第10話 疑惑

 ジルとロークが去ってから、僅か数時間後。コンチェルト山脈の果てと呼ばれた小さな村では、厳かに別れの儀式が執り行われていた。その中心にいたのは胸の前で手を組み、眠るように棺へ横たわっているラーニャと、その娘ラピスだった。

 この日は、雲一つ無い晴天。ラーニャの魂は、太陽の光に導かれ光り輝く天の国へ行ったと村人は口を揃えた。鎮魂歌を捧げ、ラーニャの身体が雪深い地中奥深くに埋められると、村人はひとり、またひとりと家へと帰っていく。わずか五百人余りの小さな村。だが、冬を越えられず亡くなる人は多い。この冬も、別れの儀式はこれで三度目になる。

 残り数名になり、儀式の後片付けの最中だった。

 大きな荷物を背負い、目を真っ赤に腫らせたラピスが家から飛び出した。それを追うのは、隣の家で親交が深いハーネスだった。

「悪いことは言わない、やめときな!」

「やだ、止めないで。あいつに復讐してやるんだ……そうしなきゃ、母さんだって死んでも死にきれないよ!」

 ラピスはハーネスの言葉に耳を貸さず、家を出て真っ直ぐに歩き続ける。

「何があったか、話してごらん!」

「さっき話したことで全部だってば!」

 大きな身体をゆさゆさと揺らしながら、ハーネスはラピスを追う。

「あんたは勘違いしているよ。音魅って人が来て、あんたの母さんを治療するどころか殺したって言うけどね、故意に殺したんじゃないだろう? あんたの母さんは寿命だったんだ」

 寿命と聞き、ラピスはムキになって言い返す。

「寿命じゃない! あいつらはもう大丈夫だって言ったんだ! それなのに……たった一晩で死んじゃうなんて、絶対におかしい。あいつらが私を騙して、母さんを殺したんだ!」

「ラピス」

 ハーネスは、白い息を長く吐いた。そして、いつの間にか立ち止まっていたラピスに追いつき、そっと手を取り自分の手で包んだ。少しでも、この少女が落ち着くように……。

「あんたの母さんがここへ嫁に来た日を、昨日のように覚えているよ。夫も早々に行方不明になり、随分苦労したこともね……」

 ハーネスはこの村で生まれ育った女性。ジルのことも、ラピスのことも生まれた時からよく知っている。

「あんたが言う音魅の名前はわかっているのかい?」

「確か……ロークって言ってた。もうひとりの小さい方はわかんない」

「…………そうかい」

 よく知らずに探すのかと、ハーネスはまた深くため息をついた。だが、無鉄砲で言い出したら聞かないラピスらしい。

「仕方がないねぇ」

 ハーネスは小さく笑い「いいかい、よくお訊き」と前置きをした上で話し始めた。

「音魅を探すには、音魅に聞くのが早いだろう。この村に音魅となった者がたったひとりだけいる。あんたの兄さんだ。兄さんを頼りなさい」

「兄さん……?」

 ラピスは目を丸くした。自分に兄がいるなど、聞いたことがない。

「あんたの母さんに頼まれて、誰もこの話をしなかったが……あんたの兄さんは、音魅になって、音魅として働いているんだよ」

「じゃあ、兄さんに聞けばすぐに見つかるってこと!?」

「きっとね……。あんたの兄さんの名前はジル。ジル・オルウィン。訪ねてみなさい」


 コンチェルト山脈から抜けるのは、あっという間だった。人の多くは、行きよりも帰りの方が速いと感じる。それは、人間は初めての体験は長く、二度目ないし数度目の体験は短く感じる生き物だからなのかも知れない。

「帰りは泊まらずとも帰れるかもな」

「配達も何もありませんしね」

 行きは寄り道続きだったが、帰りは違う。早朝に出発したことも手伝って、二人はお昼前にコンフェティに入り、宿場兼食事処で早めの昼食を取ることにした。雪に閉ざされた村にも関わらず、メニューは豊富で、価格も良心的。ふたりはこの店のオススメだという、料理長の気まぐれランチを注文した。

 でてきたのは、たっぷりの野菜ミルクスープ、パン、それに肉料理が一品。ロークはまず肉料理を口にし、うまい……と感嘆の声を上げた。

「雪国でこれだけのものが食べられるとは、すごいな。野菜の量も種類も豊富だし、何より安い」

「この辺りでは雪の中に野菜を保存するんです。よくは知らないですけど、雪の中で保存した野菜はみずみずしくって美味しいんですよ」

「……と、全然食ってねぇヤツに語られてもだな。説得力ゼロだぞ」

 ジルのお皿の上には、食事が出てきた時のまま並んでいる。多少は手をつけているのだろうが、ほぼ原形のままだ。

「…………今日は特に食欲がなくて」

「そうか。食える分だけ食ったら残しとけ。あとは俺が貰う」

「助かります」

 慣れた対応をしてくれるロークに感謝すると同時に、食材を無駄にしないで済むことにもほっとした。お金は払ったにしろ、貴重な食材を無駄にするのは心が痛む。ジルは自分が食べる分だけの食事をより分けると、残りをロークの皿の前においた。

