4章 こじらせて夏
第23話 タヌキ、嫌がらせにあう
風向きが変わったのかもしれない、と佳乃が気づいたのは登校後のことだった。教室に入ると女子たちがひそひそと話しながら佳乃を見ている。他クラスから佳乃の姿を見にやってくる女子生徒もいた。
佳乃は、危険な空気が魅力だと言われている浮島や、体育祭で活躍して注目を集めた剣淵と接することが多い。さらに女子たちに大人気の王子様である伊達がお姫様抱っこをして退場したのだから、注目を集めてしまうのは仕方のないことだった。だがそれにしては、今回は少し違っている気がする。
居心地の悪さに首を傾げながら席につく。かばんに入れていた教科書を机の中に移そうとしたところで――佳乃は気づいた。机の中に入っているノートの切れ端。そこには赤いペンで、佳乃に対する恨みがかかれている。
「……な、なにこれ」
差出人の名はない。書いてあるのは、佳乃の名前と罵言だけだ。得体のしれないその手紙が恐ろしく、手が震える。まさか、これは、嫌がらせだろうか。
不幸はそれだけで終わらなかった。その日は家庭科室での実習授業があったのだが、教室に戻ってくると、黒板にでかでかと『三笠佳乃はビッチ』と書かれていた。
気にしないように、と思ってはいるものの、その文字にざわつく教室やどこかから聞こえてくる笑い声に悲しみがこみあげてくる。
皆の注目と笑い声を背に浴びながら、佳乃は黒板に書かれた文字を消す。黒板消しが震えてうまく消せずにいると、菜乃花が隣に立った。
「佳乃ちゃん、手伝うよ」
黒板消しを手に取り、菜乃花も文字を消す。佳乃のことを案じているのだろう、その声は沈んでいた。
「誰がこんなことしたんだろう」
「わからないけど……でも、佳乃ちゃんのことうわさになっているみたい」
「うわさ?」
周りに聞こえぬよう、小さな声で菜乃花が言う。
「日曜日。伊達くんと佳乃ちゃんが手を繋いで出かけているところをみた人がいるらしいの。だから二人は付き合っているんじゃないか……って」
「わ、私と伊達くんが!?」
「二人は体育祭でも話題になったでしょ? だから……もしかすると、」
それ以上菜乃花は言わなかったが、予想はつく。佳乃と同じく伊達に片思いをしている女子生徒が妬んでいるのだろう。伊達と佳乃は付き合っていないのだが、そう勘違いされてもおかしくない状況を見られてしまった。
「少しの我慢だよ。夏休みが終われば、こんなくだらないことみんな忘れちゃうから」
「う、うん……私はいいけど、伊達くんは大丈夫かな」
これだけ佳乃への風当たりが強いのだから、伊達にも影響があるだろう。黒板の隅にかかれた意地悪いタヌキのイラストを消しながら、伊達のことを考える。
もし、佳乃と同じようにいたずらをされているとしたら。伊達は日曜日のデートを後悔するのではないだろうか。三笠佳乃と一緒にいたからこうなってしまった、そんな風に思われたら、悲しくなる。
黒板の落書きを消す作業は続き、残すは上部だけとなっていた。上部のふちまでめいっぱいに落書きされている。これを書いた人はわざわざ椅子にのぼって書いたのだろうか。そんな無駄な労力をしてまで落書きをする必要があるのかと呆れてながら、背伸びをして手を伸ばす。黒板消しを長く持てばぎりぎり届くかもしれない。
「あとちょっと……なんだけど!」
ぷるぷると足を震わせながら身を伸ばしていると、大きな影が佳乃の体に落ちた。そして佳乃の手からするりと黒板消しを奪う。はっとして見上げれば、それは剣淵奏斗だった。
「どけ。俺がやる」
剣淵は黒板上部の落書きを消していく。佳乃よりも背の高い剣淵は、背伸びすることなく簡単に消していった。
そして「負けんじゃねーぞ」と、黒板から降ってくるチョークの粉みたいに小さな声で呟く。この状況に心細くなっていた佳乃にとって、その励ましはあたたかく、体に染みこんでいく。
ありがとう、とお礼を伝えようと剣淵の方を見た時。教室の後ろから、ひそひそと話し声が聞こえた。
