4――くたばれ(後)


 心理分析に詳しい専門家。

 徳憲は溜息をついた。あの人に頼まなければいけないのか。

 その人は有能な研究員だが、いかんせん素行がズボラで、勤務態度もよろしいとは言えない、身だしなみの悪いアラサー干物女だった。


「やっほー忠志くーん。データ持って来たー?」

「来てしまった……」


 警察総合庁舎の七階、科学捜査研究所フロア。

 その文書鑑定科に設置された『心理係』の研究室は、一〇名にも満たない心理研究員が忙しなく働く中、干物女だけは呑気にパソコンをいじっていた。


「今、手すきですか?」挨拶代わりに皮肉を飛ばす徳憲。「そのくせ毎日泊まり込みで残業しているんですよね? きちんと帰ってお風呂と着替えを習慣付けて下さいよ」

「やーよめんどー臭ーい。あたしは優秀だから半日でノルマ達成しちゃうしー、余った時間は個人研究にかまけちゃうのよねー。で、気付いたら終電を逃してるってわけー」


 彼女は、忠岡ただおか悲呂ひろ

 まだ二〇代だが、完全に女を捨てている。悲、なんていう縁起の悪い字を与えられた豪傑は、文字通り『心にあらず』なのかも知れない。


「声紋鑑定はどーだったのー?」

「怯間恫吉さんと一致しました」


 鑑定結果の書類を携えて、徳憲は答えた。

 あれから数日、怯間の助言通りに声紋を調べさせた結果がこれだ。


「脅迫電話の声は加工されていましたが、電気係の解析で本来の声を復元させました」

「ふーん。なら確定ねー」書類を受け取る忠岡。「線条痕もー、怯間くんの親が使ってた拳銃でしょー? もー言い逃れ出来ないわー」

「しかし、なぜ父が息子を狙ったんでしょうか」


「親子愛のもつれよー。愛するがゆえに殺そーとする、複雑な心境ってやつねー」


「どういうことです?」

「立てこもり事件の雑居ビルはー、立地的にも実ヶ丘駅の裏道に流れ弾が飛んでくことはなさそーよ。非常階段の窓から外へ撃たなきゃいけないからねー。仮に跳弾だとしても、どんだけ奇跡的な軌道を描いたんだっつー話」

「え! じゃあ恫吉さんはんですか!」


 殺意があったということだ。

 SITの報告によれば、ベレッタ92からは二発の銃弾が立てこもり犯へ発砲されたそうだが、それは虚偽の報告だったことになる。銃撃戦に便乗して、息子を狙った――。


「怯間家って父子家庭なのよー。若くして母が早逝してー、男手一つで息子を育てた。亡き妻の忘れ形見、愛の結晶……父がいかに息子を溺愛してたかは想像に難くないわー」

「ですね。息子の方も、そんな父に憧れて、同じ警察組織に就職したんですから」

「きっとー、幼い頃から警察官の正義や矜持を聞かされてたのねー。だから怯間くんは正義感をこじらせ、勧善懲悪のアニメや漫画にハマったのよー」


 中二病というやつか。

 ディフォルメされた架空の善悪二元論は、思春期を過ぎたら興味を失うものだが、怯間は卒業できずに生きている。


「怯間くんはー、俗に言う『ピグマリオン・コンプレックス』なのよー」

「ピグ……マリオ……?」

「正式な心理学用語では『ピュグマリオニズム』よー。中二病がこじれてー、二次元の人形に異常な愛着を持っちゃう嗜好のことー」

「人形……ああ」


 徳憲はそれを呑み込んだ。

 怯間は人形が好きだ。プラモデルやフィギュアを山ほど買い漁っている。


「でもー、そんな息子の趣味を、父は認めなかった。息子が人形へ愛情を注ぐにつれ、現実の親子愛は薄まったんじゃないかなー?」


 理解のない家族は「人形なんか捨てろ」と罵倒し、トラブルに発展する例も多い。


「なるほど。恫吉さんは、と倒錯しかねない心境ですね」

「そーゆーこと。恫吉さんは『アブラハム・コンプレックス』なのよー」

「アブラハム?」


「旧約聖書に登場するアブラハムよー。神のお告げに従って息子を殺そーとするのー。これを読んだ実存主義者サルトルは『アブラハムが子を愛し過ぎる余り、神の啓示という建前を作って無理やり殺そうと考えた』って解釈したのよー」


