第9話 治療



「そんなの困ります!」

 思った以上に大きな声がでて、ジルは慌てて口を手で塞ぐ。

 湿っぽい、かび臭い物置。治療の手立てを考えるという名目で、昔ジルが寝ていたこの部屋を借りたばかりだ。狭い廊下を挟んで母が寝ていて、ラピスはキッチンでご飯を作っている。時刻は夜の9時を少し回ったところ。夕飯には少し遅いくらいの時間だ。

「困るもなにも、治療できる能力を持っていると思われるのは、俺よりお前の方だろ」

 ロークの能力は、音を煙で見ること。できることは、煙の色で言葉の真偽を見ること、音動二輪車を動かすこと、そして煙で不協和音ノイズを捕獲すること。しかしそれは可視化された不協和音に限られていて、人の中に潜り込んでいる不協和音に対し干渉・除去、捕獲することはできない。

 一方、ジルの能力は音を宝石で見ること。音魅道具である銃に音宝石を装填し、発射することで音を弾けさせることができる。ただし、音宝石は物理攻撃ができず、人を撃っても人の体内で音が弾けるだけで、肉体が傷つくことはないという特徴を持つ。

「だけど、人を食った状況の不協和音を撃つなんて……そんなこと無理ですよ!」

「無理でもやるしかねぇだろ。腹を決めろ」

「…………ロークさんの能力ちからでどうにかできないんですか?」

「難しいな」

 ロークは即答した。

「別に意地悪で言ってるんじゃない。俺の能力で、人の心に干渉するのは不可能なんだ」

 そう言い切るには訳がある。ロークは過去、音魅の能力を実験する施設に入れられたことがある。しかも、通常は記憶に残りづらい五歳頃に入る施設に、十七を過ぎてから……。

「俺は自身の能力の使い道と、限界を知っている。だが、お前はそうじゃないだろ。音の宝石は心だ。お前の本当の能力は、心で心を撃つことだと俺は思っている」

「…………そんなこと、突然言われても」

 初めて言われたその言葉に、ジルは戸惑った。

「僕の能力はポンコツで……ただ、音が煌めいた宝石に見えるってだけで、何もできない。能力自体は音を石に見る能力者と同じ。そう聞いてます」

「じゃあ、どうしてお前の音魅道具は他のヤツと違う、んなご立派な銃なんだ?」

 常に腰にぶら下げているガンホルダー。そこには白銀に光る銃が収められている。音魅道具は、その者に最も相応しいものが与えられる決まりだ。だが、それを選ぶのは人ではない。音魅道具自身が選ぶのだ。

「……そんなの僕の方が知りたいです」

 白銀の銃に選ばれてから、ジルはずっと不思議に思ってきた。どうして自分に与えられる音魅道具がこれなんだろうと。しかも、ジルの撃つ音宝石は殺傷能力を持たない。攻撃も護衛もできない銃なんて、何の役に立つのか……。

