第14話「ファビュラス……」

 抜け殻と化した、床に落としたセーターとスカート。

 鏡の前には一糸まとわぬ姿の美少女がいた。それも、裸の。

 ケチのつけどころのない綺麗な裸体の美少女が鏡に映っている。


 細い肩、大きさはないが弾力のある胸、適度に肉付きのいい柔らかな肌、たるみのない細い腰に、体のバランスから考えると少し大きなお尻。


 もしもこの子が家電量販店で水着DVD発売イベントを開いたとして、青と白のパネルの前で撮った写真がネットニュースになったとしよう。

 おそらくだが、女性の醜美に厳しいネット民からも「ノーチェンジ」というコメントでスレが伸びるだろう、という予感しかしなかった。そんな、死角のない美少女が鏡に映っていた。


「ファビュラス……」


 俺は鏡の中の自分に思わず見入ってしまう。けれども、どうしてか思っていたよりもエロい気持ちにはならなかった。


 エロい気持ちと罪悪感でいえば罪悪感のほうが若干勝っているだろう。

 なんというか完成度が高すぎて、欲情を掻き立てられないというかセラミック人形を見たときのような、確かに可愛いのだがエロとはまた違う魅力というか、とにかく思っていたよりも欲動が掻き立てられることはなかった。

 なんだか、ものすごくもったいないことをしているような気にもなるのだが……。冷静になってしまった以上仕方のないことだ。


 俺は見知らぬ、裸を一通り堪能したので湯船につかることにした。


「ふぅ……」


 熱めのお湯に首元まで浸かり、俺は浴槽のへりに肘をつき、誰の目を気にするこく大の字になりくつろぐ。


「はぁー」


 両手で顔をばちゃばちゃ洗った俺は、手のひらに触れる顔の面積と肌のなめらかさに、不思議な心地を覚える。


 率直に、見た目だけではなく、手触りからも「かわいい」がビンビンと伝わってくるのだ。手のひらで感じるかわいい。

 これはいままで俺が生きてきた中ではじめての体験であった。いま、俺は全身でかわいいーそう思うと心に暖かいオイルが一滴づつポトポト落ちてきてきて、じんわり保温されていくのがわかる。


 仕事のことで上司に褒められたり、告白が成功したりして感じる瞬発的な自信とはまた違った感覚の、暖かな肯定感が心に広がっていく。


「俺はかわいい」という自信は、客観的に自分を味わう事でもあるのかもしれない。「かわいい俺」が風呂場でゆったりくつろいでいる。「かわいい俺」が入浴剤のCMのように、ミルク色の湯船のなかで、右手で左腕をゆっくりと撫でる。

 そういった小さな所作ひとつひとつを絵として完成させる楽しみを覚えるのが「かわいい」と自覚することなのかもしれない。

 ツイッターでアイドルがやたらめったら自撮りを上げているのを見た時、ただのナルシストか自己承認欲求の塊かよ!としか思っていなかったが、いまならわかる。自分はかわいいという自負がある人間にとって、自分の可愛さを表現する事は、一種の貢献活動に似た気持ち良さがあるのだ、と。

 

 そう考えると、今日のミーティングや社長に対してのみんなの態度は社会人として舐め腐ったもの以外なにものでもないと思っていたが、彼女たちは世間を舐めているただのバカ、と言い切るだけでは済ませられない、自分の人生にはなかった特異点を持っているのかもしれない。


 そう思うとどのようにして美子を説得できるのだろうか、という疑念は膨らみ、根性論ではない突破口を用意しなくてはならない気がしてきた。


 小さい頃から周りにかわいいかわいいと連呼されて生きてきた美少女から見る世界と、俺のように、自分はおそらく中の中〜下くらいだと小学校高学年頃からぼんやり思ってきた人間とでは、目の前に映る世界のあり方も違うのではないだろうか。


「……やっぱ、端野に聞いてみるか」


 アイドル好きである端野の弱々しい表情が、再度頭に浮かぶ。

 昔からの親友であるが、おれはこの時ばかりは端野に対して謎の優越感を感じていた。端野、よかったな。いま風呂場で裸の美少女がお前の顔を思い出してるぞ、くそ萌えるだろ、この状況。もしこの状況を知ることがあったら、心の中でそっと感謝してくれ。


 端野も俺と変わらないアラフォーのおっさんであるが、端野の方が美少女に対して理解が深い。もしかすると端野に話を聞いることで、みんなのマインドを少し理解できるかもしれない。メールアカウントは生きていたことだし、端野に連絡をとってみるか。


「よしっ」


 俺は勢いをつけ湯船から立ち上がった。勢いをつけて立ち上がったが足の付け根に、なにも当たらない。感触がないというはじめての感触である。

 とっとと体を洗ってシャンプーをして風呂場から上がってしまおう、とシャワーの前に立った俺であったが、シャワーの前のシャンプー棚に用意されていたのは……またしても難問であった。

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