チャプター11 The Dance of Eternity(後編)
「……それでも、わたしたちは、二人で踊り続けるの。それが永遠であろうともね」
村雨祭当日、色とりどりの装飾に照明、煌びやかなドレスを着たサトジョの生徒たち、燕尾服を着た他校の男子を交えて、社交ダンスを行う。その優雅な光景は、ココがサトジョのあの、殺風景な講堂だという事を忘れてしまいそうだ。
「わたしね……ハルの事、誤解していたのかもしれない」
ヨシミと一緒に踊りながら、彼女はそんな事を言ってきた。
「誤解って?」
「あなたが意外と、薄情なクソ女だってこと」
「……そりゃ、どうも」
「ほら、そんな事を言ってても、あなたは鈴木さんばっか見ている」
ドレス姿には、不釣り合いなフルサイズ一眼レフで、わたしやサトジョの生徒たち、吹奏楽部と伴奏するゴマスのバンドを、ハジメは撮り続けていた。
すると、撮影に夢中になっているハジメを無理矢理、ドレス姿のノブヨが踊り場へと引っ張り出し、二人で、油が切れたロボットのような、ぎこちないダンスを踊り続けた。
「ぷっ! あれ見てよ! ハル!」
「わ、笑っちゃだめだよ……ヨ、ヨシミ……ハジメは、音感がゼロなんだから」
「笑うな! ハル!」
ハジメがプリプリと、涙目で怒りながら、ノブヨにリードされる。二人の身長差がかなりあるので、子供に振り回される保護者のようにも見えた。
「……ねえ、ハル」
ぎこちなくターンをするノブヨは、心なしかとても嬉しそうだった。
「なに? ヨシミ」
「わたし、負けないし、諦めないから……必ず、絶対、わたしは、和嶋治という存在を諦めないからね」
ヨシミの目が潤んでいた。ギュッと、わたしの手を強く握ったので、わたしも、強く握り返し、ヨシミの瞳をジッと見つめ返した。何となく、これが最期のような気がしたから。
「……分かってる、楽しみにしてるよ、ヨシミ」
「でも、今は……鈴木さんにリードさせてあげる!」
ヨシミとノブヨが事前に、打ち合わせしたのかもしれない。ヨシミが手を離し、クルッとターンをして、わたしの背中を押すと、目の前にハジメがいた。
「……ハジメ」
「まったく、ノブヨも、上舘先輩もお節介だよな……」
「お節介でいいじゃないの、わたしたちは、他人のお節介や優しさで成り立っているもんだしね」
ゴマスのバンドが、スローのチークダンス曲に切り替えた。唐突にテンポが遅くなるから、ハジメと正面にぶつかりそうになり、手を握り合いながら、コツンと互いの指にはめたペアリングが当たる。
「やっぱり、その指輪をしてきたんだねハル」
「木を隠すなら何とやらでしょ、こういう場じゃないと公の場で、堂々と指輪を付けれやしないからね……」
「ふうん……公の……場ね」
もったりとしたテンポが遅いステップを踏みながら、わたしとハジメはゆらゆらと、淡い照明に照らされながら踊り続けた。ゴマスのスリーピースバンドが、水の中を漂うように、肩と頭をゆっくりと揺らしていた。ギタリストの女性が、時々、コマが遅れた映像のように、あのタマゴタケ頭の女性に切り替わる。
そんなゴマスのバンドを見ながら、「くくくっ」と、ハジメが突然、笑い出す。
「なにが、可笑しいのハジメ?」
「ううん……なんか、滑稽だなーって、思っただけ・インクルージョンの言っていた事が真実なら、わたしたちは、このEIを産み出した幻色と呼ばれる存在の見ている夢、幻……物語に過ぎないってことにさ」
「物語……」
「そう、その物語の媒体が、本なのか、データなのか、文字なのか映像なのか、音声なのか、見て、読まれたり、聞いたりされてるのか知らないけどさ、わたしたちは……わたしとハルは、記憶と光と音とかの情報で出来ているの。それは、本物の人間だって一緒でしょ? 結局のところさ、夢と現実の境界は曖昧なものかもしれない。例え、このわたしたちのダンスが客観的に、幻色に読まれていても、それは幻色のじゃない……わたしたちの物語なんだ」
ハジメが真っ直ぐな瞳で、わたしを見つめた。どうしてだろう……ハジメの瞳が一瞬だけ、ダイヤのラウンドブリリアントの模様に切り替わったような気がした。
「わたしたちの物語……」
「ねえ、ハル……前にさ、わたしに本気を見せて欲しいって言ったよね」
ハジメの顔が近付いてくる。ハジメの瞳の色、ハジメの長いまつげ、ハジメの吐息、ハジメの匂い、ハジメの潤った唇が……まさか……ハジメ?
