05

 シュウトは完全に頭に血が上っていた。


 なぜ、オレの攻撃は当たらない。


 なぜ、こいつの攻撃はこんなに当たるのか。


 しかも、すべての攻撃が急所を狙ってくる。

 焦りは攻撃の精度をさらに落とし、的確に急所を狙われることに恐怖の感情が湧き上がる。今まで、人間相手の喧嘩ではほとんど一方的になぶってきた。怪物との戦闘だって勝ってきた。


 オレは強い。


 喧嘩ならクロとだって互角にやりあえる。


 そう思っていた。

 最初の不意打ちは確かに仕方ない。だが、この一連の攻防でこうも一方的になる理由が判らない。


 なぜ、こうなる?


 そのうち思考が鈍り、自分で何を考えているのかも判らなくなってきた。そして半ば無意識だったろう。彼はロムの顔を見た。その表情には感情がなかった。そう、怒りや憎しみどころか憐れみさえ浮かんでいなかったのだ。


 ただの作業だってのかよ……。


 それに気付かされたシュウトの中で何かが切れた。

 右のハンマーパンチに下突きを合わせる。もちろん鳩尾に。その感触はそれまでのものと違い力の入っていないもので、体の奥にドンと衝撃が入り込んだのが伝わってくる。耳元で短くうめき声が聞こえ、右拳にシュウトの体重がのしかかってきた。

 彼は、拳から力を抜く。シュウトの体がずるりと崩れ落ちる。


「ロム……」


 ヒビキがレイナの肩を借りて近づいてきた。

 二人とも洗いざらしの濡れた髪が色っぽい。


「あぁ……」


 と、ロムが横を向く。


「あっ……」


 と、レイナが顔を赤くして心持ちヒビキの後ろに隠れるような位置になる。


「ありがとう」


 と、ヒビキが手を差し出す。視線の向ける場所に困ったように目を泳がせながら、ロムはその手を握り返した。


「見られたかな?」


 そこは大人の女性ということか。敢えてそこに踏み込んでくる。


「あー……まぁ、じっくり見たつもりはないんだけど……その……うん」


「そうか。気を失っていた間のこととはいえ、そうとわかると恥ずかしいな、やっぱり」


 ちらりと伺ったヒビキの顔も少し赤い。化粧品の用意ができないこの世界では、誰もが素顔である。際立って整った顔立ちはまさに素顔でも別嬪すっぴんだ。そんなヒビキが恥じらえば大人の魅力の付加価値がつく。ましてちらりと一瞬だったとはいえ、一糸纏わぬ姿を見ているロムの脳裏にはチラチラとその姿が浮かぶ。

 小刻みにふるふると首を振り、頭の中からイメージを追い払うと、辺りを見回す。


「俺は悲鳴を聞いてここに来たわけだけど、他のメンバー誰も来てないね」


「ああ、ある意味ありがたいけど、どうしたんだろうね」


「……と、とりあえず。こいつ縛っとこうか」


 言葉の向こうにある意味で再びイメージが湧き上がるのを無理やり押さえ込んだロムは、ヒビキに手伝ってもらってシュウトを縛り上げる。


「レイナは大丈夫だったのか?」


 ヒビキに問いかけられたレイナは消え入りそうな声で「ひ……ロム……に助けてもらったから」と答える。


「そりゃよかったな」


 ヒビキはレイナの仕草でおおよそ察しがついたらしく、それ以上追求することはしなかった。


「それにしたって確かに他の連中はどうしたんだって話だよね」


「もうしばらく待って誰も来ないようなら、移動します?」


「そうしようか、ね? レイナ」


「え? うん。お任せで」


 三人は荷物を片付けて一箇所に集める。ジュリーたち三人は冒険者らしく荷物を持ったまま移動しているのでここにはない。クロとコーの荷物も毛布などキャンプ用具の類が置いてあるくらいで、武器や食料、応急セットなどは持って歩いているようだ。このあたりは流石と言えるかもしれない。


