第2話 囁く声

 夜空から星たちが消えた大事件から一週間が過ぎた。

 誰もがあの幻想的かつ終わりを想像した光景に戦慄した。しかし結果として被害はなく、大きな変化としては夜空か星が消えただけだ。この訳のわからない現象に、人々は不安を口にする。しかし、実害が無ければさほど真剣に悩むことはない。


 ソディアもまた、その一人だった。

 いつもの様に起き、いつものように学校へと向かい、いつものように授業を聞く。


 違うのは、一人の大切な友人を失ったことだけ。


 あの日。あの星降る夜の日。

 正確に言うならば、その翌日。朝日に照らされて、ソディアは学校の屋上で目を覚ました。起き上がってみれば半裸で、しかも鳩尾には痣が出ていて混乱したが、それよりも横にミントがいないことに気付き、また静かに泣いた。ミントは自分の言葉通り、ソディアとの関係性を断ち切り、縁を切ったのだ。


 あれから学校内でミントの姿を見かけるも、まるで知らない他人とすれ違うような淡泊な表情だった。それは、本当に二人の関係が赤の他人になったことを意味し、胸が締め付けられるような痛みを感じる。それは、辛く、そして悲しいものだった。


 本当に、これで良かったのか? そう、自分に囁く声が聞こえる。

 その気になれば、いくらでも手段はあったはずだ。

 しかし、それを選ばないのは、怠慢なのではないか? 

 できない、のではなく、やらないだけなのでは? 

 今のお前にならばできるはずだ。

 今のお前ならやれるはずだ。


 暴力を以てして、相手を従わせることを。


「……えっ?」


 微睡の中に聞こえたその声に、ソディアは思わず聞き返す声が出る。授業中であるために、一斉に自分に注目が集まったことに気付き、ソディアは小さな声で「す、すみません」と頭を下げる。しかし、頭の中はあの声のことでいっぱいだった。


 なんて言った? 暴力を以てして……と言った?

 そして、それが自分にはできるはずだと?

 そんな馬鹿な……と、ソディアは首を横に振る。思い返してみれば、自分の人生で大きな喧嘩をしたことなんて一度もない。家族や友達と些細なことで言い合いになったりはするが、手を出したり出されたりすることはなかったはずだ。他人に暴力を振るったことなど一度もない。


 そんな自分が、暴力を以てして相手を支配?

 無茶な話だ。まるで幻想だ。

 想像さえすることができないほどに、滅茶苦茶だ。


 まあ、そんな幻聴の言うことを真に受けてしまうのだから、やはり弱っているのだと、ソディアはひとまず思考に決着をつけた。

 それと同時に、終業を告げるベルが鳴り響く。教師が出て行くと、クラス全体が帰り支度を始め、今日の放課後の過ごし方で沸き立つ。とてもではないがそんな気分になれなかったソディアは、クラスから離れようと廊下に出たところで声を掛けられる。


「あの、ソディアさん……ちょっと良いですか?」


 声の主を見れば、それはソディアのもう一人の幼馴染であり、ミントの妹でもあるシュガーだった。

 姉とは正反対に女子としては身長が高く、スラリとした体形は男女問わず目線が集まる。加えて、鼻筋が高い整った顔に強気な太い眉が特徴的だ。唯一姉との共通点といえるその艶のある黒髪は、背中に届く長さだ。


 シュガーの困ったような顔を見て、ソディアは少し緊張する。いや、幼馴染であるために気軽に話せる間柄なのだが、今はミントの件もあり接し方に困るのだ。姉と絶縁した状態で、妹であるシュガーとはどう接するべきなのか。自分でも考えがまとまらず、悶々としていた思考とは裏腹に、自然と口は「いいよ」と応えていた。


「ありがとうございます! じゃあ……ここで話すのもあれなんで、落ち着く場所で話しましょう」

「あ……うん」


 先導するシュガーの背中を追いながら、ソディアはなぜ「いいよ」と応えていたのか考えていた。頭ではどうしようかと必死に考えを巡らせていたというのに、身体は一切の迷いを感じさせない対応だった。まるで、自分の身体では無いかのような不気味ささえもある。