「音魅郵政課にいたら、何もできねぇからな。今件はある意味チャンスだ」

「チャンスって……人の母親の生死を賭けて、よくそんなことが言えますね」

「だからこそだ。これが真っ赤な他人なら、寧ろチャンスなんて言えねぇよ。お前を売り飛ばした母親だ、最後に役に立って貰おうぜ」

「ロークさん!」

 冗談でもタチが悪すぎるのに、彼の場合本気で言っているから始末に悪い。

「やっぱり、音魅医療課に連絡して来て貰いましょう。不協和音ノイズを専門に見る方がいるんですから、その方に任せた方がいいに……」

「んな悠長なこと言ってる場合か?」

 真顔で、ロークは続ける。

「お前の母親、不協和音に食い尽くされる寸前だと思うぞ。食われて一年もそのままの状態なんて聞いたことがない。通常、不協和音に食われるのは一瞬か、もって十日だ」

「…………特命課で得た知識ですか?」

 つい十数分前に「俺たち下っ端には公開すらされていない国家機密情報だ」と言った口で、ジルの知らない機密情報を口にする。

「僕には、ロークさんが何を考えてるのかよくわかりません……」

 母親の死を目の前にして、ジルは膝を抱えた。

 しかも、ああは言ったが、ラピスは母が治ると信じ切っている。死ぬなんて絶対に思っていない目で彼女は言った。「母を治療してください」と──。それを言う方もどうかしているが、それよりももっとどうかしているのは、平然とした顔でそれを受け、死んでも仕方が無い……それならば役に立って貰おうと笑う方だ。

 ロークは煙管キセルをふかしながら、笑う。

「そりゃそうだろ。俺にも、お前が何を考えてるのなんかわかんねーし」

「ロークさん……そういう意味じゃなくって」

「お前にならできるさ」

 ジルの言葉を遮って、ロークはそう断言した。どうしてそう自信を持って断言できるのか。ジルは小さくため息をついて、膝に顔を埋めた。

「んなこと言われてもわかんないです……」

 腰にぶら下げている銃が、いつもよりずっと重く感じた。人の心を撃って、さらに身体を巣くう不協和音を倒すなんて大仕事、本当に自分ができるのだろうか。不安でいっぱいだった。

 ロークが煙を吐く音だけが部屋に響く。

 だけれど、ジルの瞳にはそれ以上の宝石が映っていた。部屋の隅っこに、埃のように積み上げられた音宝石。ルビー、真珠、黒曜石、エメラルドに琥珀……。宝石は色あせない。だから、あの宝石おとがいつのものなのかは、弾けさせて聞くまではわからない。

「ん……?」

 ジルは小さな山のようになっている宝石の中に、一際光る青色の宝石を見つけて拾い上げた。青色の宝石と言えばサファイヤやブルートパーズが有名だが、その宝石はどの石とも少し違って見える。

「…………これは」

「何だ?」

 ロークの能力では、過去の音までは見ることができない。ちなみに、音魅郵政課に多く在籍している音を石で見る能力者も、過去の音までは見ることは不可能。これはジルと他数名だけの特別な能力。

「昔の音でしょうか。青色の、複雑なカットが入っているすごくキラキラした宝石です」

「珍しい宝石いしなのか?」

「多分……少なくとも、僕がこの宝石を見るのは初めてだと思います」

「お前が見たことないんなら、かなり珍しいと思うが……。起きている間中、宝石ばっか見てるんだろ?」

「そうですけど……言い方が雑すぎません?」

 少し笑いがでた時だった。

 トントン、とドアをノックする音がこぼれ落ち、すぐにドアが開く。

「あの……山羊のミルクが切れちゃったので、お隣の方に貰って来ます。少しの間、ママをお願いしてもいいですか?」

「あ……うん、わかった」

 隣の家。

(ハーネスさんかな……)

