第十二話 復讐するは俺にあり 2

 目の前に広がるあまりに幻想的な光景に、自分が一体何を目的にここへ来たのか忘れてしまいそうになる。

 真っ暗な室内で輝く水面がごくわずかにうねっている。プールの側壁に埋め込まれた強力なライトの光束が、水面で屈折して俺たちの瞳に強い光を投げかけるのだ。天井は高すぎて光は届かず、まるで星の無い夜空みたいだ。


 ここは俺が通う聖華女子高等学校の室内プールだ。校舎の最上階が東西に分割されていて、東側が体育館。更衣室を挟んで西側が室内温水プールになっている。体育館もプールも窓の配置が同じで、天井付近と足元に明かり取り用の窓が並んでいた。今は夜なので窓の外は真っ暗だ。

 プールサイドには、なぜか高級ホテルのプールにあるような白いデッキチェアが数脚持ち込まれていて、真ん中のテーブルには何種類もの酒瓶とペリエ、氷などが揃っていた。そしてプールサイドに響き渡る音量で派手な洋楽が流れている。


 そんな環境の中、俺は……女子高生『立花のえる』に身体を借りた『佐々木 雄一』は、真っ黒のミニドレスを着てパテントのハイヒールを履いた姿でプールサイドに立っていた。


「じゃぁ、景気づけにストリップといこう。まずはパンツからだ」


 大音響のBGMの中、よく通る痴漢野郎の声がプールサイドに響く。俺は仕方なく曲に合わせて腰をくねらせながらティーバックのレースの下着をゆっくりと下ろす。

 二人の男はデッキチェアに踏ん反り返ってニヤニヤしながら俺が下着を脱ぐのを眺めていた。


 どうしてこんなことになった?


◇◇◇


 のえるを襲い、そして俺の身体と一緒に彼女の魂を殺した奴ら……今、目の前にいる『本庄 海渡』ら三人組に復讐するために、俺は学校のプールをその舞台に選んだ。のえるは約束通り俺に身体を返すために必死に命乞いをしたが、そんな彼女を奴らは笑いながら嬲り殺しにしたのだ。

 俺は奴らを生かしておくつもりはなかった。だが、のえると入れ替わって女子高生になってしまった俺では、三人の男を相手に戦って勝てる見込みはない。そのためやむなく痴漢野郎の手を借りて奴らを罠にかける計画を立てたのだ。酒で酔わせて溺死させるように……。

 海水浴場で起こる溺死事故の中でも、泥酔が原因のものは少なくない。酔っ払ってしまうと生存本能が鈍磨してしまって、呼吸しているつもりで大量の水を飲み込み容易に溺れてしまうのだ。


 ここを復讐の舞台に選んだ理由はもう一つある。

 最愛の彼女を失い、同時に自分の身体をも無くしてしまった俺にとって、もうこの世界は何の価値もなくなってしまった。俺はもうこの世に未練はない……だけど、死ぬ前に少しだけ猶予が欲しい。俺の両親、のえるの両親、そして友達の紗江と祥子にもお別れをしたい。その時間を稼ぐために、まるで事故で溺れたように見せかける必要があったのだ。街の不良グループが深夜の女子校に忍び込み、酔って遊んだ挙句の溺死事故に見せかけようと考えたのだ。

 そんな小細工が通用するとは思っていないけど、警察の初動捜査を少しでも遅らせられればそれでいい。そのためにこのプールを選んだ。


 溜まり場だったダーツバーからこのプールまでどうやって奴らをおびき出すか。それが最初のハードルだった。当初はのえるの身体を使って奴らを誘惑するつもりだったが、今となってはそれが浅はかな考えだったと痛感している。

 まるで魔術にように他人の心を操る能力に長けた男……痴漢野郎でさえ、本庄をここへ連れてくるのに手こずったのだ。おかげで警備員の巡回時間にぶつかってしまい、学校への移動にタイミングを合わせるためにダーツバーで余計な芝居までするハメになってしまった。


 打ち合わせていた『振られたての女は落としやすい』作戦は失敗に終わり、痴漢野郎は再びダーツバーに顔を出して、今度は俺を餌にして本庄のプライドを刺激しはじめた。


「コイツを落とすには、酒に強くなくちゃならん。見たところアンタは相当いけそうだな」


 痴漢野郎の問い掛けに、当然だというように頷く本庄。

 片方が強い酒を飲むともう片方はもっと強い酒をオーダーする。そんな飲み方をしているうちにいつの間にか酒の飲み比べになっていた。散々いろんな酒を飲んだ挙句、ボトルで入れたバーボンを空にしてから双方ともお互いが酒に強いことを認識したようだ。


「アンタ。なかなかやるじゃないか! 気に入ったよ」


「アンタもな」


 まるで一仕事やり終えたような晴れやかな顔をして、互いに健闘を称え合う二人の男。なんだコレ? 俺の復讐は一体どうなったんだ?

