04

 一面が開放された大きな箱。四人の冒険者がその中に入るとその箱がり上がる。

 鎖で吊られているため引き上げられるたびにジャラジャラと音がなるのは果たして意図的な演出なのか。ゆっくり、ゆっくりと迫り上がる間四人は否が応でも緊張感が高まる。

 やがて箱は天井を超え、彼らを上の階に誘う。

 そこには彼らが想像していた通りの円形闘技場が広がっていた。

 一つ予想外だったのは天井が解放されていて部屋の天井、室内照明が見えていたこと。

 二人の男がニタニタとこちらを見下みおろしていたことだ。

 そして彼らの正面には十人の若い男たちがこれもニタニタと笑いながら、近寄りたくない雰囲気を醸し出してこちらをくだしていた。

 「これか」と四人は下町の迷宮亭の店長マスターが調べてくれたレポートを思い出す。


「これ、マジか…」


 蒼龍騎が青ざめた表情で呟く。

 彼は御多分に洩れず、中学高校とこの手の相手とは極力関わらないようにしていたオタクである。

 特にいじめられていたという経験こそなかったが、十分に苦手意識を持っていた。


「それで縮小機が三台もあったのですね…」


「きっちりこちらの倍、十人用意していたでござるな」


「こっちは四人だ。倍以上だろ?」


 三人も軽口を言い合っているようだが、蒼龍騎同様できれば関わりたくない部類の相手だと思っている。


「こちらはロムが参加していませんからね。結果相手の優勢が強まっています」


「一人足りないだけじゃないだろ。最大戦力が欠けているハンディキャップマッチだ」


 震える声を隠そうともせず蒼龍騎が不安を口にする。

 三人もそんなことは百も承知だ。

 相手の実力のほどはわからなくてもロムの実力なら分かっている。

 四人束になってかかっても五分と持たないほど力量差があることを。


「……ここを切り抜けられないようじゃ、レイナに辿り着けない。何としても勝つんだ」


 ジュリーが低く唸るように呟く。


「……でしたね」


「ゼン、出し惜しみは無しでござる」


「人相手に試すとは思いませんでした」


 ワナワナと震える唇をどうにか押さえつけて答えながら、彼は右手に握る杖に力を込める。


「さぁ、始めようぜ、オタクども」


 他の男たちより半歩前にいた男が少年の声で叫びかけてきた。

 そこには圧倒的優位からくる余裕のあざけりがあり、かさにきた威圧があった。

 戦う前から四人はすでにこの状況に呑まれている。

 ゼンはそこだけは冷静に意識していた。

 だからと言ってどうにかできる打開策など考える心の余裕はない。

 ジュリーもこのままでは一方的にやられる光景しかイメージできず、未だ戦闘態勢をとることすら忘れて棒立ちのままでいた。


「オラ、行くぞてめぇら!」


 それが合図であったかのように住人がこちらに向かって走り出す。

 体感距離にして三十メートルほど、十秒もしないちに接敵するだろう。


 その時。


「典型的な悪役のセリフだな、おい」


 その声は天から降ってきた。


 それは彼らにとって天の声だった。

 声の調子、タイミングそして何よりその表現が彼らを主人公側に据えた発言であることが強張こわばった心と体をほぐす。

 ジュリーなど「ぷっ」と吹き出したほどである。

 その効果は味方だけでなく、敵にも現れた。

 突然自分たちに向けられた嘲りに足を止め、彼らは天を見上げた。

 そこには困惑といぶかしさの浮かぶ二人の男がいるだけ。

 彼らを知っている十人は声の主が彼らではないことだけが分かっている。「一体誰が?」と考えてしまう。


 そう、その効果は絶大だった。


 四人の冒険者は武器を構え、先制攻撃をすべく走り寄る。

 数的不利は間違いない。

 だからこそ先手を取らなければならない戦いだったのだ。

 しかし、実際には場の雰囲気に呑まれ、常に後手後手に回らされていた。

 いや、後手どころかあのままであれば防御もままならず一方的にやられていた可能性も否定できない。

 それを少なくとも攻勢に出ることができるほど劇的にひっくり返してもらった。

 まさに天の声だった。


 ジュリーがいち早く接敵してずんぐりむっくりの男に体当たりをかます。

 不意を突かれた男は身構える間も無く衝撃を受け、仰向けに弾き倒されそのまま起き上がってこない。

 鎧を通して感じる人の感触。

 ジュリーはその生々しさに顔をしかめながら片手で水平に大きく剣を振り回す。

 その先には痩せぎすの男がいて胸に当たる。彼らも防具は身につけていたようだが、それはアーマーというよりプロテクターという方がしっくりする防具であり、剣打の衝撃を防ぎきるほどの防御力はなかった。

