将門公がみてる

藤田大腸

将門公がみてる

 私には圭介という恋人がいた。



 彼とは幼稚園から高校まで一緒で、恋心を自覚したのは小学生の頃だった。引っ込み思案だったのが災いして中学生は想いを伝えられず悶々とし過ごし、高校に入っても気がつけば三年生。大学は別々になってしまうことがわかっていたから、卒業式の日に思い切って告白したところOKが出た。あの時の嬉しさと言えば言葉に表せられなかったのだけれど。



 大学生活は圭介を悪い方向に変えてしまった。実直で優等生だった彼はイベントサークルに入った途端に堕落し、髪は金色に染めて耳にはピアスを開け、痛々しい大学デビューを果たしてしまった。それでも私は付き合いを続けたが、向こうから避けるようにして会う回数がどんどん減っていった。



 そしてとうとう、二年に進級したばかりの四月。私の二十歳の誕生日に圭介に呼び出されて、別れを切り出されたのだった。理由は単純至極、他に好きな女が出来たから。そんな話をあろうことか私が成人になった記念すべき日にしたのだ。



 ワンワン泣いたことはかすかに覚えているが、どうやってそこに来たのか記憶は定かではない。とにかく気がつけば私は「将門塚」にいた。そう、日本で一番有名な怨霊であり東京の守護神でもある、平将門の首を祀っているとされる首塚だ。平将門の祟りについては私も小耳に挟んだことがある。きっと記憶の底に眠っていた平将門の話が無意識的に足を運ばせたのだろう。



 私は石碑の前に置かれた賽銭箱に十円を入れてお願いした。



「裏切り者の圭ちゃんを祟ってください」



 東京の守護神にこんなことをお願いするのは少し罪悪感を感じたけど、心はスッキリしたものだった。



 その日から私は事あるごとに将門塚に足を運んだ。丸の内の無機質なオフィスビル街にポツンと存在している緑に囲まれた箇所。一種の異空間とも言える場所だが将門信仰は熱く、よく観光客やサラリーマンたちが参拝しているのを見かけた。氏子たちもよく世話をしているからいつ参拝しても清潔だ。



 そんなある日のこと。いつものように将門塚に着いた私は先客の姿に目を引いた。



 将門塚にお参りする人は多いから人がいるのは別に珍しいことではない。しかし先客はブレザーに身を包んだ少女だった。艶やかな黒髪を持つ和風人形のような美少女が瞑目して合掌していたのだ。普段、先客がいる場合は邪魔にならないよう離れたところで待つのだが、この時の私はつい間近で見とれてしまった。それだけ綺麗な姿だった。



 いったい何をお願いしに来たんだろう、と思いながらもじっと見ていると、ふと少女が目を開けた。



「あ、すみません。お待たせしました」



 少女が頭を下げた。ブレザーに縫い付けられたエンブレムを見ると、有名私立大学の付属校の名前がローマ字で書かれている。



「あの、どうかされましたか?」



 何も言わずに相手をじっと見つめていたことにはっと気がついた。



「あ、ああ。何だか真剣にお願いしてたよね? ちょっと気になっちゃった」



 私が付属校の名前を出すと、少女は笑みを浮かべた。



「ええ、確かにそこに通ってます。今日は悩み事がありまして、将門公にお願いしようかと」



「まさか、誰かを祟るとか?」



「ええ、ちょっと……」



 少女は否定せず、笑みが曖昧なものになった。



「実は私もなの。悩んでいるなら、一人で抱えているよりも誰かと分かち合った方が良いよ。これも何かの縁だし、よかったら何があったか教えてくれない? 私もあなたに聞いてもらいたいし」



 見ず知らずの人間なのに厚かましいお願いをしてしまいあっまずい、と思ったが、少女は「いいですよ」と言ってくれたのでホッと胸を撫で下ろした。私は敷地内にあるベンチに座って話を聞くことにした。



 大山明日香と名乗った少女もまた、恋人がいた。しかし大山さんの彼氏は今年に入って急に「他に好きな子ができた」と別れ話を切り出してきたとのこと。



 大山さんは殺してしまいたいほど憎しみを抱いたが、かと言って包丁を持ち出して突き刺す勇気を持っているわけでもなく、将門公にお願いして彼氏を祟ってもらおうということだった。



 私と全くと言っていいほど同じ境遇に置かれていたことに驚きを隠せなかった。



 大山さんが一通りしゃべり終えてこちらからも経緯を話すと彼女は、



 「あなたもどうしようもないクズ男に引っかかったのですね、かわいそうに」



 と清楚な見た目に反してクズなどと汚い言葉を吐くのだから、これまた驚いた。口元は笑みを浮かべているが目は笑っていなかったので、ちょっと怖かった。



「私、すっかり男という生き物が嫌いになってしまいました」



「うん、わかるわかる」



 私は大きくうなずいた。男がみんなだらしないわけじゃない、ということは頭の中では理解している。だけど十年以上身近にいた男に想いを伝えてたった一年ちょっとで捨てられて、そのショックは私に全ての男に対する偏見の目を持たせた。