 ジルは無意識にそう思う自分に驚いた。まだ実家の隣人の名を覚えているほど、ここに執着があるのか。それとも……。

 ラピスはドアを閉めかけたが思いとどまり、もう一度開けて二人に尋ねる。

「ママの治療なんですけど、私……立ち会えますか?」

「えっと……」

 ジルが返答に困っているのを見かねて、ロークが口を挟む。

「タイミング次第でしょうね」

「そうですか……とにかく、帰ってくるまでは何もしないでいてくださいね!」

 語気強く言い残し、ラピスはパタパタと玄関の方へ小走りで向かう。そして、玄関のドアが閉まる音をきっちり聞き届けてからロークは立ち上がった。

「行くぞ」

「…………はい?」

「はいって、母親の部屋に決まってんだろ。治療すんだよ」

「治療ったって! 僕にはできませんってば……!」

「往生際の悪いヤツだな。できるつったらできるんだよ。やってみない端から、できないって決めつけるな」

「いやいや、やってもみないうちからできるって決めつける方もどうかしてます!」

「信用してやってんだ。光栄に思え」

「はぁ……?」

 抵抗するジルを無理矢理引っ張って、隣の部屋へ連行しようとするローク。本気で抵抗するが、身体の大きさ的にも、力の差的にもジルの方が完全に不利なのは言うまでも無い。

「だから……イヤですって……」

「嫌でもやれ。時間がないんだ……ん?」

 ドアを開けようと手を伸ばした時、中から唸り声が聞こえるのに気づいた。先ほどまでとは違う、苦しそうな唸り声。

 二人は顔を見合わせ、直ぐさまドアを開けた。

「おい、大丈夫か!?」

「お母さん……?」

 そこには、ベッドに縛り付けられたまま、じっとドアの方を睨みつける母親がいた。様子が明らかに変だ。暴れる訳でもなく、ひらすらジルとロークを睨み付ける。

「はなぜ」

「……お母さん?」

「はなぜ」

「…………お母さん!」

「はなぜ」

「…………お母さん、僕だよ。ジルだよ!」

「はなぜ」

「…………お母さん」

 何度も母親を呼ぶジルの肩をロークが掴む。

「無駄だ。こいつは、もうお前の母親なんかじゃない。お前もわかってんだろ」

「だって…………」

 姿形は母親のまま。だからこそ、多くの人が騙される。簡単に騙されるからこそ、不協和音ノイズは人の身体を好む。

「母の意識は、本当に残っているんですか? ラピスに無駄に希望を持たせただけなんじゃ……」

「言うなぁ」

 苦笑するロークは、弁解しなかった。

「はなぜ」

「はなぜ」

「はなぜ」

 母親の口から、いくつもの無色透明な宝石がこぼれ落ちる。心を持たない音、つまり不協和音ノイズの音だ。

「はなぜえええええええええ!」

 母の姿をした不協和音は縛られたまま、近くにいたジルの身体に噛みつこうと身体をくねらせた。だが、縄が邪魔をして近くに行けない。

「ぐ……」

 ジルがほっとした瞬間だった。

「危ない!!!」

 長年、母を縛っていた縄がすり切れ、ノイズの身体が解放された。そのままの勢いで、ノイズがジルに噛みつく。

「ジル!」

「…………だ、大丈夫です」

 噛まれた左腕に痛みが走るが、耐えきれないほどではない。分厚い制服の生地に救われた。

「ジル、装填しろ」

「…………でも」

「でもじゃねぇ! やらねぇと、こっちがやられる。それとも、俺の煙で母親ごと捕らえる方がいいのか!?」

「そんなこと言ってな……」

「言ってないとしても、言ってると同じなんだよ! 今、母親を救えるのはお前しかいない。母親を不協和音ノイズとして死なせていいのか? せめて、人として……お前と妹の母親として逝かせてやるべきじゃねぇのか!?」

 ジルは迷った。

 だが……考えるより先に身体が動いた。手の中の青い宝石を素早く装填し、母親に向けて構える。一連の動きに、乱れはなかった。

「じゃまをずるなあああああああああ!」

「撃て、ジル!」

 噛みつこうと鋭くもない歯を剥くノイズの頭に向けて、引き金を引いた。青い宝石は銃口から飛び出し、勢いよく母親の頭へと吸い込まれていく。そして頭のどこかで、音は弾けた。

