1-7.困った助っ人

 カインは本を閉じ、大きく息を吐き出した。


「『栄護神えいごしんメターデ』……『麗智神れいちしんアヘナト』、『決導神けつどうしんファーヴ』、『狂嫉神きょうしつしんセム』」


 これが残り四人の神――最初の七神と合わせて十二神となるのだろう。カインの中ではぼんやりとだが、人間たちと共に戦ったこの四人に親しみを感じた。それと同時に疑問がわく。一般的にどの神を、皆は信仰しているのだろうかと。記憶の欠片からこの天護国アステールは『天体神クリウス』と『栄護神メターデ』を国教としていたはずだということを思い出せはしたが、そのどちらかを信奉していると考えておいた方が得策なのか、やはりカインには判断がつかない。


「ノーラ、」


 言って顔を上げると、そこには仄暗い書庫を照らす微かな明かりだけがある。書庫の暗がりはあまりに静かにたたずみ、そこにともなう静寂は決して揺らごうとはしない。一人だということに気付いた時にはもう、落ち着かない気分が己の心を揺さぶり始めていた。確かな知識を得られたというのに己はあまりに不変で、虚ろなままだ。


 なんとなく居心地が悪くなり、もう一度声を上げようとしたその時だった。


「別に助けなんていらないって言ってるでしょうっ」


 静寂を切り裂いて書庫に、カインの耳にするりと入るのは、ノーラの大声。聴覚を研ぎ澄ましてみると、甲靴の涼やかな音も聞こえてくる。同時にしゃらしゃらと何かが擦れるような、聞き慣れない音もあってカインは首を傾げた。


「そんなに細かいことは気にしていませんから、全くこれっぽっちも!」

「書庫で大声を出さないで下さいません?」

「出させてるのはそっちじゃないの」


 誰かがいる。ノーラと誰が話しているのか気になって、カインは本を石のくぼみに置いて明かりを持ち、奥にある十字路まで行ってみることにした。


殊魂アシュムのこととあれば黙ってはいられませんの。文献よりもあたくしの方が確かなことを教えられますわ」

「いや、だから……」


 十字路の曲がり角、そこにノーラがいて自然と安心した。だが、その隣にいる苗のような色の髪を持つ女性は誰だろう。カインには見覚えがなかったが、もしかしたらどこかであったことがあるのかもしれない。記憶がないだけで。


「ノーラ、どうした」

「あ……」


 問題でもあったのか、気になって近付いてみると、珍しく困惑した顔のノーラと目が合った。


「殊魂について詳しく知りたいのでしょう? そこのお連れの方も」

「む?」


 胸下まである苗色の髪をぴったりと切りそろえ、一つにまとめた女性が話しかけてくる。目は鮮やかだが淡い紫だ。幼い顔立ちだったけれど、その雰囲気は固く、きりりとしていた。


「こちらの方が殊魂についての本を見てらしたので、少し気になったのですわ」

「少しどころじゃないわよ」


 疲れをおもてににじませて、ノーラは甲靴の先で床を叩いていた。カインは戸惑った。何があって、ノーラはこの知らない女性と口論を繰り広げていたのだろう。


「まあ、深い色。黄色と緑をこんなに濃く持つ方を見たのは初めてかもしれませんわ」

「むむ?」


 女が興味深そうにカインを見つめてくる。純粋な好奇の光がその淡い紫の目に宿り、ますます女の顔を幼く見せている。だが女のおもてを見てもカインの記憶に響かない。向こうも己に、興味以外のなにものも見いだせていない様子だ。知り合いではなかったか、とほんの少しだけ気落ちする。


「目が黄色で髪が深緑……【緑橄欖石ペリドー】……に、しては黄色が濃すぎますわね。なら【黄霰石キャザン】かしら、でも緑がこんなに出るはずは……」

「ねえ、あなたがやってること、普通に失礼だと思うんだけど」

「あら」


 女はどうやら、ノーラの言葉で我に返ったようだ。それから一つ、こほんと咳払いして姿勢を正す。子供っぽい瞳と背筋の正しさが、やけに不似合いな組み合わせだった。


「失礼しました。あたくしはフィージィ。麗智神アヘナトの神官にして、殊魂学者を務めているものですわ」


 フィージィと名乗った女の腰につけられた、たくさんの鍵がじゃらりと重い音を立てた。


  ◆ ◆ ◆


「……どうして俺とノーラは書庫から出てるんだ?」

「あの神官のせい」


 目の前には背筋を伸ばし規則正しい歩幅で歩く女神官、フィージィの姿がある。書庫でフィージィと出会い、一方的に「殊魂を知るには実際に使うのが早い」だの「あなたの殊魂アシュムをぜひとも知りたい」だのとまくし立てられて、カインはノーラと共に書庫から押し出された。そしてもう一段神殿の地下にあるという彼女の部屋に招待されたのだ。それに対してノーラが辛抱強く反論を続けていたが、フィージィは頑なに主張を変えなかった。