「これがわたしの本気だよ。ここまで読めているのかなぁ……幻色は」
わたしとハジメは、ゆっくりと唇を重ねて、キスをした。いつもの事のようにやっている行為だが、なにせ、サトジョの生徒二百人、その保護者、教職員が集う講堂の踊り場のど真ん中で、堂々とキスをしたのである。ざっと、三百人もの聴衆たちが、わたしたちのキスを目撃したのだ。実質上、公にわたしたちがカップルである事をカミングアウトしたのだ。聴衆の中には、ハジメのお母さんや、わたしの母もいるだろう。
「あれ……?」
長いキスを終えて、辺りを見渡すと、いつのまにか演奏が終わり、呆然とした顔で、サトジョの聴衆たち全員が、わたしたちをジッと眺め続けていた。その顔は、驚きも、喜びも、悲しみも無かった。ただただ、虚無の顔でわたしたちを見ていた。まるで……。
「前にもこんな事が……」
わたしが、そう言った瞬間、わたしの左腕が吹っ飛んだ。左肩に水晶とダイヤモンドでコーティングされた、矢尻のようなものが突き刺さる。ガチガチという氷が割れたような音がして、講堂中にその音が響き渡るわたしたちのカミングアウトを祝福する、もしくは、ブーンイングの万雷の拍手のよう。
恐らく、保守派のインクルージョンの仕業だろう。この講堂にいる人間全員を、根こそぎ全員、石英とダイヤモンド製のイミテーションにへと、上書きしたのだ。
「ごめん、ハル」
「ハジメ……ごめんね」
ハジメが、ノブヨに渡されたミネラルキーをわたしの右脇腹の鍵穴に突き刺す。
『五十六億七千万回、愛してるよ』
ハジメは鍵を回した。わたしの相転移が始まるのと同時に、視界を覆いつくすほどの弾道と弾幕が襲い掛かる。ドレスを突き破り、カルシウムの製の左腕が無数に生成され、放散虫の弾丸を射出。ハジメに着弾しそうな矢を処理しながら、何人かのイミテーションにヘッドショットをお見舞いした。
「ノブヨ!」
「はあ……ゆっくりと、踊らせてくれる暇もないんだな……っと!」
ダイヤモンドの羽を広げ、ハジメをお姫様抱っこしながら、弾幕の外へと避難させるノブヨ。その姿を見送った、その隙にヨシミが視界に入り込んだ。黒い……ナイフのようなものを携えて、わたしへと斬りかかった。
「ヨシミ!?」
ヨシミの肩から、ドス黒い鉱物が突き破った。わたしのプロポーショングリッドがその鉱物を即座に鑑別する。
「
「ハードシェルへの相転移を完了、プロポーショングリッド良好、プロキシ型ミネラルウェア……オールブラック。目標、第一級ドーパント……和嶋治」
鏡面状に磨き上げられた漆黒の瞳がわたしの姿を映し出す。チューニングされていない合成された不気味な機械音声が、ヨシミの口から放たれた瞬間、わたしはインクルージョンに対して、強い怒りを感じた。
「フラクチャージャケット……」
ヨシミが、黒曜石で出来ているレザージャケットのようなものを身に纏いながら、陸上選手のクラウチングスタートの姿勢をとる……嫌な予感がした。
「カーカス」
そのミネラルウェアの名前を言った瞬間、講堂の床が爆ぜて、ヨシミの姿が消え失せる。プロポーショングリッドの視界から、消え失せた? と、考えていたら、わたしの身体が突然、宙を舞い、講堂のステージに叩きつけられていた。お腹に、歪曲したカランビットナイフのようなもの突き刺さっている。
「まさか、間借りを上舘さんに使うとねー。きっと、和嶋さんの影響に近い近親者を片っ端から、フラクチャー化するとは……とんでもない人でなしねー……って、人じゃないかー」
ゴマスの背後に、バンドのギタリストが、石英の槍で突き刺そうと、振りかぶっていた。
「危ない!」と、わたしが叫ぼうとしたら、ギタリストの全身に、無尽蔵のルチルクォ―ツの金槌が、叩きこまれ粉々に粉砕した。
「勝手に、人の嫁に手を出すんじゃねえよ」
ゴマスの恋人(……っていうか嫁?)である、タマゴタケの女が、忽然と現れて、粉砕したギタリストのギターを拾う。
「はー……六十年代型の本家マホガニーボディの手触り、重量感……そして、この目に焼き付く、真っ赤なチェリーレッド……やっぱり、ギターはSGに限るわね」
伴奏していた吹奏楽部の一団が、こちらへ襲い掛かるが、ゴマスとタマゴタケの女が、歯牙にもかけない様子で、その一団を、合わせ鏡のように、無尽蔵に増え続けるルチルクォ―ツの金槌を振り下ろし、一瞬で粉々に粉砕した。
「手を貸すー?」
ゴマスが、ピックを天井で蟻のようにへばりつく、ヨシミに向けていた。
「いいえ……これは生徒会の問題よ……」
ヨシミが再び、クラウチングスタートの姿勢を構えた。両手には、煌々と漆黒に光り輝くナイフが握られていた。わたしも、両手、触手から、無数の銃を生成し、構える。
「……わたしとヨシミとのね!」
ヨシミの姿が消えた。わたしはプロポーショングリッドの警告を無視して、ショットガンを撃ちまくった。互いに観客とサトジョの生徒たちのイミテーションを粉砕しながら、ヨシミはジグザグに移動し、プロポーショングリッドで捉えれるギリギリの速度で、こちらに接近してくる。ナイフを構えながら、真っ黒な瞳を宿し、禍々しいジャケットを着て、こちらに、向かってくるそのヨシミの姿はかなり……。
「かなり怖い!」
ヨシミはわたしの銃弾を潜り抜け、手に持つナイフでわたしを滅多刺しにした。何度も何度も、往復しながら……。炭酸カルシウムのドレスが破壊され、四肢がズタズタに引き裂かれる。ヨシミのヤツ……わたしが、身動きが取れないように、足を重点的に狙ってきやがる。わたしの膝には、あの忌々しき黒曜石のナイフが、無数に突き刺さっていて、こちらの修復を阻害していた。
「こりゃあ……かなり、ヤバいかも……」
ヨシミは天井や壁を高速で跳躍しながら、わたしの銃火を避け続けた。っていうか、向けた瞬間に、姿を消すからどうしようもない。多分、あれか……インクルージョンが、わたしの思考を読み取っているのか。だったら……。
「だったら! これも読めるか? ヨシミッ!」
一度覚えた事は忘れない主義だった。腕から生成された真珠の銃を、エメラルドの大剣……十年後のわたしが持つフラクチャー、「エメラルドソード」へ切り替えた。