 ひょっとして痴漢野郎は俺との約束などすっかり忘れて、本庄のことを本当に気に入ってしまったのではないだろうか。そんなことを考えて急に不安になってくる。


「コイツの母校でね、室内プールがあるんだがそれがなかなかいい場所でね。今夜そこを一晩借り切ってパーティーしようと思ってたんだが、アンタも一緒にどうだい? 兄さんなら歓迎するよ。そこで飲み直そう」


 痴漢野郎が満面の笑みで言う。どうやらまだ作戦は続行中のようだ。彼が俺との約束を忘れていなかったことは有難い……が、そのあまりに幼稚なシナリオに急に不安になってきた。いい歳した男たちが飲み比べの河岸を変えるのに女子高のプールに行くだなんて、どう考えてもおかしな話だ。


「いいぜ。俺もアンタが気に入った。今夜はどこでもついて行くよ」


 本庄も目を輝かせてそう言った。コイツも相当の馬鹿か、あるいは本当に酔っ払ってしまっているのか。酔っているのなら願ったりなのだが、コイツが馬鹿であるという可能性も否定しがたい。そしてこの馬鹿な酔っ払いは、二人の間に座った俺の尻を撫で回しながら言う。


「この娘も一緒ならな」


 俺は酒を飲まないので、人が酔いつぶれる酒量の目安がよくわからない。だが、本庄の仲間である『ヒロ』ともう一人、えーと『ランポー』みたいな名前の奴。そいつらが飲んだ量は本庄よりもっと少なかったハズなのに、すでに自分では立ち上がれないほどに酔っ払っていた。仕方なく俺と痴漢野郎がヒロに手を貸し、本庄は残った奴に肩を貸してダーツバーを後にした。


 タクシーで聖華女子に到着すると、痴漢野郎がフェンスを乗り越えて裏門を解錠する。そこからは俺が案内して非常階段を登り、最上階の外壁を回廊のように取り巻く非常用の通路を渡る。この通路の壁に設置された窓が、室内側ではちょうどブールサイドの足元の位置にくるのだ。ここの一番端の窓の防犯センサーに作動しないように前もって細工をしておいた。

 その窓を静かに開けて頭から室内に潜り込むと、水中の照明にわずかに照らされた室内に普段はあるはずのないデッキチェアが並んで置かれているのが見えた。俺たちが到着する寸前に痴漢野郎の仲間が準備したものだろう。その手際の良さに感心していると、後ろから尻に手を当てて室内に押し込まれてしまった。

 酔い潰れ気味の二人を端のデッキチェアに寝かせて、痴漢野郎と本庄は小さいテーブルを挟んで向かい合わせに座った。ここまで仲間に肩を貸して連れて来たところを見ても、本庄はまだそれほど酔っ払っているようには見えない。どれだけ酒に強いんだ、コイツ。このままでは溺れさせるのは難しいかもしれない。

 痴漢野郎も同じことを考えたようだ。本庄にさらに酒を飲ませるために、こともあろうに俺にストリップをしろと言い出しやがった。

 そして話は冒頭に戻る。


 俺は芝居の上では彼の奴隷なのだから、命令を聞かないわけにはいかない。酒と一緒に準備されていたミニコンポを操作して痴漢野郎がアップテンポのクラブミュージックをかける。

 俺はプールサイドに立って彼の指示に従ってティーバックをゆっくりと降ろす。

 ストリップは見たことはないが、少しづつ服を脱いでいくショーなのだろう。ということは下着は最後に脱ぐんじゃないのか? もとからノーブラだから、次にドレスを脱いだらもう全裸じゃないか! せめてストッキングから脱ぐべきじゃないのか? そんなことを考えながら二人の方に目を向けると、男達の視線はドレスの裾に釘付けになっていた。