「うわ。伊達くんと付き合ってるのに今度は剣淵くんだって。サイテー」
「三笠さん、こないだ浮島先輩に呼び出されてたよね。モテまくりじゃん」
よく知っているクラスメイトなだけに、誰がしゃべっているのかおおよそ検討がついてしまう。わかってしまうからこそ、こんな風に言われてしまうことが悲しくてたまらない。
「三笠」
こんな顔を見せたくないと俯いた佳乃に、剣淵の声が言葉がふりかかる。
「俺も、北郷もついてる。めんどくせーところもあるけど浮島さんもいる。だから耐えろ」
そう、一人ではないのだ。菜乃花もいるし、無愛想だけど剣淵も、問題児の浮島だっているのだから。心で唱えて、佳乃は前を向く。
佳乃を悪く言っているからと、黒板に落書きした犯人や机に手紙を入れた犯人が彼女たちと決まったわけではない。犯人を探したいが、それよりも伊達のことが心配だった。
***
その日の放課後。佳乃は久しぶりに空き教室へと向かった。
というのも今回は浮島に呼び出されたわけではない。剣淵と例のUFO探しについての話をするためだ。
今日話すと決めていたからか、剣淵は資料らしきファイルを持ってきていた。ファイルはほとんどのページが資料のコピーや切り抜きでみっちりと埋まっている。背表紙には番号がふってあることから、家には似たようなファイルがいくつもあるのかもしれない。
「すごい。こんなに調べてたんだ」
「趣味みたいなもんだからな」
「へえ……あけぼの町がオカルトスポットなんだ」
「ああ。あの町だけ再開発が遅れているのはそういう理由もあるんじゃねーかって言われてる」
この話をしている時、剣淵は楽しそうにしている気がした。表情は普段通りなのだが、雰囲気が柔らかい。質問をすればすぐに答えてくれ、さらに饒舌だ。こんな剣淵は初めてだった。
「あけぼの町……か」
「中学生の頃から夏休みのたびにあけぼの町にきたけど、土地勘がねーから探せなかったんだ」
「土地勘ね……それは私も厳しいかも。駅前は何度か行ったことあるけど、それ以外は十一年前に行ったきりで自信ないなぁ
十一年もあれば景色は変わる。それに子供の頃の記憶であってあやふやなものが多く、昔に行ったあけぼの山でさえ、迷わずに辿り着ける自信がなかった。
「……詳しいヤツがいればいいんだけどな」
「まずはあけぼの町出身の人を探したほうがいいかな?」
やることの一つが見えてきたところで――教室の扉が開いた。
「やっほー。楽しそうにお話してるぅ」
からからと陽気な声音は、浮島紫音のものである。振り返ってその姿を確かめた佳乃は、嫌な人物の登場に顔をしかめた。
だが剣淵の反応は佳乃と違っていた。つかつかと教室に入ってくる浮島にまったく動じていない。それどころか「どうも」と呑気に挨拶までしている。
「浮島先輩! ま、また乱入しに……!」
「乱入? アハハ、そんなことオレがするわけないじゃーん。可愛い後輩ちゃんに呼び出されたから来ただけだよ」
可愛い後輩の呼び出し、と聞いて自分の行動を思い返してみる佳乃だったが、思い当たるものはない。まさかと剣淵に目をやれば、名乗り出るかのように大きく頷いた。
「俺が呼んだ」
「は? え、なんで!?」
自ら浮島を招き入れるなど、問題ごとを抱えようとするだけではないか。薪を背負って火に飛び込むようなもの。ガタッと机を揺らして立ち上がり動揺する佳乃に、剣淵が答えた。
「隠してたってどこかでバレる。それに浮島さんは面倒ごとばかり起こして巻きこんでくるが、それなりに信用はしてる」
「オレがいるのにその言い方ひどくない? もっと信用してよ」
「頭のおかしなことばかりするし理解はできねーけど、芯はあるって感じがする」
剣淵の物言いに浮島は唇を尖らせて不満を訴えていたが、しかしそこまで嫌ではないのかもしれない。どことなく、嬉しそうにしている気がした。
「……で。連絡した通りだが、俺たちはUFOを探してる」