「なぜ愛し過ぎると殺すんですか?」

「子供は成長すると親離れするけどー、親は子供が離れたら寂しーし、苦痛を感じる。その煩悶を解消するには、……って心理が芽生えちゃうんだってー」

「怖い考え方ですねそれ」


 徳憲は共感できなかった。そんな非人道的な思想、常人には承認できない。

 忠岡は書類をぴしゃりと手で叩いた。鼻を大きく膨らませる。


「そんな恫吉さんにー、天啓のよーに発生したのが『立てこもり事件』だったのねー」

「偶然、近くで立てこもり事件が起きたから、怯間さんを狙い撃つ機会が訪れた?」


 立てこもり事件、限定フィギュアの購入店……偶然が積み重なった悲劇。

 コンプレックスは人を狂わせる。理性を乱し、そうせずには居られない複合心理を誘発させる。


「脅迫電話までかけちゃう辺りがー、恫吉さんの壊れっぷりを裏付けてるわねー。可愛さ余って憎さ百倍だわー。よっぽど息子を人形から取り戻したかったのねー」


 人形を捨てろ、という脅し文句があるからこそ、父親の動機に気付けた。

 恫吉は結果を渇望する余り、自ら墓穴を掘ったのか。


「忠岡先生。怯間さんには――」

「あたしが報告しとこーか? 心理学者の口から教えたほーが納得されやすいっしょー?」

「え……大丈夫ですか?」

「何よー。あたしはいつだって、を最優先して動いてんのにー」


 忠岡は、にやりと口の端を吊り上げた。

 底意地悪そうな顔である。徳憲には、腹に一物抱えた悪魔の笑みにしか見えなかった。




   *




「父上ッ! 父上は居るかッ!」

「おお、愛しの息子よ。今日が退院だったのか? 儂も帰宅したばかりでな、洗面所で手を洗っていたのだ。水が気持ち良いぞ」

「今日は病院を抜け出して来たのだッ! 何が『愛しの』だ、白々しいッ! 例え世間を騙せても、我が琥珀色の千里眼はごまかせんぞッ!」

「ただのカラー・コンタクトだろうに」

「黙れッ! 父上が立てこもり事件に出動していたのは知ッているッ! 父上の撃ッた弾丸が轢き逃げ事件に関与したこともなッ」

「は? 藪から棒に何を言っているのだ?」


「実ヶ丘署の捜査チームが確認中だッ! いずれ父上にも事情聴取が来るだろうッ! だがその前に、我は父上に自首を勧めたいッ!」


「まさかそのために、病院から勝手に外出したのか? 儂は何も知らんぞ」

しらを切る気かッ! もう許せんぞ、警察の面汚しめッ! 犯罪者は二度と警察に戻れないッ……親族に警官が居た場合、その人の出世も閉ざされるッ! 我はもう科捜研で頭角を現せなくなッたじゃないかッ!」

「儂が一体何をしたと? 息子よ、のだ?」


「父上は子離れできず、我が趣味を愚弄し、我を亡き者にしようとしたッ!」


「ああ、お前の部屋の人形なら確かに気色悪かったが……さすがに手は出しておらんぞ。安心するが良い」

「信じられるものかッ! 我は自衛のために、人形を守るために、大罪人である父上を罰しなければならないッ!」

「む? 何をするつもりだ――」


「喰らえッウォーター・スプラッシュ!」


「――ぶはっ。息子よ、洗面所の水道水にホースをつないで噴射するんじゃない! 全身ずぶ濡れになってしまったではないか」

「クックック、それでいい……我こそは稲妻を司りし白銀の堕天使……火花と電撃を操る電気係の申し子ッ!」

「ん? それはドライヤーか? おい、何をしている……うおっ、自らコードに手をかけて引きちぎっただと? 危ないぞ!」

「フンッ! どうだ、これでコードの中身が剥き出しになッたぞ。電気コードには二本の銅線が入ッている。それは電流がほとばしる凶器でもあるのだッ!」

「まさか、儂を感電死でもさせるつもりか?」


「感電死は、一般家庭の電化製品でも充分に可能だッ! 電子機器を風呂に落として感電死する事例は毎年起こッている! わずか百ボルトの電圧でも、のだッ!」


「! 儂を水浸しにしたのは、感電しやすくするためか――」

「海外の死刑執行に使われる電気椅子は、電流わずか八アンペア。そして日本の一般家庭は、電流一五アンペアが標準……電気椅子の二倍ッ!」

「息子よ、コードをこっちに向けるな! 近付けるな! やめろ――」

「我が正義の御名みなにおいて、悪しき父上よ……くたばれ――――――――ッ!」




   *




 怯間宅で、恫吉の死体が発見された。


 徳憲が事情聴取しに訪問した所、玄関が開いていたのだ。屋内では、洗面所から廊下へ横たわる恫吉の亡骸があった。

 恫吉は全身に水をかぶっており、胸と背中に大火傷を負い、ドライヤーの銅線を巻き付けていた。水は電気伝導率が高く、心臓部に導電したら簡単に死ねる。


「自殺、か?」


 徳憲はそう推測した。

 銃弾と声紋、二つの証拠が出たことで、恫吉も観念したのだろうか。彼はコンプレックスで切羽詰まっていたから、懊悩の果てに自ら命を絶ったとも考えられる。


「他に恫吉さんを殺そーとする人なんて居ないしねー?」


 後ろからひょっこり顔を出したのは、忠岡だった。

 同伴を要請したら二つ返事で付いて来たのだ。死体を前にしても不敵な笑みを浮かべており、まるでこの結末を予期していたようなだった。


「忠岡先生はどう見ますか?」

「んーとねー。父殺しを企むのは息子の怯間くんくらいだけどー、彼はまだ入院中だからねー。恫吉さんは自宅に独りきり……どー見ても自殺だよー絶対だよ絶対ー」

「引っかかる言い方ですね……よもや怯間さんを焚き付けていませんよね? 先生が怯間さんに心理分析を伝えた際、こっそりとか――?」

「やだー忠志くんってば疑り深ーい」


 忠岡は顔を背け、ぺろりと舌を出した。ついでに下手クソな口笛まで吹き始める。普段はそんな真似しないくせに。


(忠岡先生は、職場仲間である怯間さんの肩を持ったのか? 息子に銃撃した恫吉さんは警察の面汚しだし、怯間さんと対立していたから、抹殺させようと――?)


 徳憲には判断が付かない。

 後日、このことを上に報告すると、お偉方は警察の不祥事になりかねないと危惧し、恫吉の感電死を『自殺』で処理するよう徹底した。

 銃弾のことも、怯間家のいざこざも、全てうやむやのまま解決となった。




   *



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