 「自分たちは一方的に殴る側」そんな意識でいたのかもしれない。

 苦し紛れ、破れかぶれの攻撃で不用意な一撃をもらわないための用心。

 そんな程度の装備だったがジュリーの強烈な一打はしかし、それだけではさすがに倒れてはくれなかった。

 防具がなければあるいは大ダメージを与えていたかもしれないが、人の体はそこまで脆弱ではないようだ。


 「てめ」


 痛みに顔をしかめながら手にしていた鉄パイプのような棒を振り上げる。

 とっさに足を止めて腕で防ぐ態勢をとるジュリーだったが、すぐに腹から声を出しつつその腕で顎をかちあげるように前進する。

 武器を振り上げた勢いもあってか男は踏ん張ることができず二歩三歩とたたらを踏んで後退する。

 間髪入れず逆胴打ちで脇腹を薙ぐと相手は短く唸って体をくの字に曲げ膝をついてうずくまる。

 嫌な感触が両手に残っている。

 感慨に浸っていたつもりはなかったが、その思考は隙を作ってしまっていたようだ。

 突然背中から鈍い痛みが彼を襲う。

 ジュリーの最初の攻撃ターンは終わり、相手のターンが始まった。


 ジュリーに数歩遅れて蒼龍騎が攻撃の間合いに入る。

 彼は、最初に声を出した男に剣を振り下ろした。

 どんな心の作用があったのか、無意識に定めた狙いはおそらくリーダーを倒せば的な感覚だったのかもしれない。

 その攻撃は右肩に当たる。


 「いっ…てェな、このやろう!」


 恐怖に引きつった表情で必死に二撃目を打ち下ろしたもののその攻撃は相手の攻撃と同時、相打ちになる。

 精神状態が災いしたのだろう。

 左腕に装着していた盾で防いでいればダメージなどなかったはずである。

しかし、剣を振ることばかりに意識が向い防御がおろそかになった結果、相手の剣は彼の鎧を装着していない左上腕をしたたかに打ち据え彼の攻撃ターンを完全に終わらせる。

 あとは痺れで上がらない左腕を右手でかばうように持ち上げ必死に相手の攻撃を防ぐだけだった。


 サスケは、背負ってきた刀を右手で左肩越しに引き抜くと、その勢いのまま自分より大きいかという男を袈裟懸けに打ち据え、弾かれた刀を両手で握り直すと逆胴に振り抜き、さらに右袈裟に斬り下ろす。

 逆胴で前屈みになっていた男は最後の袈裟懸けに撃たれてそのまま倒れた。

 サスケはそれを視界の隅で確認しながら、他の男たちの様子を伺いつつゼンをかばうように男たちから距離を取る。

 そのゼンは戦闘領域に追いつくと男たちの動向をチラチラと確認しながら杖の操作を始めた。

 この数ヶ月彼らはロムとの稽古こそしていたが、実際の対人戦闘は初めてと言っていい。

 ケンカ慣れしていそうな相手とは経験値に大きな隔たりがあるのは火を見るよりも明らかだ。

 このまま戦い続けても勝ち目はない。

 戦況は四対七。すでにそれぞれ一対二で防戦に回っているジュリーと蒼龍騎はジリ貧だし、鎖を振り回す三人に囲まれじりじりと追い詰められている二人も時間の問題と言えた。

 先制攻撃には成功したが劣勢をひっくり返せるほどの戦果にはならなかった。

 この状況を跳ね除けられるとすればゼンの杖だけ。

 だからこそ絶対に失敗は許されない。

 いや、成功するだけではダメだ。

 最高のタイミングで起死回生の一撃としなければならない。


(人に向けて使っていいものか…)


