第6話 アントラクト山脈

 時刻は夜8時すぎ。

 コンチェルト山脈を目指すロークとジルは、コンチェルト山脈の手前にあるアントラクト山脈の中腹で不協和音ノイズに襲われていた。

「しっかり掴まっておけよ! 振り落とされても知らねぇからな!」

 アップダウンが激しい地面の上を無理矢理音動二輪車バイクで突っ切ろうとアクセルを全開にするロークに必死にしがみつく。相手は、土の不協和音ノイズ。岩肌が続くこの土地では分が悪い。地鳴りも岩へ落ちる小石の音も、土の不協和音の領分。ロークの音の取り分は、ジルの叫び声くらいしかない。

「ジル、もっと叫べ! 燃料が足んねぇんだよ!」

「んなこと言ったってえええええっ!」

 しがみつくのに必死で、叫ぶところまで気が回らない。だが、回らなくては音を燃料に走る音動二輪車は止まってしまう。

 不協和音ノイズから逃げる為に、ジルの声を不協和音ノイズに取られる前に音煙として取り込む。普段なら無意識に取り込める音だが、地鳴りとひび割れによって隆起りゅうきしたり凹んだりしたデコボコ道を走るとなると、どうしても意識が運転に持っていかれてしまう。

「ロークさん、前っ!」

「!?」

 二人の目の前に、土でできた巨大なが襲い来る。

「くそ……っ」

 音動二輪車の前輪を立ち上げ、まるでサーフィンのように波に乗る。その運転技術は相当なものだが、それだけでは不協和音ノイズからは逃げられない。

「ジル、少しだけ運転代われ!」

「はいいいい!? 僕の宝石いし音動二輪車バイクを動かせる訳ないでしょうが! つーか、下手したら壊れますよ!?」

「アホか、誰がエネルギー供給まで代われっつったよ。ただハンドル操作を代われっつってんだ!」

「そんなことできるんですか?」

煙管キセルを咥える一瞬の隙さえ作れればいい。その間、支えてろ!」

 言い終わるか否かのタイミングで、ロークの左手がハンドルから離れる。

「んな無茶苦茶な!!!」

「うっせぇ」

 一瞬の隙をつき、制服の内ポケットに入れていた煙管を取り出し咥える。

「うわあああああああ!!!」

 ガクンと車体がよろめくのを慌てて支えるジル。見た音を音魅道具に注ぎ込まないように意識を集中させる。音を音魅道具に注入するにも、入れないようにするにも、同じようにが必要だからだ。

 一方のロークは、息を吸い込み、はああああああっと多量の煙を煙管から吐き出す。彼の武器である、音煙。煙はロークの意思通りに動き、土の不協和音ノイズを押さえ込もうと蜷局を巻き、岩岩を囲もうと動く。だが……。

「範囲が広すぎます!」

 見渡す限りの土地が不協和音ノイズの支配下。変わってロークの煙は、ほんの少しの範囲にしか行き渡らない。そんな状況にも関わらず、ロークは不敵に笑う。

「これでいいんだよ」

 音煙は地面を這うように蜷局を巻き始め、音動二輪車の真下に真っ直ぐ伸びる一本道を作り出した。

「全うに勝負することはねぇ。逃げるが勝ちだ!」

 右手を思い切り手前に倒し、音動二輪車は猛スピードで音煙ロードの上を走り抜けんと駆け出す。不協和音ノイズのテリトリーは広くとも半径数キロ以内が常識だ。そのテリトリーを抜け出す為だけに作られた音煙の一本道。

