1-8.殊魂、そして記憶に眠るもの
「
部屋の中央にある大きな深緑の板に、細長い石膏で勢いよく文字を書いていくフィージィの目は真摯極まりなかった。字も性格をあらわしているのか大分角張っていたが、カインの目には見やすく映る。
フィージィの部屋には灯火や無数の本、巻物、天秤などの他にカインの見たことがないものが多く詰めこまれていたが、それでもきちんと整えられていて狭いとは感じない。カインはノーラと共に、勧められた木の椅子に座っている。机の上には気遣いだろうか、褐色の茶が白磁の茶器に入れられていた。
「青は水と闇の属性を持ち、基本鉱石は【
言いながら、フィージィはすぐ近くの戸棚から鉱石の塊を取り出し、机に載せた。青、赤、黄、緑。どれも掘り出されたままなのか、細かい土がついている。
「赤は炎と音の属性、基本鉱石は【
黄色は【
緑の基本鉱石は【
ふむ、とうなずき、カインは頭の中に大切だと思う箇所を叩き込む。
青=水と闇・鉱石は【青玉】。
赤=炎と音・鉱石は【赤玉】。
黄=地と光・鉱石は【黄玉】。
緑=風と樹・鉱石は【翠玉】。
「これが基礎四色と象徴たる鉱石の名前ですわ。神の波動を宣言してお借りすることにより、様々な力が使えます……基本の中の基本ですわね」
「宣言というのは?」
「
フィージィは手近にあったただの蝋燭を手にした。その先に軽く触れれば、ほんのりとした赤色の光が漏れ出て瞬時に炎がつく。
「火をつける、水を出す、風を起こす、石を作る。属性に関する殊魂を持っているのでしたら、それらは造作もないこと」
「……ああ、そうだった」
眠りについていた記憶の一片が、頭をもたげる気がした。カインは無造作に手を広げ、空中を軽くなぞってみる。
すると冷たい風がそよぎ、フィージィがつけたばかりの蝋燭の火をかき消した。起こした風は行き場をなくし部屋の中をさまよってから、徐々にその冷気を失い、しはらくして消えていく。
「あたくしの赤よりも、カインさんの緑の力の方が強い。そういうことですわね。少なくとも中以上の力はあるということがこれでわかりましたわ」
「弱、中、強……殊魂の力は、三つに分けられる……」
「はい、そうです。それにより使える殊魂術も異なってきますし、威力もまたそれに準じますわ。宣言の省略にも関わってくるのが、殊魂の色の強さですの」
「混色というのはなんだ?」
隣で机に肘をつき、幼子の学びに付き合っているような退屈さを隠さぬノーラを、軽くうかがいながら訊ねてみる。
「混色は、名の通り基礎四色を足したものです。そうですわね……例えば青と赤が混じりしものは、紫。赤と黄色が混じりしものは、橙、といったように」
「ならば紫だったら、青と赤、青玉と赤玉両方の殊魂を持っているというわけか」
「いいえ、違いますわ。それら色の混じりを持った殊魂は、混石と呼ばれておりますの」
フィージィは己の胸に手を当て、どこか誇らしげな顔で言う。
「例えばあたくしの殊魂は【
「ふむ……だから君の髪は緑で、目は薄い紫なのか」
「はい、理解が早くて結構ですわ。ちなみに混石の殊魂を持つものは基本、希少だということを覚えておいて下さいな」
だとすると、ノーラも混石の殊魂を持っていると言うことか。カインはようやく納得がいった。
「混色たる混石は様々なものがあり、今や二十を遥かに超えております。昔に存在した純血の<
「
「はい。今でも直系の王家の方は、強き混石を持っております。
本来ならばあたくしの殊魂――すなわち【蛍石】のように、殊魂の強さは大きくとも中が二つまでなのですけれど、<神人>の血を薄くとも引き続けてらっしゃる王族の方々は、強のお力を二つは持っている、とされておりますの」
言いながら、フィージィはどこか悔しげに唇を噛みしめた。
「王族の方の殊魂を知ることは、我々一介の民には許されてませんの……他の、そうですわね、
「なぜだ? 殊魂学がはかどれば、いろんなことがわかると思うのだが」
「弱みにもなるからよ。殊魂を知られるってことは」
ノーラの言葉は、あくびを噛みしめてなのか、どこかくぐもっている。
「どんな殊魂術が使えるか、使えないか。外見からある程度推測できても、鉱石の波動を確認されたりしたら、強さ、分かっちゃうじゃない」
「鉱石の波動?」
「鉱石っていうのはね、どんなものでも滅多に発掘されないの。それでも万が一入手されて、自分が持つ殊魂と同じ鉱石を研究されたら、属性の強さが丸裸ってわけ」
「なんだか難しくなってきたぞ」
カインの頭の中で、入ってきた言葉がぐるぐると回転していた。ほら見ろ、と言わんばかりにノーラは呆れた薄い笑みを浮かべている。
「ですが、殊魂術に関してわかることが増えるのは事実でしてよ? 神殿で教えられるのにも限度がありますし」
「学術所も少なくなったものね」
「ええ、ですから」
机に投げ出された己の手を、いきなりフィージィが強く握る。
「あなたのように、強く異なる混石を持つと思われる方に、ぜひ協力をお願いしたいのです!」
「む……」
「黄と緑を両立して、こんなに強く現せる人間なんて、そうおりませんもの! もしかしたら新たな殊魂なのかもしれません」
瑞々しい若葉のような、樹の柔らかい香りがカインの鼻をつく。フィージィの顔が近すぎて、カインは思わずのけぞった。
「協力、と、いっても」
「だめ」
口ごもるカインに代わり、はっきりとした声を上げたのはノーラだった。
