湯煙の秘め事 後編① 【音羽雅】

「ふわー、やっぱりいいねえ。リョウくんのダシが出た温泉!」

「…………」

「…………」

「体の中までぽかぽかだねー。わ、二人とも顔が赤いよ!」

「…………」

「…………」

「おや? どしたの二人とも。のぼせちゃった?」

「……いざ冷静になると、あたしは何を口走っていたのかと」

「……流石に、目のやり場に困る」

「先輩、先に出ていいっすよ。あたしはいろいろ見慣れてるんで」

「せっかくだし、もう少し浸かってたいんだが。音羽はさっきまで入ってただろ? 目は瞑っとくから上がっていいぞ」

「……恥ずかしいっす」

「……そうか。俺もだ」

「二人とも仲いいねぇ。嫉妬しちゃう!」

「美晴は……彼氏と同姓だもんな」

「うむ! 見たければ存分に見るべし!!」

「誰か入ってきたら、ちゃんと隠すんだぞ」

「はーい。ん、雅ちゃん? 大丈夫?」

「…………」

「やっぱり、早く上がった方がいいんじゃないか?」

「長く入ればいいってもんでもないからねえ」

「…………」

「雅ちゃん?」

「音羽? おい、音羽! 本当に大丈夫か? 真っ赤だぞ」

「だいじょぶ……じゃ、ないかも……」

「しっかりしろ! 自分で立てるか?」

「……う……なんか、眩暈が」

「立ち眩みか。わかった、無理しなくていい。掴まってろ」

「私、スタッフさん呼んでくるね!」

「任せた。走って転ぶなよ。音羽、とりあえず出るぞ」

「うす……」



「ふふふ。雅ちゃん、大胆だなあ。私も負けてらんないね!」



「のぼせた時の対処……音羽、知ってるか?」

「いえ……」

「だよな。調べた方が早いか。携帯取ってくる」

「いや……」

「音羽?」

「一人に、しないで」

「……そうだな。目を離した時に何かあったら困るもんな。音羽、水はちゃんと飲んでるか?」

「……飲んで、ないかも」

「ここの温泉は飲めないんだったな。洗い場まで移動するぞ」

「うす……あ」

「どうした?」

「胸、当たって……」

「細かいこと気にしてる場合か。いいから掴まってろ」

「……うす」


「体、起こせるか?」

「……力、入んないっす」

「わかった。よっ、と」

「っ、わ……!?」

「背中、このまま支えとくぞ。コップ……あるわけないか。桶に汲むより手の方が飲みやすいか?」

「……せ、先輩」

「どうした?」

「……口移し、で」

「なにバカなこと言って――」

「ちゅっ」

「っむ……!?」

「……は……ほら、1回も2回も一緒っす」

「お前なっ、こんなときにまでふざけてるんじゃ」

「ふざけてなんか、ないっす」

「は……?」

「先輩となら、嫌じゃないっす」

「……これまでの分、チャラだからな」

「いいから、早くっ」

「わかった。……ん」

「ちゅぷ……んくっ…………んくっ…………じゅぷ、じゅるるるっ!」

「ぷはっ!? お、音羽!!」

「すみません。嬉しくて、つい」

「ったく……少しは落ち着いてきたか?」

「いえ、全然」

「嘘つけ」

「音、聞こえないっすか? 胸の奥が、どくどく言ってる音。さっきから動悸が止まらないんすよ。先輩のせいで」

「俺のせいなんだな? 体調不良じゃないんだな?」

「……うす」

「そうか。なら、よかった。余計な心配かけるな」

「…………すみませんでした」

「はあ……ま、無事ならなによりだ。……美晴、遅いな。あいつさては気づいてたな?」

「……せ、先輩?」

「なんだ?」

「怒って、ないんすか?」

「仮病のことならもう注意した」

「じゃなくて、さ、さっきの……」

「本当に、俺でいいのか?」

「えっ?」

「音羽なら、男の方から寄って来るだろ。俺にはもう美晴がいる。倍率高いぞ、俺は」

「オッズがもっと高いんだから、仕方ないじゃないっすか」

「そうか」

「初恋なんすよ。先輩が。彼女がいるって知った時は、そりゃ、諦めようとしましたけど……でも、無理だったんすよ。いつか別れるかもしれない、女がいても店に来る男は居た、って、心の中に悪魔が語りかけてきて……いつか目移りしてくれないかな、って、ずっと、ずっと……」

「……そうか」

「先輩はそんなこと望んでないって、それじゃ先輩は幸せになれないって、頭ではわかってるのに、でも、好きが抑えきれなくて……身勝手な自分が嫌で嫌で仕方なかった。ずっと、ずっと、苦しかった……」

「音羽、もういい」

「今だって、そう。アタシは許されようとしてる。勝手に好きになって、勝手に落ち込んで、勝手に、先輩の不幸を望んで……」


「世界の損失、だそうだ」

「………………は、はい? な……なんの話っすか?」

「リョウくんはもっとみんなに幸せを配るべきだよ! 心も体もしっかり整えて、老後も100まで生きようね! リョウくんはこの世界の救世主だよ!! ……とまあ、こんな調子だ。あいつは人をアイドルか何かと勘違いしてるらしい」

「は、はあ……?」

「似てたか?」

「……あんまり」

「そうか。そんなわけで、『もし他の誰かに好意を寄せられたら絶対に拒むな』って言われてる。惚れさせる方が悪いってな」

「…………」

「その時はピンと来なかったけど、ようやくわかった気がする。音羽、今まで悪かった」

「先輩が、謝ることなんて」

「本当なら、きっちり断るべきなんだろうな」

「え……」

「一人を一生幸せにってことは、きっと簡単じゃない。二人なら尚更だ。『みんなが幸せになる方法があるなら、それが一番いい』……俺はあいつの言葉を免罪符にして、切り捨てられない自分を正当化しようとしてる」

「……先輩」

「こんなことを頼むのは、男として間違ってるのかもしれないが。協力してくれるか、音羽。無理を通すには、お前の力も借りなきゃいけない」

「……いいんすね?」

「なにがだ?」

「アタシは、先輩に恋しても、いいんすね?」

「もちろんだ」

「…………そっか。よかった……」

「泣くなよ。俺は笑顔の方が好きだ」

「無茶言わないでくださいよ。アタシが、今日までどんな思いで過ごしてきたと思ってるんすか」

「すまん。それにしても、音羽ほどの女が俺を選ぶとはな」

「ほどの、ってどういう意味っすか」

「細かいとこまで気が回るし、なんだかんだで仕事は出来るし、話も上手い。それに――」

「おっぱい大きい?」

「まあ、それもあるが。茶化すな」

「茶化さないと恥ずかしすぎて死にそうっす」

「すまん。とにかく、己惚れないようにしないとな」

「うす。……寒いっすね」

「湯冷めしたな。戻るか」

「いえ、あの……暖めてください」

「わかった」

「……夢、みたい」

「そうか。よかった」

「ちゃんと愛してくださいね。二番目でも、いいから。一番になる努力はするから」

「なら、あんまり自分を安売りするんじゃない」

「色目使うのは先輩だけっす。やっぱり気づいてなかったんすね」

「……すまん」

「いえ。優しいっすね」

「優しいか? 自分ではわからないな」

「キスしたいっす。今度はきちんと、とびっきり優しいやつで」

「ああ。わかった――」

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