「歯ぁ喰いしぃばぁれぇっ!」
その大剣をヨシミの顔面目掛けて、野球のボールを打つように、叩きこむ。
ジャストミートで、ぶっ飛ばされるヨシミ。わたしの思わぬ行動に、ムッとした表情をしたのをわたしは見逃さなかった。壁に叩きつけられたヨシミは、再度、わたし目掛けて、飛び掛かってくるが、インクルージョンたちが、一斉に石英とダイヤの砲火を浴びせた。そう、わたしが操るインクルージョンがだ。
「アンスラックス」
七年前のわたしが持つフラクチャーが、斧から伸びるルビー製の菌糸を用いて、インクルージョンの制御を操り人形のように奪い、ヨシミにけしかける。同族に襲われる恐怖にヨシミの顔が歪むのをわたしは見逃さなかった。その、インクルージョンを切り開きながら、ヨシミが黒曜石のナイフを投げつけた。すると、わたしに投げつけたはずのナイフが、ヨシミの脳天に突き刺さっていた。
「オーペス」
十二年前のわたしが持つフラクチャーは、布が張られていない骨組みだけの傘であり、その骨を構成する蒼いムーンストーンが、薄く、柔らかく、そして、儚く発光していた。その光に飲まれた黒曜石のナイフは、わたしを刺さずに、明後日の方向に消え去り、その持ち主の元へ舞い戻る。何が起きたのか、訳も分からず困惑したヨシミの顔をわたしは見逃さなかった。わたしへの攻撃を止めて、後方へと駆け出し、壁を蹴りながら、再度、肉眼で捉えられない速度で跳躍する。逃がすか。
「ブルー・オイスター・カルト」
五十三年後のわたしが持つフラクチャーは、サファイアの銛だ。先端の渦巻き模様のアゴが、わたしにどこを狙えばいいのか、プロポーショングリッドを介してヨシミをロックし、射出される。グルグルと放物線を描きながら、銛はヨシミの後を執拗に追いかけ続けた。
「逃げてるだけなのかよ……ヨシミ!」
その言葉に反応したのか、ヨシミが天井を蹴とばし、こちらへ向かって急降下してくる。この瞬間を待っていた。わたしは、ムーンストーンの傘を宙へ放り投げて、そこにリロードしたサファイアの銛を次々と射出した。どこを狙っているのかと言わんばかりに、いつも以上に薄ら笑いを浮かべたヨシミが、わたしの間合いに入った瞬間、ヨシミの四方八方から、がらんどうの空間から転移してきたサファイアの銛が一斉に突き刺し、彼女の動きを止める。
それでも諦めないヨシミは、自身の膝から下をナイフで切断し、上半身だけの姿でわたしに飛び掛かろうとしていた。すかさず、両手で持ったエメラルドの剣とルビーの斧で、ヨシミの両腕を切り落としてから、ダルマ状態にする。
「やっと捕まえたよ、ヨシミ」
そのヨシミをわたしは赤子のように抱きしめた。虚ろな、鏡面状の黒曜石の瞳がわたしを睨めつけている。
「思えばさ……わたしたちって、出会いから、こんなロクでもない事ばかりだったわよね……せっかくのクリスマスなのに……だから、これは……せめてものお詫びよ」
わたしはヨシミにキスをした。ギョッとしたヨシミはわたしの舌を噛むが、別に、炭酸カルシウムのわたしの舌を噛み切っても、別に構わなかった。
「えっ……ハル……わたし……どうして?」
わたしのミネラルウェアの影響なのか、人間の瞳に戻るヨシミ。
「これは悪い夢よ、ヨシミ……冗談で、悪趣味な夢。だから、最期にいい夢を見せてあげる」
キスをしながら、わたしはヨシミに銃を何発か発砲した。ミネラルウェア・フラクチャーの制御を失い、サラサラと黒い粉末となるヨシミ。わたしの右手には、ヨシミの一〇五が握られていた。インクルージョンのやつら……無理矢理、ヨシミを抽出して、ミネラルウェアにしたせいなのか、なんて……
「許さない」
「ハル……大丈夫……」
気が付けば、ハジメとノブヨが心配そうに、わたしを見つめていた。あらかた、ノブヨやゴマスたちが片付けたのだろう。さっきまで、三百人以上の人間がひしめいていたサトジョの講堂内が、石英の残骸だらけになっていた。
「まさかー、今まで倒してきた自分自身のフラクチャーを再構成しー、駆使するとはねー……唯一無二の強大な和嶋さんの因果律がもたらす結果かしら―?」
「やっぱり、わたしたちはこの子を選んで、信じたのは正解だったのかもしれない。きっと、和嶋さんなら、わたしの名前も……」
悠長にゴマスとタマゴタケの女が、各々のギターとベースのチューニングを始めていた。まるで、これからライブが開始されるかのように。
「いえ……始まるのよ。和嶋さん」
タマゴタケの女がボソッと言った瞬間、硫黄の臭いが漂ってきた。カタカタワサワサと、インクルージョンの残骸たちが、虫のように蠢きはじめる。雷が落ちたような衝撃音がしたと思えば、インクルージョンの残骸たちが、キノコの倍速映像のように、どんどん膨らみ、形が整えられ、その姿が露になった。
「はあ……クォ―ツインダイヤモンドですか。わたしたち、IFグレードでさえ、謁見や接触を許可されない
今まで会ってきたインクルージョンは、アンバランスな前衛彫刻のようだったが、黒っぽい石英の中に、ギッシリとダイヤモンドを混合させた、筋骨隆々のボディと、ゴシック建築のような重厚な鎧、兜。ギラギラと虹色に輝く、ディスパージョンのダイヤを宿した瞳が埋め込まれた
「おやまあー、やっこさんもとうとう、虎の子を仕向けてきたのねー。イナゴかゴキブリ共がわらわらとー。こんな人数の前で演奏したのは、どっかの外タレバンドの前座以来だわねー」
「しかもあれって、ブッキングミスで、イギリスのオルタナバンドの前座に出てしまってね……わたしたちがやってる音楽は、ブリティッシュハードロックであり、プログレなのに……あの時のブーイングときたら……前奏が長いくらい我慢しろっつーの」
「あらー? アウェイでブーイングなのは変わってないじゃないの?」
「ふふ……言えてる。それに前座っていうのもね」
ゴマスとタマゴタケの女はわたしとハジメを見つめた。
「ゴマス……こ、この状況……」
「何か対策はあるんでしょうね?」
ゴマスとタマゴタケの女はニコッと笑い、フラクチャーを起動させた。
「そんなもん、ある訳ないでしょー!」
「全員、ぶっ潰す! のみ!」
「はあ……これだから、ミュージシャンってやつは……」
