第7話 雪深い小さな村で

 雪道で何度か滑りそうになった以外は順調に進み、無事目的地であるコンフェティへ到着した。豪雪地帯であるコンチェルト山脈の村々では、ドーム型の家が一般的だ。

「宛先は……ルツォーネ・マルフォイさんですか。この辺りに番地なんてありませんから、聞き込みで探すしかないですね」

 ジルは慣れた歩調で歩き出す。

 足元の積雪は50センチを超えている。いくらスノーブーツを履いていても、雪に埋もれるレベル。ロークがもたつく中、ジルはスタスタと歩き一軒一軒尋ねていく。

「どうしてそう軽々と歩けるんだ?」

 道を聞いて戻ってきたジルに、ロークがそう尋ねた。あまりに真剣な声色に、思わず吹き出してしまう。

「何がおかしい」

「いえ……おかしいんじゃなくって、ロークさんのそんな顔、見たことないから」

 笑いのツボに入ってしまったらしく、ジルはしばらくその場で悶えていた。一方、笑われている方のロークはその横っ面を引っぱたきたい衝動に駆られていたが、雪の上をもたもた歩いて歩み寄る間にそんな思いはかき消えた。

「この雪……歩きづらいにもほどがあるだろう」

「まあ……歩く度に埋もれますしね」

 足元には50センチ強の雪が積もっている。

「そんな雪の上を、よくもそうスタスタと歩けるもんだ」

「んー……自分でもよくわからないんですけど、雪の上を歩くのは得意みたいです。幼い頃に培った何か……なんでしょうかね?」

 ジルは豪雪地帯育ち。首都リズムハートに来るまでは、年の半分はこんな雪の上を歩いていたに違いない。

「それより、ルツォーネ・マルフォイさんの家、わかりましたよ! あそこに見える一際大きな家だそうです」

 指さす方へ顔を向けると、明らかにそれとわかる家が見える。

「あれか……」

「早く行きましょう」

 たっと駆け出すジルに、ロークが後をついて歩く。片足を踏み出すごとにズボッズボッと雪に埋もれる感覚に、ロークは入り口近くに駐めた音動二輪車バイクを取りに戻ろうかと本気で考えていた。


 ルツォーネ・マルフォイ宅。

 他の家とは違い、雪に完全に埋もれている入り口を目の当たりにして二人は息を呑んだ。

「……生きて居るよな?」

「ちょっとロークさん! 生存確認の前に、留守かどうかを心配しましょ?」

「あ……そうか」

 正論で突っ込まれ、はっとするロークにジルが笑う。

「なんだかロークさんらしくないですね。寒さで頭やられちゃいましたか?」

「……お前、結構言うようになったな」

「上司が上司なんで、仕方ないかと」

「生意気な口はここか? お、結構のびる」

「ほっとはへへくらはいよー」

 雪に埋もれた雪を見つめていても仕方が無い。他に出入り口がないことを確認すると、二人は近隣の家からスコップを借り、雪をかいて入り口を探すことにした。隣の家(とは言っても、結構離れている)の住人からの情報によると、ルツォーネ・マルフォイは七十歳を過ぎたおじいさん。十年ほど前に奥さんを亡くしてからずっと一人暮らしをしているらしい。子供はいたが、どこか都会へ行ったきりという話だった。

「まあ、七十のじいさんがこの雪をかくのは一苦労だよな……」

「冬の間は備蓄した食料と燃料でやり過ごしているのかも知れませんね。僕の住んでいた村でも、そういう人いましたから」

「雪国っつーのは、大変だな」

 冬の初めから雪かきしていなかったのであろう。入り口から玄関まで積もりに積もった雪は、溶けては積もり、溶けてはまた積もりを繰り返した結果、やけに堅い……まるで氷のような強度になっていた。そんな雪が高さ数メートル、玄関から入り口まで5〜6メートルちょいは積もっていただろうか。玄関が見えてきた頃には、二人して息が上がっていた。

