博多防衛少女

第20話 戦場へ

「牛若(うしわか)!」


 立ち上がり、彼女の目を見る。

 ただでさえ目を引く俺たちが、突然奇怪な行動をし出したので客室がざわめくがどうでもいい。


「…………」


 彼女は無言で俺に視線を返してくる。だが、その目は何時もの戦に臨む時の研ぎ澄まされた刃の様な目ではなかった。表面は澄んだ瞳だが、その奥底には微かだが揺らぎがある、拭いきれない迷いがある、おそらくその感情の根は不安だ。

 例えどんな敵が待ち構えていようと、牛若が気後れすることはあり得ない。それ位は分かる。それ位は付き合ってきた。だからわかる、その原因は――。


 俺は、牛若の手を取り、自分の胸に押し当てる、いや、叩き付ける。


「――牛若」





 主殿が真っ直ぐに見つめてくる。

 義仲(よしなか)を打ち取った後、直ぐに解除させると思っていた空間は解除されなかった。むしろより強固に、万能感すら伴う温かみのある空間として、某を包み込んでくれていた。


 主殿はあの戦の間の記憶は曖昧だと仰っていた。

 それは、正直な感想だったのだろう。

 だが、自身の身に生じた変化を見過ごすほど寝ぼけていたと言う訳でないのだろう。

 主殿は覚悟を決めている、成らば――某がすることは唯一つ。


「――承知、行くぞ!弁慶(べんけい)!」

「了解でございます」


 バキンと言う音が鳴り、ロックの掛かっていたドアが無理矢理引き開けられ連結路に風が吹き込んでくる。運転席ではアラームが鳴り、間もなく、車両は緊急停止するだろう。


「では、先行しますでございます」


 開け放った扉から、風を押しのけ線路に飛び降り、慎重かつ丁寧に、地面を踏み込む。


 一歩。


 足元に力場を展開し、敷石を保護しながら歩を進める。

 

 全身のフレームに歪みや疲労がたまっている、バランス調整に余計な労力を割く。加速や小回りにおいては通常の戦闘速度の3割程度しか出せない。近接戦は絶望的だ。


 一歩。


 回転数を上げられないので、踏み込みを強くすることで速度を稼ぐ。

 

 GENの反応は、指数関数的に増大してゆく。人口密集度合いでは、かつて戦場となった真一様の学校と等しいか、それ以上だろう。だが、今回の戦場は、前々回の十字路の様に、多数の交通機関や、様々な人間が交差し合うある意味無秩序な空間、一歩間違えば壊滅的、間違えなくても大参事だ。


 一歩。


 不幸中の幸い、線路と言うのは理想的な滑走路だ、直線の専用路で侵入者を気にせずひたすらに加速できる。


 だが、それらの問題は些細な事だ、これだけ長期の任務は珍しく、こちらの世界にも慣れてはきたが、所詮は私達とは別の世界、被害が大きかろうが、小さかろうが元の世界には関係が無い。

 この先にある戦闘も問題は無い。この世界に渡ってからの記録を元に、敵の強さは計算できる。今までで最大の戦いとなるだけだ。その中で、私の現状ではどれだけ戦力になるか心苦しいが、命令に従い全力でこなすだけだ。


 それよりも、問題となるのが牛若様と真一様あのおふたり、否、正確には佐藤真一(さとうしんいち)様。八正(はっしょう)を取り込み、八正と同一化した唯一の人類。

 あの時、まさに太陽の化身と化した義仲殿に牛若様が一合交わしたあの時、彼は義仲殿が使用していた新型八正を吸収してしまっている。

 計測不能、計算不能、予測不可能。現状、生命活動に異常は無いが、今後の事など全く分からない。八正の中核は平家の至宝と言うことで、牛若様でも解析は許可されてはいない。そんなモノと適合していっている彼は最早……。それに、そんなモノを使用している牛若様に問題が無いとは決して言い切れない。


