悩める魔法使いとお母さんの攻撃力について

 懐中時計の三時が赤く点滅してたとき、メティは穏やかな気持ちから一変して、地獄に落ちたように怯えた。

 赤い点滅は、かつての上司が近くにいるという意味だった。点滅の間隔からすると、歩いて三日の距離だろう。じわじわと近づいてくる。


「メティさん、眠れませんか?」


 怯えているメティを見て、エイリーは驚いて様子を訪ねてくる。

 けれどまともに答える気にならなくて、口を閉ざしていると、困ったエイリーは部屋を抜け出して、ホットミルクを二つ持って帰ってきた。


「メティさん、まずはこれを飲んで落ち着いてください」

「私は落ち着いてます……」


 そんな風に見えないのだが、メティは強がった。

 口を付けたミルクは少し甘くて、渇いた喉に染みた。うっかりポロっと涙が出てきてしまう。


「メティさん、話してみてください。言うだけで心が楽になるって事、たくさんあると思うんです」


 とっさにごまかそうとしたメティは、まっすぐ見つめるエイリーの目を見てできないと悟った。


「……エイリーさん。私は昔、大人になれば、自分はきっと今よりもっと凄いことができると思っていました。そして大人の世界は自立していて、皆まっとうになんだと思っていたんです。でも皆、表面上は穏やかでも、隠すのが旨くなっただけでした」


 子供の頃と変わらず、会社の中では小さな学校のような形をしていた。


「親もいない、保護者もいない私は、自分一人の脚で立つんだと思っていました。でも、就職して全然うまくいかなくて、やってもやっても仕事は終わりません。私は何のために生きているんだろうと思いました」


 仕事をするのは、お金を稼ぐためだ。

 もちろん大好きな魔法を使う仕事をしたかったのもあるが、けっきょくのところ、夢を見続けるには、現実は厳しすぎた。


「魔法を使った仕事に就きたくて、学校に行くために頑張りました。良い成績を収めるために努力しました。安定した生活が欲しくて魔法省を目指しました」


 いざ就職しても、右も左もわからないまま。仕事はきつく、遠からず体を壊すだろう。そうしたら魔法省はメティを放り出す。


「何もできなくなった私が一人、どうやって生きたら良いでしょう。考えたら怖くなって、それで――」

「頭の中に本を入れたんですね」


 魔法省はすでに、メティの命を犯す場所となっていた。


「……知識があれば何とかなると思ったんです」


 頭の中にたくさんの事を詰め込んで、そうしたら一人でも何とかやっていけるんじゃないかと思った。


 明日、魔法省がなくなったら、明日、突然クビになったら、明日、持っている家や全ての持ち物を失ったら、最後に残るのは自分。食べていけるだけの技術があれば、何とかなると考えた。


 夢を持って働き始めようとする若者にだけは、絶対言ってはいけないような言葉を吐き出してしまう。


「魔法使いの世界は作った物が全てです。その過程でどんなに努力しようと、それは評価されません。なぜなら、目的を果たせない魔法に誰も価値をつけないからです」


 魔法使いは必ず報われるわけではない。勉強し続けないと、5年後仕事はない。

 まるで泳がなければ息ができずに死ぬような、そんな生き方だ。


「たくさん考えました。職を失うのは怖かったです。でも現状に甘んじて、何かが好転するでしょうか。私を助ける誰かが現れる? そんなのは幻想です。私には何も無い……。わ、私は生きるために自身を助けなければと、思ったんです」


 だから、とメティは続けた。


「怖いんです。私はリマスの夢を守れるでしょうか。あの子の夢は理想高く、私は挫折した力無い魔法使い。頭の中身が空っぽになった私に、どんな価値が残るでしょうか」

「……だから、お兄様には言えなかったんですね。お兄様はとてもお強いですから」


 いつも目標に向かい、努力を惜しまない人。消して折れない心の強さがディエルにはある。そんな人に、挫折した人間の心が分かるだろうか。

 すべては個人的な感情論。けれど心を律し、胸の内を明かせるほどメティは強くない。

 ふと、エイリーは目を潤ませた。


「メティさんがお辛い目にあったのは、兄様から聞いていました。メティさんは優しいから、悪い人達に心を食べられて弱ってしまったんですね」

「そうなんでしょうか、よくわからないです」


 ほろほろと落ちる涙をすくい、頬にかかった髪を耳にかけてあげながら、エイリーは傷ついたままになっているメティを優しく引き寄せた。

 ふかふかの耳をなでると気持ちよさそうに目を細めながら、けれど瞳は潤んだまま。


「お母様が言っていました。心を食べられてしまったら、食べられた心は戻ってこないから、たくさん栄養をとってお休みしなければいけないんだそうです。メティさんはずっと頑張ってきたんですね」