「豪邸なら豪邸らしく、使用人でも雇って雪かきくらいしときやがれ」

「ロークさん、さっきと言ってることが違う……」

「ああ?」

「何でもありません」

 同情的な気持ちは、数時間の雪かきで完全に吹き飛んでしまったらしい。

 玄関を開けられるであろう状態になって、数分。

「何だか騒がしいのぅ……」

 依頼人は自らの手でドアを開け、二人の目の前に姿を見せた。

「やや?」

 白い髭を口元に蓄えたおじいさんは、まずドアが開くことに驚き、そして目の前でへばっている二人を見て目を丸くした。

「お前さんたち……音魅の子たちかい?」

「は……はい! でも、どうしてそれを?」

 制服はコートで隠れているし、帽子だって今は制帽ではなく毛糸の暖かい帽子をかぶっている。そうでなければ頭も耳も痛いほど冷えてしまうからだ。

 おじいさんは、二人の側に転がっている鞄を指さし、目を細めた。

「その紋章を見れば、一目瞭然じゃろうて。さあさあ、外は寒い。中に入りなさい」


 中は春とまではいかないが、薄着でも大丈夫なほど暖かかった。

 暖炉の側で暖を取っていると、おじいさんが湯気の上がったマグカップを持ってきてくれた。

「山羊のミルクだ。飲みなさい」

「うわぁ、懐かしい。いただきます」

 喜んで手に取ったジルの隣で、ロークは怪訝そうに眉を寄せる。

「山羊のミルク……? 牛ではなく?」

「この辺りでは寒さに強い山羊がたくさん飼われているんです。この寒さでは牛を飼うのは一苦労ですからね」

「よく知っているねぇ。この辺は閉鎖的な地域だから、詳しく知る者も少ないだろうに…………ん?」

 ここでおじいさんが何かに気づいたように、ジルの顔をまじまじと見つめた。目が悪いのか、近づいたり、少し顔を遠ざけたり。ジルの顔に手を添え、右に傾け、左に傾け……そして、はっと目を見開いた。

「お前さん、ジルじゃないかい? ジル・オルウィン」

「オルウィン……?」

 ロークがジルを見る。

「僕の……元の苗字ですね」

 おじいさんに聞こえないよう、耳打ちする。

「おじいさん……ルツォーネ・マルフォイさん、ですよね? あの、僕のことを知っているんですか?」

「知っているとも」

 ルツォーネは懐かしそうに目を細めた。

「お前さんの継母であるラーニャはこの村出身だからねぇ。化学者であるお前さんのお父さんに嫁入りする時、村の者総勢で祝ったものじゃよ」

「継母? 化学者……?」

 ジルの動揺に気づくことなく、ルツォーネは続ける。

「その時に、お前さんも一緒に来ていてなぁ。2歳くらいだったじゃろうから、覚えてはいないだろうが……儂の従姉妹がお前さんの子守を任されてのぅ。儂も一度だけ抱っこさせて貰ったんじゃ。あの頃の面影が……よぅ残っておる。あんまり変わっておらんのぅ」

「あの、ちょっと待ってください。お母さんって本当のお母さんじゃなかったんですか? それに、お父さんは化学者って!」

「……何も知らんのか?」

「今、ルツォーネさんが仰ったことは何も」

 長い沈黙のあと、ルツォーネは喉から搾ったように、低く「そうか」と呟いた。そして、ジルを見据えて言った。

「お前さんが音魅になったと聞いた時から、違和感はあったんじゃよ……。お前さんのお父さんは当時、音魅と対抗していた化学者の一人じゃったからのぅ。息子であるお前さんが音魅となっては都合が良くあるまい」

 その言葉に、ロークが苦虫をかみつぶしたような顔で下を向く。ルツォーネはそれを見逃さず、小さく笑った。

「あんたは知っておったみたいじゃのぅ」

「えっ……」

 ジルがロークを見る。

「知ってたんですか……?」

 ロークは答えなかった。だが、答えはわかった。

「どうして教えてくれなかったんですか? 音魅の社会構造に反対したクーデターが起こったことだって知ってます! それに父が関わっていたのだとしたら……」

「だとしたら……何だ?」

 鋭い目線がジルを突き刺す。

「クーデターを起こした者は、良くて投獄……。お前はその力で父親を殺したとでも言うのか?」

「…………それは」

 音魅の社会が始まって400年。その秩序は、波風なく保たれてきた訳では決してない。

「あんまりこの子を責めないでやってくれ。この子だって好きで音魅になった訳でもあるまい」

 ルツォーネが心の底から自分たち音魅を歓迎している訳ではないことを悟ったロークは、今までの雰囲気から一変してモードへと切り替えた。そして直ぐさま本題に切り込む。

「ルツォーネさん、首都リズムハートに住む息子さんから音便を預かっています」

「音便……かい?」

「はい。クルミ割り器はございますか?」

「ああ……どこへやったかな」

 キッチンへ向かい、引き出しやら戸棚やらを探し出すルツォーネ。だが、中々見つからず、見る見るうちにキッチンが散らかっていく。

「良ければ、こちらで割りましょうか?」

「ふむ……その郵便か何かよくわからないが、お願いしてもいいかね?」

 ルツォーネは音便が何なのかが、さっぱりわかっていない様子だった。きっと音便を貰うこと自体、初めてのことだったのだろう。

「では、こちらに……単音便なので、一度しか聴けませんのでよく耳を澄ましてお聴き下さい」

 わかったのか、わかっていないのか、深くゆっくり頷いたのを見てから、ロークはジルを見た。それを合図にジルが音を割る。

「父さん、久しぶり。コンフェティの生活はどうだい? 父さんも年を取って不便になったんじゃないかと心配してるんだ。良かったら、こっちへ出てきて一緒に住まないかい? 妻と子も、是非にと言っている。雪が溶けたら一度そちらへ行くから、返事を聞かせて欲しい。良い返事を期待してるよ」