「なんだかんだでコーちゃんも冒険者だね」


「あいつはどうする?」


 移動するために荷物を振り分け終わった時、ロムがシュウトに顔を向けて言う。まだ意識を失ったままのようだ。


「ここは安全地帯のようだ。君たちが言っていたようにゲームの作法みたいなものに則っているんだとすればここに残していても大丈夫じゃないのか?」


「そうですかね?」


「人道的にどうかと自分自身思わなくもないが、たとえ怪物に襲われてもと思っているんだ」


「率直ですね」


「君はそう思わないのかい? ロム」


「一緒に居たくないってのには同意しますけどね」


「レイナはどう思う?」


「え?」


 ヒビキにふられて戸惑うレイナをおもんぱかってか、ロムが助け舟を出す。


「配慮不足ですよ。ヒビキさん」


「ああ、そうだな。レイナに聞くことじゃなかったかもしれない」


「縄はほどいておきましょう。最低限の良心として」


「武器はどうする?」


「まぁ、モーニングスターはこいつのもんですし、取り上げちゃうと怪物と戦えませんからね」


「案外お人好しだな、君は」


「何度やっても負ける気しませんし」


 さらりと言ってのけるロムを見て呵々と大笑しながら、ヒビキはレイナの腰を抱える。


「どう思う? レイナ。こんな男」


「ヒビキさん!?」


 慌てて抗議するレイナの仕草が年相応で、ロムはなぜかホッとした。

 初めて会った時からどちらかといえば控え目でおとなしい女の子だと思っていた。兄の友達とはいえ、男ばかりの中にいたのと初対面の自分に遠慮していたのもあるだろう。ただ、そんなところが自分の知っている明け透けでともすればガラの悪い印象を与えてくる同年代の女の子たちとは違っていて新鮮と言うか、好ましいものという感慨があった。

 再会したレイナは過酷な環境によるものか、大人しいという印象以上に老成した印象があった。ヒビキや同居していたマユとのたわいない会話にも十代の少女というよりヒビキたちと同じ「お姉さん」の雰囲気みたいなものを感じていた。だから今目の前で十代の、思春期の少女らしいレイナに自身の恋心を刺激されていることを自覚する。


「実際どうだろう? レイナちゃん」


 などと笑いながらいうロムにレイナは顔を真っ赤にして拗ねてみせる。


「ヒロムくんまで……もう、知らない!」


(ヒロムくんときたか)


 と、思いつつヒビキはさらに意地悪したくなり、こう追い討ちをかけた。


「自分で聞いといてなんだけど、やめといたほうがいいぞ、レイナ。こいつなかなかの女たらしと見た」


「あ。ひどいな、ヒビキさん。コーさんに言いつけてやる」


「な、なんでコーなんだよ」


「え? だめですか?」


 この手の会話では芸能の世界にいながら思いの外スレていない恋愛に奥手なヒビキより確かにロムの方が一枚も二枚も上手なようだ。

 クロではなくコーを引き合いに出すことでジョークを装いつつしっかりと色恋の牽制をしてきた。


「行きましょ、ヒビキさん」


 しどろもどろになるヒビキに助け舟を出したのはことの発端とも言えるレイナだった。

 三人は泉を囲む森をぐるりと歩いてみた。ロムがいた場所から時計回りに歩くと他の冒険者がどの辺りにいたかだいたい見当がつく。下草を広範囲に踏み荒らしているのはジュリーたち三人で間違いない。後をだどりやすいこの跡から追っていくことにした。しばらく行くと、あとの二人と合流しているようだ。そこから先はそれまでと違って痕跡が判りにくくなっている。

 何かを追跡していたのだろうか?

 ロムは、二人を残して森の奥に分け入っていく。時々二人が視認できることを確認しながら探索を続けると、獣道らしきものがあった。この道を通るのはどうも四つ足の獣とは違うようだ。丹念に調べたいところだが彼にはそんなスキルはない。他の二人ならどうだろうか? 多分自分と大差ないだろう。こういったスキルはサスケの独壇場といっても過言ではない。時間を測るすべのない今はいつどうなるか判らないと見切りをつけ、彼は二人の元へ戻ることにした。


