程…?」


 そう返すので精一杯だった。


(生き別れの娘ねぇ…)




「生き別れの娘さん…ですか…?」


「そうだ」


「ふむ…」


 愛花は腕組みをし、少し俯く。


「変と言えば変ですが…結局、答えは『本当に娘さん』か『人違い』のどちらかになるんじゃないんですか?」


 確かにそうだ。


 話の内容を聞く限り、謎と言う程でも無い気がする。


「うん、俺もそう思った」


「思ったって事は…まだ続きがあると?」


「ああ。結局その後、その女性を署に連れてって詳しく訊いたんだが…なんと、相手の女性の名前、生年月日、血液型を全て言い当てたんだ」


「言い当てた…?」


「証拠に、それらの情報から彼女のバイト先を探した結果、見事に本人に行き着いた」


「なら、答えは『母娘だった』で、終わりじゃないんですか?」


「しかし、だ…調べていく内に妙な事になっていってな…」


「妙…?」


「実の母娘…つまり、血縁関係だと証明出来る絶対的方法…何か分かるか?」


「ええ、『DNA鑑定』ですよね」


 DNA。


 正式名、デオキシリボ核酸かくさん


 人間は勿論、地球上の多くの生物が持つ遺伝子物質。


 一卵性双生児でない限り、同じ物は無いと言われる物質だ。


「そうだ。まず、これを見てくれ」


 晴喜が鞄から取り出したのは、二枚の紙。


「当事者二人のプロフィールだ。細かい個人情報は伏せてあるがな」


 見ると、確かに名前と生年月日、血液型しか書かれていない。


諸星もろぼし節子せつこさんに、西森浅葱さん…」


「で、その諸星節子がどうしてもDNA鑑定をやりたいってんだから、西森浅葱に頼み込み、何とか協力してもらったんだ」


「結果、母娘と判明した…」


「いや、違う」


「え?」


 一瞬だけ、空気が固まるのを感じた。


「DNA鑑定の結果、二人は血縁関係では無いと出たんだ」


「…それ、諸星さんは何と?」


「お察しの通り、納得しなかったよ」


 当たり前だろう。


「それで西森浅葱は根負けしてな、もう一度鑑定をしたんだ」


「鑑定が間違っている…なんて事は有り得るんですか?」


「間違っているってより、手違いだな。それと…親子の場合、二ヶ所からDNAを採取すりゃ、確実にそうなのかどうかが分かる。因みに、一回目は比較的身体に負担が掛からない髪の毛と唾液を採取し、二週間掛けて鑑定した」


「で…二回目の結果は…?」


「二回目は血液も入れ、二つの研究所で一ヶ月掛けて調べたんだが…やっぱり血縁関係は無かったよ」


「二回共に答えは否…」


「それでも諸星節子は納得しなくてな…しかし、DNAの結果は絶対だ」


「ですよね…」


 小学生の愛花でも知っている。


 DNAを変える等、絶対に出来っこ無い。


 こればかりは覆る事のない事実だ。


「どうだ?全く接点が無い筈なのに、西森浅葱のプロフィールを言い当てた諸星節子の正体と目的…気にならないか?」


「正体と目的…」


 愛花は再度腕組みをし、黙る。


「…おばあちゃんに相談し、やってもいいかどうか訊かなければいけませんが…」


 そして笑い、晴喜の顔を真っ直ぐ見た。


「この謎、お受け致します」


「そうこなくちゃな。何かあったら、俺に電話くれ」


 予め用意してあったと思われる、晴喜の電話番号が書かれた紙を渡される。


「勿論、ピーマンを美味く食う方法も、伝授してやるぜ?」


「それは結構で…」


「是非お願いします。あと、出来ればセロリも」


「直人君!?」


「任せろ!伊達に十年以上、ガキ三人の面倒をみてねぇからな!」


「うわーん!」




「…」


 箸で掴んだ野菜炒めを凝視しながら、愛花は固まっている。


 何度やっても、緑色の細長い物を掴んでしまう。


「何時まで不貞腐ふてくされているんですか?」


「あ…」


 直人の声に、漸く我に還る。


「すみません…不貞腐れていた訳では無いのですが…」


「じゃあ、どうしたんですか?しかめっ面して」


「私、顰めっ面してましたか…?」


 それはピーマンに対してなのだが、固まっていたのは考え事をしていたからだ。


「直人君は…先程の猪熊さんの話、どう思いましたか?」


「どうって…」


 会話には参加しなかったが、近くに居たので話の内容はバッチリ聴こえていた。


「僕は人違いだと思いますね。トウモロコシの遺伝子じゃあるまいし、DNAなんて変え様がないですよ」


「しかし、西森さんの個人情報を言い当てたのは、どう説明するんですか?」


「それは…偶然としか…」


「それ、どれだけ天文学的確率か分かって言ってます?」


「う…じゃあ…偶然、何かで得た情報とか?」


「と、言いますと?」


「例えば…落とした運転免許証を見たとか」


「運転免許証って、血液型まで記載されているんですか?」


「されて無いです…」


 パクッと野菜炒めを一口。


 ピーマンの苦味を感じたのか、顔を渋らせた後、ご飯を口に入れ、一気に飲み込む。


「ちゃんと噛んで食べて下さい」


「はーい…」


「で、愛花さんはどう思ってるんですか?」


「私は…」


 今度は味噌汁を少しすする。


「ふぅ…確証は無く、無理矢理な感じではありますが、既に一つの考えが浮かんでいます」


「それは…?」


「…人工受精です」


「じっ…!?」


 人工受精。


 不妊治療の中でも、最も自然妊娠に近い治療。


「仮に、今回は『卵子提供による、人工受精』だとしましょう。それでも、お腹を痛めて出産したのだから、DNA鑑定では血縁関係と認められる筈…とのなら…?」


「確かに…」


 しかし、先程愛花自身も言った様に、この推理は無理矢理過ぎる。


「とは言え、人工受精の真偽は本人に訊かないと分りませんけどね」


「…」

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