!!!


 朝の日野外ひのそと中学校。

 なんとか無事にチャイムが鳴る前に登校できた私、周輝くん、姫穂ちゃんの三人は、誰もいない特別教室の中で、現在の状況の確認をすることにしました。


 「ということは、あなたが周輝くん?」

 「じゅるるっ、だから何度も言ってりゅだろっ! くそっ、どうしておりぇが……」

 

 いつも周輝くんが座る席に座っている、『姫穂ちゃん』。見た目はどこからどう見ても『姫穂ちゃん』ですが、態度や口調は周輝くんそのものです。


 「そして、あなたは姫穂ちゃん?」

 「うんっ! えへへ。男の子の服、初めて着たぁ~」

 

 いつも姫穂ちゃんが座る席に座っている、『周期くん』。うりぼう(イノシシの子ども)のぬいぐるみを抱きしめながら、にへらぁ~とけた笑顔を作っています。


 「うーん。体が入れ替わるなんてこと、本当にあるんだ……」

 「どうしたら元に戻れりゅんだっ!? おりぇ、こんな●●●女になりゅなんて、絶対に嫌だからなっ!?」

 「そう言われても……。原因が分からない以上、自然に戻るのを待つしかないと思う」

 「な、なんだよそりぇっ!! そんなの、いちゅになりゅか……! ごぽっ、こぽぽっ!?」

 「周輝くん、落ち着いて。ヨダレ出てるから」

 「あっ、あうぅ……」

 

 私はポケットからティッシュを取り出し、周輝くんの口の周りをいてあげました。

 姫穂ちゃんと周輝くん。それぞれに気を配らなくてはならないので、労力も二人分です。本人たちの動揺する気持ちは分かりますが、私にとっては、いつもよりさらに大変な状況になりました。


 「怒っても仕方ないよ。とにかく今の間だけ、周輝くんは姫穂ちゃんの、姫穂ちゃんは周輝くんの、お互いのフリをするしかないと思うの」

 「なっ!? お、おりぇが、ひめほのフリを……!?」

 「うん。二人の事情を、先生やみんなに話したところで、まともに取り合ってもらえるかどうかは分からないし。下手をすると、●●●の子を馬鹿にするような、非常識な悪ふざけだと思われるかもしれない」

 「うぐっ……!」

 「そして仮に信じてもらえたとしても、きっと大騒ぎになる。周輝くんも姫穂ちゃんも、みんなから見せ物のように……いいえ、それで済めばまだマシだけど、最悪の場合は……」

 「じゅるるっ! も、もういい、分かった! そうすりゅしか、ないんだな……」

 「ええ。あまり大事おおごとにはしない方がいいはず。元に戻るまで、それで我慢して」

 「……」


 少し飛躍ひやくした話になりましたが、周輝くんは不本意ふほんいながら私の言葉に納得してくれたようでした。私としても、二人がお互いのフリをしてくれた方が、これ以上話がややこしくならないので助かります。

 

 「しょ、それにしても……!」

 「ん?」


 周輝くんは椅子いすから立ち上がり、姫穂ちゃんの方を向きました。一方の姫穂ちゃんはというと、私たちの話など聞かずに、「うりちゃん~、おさんぽ~」と独り言を言いながら、うり坊のぬいぐるみを、よちよち歩かせています。


 「じゅるるっ! お前、ふざけりゅのもいい加減にしりょよ!! 分かってるのか、この状況をっ!!」

 「むぅ~! いやっ!! 怒らないでっ!!」


 周輝くんに叱られた姫穂ちゃんは、ほっぺたをぷぅと膨らませ、そっぽを向きました。見た目は男子の『周輝くん』なので、あまり可愛くはありません。


 「おりぇの代わりに、だぞ!? ●●●のお前に、おりぇの代わりができりゅのかよっ!!」

 「あぁっ、ダメぇっ!! うりちゃん返してよぉーー!!」


 負けじと、周輝くんは姫穂ちゃんのぬいぐるみを奪い取りました。


 「じゅるる……! くそっ、お前のせいで、おりぇが●●●だと思われりゅだろうがっ!」

 「いやっ! やめてっ!! それ、ひめのなのっ!!」

 「もし、おりぇの評価を落としゅようなことがあったら、おりぇはお前を……!」


 これ以上は、喧嘩になってしまいます。いつもなら、喧嘩になっても姫穂ちゃんの力では周輝くんにかなわないので、彼女が泣かされる前に私が止めに入らなければなりません。……いつも通りならば。