「うわああああああっ!」

 数秒後、音動二輪車は見事、不協和音ノイズのテリトリーから抜け出した。


「た、助かったぁ……」

 音動二輪車の後部座席。ジルは安堵のため息をつきながら、脱力していた。

「大げさだな。つーか、しっかり掴まっておけよ。振り落とされても拾いに戻んねぇからな」

「ひどい……というか、大げさなんかじゃないですよ! だって、あんなの都市部にはでないじゃないですか」

「はっ、都会っこみたいな台詞だな」

 からかうように笑うロークに、ジルはムッとして言い返す。

「んなこと言ったって、もう首都に来てからの方が長いんですから」

 コンチェルト山脈の果てにあるジルの故郷。そこで育ったのが5歳まで。それから先の12年は首都リズムハートにある音魅宿舎で暮らしている。

「そうか……もうそんなになるか」

 寂しそうな宝石ラピスラズリが流れていく。

「ロークさん、まだ気にしているんですか?」

 背中越しに尋ねる。

「あれは僕のお母さんが問題だっただけで、ロークさんたちに責任は……」

「責任のあるなしじゃねぇだろ。売り言葉に買い言葉で、お前を買い取ったのは俺たちの……いや、俺の責任だ」

「ロークさん。僕は、これで良かったと思ってます」

「…………そうか」

 それ以上、ロークは何も言わなかった。

 岩肌の道が暫く続き、再び森の中へ出る。所々に雪が残り、吐く息はまるでロークが見る煙のように白い。

「もうすぐコンチェルト山脈ですね」

 夜の10時を回ろうとしていた。二人は、アントラクト山脈の外れで見つけた洞窟の中で一夜を明かすことにした。


 朝、ジルはツーンとした耳の痛みで目を覚ました。側には火が焚かれ、音動二輪車が駐まっている。

「あれ……ロークさんは」

 久しぶりに感じた身震いするほどの寒さに驚きつつも、立ち上がり洞窟の入り口へと足を進める。外を見ると、一面の雪。どうやら一晩で積もったらしい。目測で20センチ程度。春先だというのに、この辺りの冬は根深い。

 新雪の上に鳥のさえずりか木々のそよめきの音からこぼれた宝石が落ちていて、ジルの目にはこの雪景色がより一層煌めいて映る。

「起きたのか」

 洞窟の奥から聞こえたロークの声に振り返り、慌てて駆け寄る。

「朝ご飯くらい、僕が作ります」

「いや、いい」

「いえいえ、ロークさんは腐っても上官! ここは下っ端である僕が……」

「腐ってもって、どういう意味だ、こら」

「あ……」

 笑って誤魔化すジルに、ロークはため息交じりに笑う。

「お前に任せて、まともに食えるもんができるとは思えん。そこでじっとしてろ」

「……はい」

 言われて見れば、確かに料理などやったことがないので、大人しく座って待つことにした。

(でも、ほら……建前上やるって言わないと、ねぇ?)

「言い訳が見え見えだぞ」

「えっ……僕、声に出して? あれ?」

「んと、わかりやすいヤツだな」

「からかわないでくださいよ。これでも反省してるんですから」

 口を尖らせるジルに、ロークは吹き出す。

「反省なんぞ、今件に限ってはする必要ねぇだろ。元々、俺が無理矢理付き合わせたんだ」

「無理矢理って……ついて行くって決めたのは僕ですから」

 そう言ったあとで、あれ……本当に選択肢なんてあったっけ? などと逡巡する。だが、選択肢があったとしてもなかったとしても、どうせ自分はここにいるだろうと思い直し、ジルは笑う。

「本当は、一度来てみたかったんです。コンチェルト山脈の……僕の生まれ育った村に。聞いてもどうしようもないんだけど、聞いてみたい。僕は本当にいらない子だったのって」

「……母親にか?」

「…………あ」

 口が滑ったとばかりに、手で口を押さえるが出た言葉は戻ってこない。おまけにその煙はきっとまがうことない白だっただろう。真実を示す、白の煙。

「……悪いことは言わん。やめとけ」

「で、でも……一目だけでも! 僕を生んでくれた人なんです。お腹を痛めて生んだ子が憎いなんて、いらないなんてそんなこと……」

「実際にあり得る話だ。思い出してみろ、音魅の約5分の1は苗字を持たない。どういう意味かわかるだろ」

 苗字がない者は売られてきた音魅。それなりの金額と引き替えに、国の所持物となる。国が自分を買い取った金額に加え、上乗せされた利子を払うまでは苗字を名乗ることは許されないし、婚姻も、特別国家公務員を辞める権利も、国からの命令に逆らう権利も持たない。一言でいえば、国家のペットだ。

「子供は何があっても親がいいもんだ。だが……今更、母親に会ってどうする。お前が欲しい言葉なんて貰え……」

「わかってます」

 ロークが言い終わる前に、割って入る。まるで、その続きが聞きたくないとでも言いたげに。

「そんなこと……わかってます。僕はただ、ケジメをつけたいというか……どうして僕だけがいらない子だったのか納得できなくて。妹のことはあんなに可愛がっていたのに、どうして僕だけ……」