 それは、とてもとても懐かしい声。

 忘れかけていたあの……大好きだった、優しい温もりのある声。


「ジルと私たちの子供を頼んだよ」


 そうだ。

 思い出した……。

 あの日、父さんはそう言い残して家を出たんだ。母さんのお腹が少し目立ってきた頃だった。そしてあの日以来、父さんは帰ってこなかった。

「お……お母さん! 大丈夫!?」

 床に倒れる母親に駆け寄り、そっと抱き起こす。トクン……トクン……と、僅かながら心臓が動く音が胸の辺りに零れる。

「ロークさん……これって」

「不協和音の音じゃねぇな」

「……じゃあ」

 ジルの顔がぱあああっと明るくなる。

「んん……」

「お母さん! 僕だよ、わかる……?」

 ドキドキしながら言葉を待つジルだったが、待っていたのは冷ややかな母親の虚ろな目。

「………………あああ」

 虚ろな目で宙を見つめ、手が宙を掻く。

「お母さん? 僕だよ、ジルだよ。十二年ぶりだね……わからないの?」

「あああああ」

「お母さん、会いたかった。すごく会いたかったんだよ」

 母を抱きしめるジル。だが、母親は逃れようともがき、世にも恐ろしいものを見たと言いたげな顔で、ジルを突き飛ばした。

「お母さん……?」

「ジル、やめろ」

 見かねてロークが止めに入る。

 だが、ジルは止まらない。

「だって、お母さんの意識……戻りましたよね? 僕のことだってわかるはずだ。わかるよね? わかってるよね!?」

「ジル」

 母の身体は震えていた。ジルのことを認識しているのか、していないのかはわからない。そしてそのまま力尽き、ぱたりと倒れた。


「…………ノイズの除去に成功した? 本当ですか!?」

 母親の身体から正常な音が上がるのを見て、ロークは今一度頷く。

「はい、もう大丈夫だと思います。ただ……長年不協和音に囚われていた訳ですから、身体にどんな影響があるのかわかりません。できれば、近いうちに音魅医療課を尋ねた方がいいと思います」

「音魅医療課……でも、そんなのこの辺には……」

 ロークがジルを見る。暫くだんまりを決め込んでいたジルだったが、その視線に耐えかね口を開ける。

「最寄りは、パストラルという町です」

「パストラル……?」

 ラピスは首を傾げた。そこでロークが地図を広げ説明する。その距離を地図上で悟ったラピスは小さく笑った。

「こんな遠いところにママを運ぶなんて無理です。あの状況が回避されただけ感謝ですから、多くは望みません。あと数年でもいい……。ママと幸せに、昔のように暮らしたい」

 ベッドで眠る母の顔を見て、ラピスはうれしそうに微笑んだ。


 翌朝、出立の時。

「いいのか、妹と母親に別れを言わなくて」

 二人は、家人がまだ眠っている早朝を選んで家を出た。正直、これ以上関わりたくないと思っていたロークには好都合だったが、腑には落ちなかった。

「いいんです。もうきっと……二度と会うことはないでしょうし」

 ジルは家をもう一度じっと見てから、音動二輪車に跨がった。

「だからこそ、別れは大事なんじゃないか?」

「いえ、だからこそ言わないで行くんです。あの二人にとって、僕は既にいない存在なんですから」

 口では優しい言葉を吐きながらも、ロークは迷うことなく音動二輪車を機動させた。そして、最後のだめ押し。

「本当にいいんだな?」

「はい、帰りましょう」

 音の煙を吐きながら音動二輪車は走り始めた。初めはゆっくりと、徐々にスピードを上げていく。

 コンチェルト山脈の果てと呼ばれた小さな村はすぐに見えなくなった。

 だが、この時ある事実をふたりは知らなかった。


 ラピスが目覚めたのは、聞き慣れない音のせいだった。赤子の泣くような、何かの遠吠えのような音。それは音動二輪車バイクの音だが、ラピスには知る由もない。

 ふたりが出発しているのも知らないまま、ラピスは隣で眠っているはずの母親に声を掛けた。

「ママ、おはよう」

 だが、返事はない。

 それどころか、呼吸する声さえ聞こえない。

「ママ……?」

 ラピスはばっと母親に駆け寄った。

 触れた手からひんやりと冷たさが伝わる。

「ママ……」

 氷のように冷たい母の身体に埋もれるようにして、ラピスは崩れ落ちた。

「ママあああああああああ!!!」

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