 父の身を案じた息子からの音便だった。

 音便の音は見えない。色も形もわからない。だから、文面そのままの意味を汲んで、ジルは笑って言った。

「良い息子さんですね」

「はっ、何が良い息子なものか」

 ルツォーネの反応は、冷めたものだった。

「あいつらは儂の遺産が欲しいんじゃよ。金はやってもいいが、顔も知らん妻子がいる息子の家で肩身狭く、小さくなって余生を過ごすなど真っ平ご免じゃ。儂の死に場所は、ばあさんと暮らしたこの家……。ここは家であり、墓場。それでええんじゃ」

 そう言う彼の視線の先には小さな祭壇があって、その真ん中に妻らしき女性の似顔絵と太陽と月のレリーフが飾られている。そのレリーフはジルにとって懐かしいものだった。幼い頃、母がそれに手を合わせ祈っているのを幾度となく見て来た。コンチェルト山脈にある村々に一番多いのが、この太陽信仰だ。化学者らは太陽からエネルギーを得、機械を動かす糧にすると語り、多くの民を味方にしてきたと聞く。ゆえに、太陽信仰の民の多くは音魅よりではなく、化学者よりの考えを持っている傾向が強い。

「息子に会ったら伝えてくれ。儂は行かない、と」

「伝言を預かることは出来かねますが、音便を預かることはできますよ」

「音便?」

「ええ、今聞いた声のように、ルツォーネさんの声を預かり、息子さんに届けます。単音便でしたら安価ですし、一度聞いたらこの世からその音は消滅します」

 ルツォーネは笑った。

「消滅すると言われても、声を届けて貰うなどご免じゃ。見えぬ音とやらを届けるお前さんらの能力を信用できんからのぅ。伝言は取り消そう。息子がここへ来た時に、儂の口からはっきりと伝えるよ。それまで生き延びていればの話じゃが。なぁ、ばあさん」

 祭壇を見つめるルツォーネからこぼれた音は、優しさと慈愛を示すラピスラズリと……寂しさの色を秘めた琥珀だった。

 その琥珀色の宝石を見つめ、ジルが呟くように言う。

「……素直じゃないなぁ」

「んなの第三者が言うことじゃねぇだろ。ルツォーネさんの寂しさは、息子に向けたものだけとは限らないさ」

 ジルは、ロークの音を見て反駁するのをやめた。

「…………そうですね」

 別れの時、ルツォーネは悩みながらも口を開いた。

「言おうと言わまいか悩んだんじゃが……」

 そう前置きして。

「聞いた話なんじゃが、お前さんの継母であるラーニャの具合が悪いらしくてのぅ。お前さんがこのタイミングでここまで来たのも何かの縁かも知れん。一度、会いに行ってやってはどうじゃろう。継母とはいえ、お前さんを育ててくれたことに変わりは無いのだから」

「ルツォーネさん、お言葉ですが……」

「ロークさん」

 怒りに支配されたロークの言葉をジルが制する。

「大丈夫ですから……」

 どうやらルツォーネは、ジルが音魅になったことは知っていても、売られていたことは知らないらしい。わざわざ伝えることでもない。ジルはそう笑った。

「お母さんは病気か何かですか?」

「ああ……詳しいことはわからんが、この冬を越せるかどうかという話じゃ。ラピスも小さいというのに……気の毒な話じゃ」

 ラピスというのは、ジルの妹の名前。別れた時は、生まれたばかりの赤子だった。母が可愛がっていた記憶はおぼろげにあるが、妹であるラピスの記憶はほとんどない。

「教えてくれてありがとうござます。考えてみます」

 ジルはそう言って、ルツォーネと別れた。


 帰り道、コンフェティの入り口へ向かって歩いている途中。

 数分間の沈黙をロークが破った。

「──で、行くのか?」

「行きたい……なんて言うと思いますか?」

 足が取られる雪道を超がつくほど不機嫌そうに歩くロークに、ジルは飄々とした口調で返す。

「僕を売ったお母さんですよ? しかも実の母じゃなくて、継母らしいじゃないですか。お母さんに会うまでもなく、僕のことだけ要らなかった謎が解けたことですし、今更……会う理由なんて」

「だから……俺に嘘は通用しねぇっつってるだろ」

 苛立ちを隠さず、ロークは言い捨てるように呟く。

「行きたいなら行きたいと言え。お前を売ったろくでもない母親のことを、いつまでも引きずられる方が敵わん」

 ざっくざっくと雪を引きずるように歩くロークのずっと前で、ジルの歩みが止まった。

「ったく……この雪、どうにかなんねぇのかよ」

「……か」

「ああ?」

 雪の中、立ち尽くすジルを見て眉間にシワを寄せる。

「何だ?」

「……迷っているんです。僕は……お母さんに会いたいんでしょうか?」

 声が震えている。

 うんと後ろをもたもた歩くロークに、真っ直ぐに村の出口を向くジルの表情を知る術はない。だが……今回は迷うことなく答えた。

「前にも言っただろ、俺は会うことに賛成しない。だが……今回だけは別だ。死人に口なし。生きてるうちに聞きたいことは聞いておけ。どんな嫌な想いをしようと、相手が死んでから後悔するよりマシだ」

 ジルは答えないまま、ロークが追いついた。俯くジルの肩を叩き、力強く声を掛ける。

「行くぞ」

「………………はい」

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