ノブヨもダイヤのマントを広げて、臨戦態勢に入る。わたしたちは、ハジメを囲うようにして、円陣を組み、インクルージョンたちを迎え撃つ準備をした。
「ハジメ……怖くない?」
「怖いよ……でも今は、ハルがわたしの世界からいなくなるのが、一番怖い」
「……見届けてねハジメ」
「うん……見逃さないよハル」
ハジメはカメラをわたしに見せつけた。
「フラクチャードレス、ソリタリーシェル」
「フラクチャーマント、ブラックダイヤモンド」
「フラクチャースーツ、ゴースト」
相転移のリロードを開始、各々のミネラルウェアが煌めき、傷が一気に修復される。銃を、矢を、金槌をわたしたちが抜いた瞬間、取り囲むインクルージョンの軍勢が、一斉に弾幕を解き放ち、襲い掛かる。
そこからは、しっちゃかめっちゃかだった。唯一の
弾幕を潜り抜け、インクルージョンを処理している刹那、歌声が聞こえた。ゴマスとタマゴタケの女が、こんな状況にも関わらず、リッケンバッカーのベースとSGのギターを速く、深く、リリカルに演奏し、歌唱しながら、無数に分裂する腕を駆使して、インクルージョンをルチルクォーツの金槌で粉々にしていく。インクルージョンを砕いてるその音が、バンド演奏のドラミングそのもののようであり、そのリズムに乗せて、ゴマスたちは伴奏し、歌い続けた。相変わらず、何を言っているのか分からない言語だったが、プロポーショングリッド越しにその歌詞の意味が何となく翻訳される。
その歌詞の意味は、「(わたしは、勝ちたい、生きたい、負けない、死なない、夢を、諦めない、輝きを、消させない、色を、褪ませない、形を、失わせない、記憶を、薄くさせない、愛の重さを、軽くさせない、犠牲を、厭わない、光を、永遠に、木の葉が、地面に落ちるように、海に、川が流れるように、永遠に、永遠に、永遠に……)」
『(
気が付けば、ノブヨもわたしも歌い続けた。ゴマスに追随するように、怒涛の弾幕を対処しながら、撃ち、刺し、砕き、斬り、殴り、蹴り、投げ、噛み砕いた。高らかに歌いながら、がむしゃらに、正確に、無慈悲にだ。
わたしたちは終わりの無いダンスを踊り続ける。例え、相手が無限に近い数で出ようとも。わたしたちの歌やダンスを終わらせるつもりは毛頭なかった。
そう……それこそが、わたしの……いえ、わたしたちのハードロックなのだから。
ゴン! と、寺の鐘に似た金属音がした。骸晶のインクルージョンたちが、巨大なマーキスカットのダイヤモンドの盾を幾重にも重ね、わたしたちの攻撃を防いでいた。なによ……それ。
『ズルイ!』
アンハッピーアイスクリーム。全員が同じ事をハモルるが、インクルージョンはわたしたちの攻撃が効かない事が分かると、攻撃の弾幕が更に一段と、濃くなる。プロポーショングリッドが、幼児の落書きのように、グリッド線がグチャグチャに黒く、塗り潰されていく。ああ……無理かも、消せない。
その線の一本が、ハジメに当たろうとしていた。
『ハジメッ!』
全員がその、しくじり損ねたグリッドを消そうとやっきになるが、ハジメの着弾は免れない。
せめて、わたしが庇おうと、グリッドの着弾点まで飛び込もうとするが、間に合わない……。嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
「イヤ……」
「あらよっと」
そんな間抜けなわたしの声が聞こえた……わたしの声だって? 気が付けば、七十歳のわたしが、グリッド線に手を添えて、ダイヤの矢尻を菓子を掴むように、ヒョイと拾う。
「えっ?」
「えっ? じゃないつーの! ……しっかりしなさいよ! 仮にもわたしの未来のお嫁さんでしょ、あんたが守ってあげないでどうするの!」
十歳のわたしが、ルビーの斧をジャグリングのように、クルクルと回していた。
「ったく……まあ、こんな事態になっていても、しっかりわたしのことを見て、写真を撮っているハジメも相変わらず、頑固というか……偉いよね」
二十七歳のわたしが、エメラルドの大剣に腰かけ、ハジメの頭を優しく撫でていた。
「えっ?」と、わたし同じように、呆然とするハジメ。
「よってたかって、立派なナリで若い女をいたぶるとは、いい根性してるね。なあ……ナガツキ?」
「うん! みっともない!」
七十歳と五歳のわたしが、発光する銛と傘を用いて、今まで、プロポーショングリッドを塗り潰していた弾幕が、一瞬で消された。インクルージョンの群衆も、一体、何が起きたのか、呆然と立ち尽くしている。
「アハ! 嘘でしょ! わたしと同じで、同期している一〇五から実像化してるなんて!」
「なんて……途方もないというか、バカというか、アホのような強大な因果律なのかしらねー。もう、わたしたちのコントロールできる代物じゃないかもー」
ゴマスとタマゴタケの女が、呆れ果てたような顔で、わたしたちをまじまじと観察していた。
「さてさて、そろそろ、このしっちゃかめっちゃかなパーティもお開きにしようかね……ナガツキ、言ってやれ」
「ぱーてぃいずおーばー」
ナガツキがその一言を放った瞬間、骸晶のインクルージョンたちが一瞬で、穴だらけとなり、吹き飛んだ。さっきまで、こちらに向かっていた弾幕を、そのままお返ししたのだろう。例のダイヤモンドの盾を持ったインクルージョンが、辛うじてその反撃を防ぎ、体勢を整えてから、こちらへ向かってきた。
「おい……使えよ」
突然、二十七歳のわたしが、エメラルドの大剣をこちらへ放り投げる。
「わたしのも使って」
十歳のわたしもルビーの斧を渡す。
「まかせたよ、これはお前のものだ。ハジメを守っておやり」
「やっつけて!」
全員のわたしが、各々のフラクチャーをわたしに受け渡す。全部を一気に渡してくるもんだから、スカートの触手を用いて、剣、斧、銛、傘をすべてキャッチした。それを受け取ったら、各々のわたしたちが、煙のように消え去る。
「そんな……いきなり、託されても……」
プロポーショングリッドが突如、更新された。こちらに向かってくるインクルージョンたち全員へターゲットサイトが表示される……けど、変だな……サイトがみるみる……広がっている?