「あの火……音火じゃねぇな?」

 ロークが見ているのは、食堂のキッチン。釜戸の中には木がくべられていて、パチパチと音を立てている。

「それに、この水も……音水じゃねぇ」

 音から作られた水は癖がなく、柔らかいのが特徴だ。だが、この水は硬く、少々癖がある。

「地下水ですよ。コンチェルト山脈の多くでは、今も昔と変わらず地下水をくみ上げて使っているところが多いんです」

「地下水……この真冬にか?」

「そうですよ、当たり前じゃないですか。地下水までは凍りませんし、例え凍ったとしても全部が凍り付くことなんてありませんよ。ほら……海や川だって氷が張ることはあっても底まで凍ることなんてないじゃないですか」

「…………言われてみれば、そうだな」

 ジルの育った村でも、地下水が使われている。首都リズムハートや平地にある町や村の多くでは、音魅が整備した水道を使い、音から作られた水を飲み水や生活用水として使っている。だが、コンチェルト山脈の多くでは、まだ音魅による整備が行われていない。その背景には、山深い村であるというだけではなく、村人のほとんどが音魅を嫌い受け入れる体制が整っていないこと、そしてとある化学団体の存在があった。

「ママ、おなかすいたぁ!」

「やあ、リッツ。今日は一段と冷えるねぇ。いつものでいいかい?」

「ええ。あと持ち帰り用も」

「あいよ」

 小さな男の子を連れた女性がジルの視線の先へ座る。男の子は椅子に座り、床に届かない足をぶらぶらさせている。それを母親に窘められても止めず、さらに室内では帽子を取りなさいと促されても取らず、へらへら笑っている。そうしていれば、いずれ母が取ってくれると知っているかのように。そして男の子の思惑通り、母親が椅子から腰を上げる。

「もう、仕方ないわねぇ」

 母に世話を焼かれ、男の子はより一層うれしそうに笑った。世話を焼いている方の母親も口では文句を言っているくせに、満更でもない顔をしている。かわいい我が子への愛が詰まった顔。

 無意識にじっと親子を見つめるジルに、ロークは小さくため息をついた。

(傷つくのなら、見なきゃいいのに)

 そう思いはするが、無意識であろうことも知っている。

 ロークは目の前にある食べ物を口へ詰め込み、ぱっと立ち上がった。

「んぐぐ(行くぞ)」

 親指を外に向けて立てる。

 だが、ジルはぽかんととした顔でロークを見つめた。

「んぐ?(どうした?)」

「…………ロークさん、お行儀が悪いです」

 その時だった。


ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!


 どこからともなく地鳴りが響き、激しい揺れが村全体を襲う。

「地震!?」

 子供の泣き声、女性の悲鳴。悲鳴は店内からだけではなく、外からも聞こえた。

 揺れは1〜2分ほどで収まった。

「大丈夫かい?」

 自分を真っ直ぐに見つめる店主らしき壮年の男性に、ジルは会釈をして無事だと応えた。そして、目の前に立つ上官に視線を移す。

「ロークさん、大丈夫ですか?」

 彼の立ち位置は、地震が来る前と変わらない。ロークは真剣な目付きで首だけを動かし、部屋をぐるりと見回した。

「……んぐぐ(何か変だぞ)」

 ジルは驚愕した。

「……まだ食べ終わってなかったんですか?」

 そんな声など微塵も気にする様子もなく、ロークはゆっくりと咀嚼し飲み込み、さらに机の上に置いてあった水を一気に胃へと流し込んだ。

「行くぞ」

「行くって……帰るってことですか? この地震ですよ? 被害も色々でている可能性が……」

「お前、んとバカだな」

「なっ!?」

 呆れかえったロークに、ジルは店を見ろと言いたげに腕を広げる。

「地震で家屋が壊れたり、怪我をしている人が……」

「どこに?」

「え……」

 冷静な声に、ジルは戸惑った。

「どこにって、そこら中に………………あれ」

 店内を見渡して驚いた。テーブルの上に置かれていた水入りのコップ、湯気が上がったスープ皿、平らな皿に乗せられていたパン。その全てがそのままで、倒れているのは椅子ひとつだけ。しかもそれは母親が慌てて子供の側に駆け寄る為に倒したものだ。