「何か見つけたんだな?」


 ヒビキが声を潜めて問いかける。

 ロムは頷いて見たままを説明する。


「なるほど、その獣道を通る何かを見つけて跡を追ったと見て間違いないな」


「どちらを追います?」


「どちらって?」


 レイナがロムの質問の意図が判らず問いかけるのに答えたのはヒビキである。


「確実に後を追えるのは獣道の方なんだ。けど、その何かにこちらが見つかる可能性も高くなる」


遭遇エンカウントってやつだ」


「わかった。その『何か』の行先を追うのか、それともお兄ちゃんたちがどこにいったかを突き止めるか? って選択だね」


「そういうこと」


「じゃあ、私はお兄ちゃんたちの後を追うのに一票」


 即断即決は、彼女がこの世界に閉じ込められてから身についたものだった。

 最初に集められた人たちはレイナもそうだが、何が何だか状況が飲み込めないままに生きていくしかなかった。そのうち様々な場面で決断を迫られる。最初のうちは話し合いで決めることにしていたが、議論慣れしていない日本人には合議が難しい。それぞれに特に主張もなく、誰も責任を取りたくないことも相まって事なかれ・現状維持論が主流となり問題が先延ばしになった末に不本意な状況に陥ることが続いた。

 やがて、自称元軍人という日系アメリカ人が来て少し状況が変わる。彼がリーダーシップを取ることでほんの僅かだが事態が好転したのだ。しかし、彼はすぐに独断専横になり、ついには何人かを連れ立って南門へ向けて探検したかと思うと町の住人に見えるところで人造人間ホムンクルスに全滅させられた。

 街の自治が本格的に機能し始めたのはタニが話し合いを主導するようになってからだ。彼は、問題解決に必要な情報を提示させてから議論を始めた。「問題に対してどうするか?」の前に「何がどう問題で何が求められているか?」を明確にすることから始めたのだ。最古参住人として常に話し合いに参加していたレイナは必然的に情報収集と分析能力を身につけ、無意識に近いレベルで決断を下すことができるようになったのだ。その能力こそが華奢で非力な少女を街で五指に入る戦士たらしめている。


「じゃあ俺もそれに賛成しよう。途中で別の何かに遭遇している可能性もある。行った先で彼らに会えないんじゃ意味がない」


「そうだな」


 意見が一致し、三人はジュリーたちの足跡を追うことにした。

 五人で進んだはずの道は一本の細い獣道として確かに残っている。方行的には泉から遠ざかるように続いている。いつ頃通ったのかは判らないが、なるほどこの鬱蒼とした森を草木をかき分けながら泉から遠ざかるように移動していたのならあの悲鳴に気づかなかったのも頷ける。人工的な森には動物の気配が全くなく、わさわさと茂みをかき分ける音だけが彼らを包む。

 五分くらい歩いただろうか? 不意な何かの音が聞こえた気がしたヒビキが立ち止まる。


「何か聞こえなかったか?」


 二人も立ち止まり耳を澄ますと、確かに音が聞こえる。


「この先ですね。話し声じゃない。戦闘とも違う。なんだろ?」


「でも、人の立てる音っぽい」


「うん。道具を使う音だ」


 三人は姿勢を低くして茂みに隠れるように進む。茂みは唐突に終わり、開けた場所には洋館が建っていた。

 ロムとヒビキはさすがに武道家だ。気配を殺して何事もなかったかのようだった。しかし、レイナの気配が揺らぐ。さっと緊張して周りの空気がピリッとするのを二人は感じた。ヒビキとロムはちらりと視線を交わして頷きあう。付き合いの長さではない。格闘の達人同士の信頼感からくるアイコンタクトだ。


「レイナ、こっち」


 ヒビキが耳元で囁き、彼女たちは元来た道を少し戻る。


「どうしたんですか?」


「うん。……その、なんだ……」


 ヒビキの歯切れの悪い受け答えの意味がレイナには理解できない。ロムはレイナに顔を近づけ無垢な瞳を覗き込む。


「『気』って判るかい?」


「……殺気のこと?」


 見つめられたことにドギマギするレイナは、目を泳がせながら答える。


「コボルドやオークが戦闘で放つ殺気もそうだけど、生き物の気配全般のことだよ」


「それがどうしたの?」


「ある程度戦闘慣れすると敵の殺気を感じることができるようになるのは体感してると思うけど、本格的に修行すると、殺気以外の気も感じ取れるようになるんだ」


「アニメのキャラみたいに?」


「そういうこと」


「それがどうしたの?」


 その問いにはヒビキが答える。


「レイナの気がはっきり変わったんだよ」


 実際にはそこまで極端な変化ではなかった。しかし、二人にはその緊張感・心の揺らぎがはっきり感じ取れたのは事実である。


「洋館には複数の人の気配がする。怪物モンスターじゃない、人間の気配なんだ」


 そう言われたレイナの気が再び変化した。一連の極限状況で研ぎ澄まされている二人の感覚センスはその領域にまで入り込んでいるのだ。二人は自分たちが到達したレベルが二人だけのものであるはずがない。他にもいるだろうという前提でこの先に対処しようと判断したのだ。