 などと倫理的な考えがよぎるが、そんなことを言っている場合ではないと心の中で三度自分自身に言い聞かせる。


「サスケ、サンダーボルトを放ちます。できれば三人同時にダメージを与えたいのですが、いい案はありますか?」


 意を決したゼンがサスケにたずねる声を聞き咎め、彼らを囲む三人が互いに顔を見合わせ下卑た笑みを浮かべる。

 真ん中の一番小さい男が嘲るようにこう言った。


「はっ、サンダーボルトだぁあ? ただのコスプレオタクがカッコだけで魔法を使える気になってんじゃねぇよ。妄想は病院のベッドでするんだな!」


 言って金属の鎖を振り上げ攻撃を仕掛けてきた。

 同時に他の二人も分銅付きの鎖を投げつけてくる。

 サスケは帯の後ろに差し込んでいた短刀を右手で抜くと最初に投げつけられた正面の男の鎖を絡めさせ、左手で持っていた刀で後の鎖を巻きつけさせた。


「やるもんだな忍者コス。だがこれでお前の武器はもう使えねぇ」


「使えなくなったのはそちらでござる」


 ぼそりと呟くと、サスケは二本の刀を十字に重ねて力ずくで掲げてみせる。

 そこは濃密な時間を過ごした信頼関係であったと言えるだろう。

 十字に交差した時点でゼンはサスケの意図を読み取って、掲げられた刀に杖を添えるとジュリーのお株を奪うような芝居がかった叫びでジュリーたちを殴りつけていた四人の注意を引く。


「喰らえ! サンダーボルト!」


 杖のスイッチを押すと杖から刀に向けて青白い閃光がほとばしる。

 圧電素子に衝撃を与えて高電圧を作ってスパークさせる電子ライターなどで用いられる点火装置のそれである。

 と同時に鎖を持っていた三人が叫び声をあげて鎖を手放してうずくまる。

 手放された鎖の一つ、短刀に巻き付いていたものを手に取ったサスケはぶるんと鎖を縦に振り鎖の波チェーンウェーブを生み出すと、鎖は生き物のように真ん中の男にたどり着く。


「サンダーボルト!」


 サスケが鎖から手を放すとゼンが鎖に杖を立て、スイッチを押す。

 二度、三度と攻撃するたびにビクッと仰け反る男が人であるということをできるだけ意識の外に押しだしながら、ゼンは必死にアニメのキャラのような冷静沈着な魔術師を演じようと心がける。

 その間にサスケは刀に巻き付いていた二本の分胴付きの鎖を取り外す。

 衝撃から帰ってきた残りの二人がゼンに殴りかかってきた。

 一人はサスケが間に入って牽制することで立ち止まったが、もう一人が拳を振り上げる。


「フラッシュ!」


 ゼンは杖の頭をその男の顔に向けて別のスイッチを押すとLEDのライトが細かく強く明滅する。

 突然のことに男が目を瞑り、顔をしかめたのを見てとったゼンは素早く杖の先端を男に押し当て叫びながら例のスイッチを押す。


「サンダーボルト!」


 それは泣き声のような悲鳴のような響きだった。

 表情も泣き顔といってよかった。

 一方的に殴られたことなら一二度ある。

 しかし、喧嘩はしたことがない。

 確かに今目の前にいる男たちは彼らに敵意を込めて暴力を向けてきている。

 しかし、生まれてから二十年ちょっと。

 一度も肉体的暴力の行使を経験してきていない彼にとって自分の拳ではないとはいえ(いや、だからこそか)、その暴力の行使という行動が彼自身の精神メンタル値を削っていたのだ。

 杖に仕込まれている装置ではスタンガンのような攻撃力は生み出せない。

 だが、それでも何度も受ければ肉体以上にその衝撃を認識する精神がダメージを受ける。

 「サンダーボルト」を何度も受けた二人は戦意を喪失しその場にうずくまった。


 最後の男と対峙したサスケは柄を握る手を顔の横まであげて頭一つ低い相手を睨みつける。

 さつげんりゅうでいうところの蜻蛉とんぼの構えだ。

 こちらも喧嘩の経験は小学生の頃にクラスの友達とごっこ遊びがエスカレートした一二度程度とないも同然であり、喧嘩慣れしているであろう(少なくともこの闘技場で何度も戦っていることは想像に難くない)相手に分があるのは十分自覚している。