 ソディアは不安な感情を押し込めたまま歩く。気が付けば、二人は校舎から出て運動場へと脚を踏み入れていた。授業はすでに終了しているものの、放課後に遊ぶ少年少女たちの姿が見える。眩しすぎる笑顔を見せて運動場を駆け巡るその姿が、ソディアにはやけに微笑ましく感じる。気付けば、先導するシュガーも足を止めて運動場の光景を眺めていた。そこで、ふとソディアは思い至る。


「そういえば、シュガーちゃんは訓練の方に顔出さなくていいの?」


 ソディアがそう訊くと、シュガーは悪びれもなく言う。


「まあ、訓練の日ではありますけど、私にとってはお姉ちゃんのことの方が大切です。……それに、こんな平和な世の中で剣や槍の練習をしたところで何になるんでしょう。私にはわかりません」


 シュガーの言葉に、ソディアは「あはは……」と苦笑いで返す。

 この数百年、大きな争いがない平和な世界が維持されているが、教育の一環として選択科目のひとつに戦闘訓練が取り入れられている。シュガーは女性でありながら、男性にも負けない膂力と技で全校トップの成績を修めている。ミントとは違う方向で、彼女もまた期待の星なのだ。


 本当に恐ろしい姉妹だな、と実感しつつ、ソディアは話を続ける。


「シュガーちゃんが良いならいいけど……その、成績とか……欠席って結構響くんじゃない?」

「いえ、構いませんよ。私は別に戦闘訓練で良い成績を修めて騎士になりたいわけではありません。単純に、身体を動かしたいから戦闘訓練を履修しただけなんですから」


 そう言って、シュガーは再び歩き始める。その堂々とした後ろ姿に、ソディアは少しだけ誇らしく感じる。この実直な生き方を自分も見習わなければならないなと思いながら、その後姿を追いかける。

 運動場から離れてしばらく歩けば、そこは今は使用されていない屋外倉庫だった。外見は木造ではあり、年季が入ったような危うさがあるが、シュガーは関係なしと言わんばかりに扉を開けて這入っていく。


「シュガーちゃん……ここ? ここが落ち着く場所?」

「はい! ……落ち着きません?」

「うん……まあ、落ち着かないことも無いかな……ちょっと怖いけど」


 中に這入れば、学生たちが授業で使うような器具が所狭しと置かれ、やはり埃っぽさは否めない。シュガーが扉を閉めれば、倉庫内の灯りは隙間からの自然光のみとなり、薄暗い空気に圧迫感が生じる。なぜだが背中に寒気を感じたソディアは、やっぱりやめない? と言おうとシュガーを振り向くが、彼女はマットの上に座って楽しそうに笑っていた。


「……えっと、シュガーちゃんって、こういう場所好きだっけ? どちらかといえば、もっと明るくて楽しそうな場所が好きそうなイメージがあるけど」

「んー……。そうですね。どちらかといえば、お日様の下が好きですけど、今からする話は二人だけの秘密にしたいので、ここがいいです!」


 たしかに、二人がいる倉庫はすでに使われていないために人が来ることは無い。何か特別な用事がない限りは、ここに近づくような人はいないだろう。そう考えれば納得か、とソディアは深く考えることをやめて、シュガーの正面にある平行棒に腰を掛ける。


「あれ?……」

「どうかしました? ソディアさん」

「いや、なんというか……この辺りは埃が少ないなって」


 立ち上がり、自分が座ったあたりに手を触れればやはり他の場所に比べて埃が少ない。つまり、最近ここを使った形跡があるということなのだろうか? ソディアはそう考えるが、まあそういうこともあるだろうと軽く流し、再び平行棒へと腰掛ける。


「ソディアさん。その距離だとお顔がよく見えないです。もっと近くに来てください」

「え? でも、声は届くし、別にいいんじゃ……」

「気分の問題です。最近、ソディアさんと疎遠感があったので、一気に距離を取り戻したいんです。というわけで、私のお膝にでもどうぞ」


 お膝っ!? と、ソディアが声を張り上げれば、シュガーは自分の膝上をポンポンと叩いて準備万端という感じだった。確かに、シュガーはソディアよりも身長が高く、そのために膝に座れなくもない。だからといって、年下の膝上に腰を掛けるのはやはり抵抗がある。


「いやいやいや! 無理無理無理! 幼馴染の女の子の膝に座るとか、よくわかんないし!」

「できれば、対面がいいです」

「無理って言ってるのに、なんで追加注文!? しかも対面って、もうハグしてるようなもんじゃん!」


 わからない! シュガーちゃんとの距離感が私もわからなくなっちゃったよ!