「ジル」

 瞳から次々と涙が溢れる。

 宝石にも似た、煌めく水粒がこぼれ落ち、ジルのズボンの上で弾ける。

「……悪かったな」

「…………どうしてロークさんが謝るんですか」

「俺は、お前はもっと割り切れているもんだと思っていた」

 ロークの言葉が、ジルの胸に刺さる。

 まるで、期待外れだと宣告されているように思えてならなかった。

「……なんて顔してんだよ」

 青ざめたジルの頭をコツンと叩く。

「考えてみりゃ、そう簡単に割り切れることじゃないよな……」

 焚き火で温めたフライパンに、卵とベーコンをのせ、その上に食パンをのせて焼く。しんみりとした空気の中、食欲をそそる香りが漂ってくる。その香りに反応して、腹がぐぅ……と音を鳴らす。どんな時でも、どんな気分の時でも、人間という生き物は腹が減る、せいに貪欲な生き物らしい。

「手ぇ出せ」

 言われるがまま手を出すと、フライパンを逆さにするようにしてパンが手の上にのせられた。手にのった部分は焼いていないので、ほどよい暖かさが冷え切った指先に心地いい。

「食え」

「……ありがとうござます。いただきます」

 ベーコンの塩っ気とパンのほのかな甘さが口の中で混じり合って、なかなかの美味だ。

「ロークさん、料理上手ですね」

「んなの誰にだって出来るだろ。つーか適当だし」

「適当でもおいしいですよ」

 涙だか鼻水だかが混じっているのか、ちょっとしょっぱいけれど。

「おい、鼻水は拭いてから食え。汚いだろ……」

「はぁ……」

 ジルにはこの辺の衛生理念が欠けているらしい。

 空になったフライパンでもう一度同じものを作り、ロークも口に入れる。半熟の卵がパンの上でとろけてベーコンと混じり合い、絶妙なハーモニーを生み出す。

「なかなかイケるな」

 思わず自画自賛するロークに、ジルは微笑み、また一口頬張る。口いっぱいに広がる卵とベーコンとパンのコラボレーション。

「本当……おいしいです」


 音動二輪車バイクのタイヤに鎖を巻いて再び出発したのは、お昼前だった。鎖を巻くなど久しぶりのことで、思いの外手間取ってしまった。

「お届け先はコンチェルト山脈のコンフェティ……コンチェルト山脈の南側にある村ですね」

「知っているのか?」

「一度だけ行ったことがありますよ。確か……幼い頃、妹の生まれる前だから3歳くらいでしょうか。母……あれ?」

 記憶がこんがらがる。

「いや……母と遠出なんてしたことないから、あれは父?」

「父親……?」

「よく覚えてないんですけど、確か一度だけ来た記憶があって。うーん、母も居たような気がするんですけど、父だったのかな?」

 記憶が曖昧なのも無理はない。3歳頃の記憶なんて、覚えてないことの方が大半だ。

「地図を見る限り、このまま北へ走ってコンチェルト山脈に入ればすぐに着きますよ」

 ジルが生まれ育った村は、目的地であるコンフェティからさらに北へ数十キロはある。確かに生まれ育った村へ行ってみたい。あの名も無き、小さな村へ……だが、それは叶わない夢。ジルはもう一つの気になったことを聞いてみることにした。

「あの……コンチェルト山脈で起きた事故って、何のことですか?」

 ロークはすぐには答えなかったが、一瞬の動揺を背中越しに察する。

「お前は知らなくてもいいことだ」

 そう言われても、そう簡単には引き下がれない。

「故郷の近くで起きた事故です。知りたいと思って、何が悪いんですか」

「…………じゃあ聞くが、お前の父親は今どこにいる?」

「父、ですか? 元々あまり家に帰らない人だったので、よくわからないです。気にならないといえば嘘になりますが、考えても仕方が無いというか……調べようもないですし」

「……そうか」

 ロークはそう言ったきり、口を閉じた。

「あの、ロークさん? 僕の父が何か関係あるんですか?」

 ロークは応えない。

 何度か同じ事を聞いて、ジルはため息をついた。

「無言って、結構な答えになってるんですよ」

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