 私が二人を止めようと立ち上がった時、それは起こりました。


 「ひ、ひめのうりちゃん、返してぇーーーっ!!!」

 「!!?」

 

 なんと、姫穂ちゃんが周輝くんを突き飛ばしたのです。

 男の子の姫穂ちゃんに、女の子の周輝くん。体が入れ替わっているので、力の強さや体重の重さも逆転です。

 突き飛ばされた周輝くんは、ドガッと勢いよく掃除用具ロッカーに背中をぶつけた後、手に持っていたぬいぐるみをポトリと落としました。


 「ぐあっ!! いっ、てぇ……!」


 激痛に顔を歪ませ、床にお尻をついて座り込む『姫穂ちゃん』と、自分の体から出た想像以上の力に驚き、両手を見つめる『周輝くん』。そして、一歩も動けないでそれを見ている私。三人ともが、今この場で起こったことの理解に、時間がかかっているようでした。


 キンコーン。

 そんな中、呑気のんきな朝のチャイムは校内に響きました。


 「あっ……!? ひ、姫穂ちゃんっ! すぐに周輝くんに謝って!」

 「あわわ、ご、ごめんなさいっ! 周輝くん、大丈夫っ!?」


 私の言う通りに、姫穂ちゃんはすぐに謝りました。しかし、周輝くんはうつむいたまま、何かをこらえるように歯をくいしばっていて、言葉をはっそうとはしませんでした。


 「と、とにかく姫穂ちゃんのことは、私が一生懸命サポートするからっ! だから心配しないで、周輝くんっ!」

 「……」

 「じゃあ、また昼休みにこの教室でっ!」

 「……」 


 私の言葉にも、反応はありません。もしかして、今は誰とも話したくないのかも……。

 

 私は、周輝くんの顔を覗き込もうとする姫穂ちゃんの背中を押しながら、そそくさと特別教室を後にしました。私が退室する前に最後に見た周輝くんは、下を向いたまま少し震えていました。


 * * *


 3年2組の教室。窓際、後ろの方。

 私の席の前に、周輝くんの席があります。この配置は偶然ですが、今は幸運と言えるでしょう。ここなら、後ろから『周輝くん』に小声で指示を出すことができます。

 

 「『俺』でしょ? 『ひめ』はダメっ!」

 「だってぇ、ひめはひめだもんーっ!」

 

 周輝くんの一人称。


 「答えは、3x-4」

 「え、えーっと! こたえは、さん、ばつ、ひく、よん、ですっ!」


 周輝くんらしく、完璧な解答。


 「周輝くんの好きなアニメ!? 私にも分からない……」

 「ひめの……じゃなかった、俺の、好きなアニメは、『プリキュウ☆ハート』っ!」


 周輝くんっぽく、男子同士のコミュニケーション。


 ……私はその日、何度も「周輝くんは共生係のお仕事でちょっと疲れてるみたいですっ!」とごまかしました。


 * * *


 昼休み。

 再び、本物の周輝くんがいる特別教室へ。


 「ふひゅ~。周輝くんのフリするの、疲れたぁ~」

 「そう思うなら、お前もう帰りぇよ……。早退そうたいすりぇばいいだろ」

 「で、でも、姫穂ちゃんは頑張ってたよ! 今日はかんしゃくも起こしてないし! 大きな問題はなかったから安心して。周輝くんっ」

 


 三人で机をくっつけてのお昼ごはん。

 姫穂ちゃんはすっかりくたびれた様子で、そんな姫穂ちゃんを見て周輝くんは不安げな顔。そして私は、そんな周輝くんに精一杯の明るい話題を提供しました。


 「周輝くんの方は、どうだった?」

 「おりぇ……?」

 「うん。午前中、姫穂ちゃんの代わりとして、ここで何をやってたの?」

 「はぁ……」

 「どうしたの? 溜め息ついて」

 「こりぇだよ。ほら」


 周輝くんは、一枚のプリントを私に手渡しました。どうやら、数学の……いえ、算数のプリントのようです。読みやすい文字で、名前欄なまえらん以外は全て埋められています。


 「『二桁ふたけたの足し算、引き算』……。すごい、全問正解」

 「全問正解? そりゃそうだりょ!! 馬鹿にしやがっちぇ……!!」

 「あっ、ごめんなさいっ! いつもの姫穂ちゃんは、こんなに難しい計算問題は解けないから、つい……!」

 「じゅるる、はぁ……。そんな問題ばかりじゃあ、おりぇ、本当にひめほ並みの馬鹿になっちゃうよ。受験も近いのに、まともに勉強できないなんて……」

 「お、落ち込まないで。そっちの勉強の方は、私も何とかなるように協力するから、ね?」

 「あぁ……? お前が、か……?」

 