 だから『一の太刀を疑わず、二の太刀要らず』と教えられたという示現流で一撃勝負を選んだのだ。

 もちろんこれは時代小説の受け売りであってサスケの剣術はロムから教わった剣道の初歩ともいえない幾筋かの素振りで出来ている。

 相手がファイティングポーズのまま動かないのも明らかにこちらを警戒してのこと「武器を持っている分こちらが圧倒的に有利である」と心の中で何度もつぶやき自己暗示をかける。

 ジリジリとすり足で刀の間合に詰めてゆく。

 普段のバリトンボイスとは違う甲高い裂帛れっぱくの気合い。

 示現流独特と言われる叫び声とも言える掛け声とともに刀を振り下ろす。

 確実性を意識するあまりいつもより一足いっそく間合いを深く詰めすぎてしまったからだろう。

 それは幸か不幸か刀身の半ばあたりで相手の肩を叩くことになった。

 結果、もちろん有効打となり相手を倒すことに成功したものの相手に鎖骨骨折などの大けがをさせることなく済んだ。


 これで戦況は四対四。


 数的不利はなくなった。

 しかし戦況が不利なことには変わりがない。

 ジュリーも蒼龍騎もそれぞれ二人を相手に一方的に殴られている。

 金属製の鎧が確実に致命傷から守ってくれているとはいえ衝撃をゼロにできているわけではない。


「コウ、お前はあっちをやれ」


 蒼龍騎を嗜虐しぎゃく的な表情で殴りつけていたリーダー格の少年は興奮で周りが見えず一緒になって殴りつけていた男にいう。


(周りが見えていたのですね)


 ゼンはこめかみあたりから冷や汗が一筋流れるのを感じて、思わず手の甲で拭う。

 言われた男が面倒くさそうに二人を睨みつけると、だるそうに鉄パイプを引きずりながら近づいてくる。

 日本刀には不利な得物だ。

 サスケは左手に短刀を逆手持ち、右手にも逆手持ちの刀を握って構えながら武器を損失せずに勝つ算段を始める。

 体格差は百八十センチを超える彼のほうが優位にある。

 相手はいいところ百七十二、三センチだろう。

 武器は一本の鉄パイプ。

 切り結んでは刀の方が折れてしまうに違いない。

 しかし避けていては相手の間合いに入れない。

 ダメージ覚悟で受けるといってもサスケの着込んでいるのは鎖帷子だ。

 実際どれほどダメージが貫通してくるか? その予測がつかずに身がすくむ。

 彼の後ろには肉弾戦がからっきしのゼンがいる。

 ダメージが深そうな蒼龍騎はすでに戦力にならないし、ジュリーも救わなければいけない。

 この後も主戦力として戦わなければならないサスケはまだタメージを負うわけにはいかないのだ。

 とはいえ目の前の男に手間取っていると蒼龍騎を殴りつけている男がこちらに加勢してくることになるだろう。

 迫り来る男の肩越しに見える光景はいつそうなってもおかしくないほど切迫していた。

 サスケは決断をする。

 ダメージは覚悟の前だ。

 彼は左手に握っていた短刀を手放すと再び示現流蜻蛉の構えをとる。

 そのサスケの帯を後ろからゼンが握る。


(前には出るな)


 そういっている。

 勝負を決する気ならばこちらから間合いを詰めて先手を取るべき局面だ。

 あえてそれをさせない選択を要求するのなら何か別の勝算が彼にはあるということに他ならない。

 サスケは振り返らずあえて腰を落とすことで「了解」の意を示す。

 カラカラと鉄パイプを引きずっていた男が突然パイプを振り上げ走り出してくる。

 サスケはぎゅっと心臓が収縮したような感覚に襲われた。

 勝負勘は相手の方が場慣れた分優っていたようだ。

 あのまま間合いを詰めていたら確実に先手を取られていただろう。

 その表情には確実に自分が優位にあると認識している愉悦が顕れていた。

 しかし、普段一方的な暴力ばかり行使していた彼には戦術的駆け引きに対する経験値が足りなかった。

 目の前にいるのがただのコスプレオタクではないという判断ができていれば、あるいはファンタジー世界に対する偏見のない知識と仲間がどういう戦闘で倒されたのかがわかっていればこうも不用意には襲ってこなかったかもしれない。