「どうしてこうなった」

「それは私の言葉。とらないでよ」

「神官の部屋に行って何がわかるんだろう」

「神官って言っても、彼女自身が言ってたでしょう。殊魂学者だって。殊魂について研究したり分析するのが学者の使命だから、まあ……詳しい話は聞けると思いたいんだけど」


 ノーラがわざと、踏み叩くように石畳を歩いているせいか、甲靴の音が辺りに大きく響く。その音に紛れる程度のささやかな声で、カインはノーラと密談を続けた。


「それが俺の外見と、どう関わってくる?」

「髪とか目には、その人の持つ殊魂の色が反映されやすいからよ」

「じゃあ、ノーラは基礎四色じゃない別の色の殊魂なんだな」

「違う」


 何かを切り断つような鋭く、短い返答だった。


「混色の場合……まあいいわ、どうせそれもあの人が説明してくれるでしょう」

「その、何か、言ってはいけないことだったのか」

「いいえ、別に。それよりあなた、本は読んだの?」

「十二神の名前と<神人しんじん>、それに人間と<妖種ようしゅ>がいる理由は把握できた」

「そう、それならいいわ」

「ああ!」


 ノーラがため息をついた瞬間、突然フィージィが振り返ったものだから、カインはぎくりとした。フィージィはまるで、今更朝食を食べ忘れていたことを思い出すような顔付きをする。


「そういえばあたくし、お二人の名前を聞いてませんわ」


 ノーラは片眉と唇を微かにつり上げた。


「今更なのね、ここまで他人を引っぱっておいて」

「あら、引っぱっただなんて。あたくしはあくまでも読むより実践、だと申しただけですわよ? 殊魂アシュムについてだけは本当に、これが一番なんですもの」

「めちゃくちゃ連呼してたじゃないの、部屋に来いって。おかげで本を読みそびれたわ」

「殊魂についてならば、ですから」

「全然違うことに関する本なの」

「でしたらあたくしには関係ありませんわね」


 さらりと返され、ノーラは今度こそ眉をひそめた。そのおもては呆れと、どこかフィージィを蔑むような、二つが混沌としているものだ。


「あなたのおかげで、予定がとんと狂ったわ」

「ですが、殊魂を知る、これ以上ないほどの機会ですわよ。で、お名前はなんといったかしら」

「……私はノーラ、こっちのぼーっとしてるのが、カイン」

「ぼーっとなんかしていないぞ?」

「ノーラさんとカインさん、ですのね。あたくしの部屋まであと少しですわ」

「そう。早く着いて早く話を聞いて帰りたいわ」

「時間は有限――『時騒神じそうしんエキン』の教えでしたかしら」

「私はエキンの信奉者じゃないから、単なる願いよ」

「『嬌娯神きょうごしんグラフロイア』の教えにはこうありましてよ。急くものは喜びを失う」

「神はいくつか言葉を残しているのか?」

「グラフロイアも信仰してないからどうでもいいわ」


 カインの言葉はことごとく無視された。なんとなく落ち込む。ノーラはどこかぴりぴりした空気を出しているが、そこに含まれる棘すら無視してフィージィは淡い紫の瞳を輝かせた。


「ノーラさん、は、とても濃い青をお持ちのようですのね。でも紫もある。【菫青石アオラ】ではなさそうですけれど」

「私のよりこっちの殊魂に興味があるんでしょう?」

「殊魂はなべて興味の対象ですの」


 あ、と突然ノーラは何かに気付いたように声を上げた。


「どうかなさって?」

「なんでもないわ。あの奥の部屋があなたの?」

「あら、もう着きましたのね。そうですわ、今鍵を開けるから待ってて下さいまし」


 フィージィは少し残念そうな面持ちで、まだ少し距離のある扉へと歩幅を変えて歩いていく。決して走ることをしない姿はまるで自分を律しているかのようで、それがもしかするとフィージィが纏う堅苦しさの源なのかもしれない。好奇の瞳がきらめく顔と不均衡のそれは、カインの目にどこかぶれているように見えた。


「昼までに組合に行けるかしら」

「いきなりどうしたんだ」

「あの見習い神官の子が言ってたじゃない。殊魂ついての質問はぶつけるな、って。あれ思い出したの」


 ノーラの言葉で思い出す。道案内をしてくれた少年がそう言っていた。そこでようやく思い至る。


「なるほど、話しかけてはいけない人間だったんだな」

「その言い方はちょっと誤解を招くわね。でも、確かにあれは変わり者だわ」

「神官だからではなく?」

「学者の方が強いわ、あの人」


 ノーラはここではなくどこかを見る遠い目をしていた。ノーラの知り合いに学者でもいたのだろうか。そこまでカインはノーラのことを知らず、ノーラもまた語ろうとしない。彼女が読みたいと言っていた本の題名すら。


 全てを見透かすみたいな濃淡を描くその瞳を見ていると、カインの中で疑惑にも似た何か別のものがわいて出てくる。それは決して愉快なものではなく、むしろ周囲の暗がりから伸びてくる影のようで、己の心に確固とした染みを作る。


「もしかしたら、殊魂からわかることが何かあるかもしれないし、無駄な時間じゃないといいわね」

「……ああ」


 浮き上がってきた感情の名を思い出す前に、ノーラはすでに歩き出していて、結局カインはその想いを頭の片隅に追いやることしかできない。足がなぜか重いなと、カインはノーラの背を見ながらぼんやりと感じた。

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