1-16.樸公の屋敷にて、不穏な再会
キュトスス樸公の屋敷は、家というより城であった。大きさが異なる円を三つ上に重ねたような形をしていて、最上階に当たる部分には尖った槍にも似た塔が左右対称にそびえている。絶妙な配置で置かれた緑と黄色の煉瓦の色彩は夜空にも鮮やかだ。城の入り口には『
神殿とも違った厳格さと調和の両立が、逆にカインへ威圧感を抱かせる。ただ慣れていないからかもしれないけれど、己が場違いなところに来ているように思えてならない。
馬車が止まり、扉が開けられてカインは外に降り立つ。平たく切られた草の感触はどこまでも柔らかく、だからこそカインの不安を大きくさせた。馭者に礼を言ったところで、左右に並んでいる円柱のすぐ側にもう一台、菜の花色みたいなまばゆい馬車が止まっていることに気付く。そこから丁度降りてきたのはノーラだった。夜でもわかる煌々とした松明の光で、彼女の顔が色を取り戻し、活発な表情に戻っていることに内心で安堵する。
「ノーラ」
「あら。お仕事お疲れ様」
駆けよりたい気分を抑えてノーラの方へ近付くと、その瞳もはっきり見える。濃淡を描く青い瞳は変わることなく力強くもあり、穏やかなもので、体調は整えられているようだ。
「フィージィに呼ばれてきたんだが」
「ええ、私もよ。それよりあなたは大丈夫? 宴会の最中だったんでしょう」
「頼んできた、その……彼に」
デューの名前や話題をなるべく出したくなくて、カインは言葉を濁す。それでもノーラは疑問を口にすることなく黙ってうなずいた。
「お二方とも、正門までどうぞ。案内人が待っているはずですので」
「ありがとう」
馭者の目は相変わらず異物を見るかのように冷たいものだったけれど、ノーラの声はいつもと同じく落ちついていて、嫌気の素振りも見せない。城の雰囲気に気圧される様子もない。どこか慣れている感じもして、こういった場所にあっても彼女は彼女のままだ。羨ましいほど。
示された道を二人で並んで歩く。ノーラの背は自分より低いのだけど、足取りはしっかりとしており物怖じの一片もない。石が敷き詰められた通りは長く、それでも扉と左右に立っている二名と奥で控えている誰かが見えるくらいには近い。
「どう、討伐は上手くいった? それとも初陣で動けなかったかしら」
「動けた、ことは、動けた」
「ふぅん……いくら稼いできたのか楽しみだわ」
猫が主人に甘えるときのような面持ちでノーラは破顔する。ずいぶんと期待されているようだが、実質稼げたのが五千ペクで、しかもデューに叱咤された事実を隠してしまったことが情けない。己を惑わし悩ます、頭の底から響く声音は記憶からくるものなのか、それとも別のものなのか。ノーラにはこんな経験があるのか聞いてみたかったけれど、己が口を開くより先にノーラが言った。
「敬礼は、右手を拳で作って、こう、ね」
「敬礼」
普段より遅い歩幅で歩きながら、ノーラは右拳の親指側をそっと己の左胸に当てた。まるで見えない短剣を持って、自らを刺しているみたいに。普通に頭を下げればいいとだけ考えていたカインは一気に緊張を高めた。
「ずいぶん慣れているんだな」
「職業柄ね。<
「なるほど」
「あなたは……少し緊張してるわね。肩、強張ってるわよ。もっと力抜いて」
「こんなところにははじめて来たから、どうすればいいのか」
「そっか。とりあえず剣は預ける必要がありそうだけど……フィージィからの巻物、全部読んでないのね」
思わず足を止めてしまう。
「怪しい素振りを見せないで、疑われるから。後で隠しの術教えてあげる。だから今は普通に歩いて」
「そ、そうか」
ノーラの固い声音に小さくうなずき、埃を払うふりをして再び歩き出す。隠しの術とは、彼女が暗闇に道具をしまうときに使うものだろうか。よく見れば、ノーラの甲靴を彩っていた赤と青の輪が取られていたことに気付く。鎧と籠手を除けば、ノーラを覆うのは腰と体の中央下部でひるがえる布地、そして白い
「上着も脱ぐことになるんだろうか」
「多分ね。どうして?」
「金が入ってるんだ。全部」
「寒がりなふりして死守しなさい。絶対」
「はい……」
ぎらついた横目と強い口調で言われれば
暗がりに呑みこまれそうな心を踏ん張り、気落ちするのを堪えたとき、すでに扉は目の前にあった。
そこには二人の騎士と思しき守衛と――
「お待ちしていました、お二人とも」
きっちりと結ばれている苗色の髪を炎で照らし、大きく淡い紫の目をすがめるフィージィがいた。神殿にいたときとは違って、胸元には垂れ下がるすみれ色の首飾りがあり、白と黄緑の薄い衣を数層にしてまとめた一繋ぎの私服を着ている。
柔らかそうな服とは違い、たたずむフィージィの雰囲気は鋼鉄のようで思わずカインは唇を引きしめた。そうさせる何かが、今のフィージィにはあった。
「ようこそカインさん、と『
瞬間、夜風にいくばくかの緊張とごくわずかな殺気が混ざったように、カインは感じた。薄い氷の中に閉じ込められたような感覚だ。発芽を待つ凍った殺意の芽はフィージィではなく巨大な扉の左右にいる騎士からきて、確かにそれはノーラただ一人へ向けられている。
「まずは自らの出迎えに感謝申し上げるとしますが。普段通りにお話しすることは叶いませんか? キュトスス公爵がご令嬢、イル・フィージィ」
公爵家の令嬢。そうだ、気付くのが大分遅かった、とカインは思う。記憶を必死に呼び起こし、神官と貴族が個人的な関わりを持つ国などいくらでもあることは思い出せた。けれど、公爵ほどの位を持つ家と一般の神官が親密であるなんて、それこそフィージィが大神官の地位にいなければ無理な芸当である。それでも公爵家にいる――己とノーラを呼び出せるということは、そのままノーラの言葉通りなのだ。だとすれば、弟のデューは。
「跡継ぎ」
ぽつりと己で発した言葉に我に返る。小さかったのだろう、聞こえていなかったようでフィージィはノーラの顔を黙って見つめているし、ノーラもなんの反応もしない。
「……そうですわね。ではノーラさん、これでよろしいでしょうか?」
「ええ」
「どうぞ、中へ。積もるお話しは後ほどにしましょう」
ふ、とフィージィが呼気を漏らすと、周りにあった空気がいくらか穏やかなものに変わる。背を向けるフィージィの姿は相変わらず固くて、実家でもそう振る舞う理由があるのかとカインは疑問を抱いた。
己の背丈三倍以上はある巨大な扉が、守衛の一声でゆっくりと開かれていく。扉の奥にも長い通路が続いていて、降り立った庭園よりも遥かに手間をこめて作られた花園や、飛沫を夜闇に吹き上げる巨大な噴水像などが見えた。美しいけれど、とフィージィの後を静かに追いながらカインは考える。女性の像や色とりどりの花からだけではないが、ここの城はやけに女性的だと感じた。しかもどこか意図して作られたかのような違和感もあって、カインは悩む。ここにデューがいる想像がつかなすぎて、入ったところで弾かれる蹴玉みたいに、彼の存在をはね除けてしまうくらいには。
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