「ハル……その武器……」
ハジメが指さすと、さっきまで持っていたフラクチャーたちが、一斉に変形し、合体を始めていた。大剣をベースに、斧はストックに、銛がバレルに、傘はグリップに……そして、わたしの銃が、引き金の部位に装着された。
「キャビティ……キャノン?」
プロポーショングリッドに表示されたその単語を読んだら、インクルージョンたちがたじろいていた。キャビティ……何の……空洞を開けるのだろうか。
「ノブヨ!」
ゴマスの叫びと共に、ノブヨが突然わたしに、メキシカンプロレスのルチャリブレのように、足で掴みかかり、ぐるんとそのままわたしと一緒に回転しながら、キスをし、即座に合成化。ダイヤモンドの翼を広げて、ハジメを抱えたゴマスと共に、講堂の天井を突き破り、グングンと空高く上昇する。
「ノ……ノブヨ? 一体……」
「それは、インクルージョンでは禁忌にもなっている、鑑別不能型特殊
プロポーショングリッドがみるみる更新されていく。空高く飛び立ったわたしたちを追うインクルージョンたちだったが、ターゲットサイトの円がみるみる広がっていき、それはサトジョをはみ出し、里見公園、真間山、江戸川、わたしの実家があるJR市川駅周辺の市街まで広がっていた。
「キャビティキャノンを起動、一〇五を並列化……え……再合成化!? 充填率、ガードル安定率を維持、パビリオンチャンバー解放、キュレットから発射許可を承認、トリガー権限を和嶋治へ移譲……ぶっ放せ! ハル!」
ハードロック
ノブヨの合図と共に、網膜にそんな単語が表記される。勿論、音楽の事ではない。ああ……そうか、これは……このEIという名のハードそのものをロックしたのか。この、仰々しく大袈裟な大砲は、この世に
インクルージョンたちが、空中にいるわたしたちに向かって、地上が黒く染まるくらいの、弾幕を一斉に放った。
「いっけええええっ!」
わたしが引き金を引いた瞬間、その弾幕を塗り潰すかのように、虹色の……ルビーのレッドと、エメラルドのグリーンと、サファイアとムーンストーンのブルーを織り交ぜた、RGB調の巨大なスペクトル光線が解き放たれた。その光線は、砲身から何倍も膨れ上がり、インクルージョンの弾幕、盾、本体もろとも、虹色に染められ、消失していく……が、これを撃っているわたし自身も、この虹色の光に飲み込まれそうだった。
「ノ、ノブヨ! これを止めて!」
しかし、ノブヨの反応が無かった。まさか……と、後ろを振り返れば、いつのまにか、合成化が解除されていて、ノブヨが宙に放り出されていた。この、フラクチャー
の反動だろうか、わたし自身も今すぐこの大砲を手放したいが、グリップがわたしの手から離れようとしなかった。それどころか、銃身が勝手に、わたしの身体へズブズブと、沼へはまるように、沈み込んできた。まるで……わたしと、同化するように……。
「クソッタレ!」
ドレスの裾から、銃を生成し、腕ごと撃ち抜こうとしたが、産み出した銃ごと、大砲から伸びた触手に飲み込まれた……触手だって? ああ……ダメだ……コントロールできない、これじゃまるで……あの時と……一緒なんじゃ……。
「これで、貸しは二つよー」
突然、ゴマスの声がしたと思えば、視界に突然、ルチルクォーツのハンマーが振り下ろされた。わたしの首が宙を舞い、虹色にスパークする、わたしの肉体を俯瞰しながら、意識がそのまま途切れたかと思えば……。
「いえ……ハル。意識を失うのはまだまだ早いよ」
プロポーショングリッドが……リロードされた?
「自分の生首を眺めながら、飲むお茶っていうのは……」
「まあ、趣味は悪いよねー」
「あまり、ジロジロ見るんじゃないぞナガツキ」
「大丈夫だよ、ソウギョク」
目をキョロキョロさせると、ミチのIRだろうか、モノクロームの風景の中に、色が抜けた、ミネラルウェア姿のわたしたちがミチと一緒にお茶をしていた。わたしはというと、首から下が無くなり、さながら、晒し首のような形で、お茶菓子の横に添えられていた。
「こ……これは、どういう状況……」
「キャビティキャノンを使ったのよ。アレは、一〇五そのものを源とした因果律の国崩しよ。今のハルだったら、使えるとは思っていたけど、ここまでの威力とは……想定……いや、想像以上だったわ……お茶を淹れたけど、生憎ティーカップを掴める手は無さそうだから、香りだけ楽しんで。ハルの大好きな、テイラーズオブハロゲイトのアールグレイよ」
ミチがわたしの目の前に、ベルガモットの爽やかな香りが漂う、色の抜けたグレイ気味のアールグレイを静かに置いた。
「うん……レプリケーター製の紛い物とはいえ、中々、悪くない……あの、大砲の反動はEIそのものではなく、自分自身そのものをフラクチャーしてしまう諸刃の剣。あなたの首から下……っていうか、一〇五が存在している首から下が丸ごと消失しているから、ゴマスたち革新派のインクルージョンが、あなたを急遽、修復中……って、おい! クソガキ! それわたしのフルーツタルトだろ!」
二十七歳のわたしが、十歳のわたしと、ケーキを奪い合っていた。
「そういうのは、お子様に優先すべきでしょ! あのおっぱい……じゃなくて、ゴマス先生に感謝しなさいよ、あれ以上、撃ち続けていたら、あなた自身の、一〇五ごと粉々になるところだったのよ……一応、あなたの一〇五は、わたしたちの魂を同期化してるんだから、ちょっとは用心してよね……はい、ナガツキちゃん。ジャムを直接いれるんじゃなくて、スプーンですくったジャムを舐めながら、紅茶を飲むのが、本場のロシアンティーよ」
十歳のわたしが、初めて飲む未知の紅茶にムーンストーンの瞳をキラキラさせた、五歳のわたしへ紅茶を淹れていた。
「ハルお姉ちゃんに、お礼をしなさい、ナガツキ……まあ、あの大砲をあんたに託したのはわたしたちのせいでもあるんだけど、たった一発で、最上位グレードの保守派インクルージョンだけではなく、街ごと消失させるとは、恐れ入ったよ……あんたとわたしたち有象無象の因果律の威力にな……どうも、人間の肉体ではないとはいえ、血糖値を気にしてしまう癖になってるな……砂糖は控えめでいいからな、ミチ。ただ、ロシアンティーなら、ウォッカを入れて……」
「お酒臭い、ソウギョクは嫌い」
「うう……お婆ちゃんにそんな事を言わんでくれよ、ナガツキ」
七十歳のわたしが、和三盆をポリポリしながら、紅茶をゆっくりとすすった。すすったのと同時に、どこから遠くの方から、爆音が轟き、部屋を揺らす。ミチやNNのIRで爆音だって? 戦闘? 誰と? まさか……最後の……五人目のわたし?