 私の方も、そこまで面倒を見る余裕があるわけではないですが、仕方ありません。放っておいたら、また周輝くんは姫穂ちゃんに八つ当たりして、険悪なムードになってしまうでしょう。

 周輝くんは私を見ると、小さくうなずきました。「こいつには、あまり期待はできないな」とでも言うかのように、力なく、元気もなく。学力は私より周輝くんの方が遥かに高いので、そんな反応をされても仕方ないのですが……。


 「はぁ……。おりぇ、ちょっとトイりぇ行ってくりゅ」

 「あ、うん……」


 重い空気の教室から、周輝くんは静かに出ていきました。残されたのは、憂鬱ゆううつな私と、気にせずにじーっと絵本を読んでる姫穂ちゃんです。


 「姫穂ちゃん……」

 「ん? どうしたの? 寧々香ねねかちゃん」

 「周輝くんのこと、どう思う?」

 「みゅ? 周輝くんのこと……?」

 「うん。なんだか複雑なの。あの人は、私たちを対等な立場の人間だとは思ってない気がして。まるで、心を開く気すらないみたい……」

 「よくわかんないけど、ひめ、怖くないよ!」

 「えっ? 怖くない……?」

 「うんっ! 周輝くんは、ひめになっちゃったから、怒ってもあんまり怖くなーい」

 「そ、そっか。そうだね……!」


 姫穂ちゃんのその言葉で、私の気持ちは少し楽になりました。思えば、深く考えすぎていたのかもしれません。

 私の『共生係』としての仕事は、姫穂ちゃんのサポートです。姫穂ちゃんとは、私の目の前にいるこの男の子であって、トイレに行ってしまった女の子ではありません。無理をしてまで、私が二人分抱え込む必要はないのです。


 「姫穂ちゃんは、私の助けが必要?」

 「うん! 寧々香ちゃん、いつもひめを助けてくれて、ありがとー!」

 「ふふっ、そうだよね。必要としてくれる人を助けられれば、充分だよね……」


 すると突然、姫穂ちゃんはびっくりした顔になり、持っていた絵本をパタンと閉じ、ぴょんと立ち上がりました。


 「きゃーーっ! 寧々香ちゃん、助けてぇ~!!」

 「きゅ、急にどうしたのっ!?」

 「トイレ行きたい~! おしっこしたい~!!」

 「えっ!? わ、分かった!」


 姫穂ちゃんは股間こかんを押さえながら、もじもじと内股になりました。

 こういう時こそ、私の出番です。


 (女子トイレ……は、今の姫穂ちゃんだと入れないし、男子トイレだと、私が入れないし……。あっ! 確か、校舎の一階に多目的トイレがあったはず……!)


 ここからは遠いですが、車椅子の人でも使えるように作られた広い多目的トイレが、校舎の一階にあります。二人で一緒に入るなら、そこしかありません。


 「すぐに一階まで行くよっ! いつもの女子トイレとは違う場所っ!」

 「ど、どこぉ~!? 寧々香ちゃん、つれてって!」

 「えっ……!? えぇっ!?」


 姫穂ちゃんが、私の手を握りました。

 いつも通りなら、このまま姫穂ちゃんの手を引いてトイレまで連れて行くのですが、今日はいつもとは違ったので、私は動揺してしまいました。

 『周輝くん』が、私の手を握ったのです。


 「きゃっ! え、えっと、姫穂ちゃんっ!? その、て、手を握るのは……」

 「むぅ~! 早くぅ、早くぅ、早くしてぇ! 漏れちゃうよぉー!!」

 「う、うんっ、分かった! 大丈夫、大丈夫……!」


 男子と手を繋ぐのなんて何時いつぶりだろうとか、みんなに見られたら恥ずかしいとか、そんなことを考えてる場合ではなさそうです。私は、大丈夫、大丈夫と、自分に言い聞かせ、トクトクと速くなる心臓の鼓動こどうを落ち着かせようとしました。この子は姫穂ちゃん、この子は姫穂ちゃん……と。

 

 汗でびっしょりな大きな手をしっかりと握りしめ、私は特別教室を飛び出しました。

  