 ゼンは現実世界では多少卑怯のそしり受けかねない手段であることを承知の上で、あえてファンタジー世界の常識、魔法行使を前提とした戦術を行使する。


「シャワー!」


 杖の先を素早く相手に向けるとトリガーを引く。

 先端から拡散する液体が男の顔めがけて飛び出す。


「グワッ!」


 あの事件を踏まえ、対生物戦を想定して用意した生物撃退装備|杖(スタッフ)Ver.3である。

 痴漢撃退グッズを参考に魔法を模して用意した兵装は三つ。

 電気ショックを与える「サンダー」。

 強い光を明滅させることで相手を牽制する「フラッシュ」。

 そして、レモン果汁とトウガラシ成分を混ぜた液体を拡散噴射するこの「シャワー」。

 これにダンジョンフィールドを照らす「ライト」が付いている。


「チェストォ!」


 鉄パイプを放り投げてしみる目を手で覆う男。

 一拍遅れて反応したサスケは、刀を振り下ろす。

 目の痛みに前かがみになっていた男の背中をしたたかに打ち据え、斬撃の痛みに仰け反ったところを返す刀で胴薙ぎに振り抜く。


「チッ!」


 舌打ちが聞こえ、少年が蒼龍騎を殴るのをやめてこちらに向いた。


「ゼン。ジュリーを頼む」


 ジュリーはまだ戦える。

 二対一で防御一辺倒を強いられてはいるが反撃の機をうかがっている。

 今の均衡さえ破れれば自力でなんとかしてくれるはずだ。

 サスケは、刀を捨てると男が落とした鉄パイプを拾い上げるとゼンをかばうように移動しながら男を観察する。

 整体師見習いではあるが診立てだけは師匠にも一目置かれているその実力を遺憾なく発揮する。

 少年だ。

 おそらく高校生。

 まだ骨格が完成していない。

 相当に戦い慣れている。

 他の男たちが単に喧嘩に明け暮れていたのと違い短いながらも格闘の基礎を習っていた片鱗が垣間見えるが、ロムのようなよどみなさがないのは基礎訓練を嫌って投げ出したからだろうか?

 だが「勝てるか?」と聞かれれば「否」と答えざるを得ない。

 基礎訓練・稽古という背景バックボーンなら真面目にやってきた自分にも同等程度のものが身についているという自負がある。

 しかし、経験値とセンスが比較にならない。

 蒼龍騎を攻めながらこちらの動向を把握していた視野の広さ。

 こちらを脅威と認めあっさり戦力をこちらに割いた分析力。

 それが失敗したとなれば自分がこちらに当たるという決断の早さと実行力。

 どれを取ってもサスケより一枚も二枚も上手である。

 一対一での戦力差は歴然だった。

 それでもやらなければならない。

 ゼンがジュリーを救い出し、二人が合流するまで戦闘力を維持していること。

 セスケの目標は決まった。


(見えているんだ)


 歯噛みして、必死に剣を振るジュリーは叫びたかった。


(見えているんだ!)


 実戦経験の不足からくる初動の遅れなのだろうか? 痛みで反応が遅れているのもあるだろう。

 しかし、確かに相手の攻撃は目で追えている。

 見えているのだ。

 なのになぜ防げないのか。

 サスケの日本刀と違ってジュリーの使っている武器はショートソード、打撃力を優先した肉厚の刀身は鉄パイプと切り結んでも折れたり曲がったりはしないはずだ。

 しかし、その「剣で受ける」ということができない。

 鎧がダメージを軽減してくれているが、無傷とは言えない。

 二人の敵から交互に繰り出される攻撃に集中しているため、周りがどうなっているかもわからない。

 もしもどちらかとの一対一なら勝負になっていたのだろうか?


(なんて無力なんだ)


 心の奥から無力感が大きくなる。

 絶望に変わるのも時間の問題か?