「だけど私と同じ思いをしている人に偶然出会えて話を聞いてもらえて、少し気が晴れた気がしました。これも将門公が気を利かせてくれたおかげでしょうかね」



「だろうね」



 運命の出会いなんてものは信じないクチだったけど、この時ばかりはそういうものはやっぱりあるんだなあと思った。



 大山さんが立ち上がった。



「そろそろ帰らないと。今日はありがとうございました」



「いえ、こちらこそありがとうね。今度もまた、一緒にお参りしない?」



「いいですよ」



 私達は番号を交換しあって、この日は別れた。



 それから平日はほぼ毎日のように将門塚で大山さんに出会い、互いの元カレに祟りが降りかかるよう将門公にお願いをした。何度も顔を合わせるたびに仲良くなって、そのうち休日に一緒に遊ぶようになった。待ち合わせはとりあえず将門塚で、お参りをしてから遊びに行く。たまに遊びに行ってから最後に将門塚にお参りして解散、ということもあった。とにかく将門公へのお参りは欠かさなかった。



 そうやって半年間付き合っているうちに大山さんはすっかり私になつくようになった。私も年長者として妹のように可愛がった。お互い心の傷を癒やす相手が欲しかったのかもしれない。



 私を捨てた圭介への恨みは消えなかったが、大山さんが心の拠り所となってくれているから負の感情で潰されるようなこともなくなった。きっと大山さんの方もそうに違いなかった。



 祟りのお願いだけじゃなく、親友を持てたことへの感謝もしなきゃなあと思っていた秋のある日のこと。この日は一限目の講義が休講だったので九時ぐらいまでぐっすり寝てやろうと決めていた私だったが、スマートフォンの着信音で結局七時に叩き起こされた。



 ディスプレイには高校時代の友人の名前があった。



「はい、もしもし?」



 睡眠を妨害されて少々不機嫌に答えると、友人は震えた声で告げた。



『あの……久しぶりだね』



「うん。どうしたの?」



『落ち着いて聞いてね? 圭介君が殺された』



「え?」



 何朝から笑えない冗談言ってんだこいつと口に出しかけたが、すすり泣く声が電波に乗って聞こえてくる。



『昨日の夜にね……刺されたんだって……』



「ウソでしょ?」



『テレビやネットでも取り上げられてるよ……』



 私は下宿先にテレビを持ち込んでいないので、かわりにパソコンを立ち上げた。ニュースサイトにアクセスすると、トップに「◯◯大学の助教、教え子を刺殺」という見出しが。



 クリックすると、被害者として圭介の実名が載っていた。



「本当だ……」



 友人は「いろいろあったのはわかるけどお焼香だけでもしにきてあげて」と泣きながら言うので、私は了承した。



 *



 斎場には圭介の遺族と友人たちが詰めかけていた。他にも彼のゼミ仲間やイベントサークルの仲間も来ていたけど、みんな一様に涙を流していた。



 棺に納められた圭介の顔は殺されたにも関わらず穏やかだった。私は泣かなかったが、かわりに背筋に怖気が走った。



 まさか、本当に平将門が祟り殺したのだろうか?

 お通夜が始まる前に、圭介と親しかった人たちに話を聞くことができた。びっくりしたのが、圭介と関係を持っていたと名乗り出たのが複数人いたことだった。どうも取っ替え引っ替えするに飽き足らず、五本の指で数えられないぐらいの女と同時に付き合っていたらしい。



 そして圭介が所属していたゼミの助教の女性。事件の加害者である彼女は自分から圭介にアプローチをかけてきたとのこと。立場が立場だけに陰で付き合っていたようだが、何股状態になっていたのを知って別れるように圭介に執拗に迫ったらしかった。



 圭介がどういう返事をしたのか知らないけれども、彼女が納得できるものではなかったことには違いない。愛を憎しみに書き変えた彼女は深夜の路上で、ナイフで圭介を滅多刺しにして殺してしまった、というわけだ。



 本当にどうしようもないクズ男だったが、消えた生命の重みは遺された者たちにとってかけがえのないものであり、圭介と付き合っていた女の子たちは口を揃えて「アイツは馬鹿だよ」と罵りながらも泣いていた。