 一歩。


 余剰メモリーで、纏まらない思考しつつの丁度八歩めだった。線路に沿って世界が変わる。


「――まだ、目標地点まで7kmはあるでございます」


 つい、驚嘆と言う名の呟きが口から洩れる、それと同時に、私の隣を何かが高速で通り過ぎていった。





 正見(しょうけん)、正しい見解。

 関係ない、見えるものが見たものだ。


 正思惟(しょうしゅい)、正しい思索。

 関係ない、主命に従い敵を打つ唯の得物だ。


 正語(しょうご)、正しい言葉使い。

 関係ない、詭弁も良弁も策の内でしかない。


 正業(しょうごう)、正しい行い。

 関係ない、主命に従うことこそ我が道。


 正命(しょうみょう)、正しい生活。

 関係ない、主命に従う事に疑問も不満もありはしない。


 正精進(しょうしょうじん)、正しい努力。

 関係ない、物覚えには多少覚えがある、見様見真似、聞きかじりだけで、たいていの事はそつなくこなすことが出来た。


 正念(しょうねん)、正しい気づき。

 関係ない、自己の状態把握、敵の情報収集を怠ったものは死ぬだけだ。


 正定(しょうじょう)、正しい集中力。

 関係ない、正しかろうが、誤っていようが、結果が全てだ。


 八正道(はっしょうどう)、中道へ至る聖者の道。

 知った事か、某は一振りの刃、一発の弾丸でよい。主の敵を打ち滅ぼす兵器であればそれでよい。悟りだ、涅槃だのは引きこもりの坊主どもに任せればよい。


 敵だ、敵だ、敵を討つ。


 あらゆる手段を用い、迅速に、確実に敵を討つ。

 なるほど、確かにこちらの世界の某もそうだったのかもしれない。某は諸刃の妖刀なのかもしれない。主の敵を切りつくした後は、その血まみれの切っ先が主の敵として映ってしまうのかもしれない。

ははは、確かに某は人として何か壊れているのだろう。幼少から物陰より『化け物』などとよく呼ばれていたものだ。


 だが、だが……。


 某は、主殿を、真一殿を、化け物以上の何かにしてしまったのかもしれない。

 某の本来の主は兄上だ、真一殿は、この世界での仮の主に過ぎない。主命を、GENの討伐の為に協力してもらっているだけの現地人だ。


 だが、だが!


 それらを承知の上で、真一(あるじ)殿は某をお使いになると言う、某にその身を捧げてくださると言う!

 ならばこの牛若!全てを切り裂く刃となろう!全てを貫く鉾となろう!全てを打ち抜く弾丸となろう!

 我が歩むは修羅の道、中道などとは程遠い、冥府魔道へ堕つる道、死残血河を築き上げ、兄上の任務しゅめいを果たし、真一殿の命しゅめいを救う!





 牛若が、左手を真一の胸に添え、呪言を唱える。無限に続く刹那の時の中で、これまでとはけた違いの何かが牛若の中に流れ込んでくる。


 重い、遥か地の底にいるようだ。

 熱い、太陽の炎に焼かれているようだ。


 昼の自分は鍋で茹でられる蛙だった、徐々に徐々に力を加えられ、当に茹であがっているのに気付かずに舞い踊っていた。

 それが、今すぐに左腕をぶった切ってやりたいほどに、一気に無尽蔵な力が送り込まれてくる。

 いや、違う、これでも加減されているのが分かる。肉体を捨て、魂だけの姿となり、無間地獄にも等しい破壊と再生の中で、常人ならば当に意識など霧散してもおかしくない状況で尚、某を慮って出力を調整しているのが分かる。



 世界が反転する、虚数次元に潜むGENを引きずり出し打ち滅ぼす為の空間が顕現する。戦場までははるか遠く、今までの八正では精々直径1km、義仲の八正でも直径10kmだが、これならば、半径10km程度――問題ない!