 いいや、絶望だけはしない。

 ジュリーには成し遂げなければならないことがある。

 どんなに絶望的な状況であっても絶望だけは断じてしない。

 レイナを見つけ出し、助け出す。

 そのために才能の乏しいジュリーにできるのは絶望しないことと努力し続けることだけなのだ。

 こんなところで心が折れてたまるか。


「サンダーボルト!」


 ゼンの声とともに男が一人大きく仰け反る。ジュリーを殴ることに夢中になっていた男は不意を打たれ、後ろから電気ショックを受けたのだ。


「サンダーボルト!」


 続けて三度ゼンが叫び、男がうずくまる。

 一対一なら勝負になるのか?

 男が鉄パイプを振り上げたがら空きの胴に向かって大きく剣を振る。

 当てるつもりがあったわけじゃない。

 距離と間をとりたかったのだ。

 払われた剣を避けるため男が攻撃をやめ距離を取る。

 ジュリーのターンが戻ってきた。

 両手で剣を握ると正眼の構えを取る。


「やんのか、オラ!」


 安い威嚇をして鉄パイプを振り回す。

 見えていた。

 ジュリーにはその攻撃は見えていたのだ。

 ただ、不意を打たれた後二対一で防戦一方だったためうまく捌けなかっただけなのだ。

 振り回された鉄パイプに上からショートソードを打ちおろす。

 こちらは戦うための機能とデザインを有した純然たる戦闘兵器である。

 ただの打撃武器である鉄パイプと違って剣戟の衝撃にある程度耐えられる構造になっている。

 しかし、鉄パイプはそうはいかない。

 打ち下ろされた衝撃は直接パイプを握る手に伝わり肘の向こうまで突き抜ける。

 それでも男が鉄パイプを取り落とさなかったのはさすがと言えただろうか。

 だが、取り落とさなかったことはその後の戦闘を有利にしたわけではない。

 むしろその痺れは反応の遅れを呼び、返す刀で横に払われた一閃をもろに胸に受ける結果を生み出した。

 ジュリーは安心しない。

 大上段に剣を振り上げ、気合いとともに振り下ろす。

 左肩を打ち据えた剣撃は勢いのまま袈裟懸けに斬り降ろされプロテクターを文字通り斬り裂いた。


「助かった」


「まだ終わっていません」


「そうなのか…もう一踏ん張りだな」


 倒れている蒼龍騎を確認し、戦闘中のサスケを視界に捉えたジュリーは大きく深呼吸をすると叫びながらサスケに助勢するため走り出した。

 残ったゼンは蒼龍騎の側に膝をつき状態を確認する。


「意識はありますか?」


「ない方がありがたいのにね」


 か細い軽口が返ってきた。


「応急処置をします」


「治癒魔法でぱぱっと頼むぜ」


「残念ながら、専門外ですよ」


 サスケの目論見通り、ジュリーはやってきた。

 これで戦況は二対一。

 こちらが有利なはずである。

 にもかかわらず、攻勢に出たこちらの攻撃が当たらない。

 確かに広い闘技場内、逃げに徹していれば簡単にはやられない。

 しかし、男は逃げているわけではない。

 それほどの力量差があった。

 攻勢に出られるほどではなくても余裕でかわしているように見える。

 このままではいずれこちらの体力が先に尽きてしまう。

 男は苦いものを噛んでいるような複雑な表情を浮かべ時々上を見上げていたが、やがてぐるりと鉄パイプを横に薙ぎ払って二人と距離を取り、天に向かってこう叫んだ。


「チッ! 何やってんだよ! 他の奴らみんなやられちまっただろうが! さっさとこいつらつまめよ!」






 ロムは、うたた寝をしているフリをしながらタイミングを伺っていた。


「よかった。まだ来てなかったっすね」


 何が?


 大体の想像はついている。

 『下町の迷宮亭』では機材を使って冒険の様子をモニタリングしていた。

 ここでは直接ダンジョンを開いて様子を覗こうというのだろう。

 しかし、そんなに簡単に最上階にたどり着くというのだろうか?