 本当に地獄があるのかわからないけど、せめて圭介が地獄に堕ちないよう祈るしかもうできることはない。私が泣く女の子を宥めながらそう言い聞かせていると、



「えっ!?」



 後ろで絶句する声がしたので振り返る。そこには何と大山さんがいた。



「大山さん、どうしてここに……?」



「いや、ニュースで知ったので駆けつけてきたんですけど、そちらこそなんで……」



「まさか、大山さんの元カレって圭ちゃん!?」



「圭ちゃん……圭介さんのことですか? ええっ……」



 こんな偶然があるのか。私は目眩がしそうになった。まさか大山さんが圭介の彼女の一人だったなんて。



 将門塚の石碑がちらっと頭をよぎった。



「話は後で聞くから、まずは顔を見てあげて」



 大山さんは棺に向かった。圭介の顔をちょっと見ただけで軽く合掌して戻ってきた。



「もういいの?」



「ええ、満足しました」



 満足という言い方に引っかかるものがあったが、とりあえず私達はいったんロビーに出て椅子に座った。



「圭介さんとは一年生の頃から付き合っていたんです」



「ちょっと待って。大山さんは三年生だよね? ということは……」



「はい。二年間の付き合いでした」



 なんてこった。私が告白する十ヶ月も前の話じゃないか。圭介は大山さんがいながら私と二股をかけていたのだ。高校時代は実直なヤツだと思っていたのに……



 どこで大山さんと知り合ったのかわからないが、クズという言葉もクズに失礼な気がしてきた。でも圭介はもうこの世にいないのだから、これ以上怒るも憎むも無駄というもので、私はただ呆れて笑うしかなかった。



「じゃあ私、最初から圭ちゃんに二股かけられてたわ。大山さんと」



「えっとその……すみません」



「あなたが謝ることじゃないでしょうに。さっき私が女の子たちと話してたでしょ? あの中に圭介の元カノが何人もいたの。多分三股四股はしてただろうね」



「……」



 大山さんは口元だけ笑って言った。



「本当、あのクズ男が死んでせいせいしました。将門公にお礼参りしないといけませんね」



 私はお通夜に出るつもりだったのを取りやめた。



 *


 


 十二月に入っても、私達は性懲り無く将門塚にお参りを続けていた。



 この日は大山さんが無事、大学の第一志望の学部に内部進学を決めたことに対するお礼参りと、いよいよ来年から始まる私の就職活動がうまくいくようにというお願いをした。今では氏子さんにも顔を覚えられている。



 それに対して、私の圭介の記憶は彼の死を境にどんどん薄くなっていった。仮にも恋人付き合いをしたことがある相手だけど、今思えば人生の汚点といっても差し支えない。記憶を消せるものなら完全に消してしまいたかった。



 もっとも、圭介がいなかったら大山さんと知り合えていなかったのも事実だ。大人しそうな感じなのに口元だけ笑って毒を吐く。この時はちょっと怖いけれど、目元まで笑うととてつもなく可愛い。そんな彼女のギャップを魅力的に感じていた。



 何度も遊んで同じ男に裏切られた傷を舐めあっているうちにいつしか、かつて圭介に抱いていた気持ちを大山さんにも抱くようになってしまっていた。



 女の子相手なのに、と自問自答する日々が続いた。私がしょうもないお願いをしたばかりに将門公が怒って、大山さんを愛してしまうように呪いをかけたんじゃないか。



 いやいや、将門公に責任転嫁すること自体バチあたりな発想だ。



「どうしたんです? 首振っちゃって」



 大山さんが顔を覗き込んできた。無意識的に自分の考えが動作になって現れていたらしい。



「いや、今日はとりわけ寒いからつい身震いしちゃって」



「風邪ひかないでくださいね」



 私達は皇居の方に出て、お堀を眺めつつ散歩していた。



「来年からついに大学生だね。楽しみ?」



「別にそうでもないですね。キャンパスは今通ってる高校と同じ敷地ですし。内部進学を決めた同級生はやれサークルだ合コンだとはしゃいでますけどね。そういうのに限って痛い子ばっかりですよ」



 出た、口元だけの笑い&毒吐き。だけどすぐに目元が三日月型に変わり、こう言った。



「でも、あなたと同じ大学生になれるという点は素直に嬉しいですね」



「私も大山さんが無事大学進学を決めて嬉しい、本当に。進学祝いに何か美味しいものでも奢ってあげるよ。何が食べたい?」



「じゃあ……」



「え?」



 大山さんが私の首に手を伸ばしてきて抱き寄せたと思ったら、柔らかい感触が唇に当たった。ほんの一瞬で終わったが、長く感じられる行為だった。



「お、大山さんっ。な、ななな何をするのいきなり……」



 慌てて左右を見渡す。幸い誰もこちらを見ていなかった。もしくは見て見ぬ振りしているか。



「実は、あなたのことが好きになってしまいました。恋人として付き合って欲しいです」



 大山さんの顔が真っ赤っ赤になっている。初めて見せる顔に私の心臓はときめいた。もう答えは一つしかない。



「私もあなたのことが好きでした。よろしくお願いします」



「ありがとうこざいます!」



 私達はぎゅっと抱きあった。「オウッ!」と通りすがりの外国人観光客が私達を見て叫んだが気にしない。



「でも良かった。将門公に一所懸命にお祈りした甲斐がありました」



「え?」



「あなたのことが好きだって自覚してからずっと、将門塚に来るたびにお願いしたんです。恋が実りますようにって」



 ということは、私の考えはある意味間違っていなかったということか。



 すごい、すごすぎるぜ、平将門。



「じゃあ、まずはもう一度お礼参りに行こっか、明日香」



「はい!」



 私達は手を繋いで、将門塚へと引き返していった。

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