第22話 雨あがり、夏への誓い
「うるっさいわねー、カナト。好きな時にきたっていいじゃない」
女性の声だった。それを聞いてしまった佳乃の体が強張る。クローゼットの中にいるため誰にも見られることはないが、瞳は丸く見開かれ、心臓がばくばくと鳴って緊張を煽った。
「さっさと用事済ませて帰れ」
「はあ? 今日はそっけないのね」
「て、適当なこと言うんじゃねーよ! 帰れ!」
二人はまだ玄関にいるらしく隙間から姿は見えず、声しか聞こえてこない。まさか彼女、だろうか。それにしては剣淵の物言いが乱暴すぎる気もする。
「はいはい。用事終わったら帰るから。冷蔵庫あけるわよ」
「勝手にしろ」
足音が二つ。二人が室内に入ってきたのだ。だがキッチンに入ってしまったらしく、やはりここから姿は見えない。
「ついでだからベッドの下も見ておこうかな。アヤシイものでてきたりして」
「めんどくせーな。勝手にしろ。変なもんおいてねーよ」
「やだぁ。年頃なんだから少しぐらい置いててもいいのに、黙っていてあげるから」
会話を聞く限り、どうやら剣淵は女性に頭があがらないようだった。振り回されて疲れているのが伝わってくる。
キッチンから物音が聞こえた。重たい扉の開く音がして冷蔵庫をあけているのだろう。
「ベッドの下と……あとクローゼットとか?」
「……っ、か、勝手にしろ」
クローゼットの単語が出てきたことで身をびくりと震わせる佳乃だったが、その後に続く剣淵の反応がひどすぎて呆れてしまった。演技が下手にもほどがある。これではクローゼットに何かがあると言っているようなものではないか。
「ふーん? まあいいわ。許してあげる。それよりも――あんた、相変わらずろくなもの食べてないのね」
どうやらクローゼットへの疑いは晴れたようだ。興味を失ったらしい女性は食材についての話をはじめている。
「リクエスト通りに鶏肉茹でたの持ってきてるけど……ボディービルダーにでもなるつもり? 食べたいものがあったら持ってきてあげるわよ、肉じゃがとかカレーとか」
「特にねーな。電子レンジとポット以外の調理方法がよくわからん」
「……カナトってほんとバカよね」
それに関しては同意したくなる、と顔もわからない女性の言葉に佳乃は何度も頷く。ここまで調理できないとなると、嘲笑よりも哀れみの気持ちが強くなってしまう。
クローゼットに身をひそめながら、女性について考えてみる。女性は彼女ではないだろう。親しそうに話しているが、度々剣淵が放つ粗野な物言いを思えば友達という可能性も低いかもしれない。となれば、身内、だろうか。
そこではたと気づく。春に出会ってから今日までの間、剣淵と接して、こうして家にもあがっているのだが、実は剣淵のことをよく知らないのではないか。彼が一人暮らしをしていることや、オカルト趣味があることを知っていたため、菜乃花やクラスメイトたちよりも剣淵に詳しいと自負していた一面があったが、よく言われれば一人暮らしをしている理由も、家族構成もわかっていないのだ。
そうなると――不思議なことに好奇心がわいてくる。扉の向こうにいる剣淵が気になって仕方ない。
「ねえ、カナト。夏はどうするの?」
女性が言った。
いつの間にか二人は移動していて、扉の隙間から剣淵と女性らしきスカートとそこから伸びる足が見えるようになっていた。
「帰らねーよ。あんなとこ、いてたまるか」
「ここにいても、あたしは構わないけど。どうせ使っていない部屋だし」
不意に飛び交う剣淵の家族についての話に、聞いてはいけないと思いながらつい耳をそばだててしまう。
「でも。いい加減、兄貴に会ってあげたら? カナトと話がしたいって言ってたよ」
この会話で確信する。やはりこの女性は剣淵の家族だ。頭の上がらない様子をみるに、姉だろうか。
剣淵はあまりこの話をしたくないらしく、女性が部屋にきた時よりも機嫌を悪くしていた。隙間から覗く剣淵の眉間には深いしわがいくつも寄り集まっている。
「会わねーよ。んなヒマねえな」
「せめて電話ぐらい出ればいいのに。着信拒否なんて子供みたいなこと――――あら?」
そこでぴたりと女性の声が止まった。もしや気づかれたのか。佳乃は咄嗟に自らの口を塞ぎ、息を止める。覗き見ていることもいけない気がして、扉から身を離した。
