チワワはなぜ可愛いのか? 【残酷な事実あり】
チワワって、ちっちゃくて可愛いですよね。
犬種って、大体は役割を持って生まれてきます。
最も求められたのは、猟犬としての役割。ゴールデン・レトリーバーもラブラドール・レトリーバーも、元々は猟犬として。ダックスフントは穴熊の巣穴に潜って、穴熊を巣穴から追いたてる為。ブルドッグは、その雄牛にも刃向かう勇猛さとタフネスを買われて番犬として。風変わりな所では、メキシコ産のヘアレスドッグは寝る時の暖房代わりとされているのだとか。
では、そんなちっちゃくて、なお可愛らしさが求められる事って、意外な事実が含まれている事が多いです。
どうしてあんなにちっちゃくて可愛い動物が、厳しいと思われる自然界を生き残って来れたのか。それには残酷とも思える事実が待ち受けていたり。
チワワの原産は、メキシコのアステカの頃にまで遡れるそうです。元々は、神に捧げられる為の【生け贄】だったらしい。
その頃は、大切な【モノ】を捧げる事によって、その願いの声が天に届きますようにという側面があるようです。ここの【モノ】は【者】でもあり、【物】でもある。
可愛いから、大切だからこそ、愛する【モノ】にこそ、捧げる価値を見出し、磨き上げてそれだけのモノを差し出します。という意思表示だったらしい。
元々、チワワの繁殖は、その身体の小ささがネックとなって難しいらしい。
生まれる数、無事に育つに至る個体の数の少なさ、更にはどうしても病気がちでその小ささからちょっとした事で死に至ってしまう
今はその辺りは改善し得るので、そうでもない様ですが、それが古代ともなれば、当時は至難の業と言わざるを得ないでしょう。
その【希少性】を買われ、【生け贄】として選ばれていたらしい。
今では、そんな事はされていないし、語られてもいないので、【無かった事】となってゆくのかも。
価値観の違いはそれぞれですが、価値が低いと見なされるモノを捧げるよりも、より希少な、価値のあるモノをこそ捧げるべき、という考え方のようですね。
例えば、神に捧げる生け贄=【人柱】は、物凄く高難度な、というより無理難題としか思えないゲームの勝者が選ばれていたらしい。
現代のサッカーの様にボールを足で蹴って、遥か頭上の輪っかに通す。それもバスケットの様な上から下へのゴールではなく、横向きの穴に通してやっと生け贄として認められ、捧げられるという。
蹴り上げる力を調整し、風を読み、練習も碌に認められないそれを成し遂げられてこそ、生け贄として認められるという。
現代で考えられている生け贄とはまた違った考え方だったり。
そこまでしてでも叶えたいからこその価値なのかも。
当時は、実よりも栄誉を、名誉を重んじていたのかと。
現代を生きる私にはちょっと受け入れ難いですが。
ちなみに、現代のメキシコでは【死神】が割と普通に信仰されていたり。
メキシコらしいと言えばらしいですね。
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