「私はただ……自分があこがれた大人になりたかったんです。でも、できませんでした。リマスにも師として情けない所ばかり見せてしまっています」

「リマス君はメティさんが大好きですよ。尊敬していると言ってました」


 メティはリマスが一人前になれるよう日々考えて生きている。自分が失敗したこと、良かったところ。覚えていたら便利な魔法――メティはリマスに全て教えるつもりだった。


「どうかメティさん、お辞めになったことに罪悪感を持たないでください。メティさんが来てくれたおかげで、フォカレは豊かになりました」

「きっかけに過ぎません」

「いいえ。魔法というたった一つの技術が、明日をもわからない我が国を、ここまで変えてくださった。それをもたらしてくださった魔法使いは、私達につけ込まなかった。素晴らしい人にしかできないことだと思います」


 きっと、とエイリーは続ける。


「メティさんは初心者のお母さんなんです」

「ええ?」

「子育て中なんですよ。お母さんと子供。師匠と弟子。ね、同じです!」


 きょとりとするメティに、エイリーは言って笑う。


「子育て中のお母さんはみーんなメティさんと同じようになると聞きます。だからいろんなお母さんに聞いたりしてるんですよ。メティさんも自分をもっと全面に押し出す方向で行くのはどうでしょう?」

「全面に、ですか?」

「そうです! 子育ては戦いです!」

「た、戦い……」

「敵を知り、我が身を知れば自ずと勝機が見えるとか聞いたような気がします!」

「そっ、そうなんですか?」


 しかし敵とは誰か。

 聞く前にエイリーは畳みかけるように言う。


「そうです! そして子育てをすることによって、母親は進化すると聞きました。私達のお母様は早くに亡くなったのでわかりませんが、お父様にお聞きしたところ、その攻撃力は冬眠明けの熊のような凶暴さ。リマス君を立派な魔法使いにできれば、メティさんだって完全無欠な魔法使いだって夢じゃありませんよ! そして気分が沈んだときは歌うに限ります、景気よく謳おうぜロックンロール!」


 突然テンションの上限を振り切ったエイリーは、景気よく歌い出した。

 それは衝撃的なほど旨く、ガンガン心を揺さぶってくる。アルランド王国にも音楽はあったが、これほどの歌い手はいただろうか。いや知らないだけかもしれない。なにせメティは社畜。家には寝に帰るのみだった。芸術よりも活字を愛し、活字によって生かされてきた女でもある。