 ソディアが混乱していると、シュガーは「いいからいいから」と手を引っ張った。予想以上の力に、抵抗する間もなく、ソディアの身体はシュガーの腕の中に包まれた。その瞬間に、彼女の身体の温かさと感触にどきりとする。スラリとした身体であると思いきや、意外にも出ているところは出ている。加えて、思考がぼやけるような香りが鼻孔を刺激し、身体が弛緩する。全身を包むような温かさをもっと感じたいがためか、自然とシュガーも抱き返していた。


「ああ、久しぶりのソディアさん成分……ぽかぽかしますね」

「……シュ、シュガーちゃんのハグは、破壊力が高すぎるよ」


 といったやり取りの後。

 結局、シュガーの横に腰を下ろしたソディアは、先ほどまでの姿を無かったことにするかのように咳ばらいをひとつすると、本題に入る。


「それで、話って……ミントのこと?」

「はい……。なんというか、最近のお姉ちゃん、すごい無理している感じがあるんです。今までも時々暗い顔をしていることはありましたけど、今はその……泣きそうな顔を見せるんです」


 泣きそうな顔。

 ソディアはその言葉に、下唇を噛む。

 そしてまだ何も言わず、シュガーの言葉を黙って聞く。


「私が心配して『何かあったんでしょ?』って訊くんですけど、『何もない』ってそればっかりで……。『そんなわけない!』って昨日問い詰めたら」


 シュガーはそこで一度言葉を切る。

 そして、隣に座るソディアに少しだけ体重を預けると、か細い声で言う。


「お姉ちゃん、怒鳴ったんです。『何でもないって言ってるだろ!』って……。あんな顔で怒る姿、見たことなくて……それで、その……」

「うん。わかった……わかったよ」


 シュガーの頭を撫でて落ち着かせつつ、ミントの身に起きていたこと。そして一週間前の絶縁話を彼女に伝える。それは、ソディアが何もできなかったこと。何もしなかったことの独白でもあり、彼女にとってそれはシュガーから責められて当然のことだと思っている。すべてを話し終えた後、ソディアは少しだけ身を強張らせた。


 自分に体重を預けていたシュガーが、ゆっくりと顔を見せる。

 その表情は、意外なことに眉に皺を寄せて首を傾げていた。「ん? んん?」と唸るような様子を見せて、どうやら考えているらしい。


「シュ、シュガーちゃん?」

「いや、その……ごめんなさい。よくわからなかったです」


 もう一度お願いします。と言われ、ソディアは思わず絶句する。

 身を切るような痛みを堪えて独白したというのに、もう一度というのは酷すぎるだろう。しかし、そんな文句を言えるような立場ではないし、謝るべきはこちらなのだ。ソディアは、先ほど話した一連の事情を、もう一度シュガーに説明する。すると、今度は納得したのか「なるほどー」と間の抜けた返事が返って来た。


「つまり、ソディアさんは『お姉ちゃんが苛められていることを知っているのに助けなかったヘタレ』でお姉ちゃんは『自分が犠牲になればすべて解決すると思っている自己犠牲馬鹿』ってことですね!」

「その通りだよ。その通りだけど……うん。まあ、その通りだね」


 苛められていることを知っているのに助けなかったヘタレ、か。

 ソディアは全く持ってその通りだな、と自嘲する。


「まあ、お姉ちゃんもお姉ちゃんで馬鹿ですけど、一番馬鹿なのはお姉ちゃんを苛めている奴ですねー。ミント・スウィートの妹、シュガー・スウィートの存在を知らないんですかね? いっちょ、ここは私が懲らしめましょう」


 と、その言葉の勢いのまま飛び出そうとするシュガーを、ソディアは慌てて引き留める。しかし、力の差は明白で、ほんの少しずつシュガーは前へと進んでいく。そのため、必死にシュガーの身体を抑えつつ、叫ぶような声で言う。


「だ、駄目だよ! シュガーちゃんのこれからが、大変なことに、なるからあ!」

「大変なことって何ですか! お姉ちゃんを助けること以上に大事なことはないです! そもそも、そんなことしなければ、ソディアさんが悩むことも、お姉ちゃんと別れることもなかったんですから! ああ、なんか口にしたらもっとムカムカして来ました!」