「お?」


「エレベーター動き出しましたね」


「タイミングバッチリじゃねぇか」


「そうっすね」


 そして、別の声が聞こえて来た。


「さぁ、始めようぜ、オタクども」


 ミクロンシステムで縮小された人特有の高周波数帯の音だ。


「オラ、行くぞてめぇら!」


 なるほど、その声が仲間を促して彼の仲間を襲おうとしているようだ。


「典型的な悪役のセリフだな、おい」


 目を開けたロムは、声の主に向けて軽蔑の色をのせ言い放つ。ダンジョンを覗き込んでいた二人の男が困惑と訝しさを浮かべた視線をこちらに向ける。

 こいつらはどうでもいい。

 問題は…と、インテリ武闘派を目で追う。

 男は小首を傾げながらこちらを値踏みするように睨みつけていた。


「兄貴」


「ちょっと厳しいぞ」


 あご髭の男に声をかけられた男は眼鏡を外しながらいう。

 向こうもこちらの実力を測りかねているようだ。

 眼鏡を机に置くと軽くステップを踏む。

 そのフットワークはボクシングか。

 ロムは腰を落とし呼吸を整える。


「拳法か」


 男は胸より下で軽く拳を握り、ロムは脇を締めて縦拳を構える。

 静かな戦いは始まった。

 目の前の男との戦い自体はこれでいい。


不戦而戦わずして屈人之兵人の兵を屈するは

 善之善者也善の善なる者なり


 である。

 ようは無事にここから帰ることができればいいのだ。

 しかし、他の二人は戦わずして勝つとはいかないだろう。

 ダンジョンアタックしている四人のことも気がかりだ。

 実力で戦っての勝敗ならば仕方ないが、開放したダンジョンはただ上から覗き込むというだけではない気がする。

 神のごとく上から介入するような行為は許されない。

 あの二人こそなんとかしなければいけないのではないか。

 ロムはそう思い始めていた。


「兄貴、ちゃっちゃっとやっちゃってくださいよ」


 数分の睨み合いが続いていた。

 しびれを切らしたあご髭の男が勝負を急かす。

 彼には二人がただ睨み合っているだけに見えるのだろう。

 茶金髪の男は端(はな)からロムが目障りだったのだろう。

 イライラを隠そうともしなくなり、ついに実力でもって排除する選択をした。

 それがどれほど愚かな選択か(ロムにとっては有り難い限りだったが)思い知るのに十秒とかからなかった。

 実力差を測れないことは勝負の世界では致命的だ。

 スポーツと違って運の入り込む余地はほとんどない。

 戦闘で運の要素が作用するのは実力が拮抗しているか、慢心や驕りが招くものだ。

 この状況下でロムが慢心するはずもなく、男が不用意に彼の間合いに入ったまさに瞬間の出来事だった。

 ロムは男を見もしない。

 目にも止まらない早さでみぞおちに裏拳一発叩き込むと何事もなかったように元の構えに戻って目の前の男と対峙する。

 急所を撃ち抜かれた男は悶絶し、あご髭の男が激昂して襲ってくるのも無造作にさばいてこれもみぞおちに掌底を叩き込む。

 こちらは「うむ」と呻くこともできず気を失った。


「やめだ、やめ」


 それを見た最後の男がステップをやめ、呆れたように言葉を紡ぐ。


「ここまで実力差があるんじゃやるだけ無駄だ。お前、よく無名でいられるな」


 正直な話、ロムは彼がいうほど実力に差があるとは思っていない。

 ガチで殴り合えば双方ともに大ダメージを受ける結果になるに違いないと踏んでいる。

 やはり見た目通りインテリな傾向にあるようだ。

 無駄な争いはしない。

 そういう域の人間なんだと思われる。


「そもそも、ここは本来不良の溜まり場だ。あいつらのガス抜きにミクロンシステムを使っていただけなんだ。それをどっから嗅ぎつけてくんのかお前らみたいな趣味人がやってくる。やり合った後はここには来んなと脅しつけてやってんのに、なぜか挑戦者が後を絶たない」


 そっから先は堰を切ったように愚痴がとめどなく溢れてくる。

 それを「はぁ…」と多少迷惑そうな顔でロムが聞いていると、やがて闘技場ダンジョンから縮小された人特有の高い声が聞こえてくる。


「チッ! 何やってんだよ! 他の奴らみんなやられちまっただろうが! さっさとこいつらつまめよ!」


「あぁ、ゲームオーバーだ。お前らの勝ちだよ」


 男は、そう言って縮小世界の戦闘に神の審判ジャッチメントを下した。

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