 いつしか二人は盛り上がり、マラカスとカスタネットをベッドの下から引っ張り出して盛り上がっていた。

 そこに先ほどまでの憂いは一つも無く――


「夜中に歌うなと何遍言ったらわかるんじゃ――!!!」

「きゃああああっ」

「はわわあっ!?」


 近くの部屋で寝ていた国王陛下が怒鳴り込んでくるまで、宴は続いたのだった。


「まったく! いくつになっても落ち着きのないっ」


 仁王立ちの国王陛下に浮いた青筋。いつも温和なおじちゃんが怒ると怖いのは世の常である。


「お、お父様。これはメティさんを元気づけようと! あとあと年頃の女の子の部屋に勝手に入るなんて酷いですっ」

「年頃の女なら子供のように騒ぐでない!」

「ギャ! めめめめめめてぃさんお休みしましょうか」

「はははひ! お騒がせして、大変申し訳ありませんでした……」


 一瞬で青ざめた二人がもそもそと布団に潜り込むのを見届けて、陛下は部屋のドアを閉めた。ナイトキャップを直しながら嘆息する。


「まったく、いつになったら落ち着きが出るんじゃ。母親そっくりじゃのぅ……」


 ちょっと寂しそうな顔をしながら、自室へ戻ったのだった。



 早朝。

 夜中の馬鹿騒ぎとは別に、やはり眠れなかったディエルは、部屋を抜け出すとダッチのいる部屋へ向かった。

 眠っていたダッチは叩き起こされて迷惑そうな顔をしたのだが、ディエルの表情が怖かったので、メティの元上司その他がどこに居るのかを話す。


「わかった。もう一眠りしてて良いぞ」

「お、王子。なんか顔がめちゃくちゃ怖いっす。どこ行くつもりですか! あの上司らに会いに行くつもりじゃないでしょうね」

「なに、砂漠横断中に生き倒れるなんてよくある話だ。そうだ。よくある話なんだ」

「二回も言ってるしッ。ちょっと皆起きて!? もう俺だけじゃどうしようもないっすよー! へぶっ」

「おい、こんな朝っぱらに五月蠅くすると、近所迷惑だろ?」

「人のこと叩き起こしといてー!?」


 理不尽の塊を見たかのように目を見開くが、ディエルはふっと皮肉に笑う。それはいつもの王子と何となく違う雰囲気だ。若干悪ぶってる若者みたいだが、ダッチにはわかる。これは誤魔化そうとしているぞ、と。

 しかし、その気配を感じたディエルは先手を打った。


「王子だから許せ」

「ブラックー!」

「何言ってるんだ。早朝手当も申請しておけよ」

「ホワイトちくしょー!」


 やはり、気になることは本人――元凶に聞くのがいいだろう。

 ダッチから場所を聞き出したディエルが「行くか」と呟いたとき、鐘の音が爽やかな空に響いた。

 とたん、寝間着を脱ぎ捨てたダッチは、魔法使いのローブを羽織ると王子を押しのけて部屋の外へ出る。


「緊急警報発動! 魔法使いは総員起きろっす! ダーリーン、状況は!」

「なんだ!?」


 ダッチの手には枕元に乗せていた、卵形の魔道具。そこから次々に連絡が行き交い始めた。


『森の付近に移転の反応あり。繰り返しま――げっ! エルル! 起きなさい!』

「奴らか?」

「みたいっすね。くっ! こっちの状況見越して、前倒しで来やがった!」


 窓の外を見ると同時に爆発音。魔法使いの初級魔法だ。立て続けに三つも四つも上がる。


『ダッチ、悪い知らせよっ! て、そこに王子がいるの?』

『げっ誰だよバラしたの!』


 魔道具の向こうから非難囂々だ。


「うぐっ! バラしてねぇよ! さっき叩き起こされてだなぁ」

『バラしたんでしょ! もう!』

『話は後! あいつら傭兵を連れてるわ。総勢十二人ってところかしら? 今までのように魔法攻撃は効かないわよ。今、森の端にいるみたい。エルル、アンタの所に行ってるんだから状況説明しなさいよ!』

『あばばばば! 魔法生物が! 人質に!』

「げ」


 といったのはダッチかディエルか。

 嫌そうな顔をした二人の予想は当たった。


『馬鹿エルル、ちょっとは応戦して救出しなさい!』

『大丈夫か? 俺が行くまで持ちこたえろよ! 三分だから!』

『アー! 刈っちゃ駄目ですよ! 毛刈りの時期じゃないんで、風邪引いちゃいますからー! わーん!』

『ばっかエルル逃げろよ!』

『あちゃー、だめだめですねぇ』

「何してんだよあいつー!」


 思わず、といったように四つん這いになってしまったダッチを誰が責められようか。


『魔法羊を人質に取られたみたいね……。あいつは戦力外だわ。繰り返すわよ、エルルは戦力外』

「いらねぇよその通知」


 げんなりと呟く。ダーリーンも魔具の向こうで呆れかえっているようだ。

 この様子だと命の心配はないようだが。


「まったく! 王子、申し訳ねぇけど、俺等と一緒に森まで――」


 ダッチは言葉を止めた。ディエルの顔を見て、目を見開く。


「ダッチ」


 静かな声だった。


「全ての魔法使いは、今すぐ城下の周りを固めてくれ。障壁か何か張ってくれると助かる。たぶん大丈夫だが」

「待ってください、まさか一人で行くんじゃねぇでしょうね」

「そのまさかだ。戦闘は俺だけでいい。魔法使い相手じゃ騎士も太刀打ちできないからな」

『ちょっと、王子様が何を言ってるのかしら。魔法使い相手なら魔法使いに任せてちょうだい!』

「ダーリーンの言うとおりだ。あんた、ちょっと頭冷やした方が――」

「ダッチ」


 ディエルは鋭い眼光でダッチを黙らせる。


「俺を森まで転送してくれ。あと、お前はエイリーの部屋にいるメティを頼む。他の魔法使いは全員待機。これはだ」


 ダッチは言葉を失った。

 やはりどう見ても、ディエルの頭にがくっついていた。

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