第14話 歴史は修正される


 東条が食料と肥料をフランスへ送り終えた頃にはお昼時になっていた。予定通りの時間に終えられたことを喜びつつ、今日の予定を再確認する。


「午後一からフランス史の授業があるからな」


 東条は大学の講義の中で、病気になっても絶対に出ると決めている講義が二つあった。一つは言語学の講義で、もう一つはフランス史の講義である。特に今日はジャンヌ・ダルクが登場する中世フランス史に焦点が当たる。出ないわけにはいかなかった。


「講義に行く前にメールを出しておかないとな」


 食料と肥料を運んでもらったことを可憐にメールするため、携帯電話を取り出す。アドレス帳を上から流していくが、目当ての名前が見つからなかった。


「誤って消したのかな」


 東条は暗記していた可憐のメールアドレスに、食料と肥料を運んでもらった礼を記して送る。しかしアドレスは存在しないと、メールが返ってきてしまった。


「覚え間違いかな」


 アドレス帳からメールアドレスが消えてしまった以上、記憶間違いかどうかを確認することはできない。仕方ないと、東条はフランス史の講義を受けている時にでも礼を伝えることに決めた。


 鎌倉からバスで一五分ほど移動し、大学の別館へと訪れる。なぜかフランス史だけは本校ではなく、別館の講義室で授業を行っていた。教授の研究室が別館にあるためというのが本命の理由だが、本当の理由は定かではない。


「講義開始ギリギリだが、何とか間に合ったな」


 講義室の扉を開いて、ぐるっと室内を見渡す。いつもなら人だかりの中心に可憐がいる。だが今日はどこにも彼女の姿がなかった。東条が適当な席に座ると、教授が登場し、講義が始まった。


「今日は中世フランス史。特に魔女狩りについて話す。魔女狩りの被害を受けた女性の中で最も有名なのは、皆も知っての通りジャンヌ・ダルクだ」


 東条は気持ちを高ぶらせながら、講義内容をメモしていく。いつも以上にスラスラとペンが進んだ。


「ではジャンヌ・ダルクはなぜ魔女狩りの被害者として有名になったのか? 出席番号の七番、東条、答えてみろ」

「ジャンヌ・ダルクは百年戦争でフランスを勝利へと導いたが、最終的にイングランドに捕まり、魔女として処刑されたから――」

「もういい。何を言っているんだ、お前は」


 教授は妄言を吐く狂人を見る目を東条へと向ける。講義室の至る所からクスクスと、嘲笑する声が聞こえた。


「ジャンヌ・ダルクは邪教を崇拝し、村人たちに蜂起を促した。その勢力は凄まじく、フランス王さえ苦しめた。だから彼女を抹消するために、フランス王は魔女狩りを名目として、大規模な軍団をドンレミ村へと派遣したんだ。ドンレミ村の虐殺事件。世界史の常識だ」


 東条は教授の話す内容が頭に入ってこなかった。ジャンヌ・ダルクはフランスを救うために立ち上がった救国の乙女だ。歴史が変わりでもしない限り、フランス王に殺されるようなことはないはずである。


「歴史が……変わる……」


 東条の背中に冷たい汗が流れた。嫌な予感が全身を包みこむ。


「ちなみにジャンヌ・ダルクが信仰していた邪教だが、トウジョウ教というそうだ。お前の名前と同じだぞ」

「うっ……」


 疑念が確信に変わった瞬間だった。東条がジャンヌを助けたことにより歴史が改変されてしまったのだ。


 東条は呆然としたまま、授業内容に耳を傾ける。ドンレミ村の住人たちは処刑され、蜂起人であるジャンヌ・ダルクとその家族は酷い拷問を受けて、殺されたと、教授は語る。


「最後に今日の講義の内容をレポートにまとめろ」


 教授の指示は耳に入っていたが、東条は筆を進めることができなかった。頭の混乱がいまだに納まっていなかった。


「おい、東条。レポート見せてくれよ」


 隣に座っていた工藤が東条の傍まで近寄ってくる。珍しい出来事だった。工藤が東条に話しかけてくるのは、決まって可憐がいる時だけだったはずだ。


「可憐はいないぞ」

「可憐? 誰だそりゃ」

「冗談はよせよ。大学で何度も話をしているし、今日はいないが、この講義にはいつもいるだろ」

「いないだろ。そんな奴。ほら、証拠」


 工藤が東条に出席簿を手渡す。出席の確認は出席者の名前の隣に丸を付けていくシステムで、出席簿には休みの者も含めて講義受講者全員の名前が刻まれているはずである。


「可憐の名前がない」


 何度も何度も名簿を見返すが、可憐の名前は見つからないし、工藤の様子も冗談には見えない。


 東条は昔読んだ歴史小説を思い出していた。歴史が変わり、本来死ぬべきでない人が死んでしまうと、そこから派生した未来の人間も消えてしまうという物語だ。


 可憐は日本人とは思えない美貌の持ち主だった。もし祖先にフランス人がいたとしたら。そしてそのフランス人がジャンヌ・ダルクの活躍によって、死を免れていたとしたら。


「すべてが繋がった」


 東条はレポートを放り出して、講義室を飛び出す。いつもならバスを使うが、今日だけは特別にタクシーへと乗り込み、雑貨商店の倉庫へと急ぐ。


「可憐は俺が救う」


 孤児院にいた頃、可憐は苦痛の日々を過ごしていた東条を救い出してくれた。今度は自分が助ける番だと、東条は倉庫の扉を開いた。視界が真っ白になり、眼前にはジャンヌの姿があった。


「どうしたんですか、東条さん。そんなに慌てた表情を浮かべて」

「ジャンヌ。突然でなんだが頼みがある」

「なんなりと」

「俺の大切な人のために、この戦乱のフランスを救ってくれないか」


 東条は可憐を救うために、ジャンヌが救国の乙女となることを望んだ。行きつく先が火あぶりだと知る東条は悲痛で表情を歪ませていた。


「はい、喜んで」


 ジャンヌは、フランス国民のため、また戦乱のフランスを救うために東条自身が世界の覇王となる手助けを望まれていると解釈した。その表情はその言葉を待っていましたと言わんばかりに喜色に富んでいる。


 解釈のずれは生じたが、二人の目的は同じだった。この戦乱のフランスを救うこと。それだけが互いの望みをかなえる唯一の道だった。

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