「あー、そういうことね」
女性の声音は一転。急に明るく、陽気なものになる。
おそるおそる扉の隙間から覗いてみれば、女性の視線はテーブルに向けられているようだった。こちらからでは後ろ姿しかわからないのだが、薄紅色のマニキュアで彩られた爪がテーブルをこつこつと叩いている。
「なんだよ?」
女性が何に気づいたのか剣淵もわからないらしく、眉根を寄せてむすっとしたまま聞く。
「別に。それよりもさ、カナトは今年の夏も恒例行事やるの? 例の、UFO探し」
「お、おい! いまその話をしなくても――」
「あら。毎年、夏に探してたでしょ。変な宇宙人だのUFOだの気持ち悪いやつを調べて、探し回って。確か、女の子がキャトルミューされたんだっけ?」
けたけた、と転がるように女性が笑っている。いまこの会話をされたくないらしい剣淵が赤くなったり青くなったりと動揺しているのを楽しんでいるようだ。
「ちげーよ、キャトルミューティレーション! あとそれ意味違う、誘拐されんのはアブダクションだ」
オカルトオタクとしてのスイッチが入ったのか、テーブルを力強く叩いて語気荒く剣淵が返す。だが女性はその反応に動じず、やはり笑うばかりだった。
「これを毎年探してるなんて、ほんと、男って何歳になっても子供ねぇ。カナトったら、小学校の卒業文集に『将来の夢は宇宙人とコンタクトをする』なんて書いてたもんねぇ」
「くだらねー話しにきたんなら、帰れ! 用件は済んだだろ!」
「やだー、こわーい」
剣淵は、怒りと照れで顔を赤くしながら、困ったように頭を掻きむしっている。
これ以上からかっても楽しくないと判断したのか、女性はすくりと立ち上がった。
「カナトにも嫌われたし、今日はこのぐらいにして帰ろうかな」
「頼むから早く帰ってくれ……余計なことしゃべんな」
「はいはい。いやね、年頃の男の子ってめんどくさーい」
そして二人は玄関へと歩いていく。もう隙間から二人の姿を覗き見ることはできず、佳乃は扉から離れて、安堵の息と共に肩の力を抜く。このまま帰るのだろう、と思っていた時だった。
「ところで……カノジョを家に連れ込むなら、まともな飲み物ぐらい用意しなさいよ」
再び聞こえてきた言葉に、佳乃の体がぴくりと跳ねて、そのまま固まる。
ここからはわからないが、きっと剣淵も言葉を失っているのではないか。続けて聞こえてきたのも女性の声だった。
「ごめんねぇ、弟がバカで。次はコーヒー用意しておくから」
今度は剣淵に対してではなく、佳乃に向けて言ったのだろう。部屋に響かせるように声を張り、剣淵へ向けたものとは異なる余所行きの口調で告げている。
この部屋に誰かがいると気づいているのだ。心臓が早鐘を打ち、佳乃は両手で口を塞いで気配を消そうとした。
「じゃ。これで帰るから。カノジョちゃん、カナトをよろしくねー」
「お、おい……姉貴、なに言って――」
慌てる剣淵の声を掻き消すようにして、扉の閉まる音が聞こえる。
女性――剣淵の姉は帰ったのだ。それでもこの目で見るまでは信じられず、まだ心臓がばくばくとうるさく鳴っている。
身を強張らせてクローゼットの奥に潜んでいると、足音が聞こえて、それからクローゼットが開かれた。
念願の外の光である。それと、少し照れくさそうにしている剣淵がいる。
「悪かったな。出てこい」
なんて気まずいのだろう。目を合わせることができず、佳乃は俯きながらふらふらとクローゼットを出た。
佳乃が出たところで、剣淵は早々にクローゼットを閉める。それから隠れる前と同じ位置、テーブルの前でどかりと腰をおろして深く息をついた。
てっきり、帰れと言われるのではないかと思っていただけに、座りこんだ剣淵をみて佳乃も真似る。おずおずと対面に座れば、剣淵が口を開いた。
「聞こえてたと思うけど、あれ、姉貴だから」
「う、うん……ごめん、聞こえてた」
一体どこで佳乃の存在に気づいたのだろう。首を傾げながら、乾いた喉をうるおそうとマグカップに手を伸ばして「あ」と佳乃は小さな声をあげた。