 * *


 「ふぅ……ふぅ……。出ちゃうぅ……」

 「もう少しだけ、我慢して」


 やっとのことで、私たち二人は多目的トイレまでたどり着きました。洋式の便器一つに対して内部はとても広く、洗面所や手すりなどが設置されています。

 

 『周輝くん』は、普段の男らしさなど微塵みじんも見せず、情けない声をあげながら私の手をぎゅっと握っています。


 「とりあえず、そこに立って。ズボンを脱がしてあげるから」

 「あうぅ、もにゅもにゅする……。ここ、もにゅって」

 「ベルトは……うん、外れたよ。あとはもう、降ろすだけ」

 「う、うん……! えーいっ!」

 「!!!」


 姫穂ちゃんは焦りからか、ズボンをパンツごと降ろしてしまいました。突然目の前であらわになった『周輝くん』のソレに、私は思わず顔をそむけました。


 「ぎゃっ!? ちょっと、ひ、姫穂ちゃんっ!!?」

 「わぁーっ! なにこれぇーー!」

 

 姫穂ちゃんも私も、同級生の男子のソレなんて見たことありません。特に姫穂ちゃんは、自分の下半身に付いているソレに対して大興奮でした。


 「寧々香ちゃんっ! つんつんってしたら、ぶるぶるって!」

 「それは、だめっ! そんなことしたらだめだってば!」

 「出るよぉっ! ここから、先から、出そうっ!」

 「と、とにかくっ、便器に座って!!」


 指示に従い、姫穂ちゃんは慌てて便座に腰を下ろしました。


 「ねぇ、出していい? 出していいの? ひめ、もう……!」

 「うんっ、出してっ! そのまま、便器の中に……!」

 「な、中ぁ!? でも、これ、前に出るよっ」

  

 ピュッと、先から出た黄色い液体。下にある便器ではなく、姫穂ちゃんの言葉通り前へと飛びました。


 「きゃあっ! な、なんでっ!?」

 「前に出ちゃうぅー! 寧々香ちゃん、助けて~!」

 「う、上から押さえつけよう! 姫穂ちゃんも手を貸してっ!」

 「ひゃあぁっ、痛いっ、痛いよぉ! 潰れるーっ!」

 「待って、こ、この感触……! いやっ、汚いっ!」

 「おけけ、くしゃくしゃしないでー!」


 二人で大騒ぎしながら、なんとか頑張って男子の排尿をこなしていきました。最後に、ソレの先をトイレットペーパーで拭きとると、私と姫穂ちゃんの口からは、自然と溜め息がこぼれました。


 * *


 「ふぅ。お疲れ様、姫穂ちゃん」

 「えへへ。ありがとう、寧々香ちゃん」

 

 多目的トイレから出た廊下で、私たちはお互いに健闘をたたえ合いました。いつもよりも手間は掛かりましたが、心なしか、なんだかきずなが深まった気がします。


 「ひめ、自分でできるようになりたいな」

 「うん。これから練習していこうね」

 

 私は少し感動しました。「自分でできるようになりたい」なんてポジティブなことを、姫穂ちゃんは言ったことないんです。

 心境しんきょうの変化があったとすれば、体のおかげでしょうか。まるで、周輝くんの元気で健康な肉体から、希望や活力をもらっているようでした。

 

 そして次の事件は、すぐにやってきました。


 「皆森さん、春草くんっ! 大変大変っ!!」


 3年2組のクラスメートの女の子が、私たちの元へと駆けてきたのです。なんだか、すごく慌てています。

  

 「なっ、なに? 何かあったの?」

 「二人とも、『共生係』でしょ!? すぐ来てっ!! 姫穂ちゃんがっ!!」

 「姫穂ちゃん? 姫穂ちゃんなら、ここに……」


 と、言いかけて、この子の言う「姫穂ちゃん」が、姫穂ちゃんではなく『姫穂ちゃん』の方だということを思い出しました。つまり、周輝くんのことです。


 「周輝く……じゃなくて、姫穂ちゃんが、どうしたの?」

 「泣いてるのっ!! 泣きながら、うずくまってる!!」

 「うそっ!? ど、どうしてっ!?」

 「そ、それが……姫穂ちゃん、お、おしっこを#漏__も__#らしちゃったみたいで……!」

 「も、漏らした……!?」

 「うんっ! とにかく早く来てっ!」

 「分かった。すぐに行くよ」


 私は『周輝くん』を連れ、『姫穂ちゃん』が泣いているという現場へと向かいました。「そんなの放っとけばいいよ」、という頭に浮かんだ言葉を、口には出さずに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る