「レイナ」


 と、ヒビキが覚悟を促す。


「私たちのように修行したことのないレイナに無理なお願いなのは百も承知なんだけど、平静で居続けて。自然体でいいんだ」


 自然体。


 (それが一番難しいことだろうに)と。ロムは心の中で苦笑する。もちろん顔や態度に出すほど未熟ではない。


「わ、わかった。頑張ってみる」


「頑張っちゃダメなんだ」


 真剣な顔でレイナに自然体の極意を説こうとするヒビキを止めてロムが言う。


「俺たちがついてるから大丈夫だけどね」


 その一言でレイナの気配が穏やかになる。ヒビキには全幅の信頼を置いている。戦闘だけでなく、公私ともに助けてもらったこれまでに培ってきた結びつきは伊達ではない。付き合いと言えるほどの関係性はないが、ロムのこともまた信頼している。エクスポでのさりげないサポートは彼女の心に強く焼き付いている。あの日、連れ去られるレイナに最後に手を差し伸べてくれたのもロムだった。


(彼なら助けてくれる)


 そんな根拠のない希望があの街で過ごした三年近い日々を支えていたのだ。その思いはいつしかほのかな恋心に変わり、理想の男性像が投影された想像の中のロムはよく「そんな王子様みたいな男はいないよ」とヒビキたちにからかわれたものだ。自分でも「そうだよね」と言えるほど乙女すぎる夢想だと思ってた。しかし、どうだ? 多少のギャップはあれど、幻滅するどころかますます好きになる。いや、改めて現実のロムのことが好きになった。そんな彼がヒビキとの複数形ではあったが「ついているから大丈夫」と言ってくれたのだ。恋する乙女にこれ以上の言葉はない。

 レイナは二度三度と深呼吸を繰り返す。やがて落ち着いたのを確認したヒビキが出発を促し、三人は洋館へと向かう。

 綺麗に刈り揃えられた芝生の広がる前にははなんの遮蔽物もない。洋館の外に人の気配がないことを確認しつつも慎重に進む三人が玄関の前に辿り着く。改めて洋館を見ると多分に日本的な装飾が施されたアール・デコ調の外見三階建ての洋館だ。直線的な造形の中に花鳥風月をモチーフとしたレリーフが見られる。そのくせ真鍮製のドアノッカーはライオンと言うベタさ加減。同じく真鍮製の取っ手のようなドアノブを回すと、ロムの思った通り鍵はかかっていない。

 両開きの扉は軋みもなく開く。

 エントランスは吹き抜け、豪華なシャンデリアから降り注ぐ光は電球色で温かみがある。床は大理石が敷き詰められている。正面には赤絨毯敷の階段があって踊り場から左右に折り返すように二階へと続いている。扉の向かって左に外套掛け、右手には観葉植物が飾られていてさしずめニューヨークのホテルのようだ。

 ロムとヒビキは目を閉じて神経を研ぎ澄ます。上の階の状況は判らない。しかし、一階なら建物の構造は判らなくともどっちの方向に人の気配があるかくらいなら判る。


「結構多いな……」


「五、六?」


「や、もっといますよ」


 流石に漫画などのように正確な人数や位置関係が判るような訳にはいかない。それでも気質が和やかなのは感じ取れる。


(しかし……)


 と、ロムは一抹の不安を覚えていた。

 全体としては和やかな気が集まっているのだが、その奥に冷たい緊張感が隠れている気がしてならないのだ。取り越し苦労ならいいがとヒビキを伺うと、彼女もまた表情にわずかな険が現れている。ロムはこちらを向いたヒビキに唇を引き結ぶことでレイナに判らせないよう意思を伝えた。わずかに鼻で笑って見せたヒビキは、ほぅと息を吐くと先を促す。

 廊下を通り人の気配のない扉を無視して問題の扉の前に立つ。ここまでくればレイナにも中に複数の人がいることがはっきり判る。二人にはもっと様々な情報が伝わっていた。ロムは扉を三度叩き《ノックして》おもむろに開いた。

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