「な……なに?」
「ほう……ある程度罠を張ったつもりだったんだが……」
「やっぱり、無駄みたい」
「さすが、未来のわたしのお嫁さんだけはあるか……」
お嫁さん? って、まさか……。
「そのまさかよ、ハル。みんな、ごめんね……彼女をこちら側に引き入れたのは、わたしのせいでもあるのよ」
爆発音が近付いてきた、キンバーライトの壁や天井にヒビが割れ、ポチャンと破片が紅茶の中へ落下し、波紋を立てた。
「ううん……あれは彼女の選択よ。彼女の選んだ道なんだ……見届ける事だけに飽きた彼女の……」
そんな……まさか……どうして……だって……彼女は……。
「鍵は開いてるわよ、ハジメちゃん。全員、ここにいるわ」
扉がギギギと音を立てながら、ゆっくりと開くと、部屋の中が眩い光に包まれた。さっきまで、白黒のモノトーンだった空間が、瞬時に、紫がかったピンク色のイルミネーションに染まる。
「ああ……なんて、美しい色なのハジメ。まるで、アーガイル産出のピンクダイヤモンドのような、煌めきね」
二十七歳のわたしは、そう言いながら、エメラルドの鎧姿へと相転移する。フラクチャー姿のハジメは、ノブヨのマントを羽織った、サトジョのセーラー服のような制服姿であり、プロポーショングリッド越しに、その制服の構造が、ハジメの肉体そのものが、ダイヤモンドであると表記されていた。それに……。
「ノブヨちゃんと、ハジメお姉ちゃんの二色とはね……なんて完璧なプロポーションなのかしら。わたしも、ミチと合成したから、その力のときめきはよく分かるわよ」
十歳のわたしは、ルビーの斧を振り回しながら、着物の帯もヒラヒラと漂わせた。ハジメは、発光したラウンドブリリアントの瞳をスパークさせながら、1メートルを超すダイヤモンドの刀身を構えた。刀が僅かに震えているのか、キーンという耳鳴りのような音を発し、その音を拾ったプロポーショングリッド上に聴いたことのない、音楽のようなものが流れ出す。
「きれいな曲……」
「ああ……そうだな、ナガツキ。サヌカイトを用いたリソフォンと呼ばれる石楽器にも似た音色だ。なんて……なんて……透き通っていて、優しい音なんだろう。ハジメに相応しい聖衣……我々の王と呼ぶのにふさわしい」
五歳と七十歳のわたしは、ムーンストーンの傘を広げ、サファイアの銛をハジメへ構えた。
「そう……王様だよ。革新派のインクルージョンたち、NNである我々全てのね。無限にも等しい因果律の輪廻を纏った和嶋治そのものを
「ハーフ&ハーフ/ハードロック……キング・ダイアモンド」
「和嶋治たちは、結果的に鈴木一の一〇五と一つになるの。相手が、唯一無二のザ・ワンの和嶋治を産み出したならば、こちらも、ザ・ワンを産み出すまで、鈴木……いえ、ハジメちゃんこそが、終止符という名の楔を打ち込む、最期の一撃……おかえり、ハジメちゃん、あなたの分の紅茶も用意したわ、勿論、酸っぱいレモンを添えてね」
「……ハジメ」
ハジメはわたしを見つめた。剣のように鋭い、シンメトリーが整った、曇りのないラウンドブリリアント状のダイヤの瞳が、わたしを睨めつける。
「ありがとう、ミチ……お茶を頂くのは、やるべき事を済ましてからにするよ」
ハジメがわたしたち……和嶋治たちを見渡した。プロポーショングリッドを起動し、網膜の表示が戦闘モードへと裏返った。ハジメはやる気のようだ。
「ノブヨ……何秒かかる?」
「はあ……これくらいなら、一秒も掛からないかと」
「了解……」
ハジメがダイヤの刀を構え、各々のわたしたちも、一斉にフラクチャーを展開させた。
「おいおい……ハジメ、随分と……」
「ナメられたものね」
「でも、まだ……」
「ただでやられる訳にはいかないよ!」
エメラルドの大剣が、ルビーの斧が、ムーンストーンの傘が、サファイアの銛が、ハジメに向けられた瞬間、ピカッとハジメから閃光が瞬き、わたしと同じように、全員の首が一斉に吹っ飛び、ミネラルウェアの肉体が、人参の短冊切りのように、バラバラに
「なんて……」
「強いでしょ? これが、ハジメちゃんの力よ。いずれ、あなたが相まみえる存在」
「いずれ? ミチ……あなた、何を……っていうか、どうしてハジメがわたしたちを……」
「別に破壊しちゃいないよ、まだ、この一〇五はハルのものだからね。まあ……いずれ分かるよ……いずれね……だから、今は眠ってハル」
ハジメはわたしの紅茶をすすりながら、そのままわたしの首を抱きかかえ、キスをした。ハジメが飲んだ紅茶が、わたしの口の中に入り込み、ハジメの唾液が絡まり、甘みとなり、なんて、蜜のように深いコクのある紅茶なんだろう。首元から、滴り落ちる紅茶がこんなにも、口惜しいと感じるなんて……。
「おやすみ……ハル。その時まで……」
「いやだ……そんな、おやすみだなんて……いや……ハジメ」
「……ハジメ」
「ハル?」
こんな目覚めは何度目だろうか、目を覚ますと、わたしは自宅のマンションで、ハジメの膝の上で寝ていた。
「ハジメ……本物なの?」
「なに言ってんだよ、ハル。わたしは、紛れもなく本物だよ。なんか、嫌な夢でも見たの?」
夢……あのミチの……NNのIRは確かに本物のような感覚だった。ふと、わたしは、窓の外を眺め、眼下の市川市を見て愕然する。
「これを……わたしがやったの?」
ハジメはゆっくりと、首を縦に振る。保守派のインクルージョンたちを始末したキャビティキャノンの威力は、想像を遥かに超え、市川市街には隕石が落ちたかのようなクレーター状の大穴が、ポッカリと空いていたのだ。サトジョを爆心地に、直径数百メートル程の大穴が……本来、街の明かりが広がるイルミネーションは、黒曜石のように、どこまでもドス黒くに染まっていた。
「黒曜石……そういえば、ヨシミや学校のみんな、母さんは……」
「それは、ゴマスたちインクルージョンが、突貫工事で修復しているみたい……後、数時間すれば元通り……って、言ってるけど、スマホゲーのメンテナンスじゃあるまいし、変な話だよね」
クレーターの縁に、虹色のプリズムが発生していた。恐らく、ゴマスたちインクルージョンが修復しているのだろう。被害を免れた総武線が、クレーターの宙を何食わぬ様子で、平行に浮きながら走行していた。まるで、読み込みが遅れたラグったビデオゲームみたいにだ。
「カメラを持っていたらなあ」
相変わらず、あんな事態になっても、ハジメはやけに冷静だった。いや……現実感が薄くなっているのか。それはわたしも一緒で、さっきの夢といい、何が本当で、何が夢なのか、分からなくなってきた。それに……さっきのハジメは一体……。