「…………思った以上に揺れなかったんですかね?」

「ああ?」

 ジルの迷探偵ぶりに、ロークは眉を寄せる。

「違うだろ。これは本物の地震じゃない。俺たちは騙されてんだよ」

「…………あ、そうか」

 ここでようやくジルも気づいた。

不協和音ノイズの仕業だ!」

「…………遅せぇよ」

 金をテーブルの上に置き、店主に断って外へ出る。雲一つ無い快晴の下、多くの人が雪かきに励んでいたらしい。スコップを放りだし、人だかりが出来ていた。

「被害を調べろ、古い家など揺れで壊れているかも知れん」

「余震が来るかも……今のうちに避難した方が」

 人々は完全に騙されていた。これは本物の地震で、地震による被害がある……と。

 動揺する村人の脇を通り、ロークは音動二輪車バイクに跨がった。ジルもそれに倣い、後部打席に跨がる。音動二輪車はどこへ行っても目立つが、この時ばかりは地震のことに気がいっていたのか、注目されることなく村を離れることができた。

「これって、来る時に僕たちを襲った不協和音ですよね?」

「多分そうだろうな。俺たちを追ってきたか……」

「そんなことってあるんですか?」

「こいつらに釣られたんだろ」

 ロークが指したのは音魅道具である音動二輪車や煙管。それに、ジルの腰にぶら下がっている銃。

「音魅道具にですか?」

「俺の憶測にすぎないがな」

 含みのある言い方に、ジルが食いつく。

「憶測って……ロークさんは何を隠しているんですか? 話してください」

「話したくとも話せねぇよ。こんな雪の中じゃあ、特にな」

「……? 雪に何か問題でも?」

 ロークは笑った。

「お前が知る必要はねぇよ……っと、お出ましのようだぜ」

 走行する音動二輪車に併走するように、地鳴りが響く。不協和音を示す透明な宝石は零れない。だが、見えるはずの音宝石もジルの瞳には映らなかった。

「ロークさん、これって……」

「土の不協和音ノイズに決まってるだろ」

 具現化した不協和音は見えない。音魅が見た音を具現化した音と同じように。

「さて、どう捕まえるかだな」

「どうやってって……策はないんですか?」

「さっきの今だぜ? 策なんかある訳ねぇだろ」

「いやいやいや! あるような雰囲気でしたよ。ロークさんの背中が俺に任せておけ、みたいな雰囲気を醸し出していましたから!」

 先日と同じく、相手の十八番なのだろう。岩の波が二人を襲う。だが、この男に二番煎じは通用しない。慣れた手つきで音動二輪車で波に乗り、攻撃を凌ぐ。違和感に気づいたのは、実戦慣れしたロークだった。

「本体はここにはねぇな」

「本体……ですか?」

 意味がわからない、と言いたげなジルの声など無視して、ロークは音動二輪車のスピードを上げる。いきなりのトップスピードに、ジルは慌ててロークの腰にしがみついた。

「ロークさん、どこへ行くんですか」

「アントラクト山脈のどこかにある、こいつの本体を探しに行く」

「だから、本体って何のことですか」

 切る風の勢いがキツくて、後ろから発するジルの声はロークになかなか届かない。何度か言い直して、やっとロークに言葉が届く。

「不協和音が生まれる元と言やあいいのか?」

 ジルは目を見張った。だって、不協和音が生まれる原因はまだわかっていないはずだ。それなのに、生まれる元……とは。

「特命課は何を隠しているんですか?」

「いや、これは特命課とは関係ねぇ」

 ロークは淡々と続ける。

「理解しやすいように生まれる元とは言ったが、実際にあるかどうかはわからない。俺の推測上の話だからな」

「はい?」

 益々意味がわからない。

「お前は疑問に思ったことねぇのかよ。不協和音ノイズの音が見えないのはどうしてなのか……。人に取り込んだ不協和音は別だぜ? 世の中に蔓延る不協和音の姿は俺たち音魅にも、そうじゃない人間にも一律に見える。火、水、岩、氷……。これって、俺らは音魅が見る音と似てねぇか?」

 確かに音魅が見る音は人それぞれだ。火に見える音魅もいれば、水に見える音魅もいる。ロークは煙に、ジルは宝石に……というように。

 今、後ろを追ってきているのは土の不協和音。音魅の中に、音を土で見る能力者も確かに存在する。

「音魅の音を具現化するのが音魅道具だ。音魅道具を通した音は、その音魅以外の人間にも見えるようになる。じゃあ、不協和音はどうだ? 誰にでも見える音。それって、音魅道具を通した音に似てるんじゃないか?」

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