「で、でも! そんな乱暴なことしたらシュガーちゃんに悪評が……」

「別にいいです! 私にはお姉ちゃんとソディアさんがいてくれたら……」

「もう、それじゃあミントちゃんと同じだよっ!!」


 力いっぱい叫んだソディアの言葉に、シュガーはぴたりと身体を止める。息も絶え絶えの様子で、ソディアはシュガーの腰辺りに抱き着いてるような状態だ。それでも、言葉はやけにはっきりと聞こえる。


「やっぱり姉妹なんだ、ね。二人とも、自分がどうなってもいいって……そんなの私は悲しすぎるよ。ねえ? 誰も悲しまない方法ってないのかな? 私……誰かが犠牲になるような解決は嫌だよ」


 だから、ミントちゃんが犠牲になることだって。

 そう言おうとしたが、言葉にできなかった。それよりも先に、ソディアの喉奥からは嗚咽が漏れていたからだ。誰にも相談できなかったこと、どうしていいかわからなかった苦悩が胸の内から溢れて来る。すでにシュガーを止める手を離し、両目から溢れる涙を必死に拭っていた。薄暗い倉庫の中には、一人の少女の泣き声が木霊する。

 そんな幼馴染の姿を見たシュガーは、大きく息を吸い、吐く。そして、突然自分の頬を勢いよく叩いた。パアン! と、高い音が響き、驚いたソディアは顔を上げる。見れば、シュガーの右頬が赤く腫れていた。


「え、あ……シュガーちゃん?」

「ソディアさん……私、ちょっと頭に血が上ってました。ごめんなさい」

「……いや、違うよ。やっぱり、謝るのは私の方だよ。だって……全部、シュガーちゃんの言う通りだもん。私に勇気があれば、こんなことには……」


 勇気があれば。

 力を振るう勇気があれば。

 そう、できないのではなく、やらないだけだ。

 その力を行使する『きっかけ』がないだけだ。力の正当性がないだけだ。

 枷が。未だ、理性という枷がある。

 解き放て。邪魔なものは捨てろ。

 お前の、本能のままに動け。


「ソディアさん……?」

「っ!? はあっ……!!」


 シュガーに自分の名前を呼ばれ、ソディアは我に返る。それと同時に、頭を押さえて何が起きたのか確認する。

 脳内に、いや心から聞こえるかのようなこの声は、何なのか。気のせいか。いや、これで二度目だ。ならば自分の気がおかしいのか。まるで自分のすべてを知っているかのような口ぶりは、蠱惑的な誘惑のように心身に浸透する。ただの幻聴として片づけるには、やけに明瞭とした声でもある。では、一体、なんだというのか。


 彼女の深い思考を断ち切ったのは、シュガーの呼びかけだ。ソディアの肩を強めに揺すり、怪訝な表情を見せつつ問い掛ける。


「ソディアさん? 大丈夫ですか? すごい汗ですよ……」

「う、うん。大丈夫、だと思う」

「思う……って。ひとまず、保健室に行きましょう」

「いや、でも、ミントちゃんのことをどうにかしなきゃって……」

「だとしても、体調不良のソディアさんを放ってはおけません!


 ソディアが何かを口にする前に、シュガーが彼女の身体を持ち上げる。膝下に腕を差し込み、もう片方の腕で肩を支える姿だ。同じ女性で、さらに年下というのに、シュガーはソディアを軽々と持ち上げている。恥ずかしいことしないでと抵抗したいのだが、今のソディアにはその体力がない。


「行きますよ。ほら、私の首に手を回して……」

「あ、あのね。ちょっと話を――」


 シュガーが足で器用に扉を開けようとしたところで、不自然に倉庫の扉が開き、外の光が差し込む。

 ソディアには、シュガーが足で開いたのだと思ったが、それにしてはやけにゆっくりだ。まるで、小さな力で少しずつ扉をこじ開けているかのような開き方だ。彼女がシュガーの顔を見れば、怪訝な顔をして外を睨んでいる。惚れ惚れするような美脚を見れば、微動だにしていない。

 つまり、これはシュガーが開けているわけではない? 

 そう思い至り、シュガーが再び外へと視線を向ければ。


 そこには両目を赤く滲ませたミントの姿があった。

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