「一緒だよ」
「えっ?」と、インクルージョンのように、心を読まれたのかと思った。
「……いつまでも一緒だからね。ハルの身に何があろうとも、わたしはハルを見届けるから」
ハジメが、わたしをまっすぐ見つめた。さっきまで見た夢の中のハジメは、恐怖に感じるくらいの眩いくらいに痛いダイヤモンドの輝きを放っていたが、今のハジメはとても優しく、全てを包み込みそうなくらいに……人間らしい瞳を宿していた。その瞳を見つめた瞬間、わたしは切なく、堪らなくなり、そして……。
「おいでハル! せっかくのクリスマスなんだから、楽しもうよ」
ハジメを自室のベッドへ押し倒し、互いに息もできないくらいに、ハジメの長いまつげがわたしの目に刺さりそうなくらいに、長く深いキスをした後、ボロボロになったドレスを脱がし、露出した肌を猫のグルーミングのように、舐め回し、再びキスをしながら、徐々に、溶けるように、素肌を露出させ、裸になっていく。
「これからどうしようか?」
「大丈夫よ、ハジメ。わたしは……必ず、あいつに勝つから」
「ううん、違うよ。ゴマスたちの上書きがどこまでなのか知らないけどさ、先生や、全校生徒の前でわたしたちがカップルであることを、堂々とカミングアウトしたんだからね。来年も、同じようにサトジョで一緒にいられるかどうか……」
ハジメはわたしを強く抱きしめて、わたしの耳を外側から段々と、耳の穴の中へと舌を絡め、入れる。わたしもお返しに、ハジメの長い首元を唾液まみれにするくらいに、舌を蛇のように這わせた。
「大丈夫」
「どうして?」
「少なくても、今以上に酷い事は起きないからね。何を今更って……かんじ」
「……ふふ、それはいえてる」
両手を握り合いながら、互いの乳首を擦り合う。摩擦の刺激によって、隆起した乳首を、喉を乾かした子犬のような眼で、ハジメはわたしの乳首をがむしゃらに吸い出す。柑橘系の香水とハジメの汗が、わたしの汗の臭いと混じり合い、独特の……わたしたちだけの、匂いを醸造していく。
「本当に怖いのはわたしの母親なんだよ。たぶん……すごく反対すると思うからね」
「そんなこと言ったら、わたしの母親だって……」
「ハルのお母さんは大丈夫そう」
「なんで?」
「……なんとなく」
だんだんと、わたしたちのアソコが濡れてきた。
「でも変な話だよね、ちょっと前までここで殴り合いの喧嘩をしていたのに、今はハルとここでエッチしている」
「変な話じゃないよ、ハジメ。これからもわたしたちは、いっぱい喧嘩をして、いっぱい食べて、いっぱい寝て、いっぱいエッチしていくのよ。例えば……」
シックスナインの体位となり、がむしゃらにハジメのアソコを舐め合う。ハジメが好きそうな酸っぱいアレをすするたびに、ハジメがビクビクと痙攣するのが、とても可愛い。
「例えば、平日の朝。タイマー予約した炊飯器のご飯の香りによって、午前六時に起きたわたしたちは、シャワーを浴びた後、料理当番のハジメが、わたしの好きなアカシア蜂蜜たっぷりの、甘いパンケーキを焼いてくれて、弁当に入れる炊きたてのご飯の香りを嗅ぐだけで、ハジメの寝癖を必死に直しながら、わたしはたまらなく、幸福感に満たされるの」
長く、華奢で、ビロードのように滑らかなハジメの指が、わたしの中へと、ゆっくり入ってきた。唾液で指を濡らし、人指し指と中指をアソコの中へ入れながら、グリグリと親指でクリトリスの辺りを弄り合う。
「例えば、休日の昼。昨日の仕事疲れのせいか、遅くまで惰眠を貪ったわたしたちは、遅めの昼食の準備をする。ハジメの大好きな、七十年代のブリティッシュ・ハードロックを聴きながら、サンドイッチを作って、近所の公園へキャンプ用の椅子を持っていく。木陰で英国クリッパーの紅茶を淹れながら、昨日の仕事の話、他愛もない映画や音楽の話、今後の将来についての話をしながら、こちらに転がってきたボールを拾う、幼いハルそっくりの子供を眺めていると、わたしは得体の知れない多幸感に満たされるの」
ハジメの指で何回かイキそうになりながら、わたしたちは再び面と向かい、息もできないほどのキスを、皮を剝ぐ程の愛撫を、鼓膜が破れるくらいの愛の言葉を、腹を突き破るほどの手淫を、何度も何度も何度も何度も……繰り返した。
「例えば、病室での夜。無事に終わった手術後、麻酔でグッスリと眠るハジメの傍で、わたしはあなたの好きな音楽をイヤホン越しに聴かせる。家でも外でも、どこでも一緒に聴いていたお気に入りの曲を。一瞬だけギュッと、ハジメがわたしの手を握る力が強くなると、わたしは、ハジメのイヤホンを外して、あの言葉を囁くの。ありきたりなあの言葉を……」
正常位と騎乗位を交互に繰り返しながら、互いのアソコを擦り合わせる度に、わたしとハジメは、ありきたりなあの言葉を、恥じらいをどこかにかなぐり捨て、土砂降りの雨のように浴びせ合った。
「ありがとう、愛してるよ……ってね」
互いにイクのを確認した後、息が上がり、愛液と汗まみれのハジメが、最後のひと絞りに小さな声で、そう呟いたのだった。
「はあ……終わりましたか?」
家の玄関の扉を開けると、修復を終えたノブヨがチョコンと、虹色に瞬くダイヤモンドのマントを広げていた。
「……ずっと、見ていたのなら、ノブヨもくればよかったのに」
「はあ……そんな野暮なことはしませんよ、ハル……だって、ひょっとしたらこれが……」
「最後の夜になるかもしれないから」
「そう……ハジメ」
ノブヨが屋上へと繋がる非常階段の扉を開けた。古い空気が一気に、吹き抜けていき、非常灯に照らされた薄暗い階段が、絞首台か、断頭台の階段のように見えてきた。
「インクルージョン……いえ、後藤先生たちが屋上で待ってますよ」
階段を見上げるノブヨの背中を、突然、ハジメが抱きしめた。
「は、はあ……ど、どうしたんですか……ハジメ」
「こうしてやれるのも、最後になるかしれないからさ。色々とありがとね、ノブヨも大好きだよ」
「は、はあ……何を今更」
「今更だからこそだよ、ノブヨ」
ハジメのその一言で、顔を赤くさせるノブヨ。実に分かりやすい。
「ノブヨは、全て終わったら、どうする?」
「はあ……どうするって、それは……」
「よかったらさ、ノブヨ……」
わたしと、ハジメは互いに相槌を打った。
「わたしたちはね、このまま、ノブヨがいなくなるのはイヤなの」