 つまりは、何をどう脱ごうが裸が見たいだけなのだろう。


「そういやこの娘。アンタの愛撫じゃないと感じないと言ったよな?」


 俺が下着を脱ぎ捨てたタイミングで本庄が口を開いた。なんだか嫌な予感がする。


「その通りだ。コイツは俺に惚れてるからなあ。他の男が触ろうが何をしようが感じやしないよ」


 そう言い切る痴漢野郎。それを聞く本庄の口元がニヤリと笑う。


「てことはよぉ、俺が触っても絶対に感じないわけだ?」


「もちろん」


「じゃぁ、もし俺が触ってこの娘をイカせちまったとしたら、アンタどうする?」


 本庄の口元は笑っているが目は笑っていない。


「そうだなぁ……」


 痴漢野郎はたっぷりと時間をかけて、考えているフリをする。


「もし、コイツがオーガズムに達したら、今夜一晩アンタの好きにして構わんよ」


「ちょっと……!」


 彼の暴言に突っ込もうとすると、こっちを睨んで怒鳴った。


「うるせぇ! お前は俺の奴隷なんだよ。黙って言うことを聞け」


 痴漢野郎の怒声がプールサイドにこだまする。ダメだ。この声を聞くだけで両膝から力が抜けていってしまう。今こんな状態の俺が本庄からの愛撫に耐えられるのか?


「だがなぁ。俺の可愛い奴隷を差し出すんだ。それ相応の対価が必要だなぁ。……そうだ。ウォッカを一杯飲むごとに五分間好き勝手できるというのはどうだ? ただし、前も後ろも突っ込むのはナシだぜ」


 痴漢野郎がショットグラスに無色透明の液体を満たす。


「わかったよ。でもよぉ、もし俺がイカせちまったら、夜の間のことまでは保証できないぜ」


「構わないさ」


 ちょっと待てよ。俺は大いに構うぞ、その話。俺がイッてしまったら復讐どころではない。俺は一晩中、憎き仇のおもちゃにされてしまうじゃないか。

 痴漢野郎を睨みつけたが、ヤツは相変わらずニヤニヤと笑うだけ。

 もちろん、俺にだってわかってる。今、この場で本庄を酔い潰さなければ、復讐は成功しない。奴が途中で帰ってしまったら意味がないのだ。自分自身を餌にしてでも酒を飲ませるしかない。


 俺は音楽に合わせてゆっくりと腰を振りながら本庄に近づく。奴は寝そべったまま嫌らしい笑いを浮かべて俺を見上げている。本庄への抑えきれない怒りが鋭い視線になって表情に出てしまう。


「いいねぇ、その目。そんな顔を俺が快感に歪めてやるよ」


 そう言いながら、奴は自分が寝そべったデッキチェアの端を指でノックする。座れの合図だ。

 俺は本庄に背を向けて立つと、ゆっくりと腰を降ろした。黒のミニドレスとストッキング、ガーターベルト。ハイヒールを履いた格好のままだ。いや、逆に言えばそれ以外何も身につけていない。

「俺が先攻でいいよな?」

 そう言って本庄はウオッカのグラスをとって一気に煽った。空にしたグラスを荒々しくテーブルに戻すと、そのまま俺の腰に腕を回して強い力で引き寄せた。俺はバランスを崩されて奴の上に仰向けに倒れ込む。


「ぁはぅっ!」


 体が無意識にバランスをとろうとして腹筋に力が入り、予期しない声が漏れてしまう。片脚が高く跳ね上がり、下着を履いていない下半身を思い切り露出してしまった。急いで膝を閉じる。大きく開いてむき出しになっている背中が本庄のシャツの胸に触れて、奴の熱い体温を直に感じてしまう。奴の腕にはまった時計の金属バンドが肋骨に当たって少しだけ痛い。

 本庄の太くてゴツい指に乳房を掴まれた。ドレスの生地が薄いので手のひらからも奴の体温が直に伝わってくる。


「なんだぁ? 意外に小せぇなぁ!」


 俺の耳元に口を近づけて奴がささやく。うるせぇ。大きなお世話だ。これはテメェのためにあるんじゃねぇよ。大声で言ってやりたいところだが、作戦のために歯を食い縛って耐える。後ろを振り返って睨みつけてやろうとしたが、髪が邪魔して残念ながら顔が見えない。

 動き出した本庄の指に乳房が揉みしだかれる。ノーブラのために直に触られているような感触だ。この屈辱に耐えてできるだけたくさんの酒を飲ませて、コイツを酔い潰さないとならない。

 ここからは俺と本庄の戦いだ。

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