「その連絡もらった時、五回ぐらい本文読みかえしたし、めちゃくちゃ笑ったよ。『UFO探すんで手伝え』ってパワーワードすぎない? 本当にUFO探してるの? 剣淵くん、頭打っておかしくなった?」
浮島は、堪えきれないとばかりに声をあげて笑い、ぽんぽんと剣淵の肩を叩いていた。佳乃からすればそれは予想通りの反応である。浮島のことだから、これをネタにして剣淵をからかうのだろうと思っていた。だから浮島なんて呼ばなければよかったのに、とため息をついたところで、笑い声が止む。
「――ま、ヒマだから付き合うけど。おもしろそーだし」
そう言って、浮島は空き椅子に腰をおろした。その瞳は新しいおもちゃを見つけた子供のように爛々と輝いている。
「早速だけど。あけぼの町に知り合いいないか? 探している場所があるんだが土地勘がなくて困ってる」
「あけぼの町……あー、そういう場所だって言われているんだっけ? オレの知り合いにはいないね。オレもあんまり行かないからなー」
浮島ならば交友関係が広いから知り合いがいるかもしれないと期待したのだが、それはあっさりと打ち砕かれた。そうなれば他にあけぼの町に詳しい人を探すしかない――と思ったのだが、浮島が続ける。
「でも、蘭香センセーなら知ってるかも」
「蘭香さんが?」
意外な人物の名が出てきたことで佳乃が反応する。
蘭香については、ここにいる誰よりも詳しいと思っているのだが、UFOや宇宙人といったオカルトが好きもしくは趣味があるなんて一度も聞いたことがない。どちらかといえば、それを笑い飛ばしそうな豪胆な人である。
「なんでだったか忘れちゃったけど、前に話したことあるんだよね。あけぼの町がオカルトスポットだって話も、蘭香センセーから聞いたんだよ」
「なるほど。でもどうして詳しいんだろ」
「さあ、オレは知らないけど……とりあえず蘭香センセーに聞いてみたら?」
浮島の提案に剣淵が「決まりだな」と頷いた。次にするべきことが決まったところで、佳乃が手をあげる。
「蘭香さんに話す前に、菜乃花に話しておいてもいいかな? その方が蘭香さんと話す時間がとりやすくなると思う」
蘭香は菜乃花の姉である。菜乃花が知らない間に、蘭香に相談すれば、疎外感を抱いてしまうのではないかと佳乃は思ったのだ。それに、蘭香にアポイントをとるのは佳乃よりも菜乃花の方が適任である。
「わかった。お前に任せる」
こうしてUFO情報収集がはじまった――と思ったのだが。
「佳乃ちゃん、スマホ鳴ってる」
「え、うわ、ほんとだ!」
授業の間マナーモードにして解除を忘れていた佳乃のスマートフォンがぶるぶると震えている。浮島に指摘されて気づき、慌ててポケットから取り出す。そして画面を見て、佳乃の体が硬直した。
「……あ、」
着信。それからメッセージが一通。どちらも名前に『伊達享』と表示されていた。
「だ、伊達くん……」
連絡がきた喜びに思わず呟いてしまう。
伊達からのメッセージには『まだ学校にいる? 少し話せないかな』と書かれていた。その文章を何度も読み返すと、がたがたと机を揺らしながら慌ただしく立ち上がった。
「用事思いだしたから! 私、帰るね!」
「お、おい! 三笠――」
「続きはまた今度! 連絡するから!」
スマートフォンを握りしめて、走る。どうやら伊達はいつぞや剣淵の壁ドンを食らった、階段踊り場で待っているらしい。教室を出て廊下を駆けながら『いまから行くよ』と返信をした。
日曜日のデートの後から伊達に会っていない。デートは中途半端に終わり、おまけにキスまでしてしまった。どんな顔をして会えばいいだろうかと恥ずかしさを抱きながら、しかし伊達に会えることが嬉しくてたまらない。
それに今日の風当たりの厳しさを伊達も味わっているのだとしたら。嫌がらせにあっているのが佳乃だけならいいと考えながら、伊達の元へと向かった。
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