「ずっと話聞いてたら、今日の予定がおじゃんになっちゃうわ、悪いけど」
「あら、でも決めるのはノーラさんではないのでは?」
濃い青と、薄い紫の瞳がじっとカインを見た。カインは悩み、戸惑う。己の殊魂がなんなのか、記憶にはない。知りたいという気持ちはもちろんある。だが……。
「協力……するにせよ、それよりもっと、基本のことが聞きたい」
ノーラの言葉に同調したわけではなかった。知りたいこと、見たいものはこれ以上ないほど己の興味を駆り立てるが、今必要な情報が欲しい。それがカインの正直な気持ちだった。
「そうですの……残念ですわ、残念です、とても」
大きなため息をついて、フィージィは身を離した。それから側にあった垂れ絹で手を拭う。あまりに強くこすりすぎて、荒れてしまうのではないかと危惧するほどの勢いだ。
「とりあえず、黄色と緑は確定じゃない? 今はそれでいいでしょう」
沈黙を貫くフィージィへ断りもせず、ノーラは机に置かれていた鉱石のうち、黄色と緑の二つをカインの眼前につきだした。
「触ってみて」
「これをか?」
カインはそっと、左と右、両方の指で黄色と緑の石に触れてみる。するとそれぞれの鉱石が輝きだし、己でも驚くほどに強烈な光が辺りへ散らばった。その瞬きに気付いてだろう、フィージィも驚きと好奇の視線でその様子を見つめてくる。
「うん、間違いなく黄と緑ね。そしてあなたが使えるのは」
「地と光、風と樹の属性の殊魂術」
「正解」
「まあ……やっぱりお強いですわ……強が二つ? いえ、でもそんなはずは……」
「誰もがまともに自分の殊魂を話すとでも思ってるの? 神殿や学者が把握してない種類の殊魂だっていくつもあるじゃない」
「それは、そうですけれど」
どこか責めるようなノーラの言葉に、納得していない顔で、フィージィは腰につけた鍵を指で弾き始める。なんとなく落ち着かない空気が部屋に漂う。こういうときはどうすればいいのだろう、とカインは思った。
「そうだ」
まだ聞いていないことがある、と気付いて声を上げる。
「別三色、というのはなんだったか」
カインの問いが発せられた瞬間、部屋の空気が変化する。糸を思い切りピンと張ったかのような、そんな雰囲気だ。少なくともよい方向に向かわせる言葉ではなかったのだろう。
また失言をしてしまったか、と思い、救いを求めるようにノーラをうかがい見るも、ノーラはとっくに椅子に座り直し、出された茶を飲んでいて、己の方に見向きもしない。
「……別三色というのは、殊魂の器を表す透。そして心と夢を司るとされる、白」
フィージィはどこか意を決したように、静かに告げる。
「そしておぞましき、汚染の黒」
それは、興味と畏怖とがない交ぜになったような声音だった。微かに震えているようにも聞こえるのは、カインの気のせいだろうか。
「透は殊魂の容れものよ。大きさを表す色だから、属性なんてないの。白も持っている人間は滅多にいないわね」
緊張した空気を和ませるように上げられたノーラの声は逆に軽すぎて、場違いにも思えた。だが、常識ならば知っておかねばなるまいと、カインは思わず小声で訊ね返す。
「その、黒、とは一体、なんなんだ?」
「……人が持ってはならないもの。この世にあってはならない色――
「
刹那、カインの脳裏に閃光が走った。
詞亡王――黒の王。全ての魂を飲み、喰らい、冒す、怖れるべき存在。忌むべきもの。許してはならないもの――
まるで堤防を崩す洪水みたく、カインの記憶が頭脳にあふれだして止まない。
人も<
なぜ、とカインは思う。なぜ己は、これを知っている?
「あれは
「それって学者の一般的な意見よね。『
「神がそのようなことをするはずはない、と思っておりますけれど?」
「でも、殊魂の色を決めるのは『決導神ファーヴ』でしょう。混色だってできてる今、これからもどんな色が出てくるかわかったものじゃないわよ」
「神への信仰をなくした人間が増えたからこそ『天体神クリウス』の加護が弱まって、禍星の封印が解かれただけですわ」
「信仰って、神殿へお金を納めることなのかしら」
「まあ、神々を侮辱するようなお言葉ですわね」
「神様は馬鹿にしてないけど?」
ノーラとフィージィの言葉の応酬に、カインは入ることができない。
頭と胸の奥が締めつけられたかのように痛み、灯火よりもはるかに熱い何かが体の奥からこみ上げてきていた。無意識に握った手からは嫌な汗が滲み、それでも己を焦がすほど激しい熱の苛みに黙って耐え続ける。
頭を叩かれて、火花が飛び散るようなこれを、なんと呼べばいいのだろう。
――忘れてはならない、と記憶の中の誰かがささやいた気がした。
胃液がこみ上げてくる不快さと、頭蓋を直接触れられているかのような感触に耐えかね、カインは思わず席を立つ。
「カインさん?」
己でもわからぬ感情と記憶の暴動は勢いを増し、手にいくら力をこめても止まる様子がない。
「ちょっと、手……」
閉じていた目を開ければ、石畳に血が垂れていた。あまりにも鮮やかすぎるその紅が嘔吐を呼び起こし、たまらずカインは部屋から飛び出した。
「待って!」
ノーラの制止も振り切って、石の通路を駆け抜ける。
どこかに行きたい。行かねばならない。でも、それはどこだ? 答えなど、今の己にはわからない。
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