 博多南駅を中心に半径10kmの範囲で展開された八正空間の中、牛若は弾丸のように戦場へ駆け出した。





 以前調べてみたが、八正道とは悟りに至る為のマニュアルの一つみたいなものらしい。そのありがたい教えを唱えながら、汚物は消毒だーとばかりに、刀振り回したり、銃をぶっ放したり、ひゃっはー全開なのは、如何なものかと聞いてみたが。


『まぁ唯の精神集中の為のキーワードですし、内容は特に』


 と、至極どうでもいい感じで返されたので、極論すれば素数を列挙したり、いろは歌を歌ったりでもいいのだろう。

 あとはしいて言えばお偉いさんの趣味だろうか、信心深さを示すために神社仏閣を建てまくるのは武家のお約束。長子に家督を譲った後に僧籍に入るのもよくある事だ。そんなところだろう。





 牛若が、俺の胸に掌を当てて、呪言を唱える。

 同時に、視界が、意識が、世界が純白に染まる。あまりの情報量に精神がフリーズしてしまう。生身の体だったら廃人コース一直線だろう。100と書かれた球一つで1d100のSANチェックをやる様なものだ、直送なんてレベルじゃない。そんなものは旧神レベルの神話生物にやらせてくれ、探索者未満の一般人にさせる試練じゃない。


 だが、慣れた。


 元よりこちらは、大した意思も信念も無い、適当に生きて来た人間だ。聞き流すのは大の得意、好きな格言は馬の耳に念仏だ!

 今の俺は、肉体の枷から解き放たれた、魂だけの存在。脳髄を灼熱の石臼でじっくりとすり潰されるような痛みも!胃袋に液体窒素を流し込まれるような重さも!大動脈から直接放血されるような軽さも!全て雑音!全て雑感!全て雑念!

 俺が意識すべきは三千世界の大海に浮かぶ原子より小さく、電子よりも曖昧な、遠く、儚く、頼りない、刹那でも気を抜けば見失い、消え去ってしまう、唯一絶対な牛若の掌の温もりだけだ!





 イメージ上の俺は七孔吻血、満身創痍、世界創造に巻き込まれて際限まで粉砕された唯の石っころ。

 だが、成った、終わった。体内に抑えきれず、爆破四散しそうなエネルギーを牛若に分け与えていく、繊細に、迅速に。少し悪いがあまりトロトロしている暇はない、俺が持たないし、GENも待ってくれない。

 福岡の、いや九州最大の駅、博多駅。駅のどこで発生しているか分からないが、運転手がやられたら大災害、駅前の道路でやられても大災害だ。人間なんか簡単に全身を強く打って死亡させるもので盛りだくさんだ。





 八正空間を展開する、細かい調整なんか効かない、全力で展開。博多南駅を中心に半径10km程が俺の領域、俺の世界となる。その中の全ての情報が意識に流れ込んでいくが聞き流す。

 あぁなる程、神様の気分ってのがほんの少し体感できる、全ての情報なんて受け取っていたら身動き一つとれやしない、聖徳太子様だって10人が限界だ。ただ残念ながら耳に訴えてくる訳じゃなく脳髄に直接叩き込まれるってのが厄介だ、耳を塞げばよいってものじゃない。

 まぁ、耳も手も脳みそもありゃしないので出来るのは意識して無意識を保つだけ、ある意味無念無想に近いのかもしれないが、生憎こちらは自分勝手に俗世に介入する気満々だ。


まだ、言語を発せられるほど意識明朗と言う訳でないが、全精神を振り絞り牛若に念じる。


『行くぞ!牛若ッ!』


 それと同時に、牛若は地を駆ける、いやそれは最早飛行と言ってもいいかもしなれない。矢の様に真っ直ぐに、羽の様に軽やかに、先行していた弁慶さんを瞬く間に追い抜き戦場へたどり着いた。

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