テーブルに二つ、マグカップが残ったままだったのだ。これでは来客がいると明かしているようなもの。そして玄関に佳乃の靴も残ったままだろう。剣淵に比べれば明らかに小さく可愛らしいデザインの、女物の靴だ。これで剣淵の姉は、彼女がきていると考えたのだろう。正確には彼女ではなくただのクラスメイトなのだが。
なるほど、と納得しながら佳乃はカップに口をつける。カップはすっかり冷めてしまい、お湯どころか湯冷ましへと変わっていた。
「……ここ、姉貴の家なんだよ」
佳乃に会話を聞かれてしまったことで吹っ切れたのか、剣淵が語る。
「俺ん家、小さい頃に両親が離婚してんだ。んで俺と姉貴は親父に引き取られたんだけど、やりたいことがあって、一人暮らしさせてもらってる」
「でもお姉さんは別の家に住んでいるんでしょ?」
二人で住むにしては狭く、見渡してもベッドは一台しかない。佳乃が聞くと、剣淵は頷いた。
「結婚して、別の家に住んでる。ここは手放す予定だったんだけど俺が借りた。だから姉貴、勝手にくるんだよ。飯持ってきてくれんのは助かるけど、勝手にくるんじゃねーっての」
忌々しげに呟いているが、姉のことを嫌っているわけではないのだろう。表向きは嫌がりながらも、表情はやわらいでいる。
「……ねえ、どうして一人暮らししているの?」
いまなら、詳しく聞けるのではないかと思ったのだ。剣淵が探しているもの、理由。クローゼットの中で見つけた好奇心は、まだ佳乃の胸元で疼いて止まない。
佳乃の問いに剣淵は黙りこんでいたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「前に、確かめたいものがあるって言っただろ。それは姉貴が言ってた、UFOのことなんだ」
「UFOって……未確認飛行物体、だっけ」
「ああ。前に一度見たことがある……と思うけど、よくわからねー。だから探して、確かめたい」
また、だ。じいと前を見据えて真剣な表情をする剣淵に、目が奪われてしまう。
走る時と同じ、まっすぐ進んでいく力強さを感じる。
だが同時に佳乃は、UFOや未確認飛行物体という言葉を口にしてから居心地の悪さを感じていた。オカルト趣味への嫌悪はないのだが、毛虫がぞわぞわと体中を這いまわっているかのように肌が粟立ち、吐き気がする。そんな佳乃の状態に気づくことなく、剣淵は続ける。
「そのために転校してきた。一人暮らしのために成績上位を維持しろなんて面倒な条件だされたけどな」
「だから、勉強してたんだ」
「まーな。走るのは好きだけど、部活に入ったら成績落ちるだろ。それなら部活に入らないで勉強して、ここに住んでUFO探しした方がいい」
勉強、部活、あらゆる行動が繋がっていく。剣淵は、この目的を叶えるために努力をしていたのだ。外見や粗暴な態度からは想像のつかない、ひたむきな姿。
どくり、と心臓が跳ねた。この家にくるたびに触れる剣淵が隠し持っていた一面に、佳乃の知らない何かが喜んでいるかのように。
「UFOを探しだしたら確認したいんだ。あの日俺が見たもの、助けられなかったものがどうなったのか――変な話して悪かったな、笑ってくれ」
そこで剣淵は話を打ち切り、顔をそらした。佳乃が呆れていると思ったのかもしれない。
「手伝うよ!」
佳乃は立ち上がって、言った。
「剣淵にたくさん助けてもらったから、今度は私が協力する」
「は……お前が?」
「UFOについて詳しくないけど、力になるから!」
協力を名乗り出たのは、伊達と佳乃の仲を取り持とうしてくれたことへの恩返しだけではない。
嬉しかったのだ。剣淵が隠しているものに触れ、彼のひたむきに追い求める姿が胸を焦がす。まっすぐ向けられた情熱を佳乃も追いかけてみたいと思った。
UFOを信じる信じないは佳乃にとって問題ではない。剣淵が、その目的を達成できればいいと考えるだけ。
「一緒に探そう!」
佳乃が叫び終えた後、部屋は静寂に包まれた。
そこに雨音は聞こえない。どうやら天気予報は外れてしまったらしく、分厚い雲の切れ間から伸びたオレンジ色の光が、濡れたアスファルトに反射されて、室内を照らす。
長く続いた雨があがりその先にあるのは、協力を名乗りでた佳乃に頷く剣淵の姿だった。
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