「まだまだわたしたち、ノブヨの事をもっと知りたいし、もっと一緒にいたいの……このままの関係で、終わらせるにはあまりにも……」
「残酷だし、勿体ないしね……」
「……」
ノブヨとわたしたちは、屋上へと繋がる非常階段をゆっくりと登る。
「肉が好きなノブヨが好きだよ、いつも無表情なのに、無心で好きなものを頬張る時だけ、顔が幸せそうに緩むノブヨが」
「何かを作っている時のノブヨの匂いが好きだな、プラモデルの接着剤や塗装スプレーのシンナー、エフェクター基盤のはんだ付けをするヤニ臭いノブヨが」
「器用なように見えて、対人関係では不器用なノブヨが」
「わたしとハジメの関係に嫉妬しているノブヨが」
「でも、そんなわたしたちを好きなノブヨが」
「意外と頑固で負けず嫌いなノブヨが」
「意外と情に厚く、涙もろいノブヨが」
「ノブヨ?」
プロポーショングリッドが反応した。階段にノブヨの涙がポタポタと点在していた。
「はあ……まったく、恥ずかしい言葉をよくもまあ……しょうがない人たちですね……仕方ないなあ……わたしがいないと、あなたたち不器用なバカップルが、粗相をしないようにするのも、わたしの役目だからね」
『誰がバカだよ』
わたしとハジメは同時に、ハモる。それを聞いたノブヨが、クスッと笑った。
「はあ……ハッピーアイスクリーム! ってね」
ノブヨは泣きながら、でも満面の笑顔で、わたしたちにそう叫んだのだった。
「プログレッシブロックの表紙みたいな光景だな」
ハジメがそう例えるのも、無理はなかった。わたしの住んでいるタワーマンションの屋上は、住民以外にも自由に解放されている展望台になっていて、その眼下には、わたしが空けた巨大なクレーターと、上空の夜空には、月を隔てて、ブラックオパールを彷彿とさせる虹色のイリデッセンスを含んだ縦の線が、ジグザグと、鉱物のクリベージ状の割れ目のように露わになっていた。
「これがぜんぶ……わたしの仕業だというの?」
「そうよ、正確には、あなたたち和嶋治によってもたらされる、強大な因果律の仕業」
「ハーフ&ハーフ……この時間、この瞬間、この空間、このEIは、和嶋さんが存在する世と、存在しない世の中間点に位置しているのー」
ゴマスとタマゴタケの女が、ミネラルウェア・フラクチャー姿のまま、ボロボロになった、アンプに接続されていないリッケンバッカーのベースと、SGのギターを軽くかき鳴らしていた。
「ゴマス、あの空の割れ目はなに?」
「漂白しようとしてるのよー、保守派共の悪あがき……宝石に詳しい和嶋さんには、LDH処理って言えば分かるよねー?」
LDH……レーザードリルホール。黒いカーボンの
「そんな事はさせない。わたしは……わたしたちは決して、漂白なんてされない」
「ええ……そのつもりだよ。わたしたちもそんなつまらない結末なんて御免だ」
ゴマスとタマゴタケの女が立ち上がると、プウウウウウウウンッ! という、船の汽笛のような音が耳をつんざくぐらいの大音量で、木霊した。
「やっこさんがおいでなすったわねー」
虹色の割れ目から、何か黒い液体のようなものが、滴り落ちる。意思を持っているように、その液体は、こちらの方まで高速で落下してきた。
波紋や音を立てずに、屋上のヘリポートに落下したその液体は、ビスマスのクラスター状に、幾重のブロックに隆起したと思えば、段々と、その立体的なモザイクが、徐々に、ブレザーの制服姿のわたしへと、輪郭を露わにしていた。
「あらイヤだ……狭い世界ね」
壊れかけたスピーカーののような、ノイズ混じりの合成音声。瓜二つのわたしは、勢ぞろいしている、わたしたちを見渡す。
「おかしいわねー、かなり遠くまで吹っ飛ばしたハズなんだけどなー」
「しかもかなり、パケットデータを圧縮して、小粒のメレ石並に小さくしたつもりなんだけど……やっぱり、和嶋さんにそんな小細工は通用しないか……」
「はっ……あれくらいの距離……造作もない。それにここのむせ返るようなEIの臭さは、二度と忘れられないからね」
ブレザーのわたしは、ポケットから何かを取り出した。飴か何かだと思っていたら、それは、禍々しいイリデッセンスを発光させた、まだ赤子の頃のわたし……産まれたての、小さな一〇五の欠片だった。
「ハルちゃんさあ……それはないでしょ? そんな小さな魂を……」
タマゴタケの女は、いつも通り、飄々とした態度だったが、目は笑っていなかった。それもその筈だ、わたしの忌々しきドッペルゲンガーは、一〇五をポップコーンのように親指ではじき、それを、枝分かれした片方の腕から生成したタコの触手のようなものでキャッチし、それをガリガリっと氷を嚙み砕くような音を立てながら、飲み込んだ。彼女は……本来、同期させる筈の一〇五を、そのまま、噛み砕き、食べやがったのだ。
「タコの歯……カラストンビを食べたくなってきたなー、ビールに合うのよねーそれー? ここへ来るまでに、何人の和嶋さんを同期せずに、刈り取ったのー? 核でも処理できない、一〇五を噛み砕くとはねー……ダイヤを研磨する時、スカイフと呼ばれるダイヤモンドの粉末をまぶした円盤で加工するように……粉末化した一〇五を自らのカラストンビでスカイフ化するとはねー……趣味が悪いよー、さすがにさー?」
ゴマスたちが、ルチルクォーツの金槌を、ジャグリングのようにクルクルと回し続けた。
「はあ……良心ってヤツはないんですか?」
「何を今更ってカンジ? っていうか、他のわたしもやってたでしょ、ドーパントってあんたらが呼んでるわたしらがさ?」
「けれど……そんな事をするのは、ハルがする事じゃない」
ブレザー姿のわたしに、ハジメが呟く。
「鈴木……一」
「ねえ、ハル……あなた、わたしと出会わなかったハルなんだよね……わたしを愛さなかった場合のハルなんだよね?」
「ええ……そうよ。なんで、あんたなんかを……」
「そう! わたしなんかがよ!? こんなちっぽけで、勉強や、運動、リズム感や、才能も全然ない、根暗で、オタクなわたしを、ハルはわたしを好きになってくれたの! それなのに……それなのに! もう一人の和嶋治! あなたは、こんなわたしに出会わなかっただけで、こんなだっっっらしない……クソッたれで、哀れな女だったとはね! わたしは今まで、色んなハルを見てきたけど……ここまで最低な奴じゃなかった。むしろ、あなたのバージョンのハルに出会わなくて、本当に良かったと思ってるよ! あんたなんか……おまえなんかが……わたしの好きなハルな訳が……」
激高したハジメは、ハッとした顔でわたしをジッと見つめ、次に、ブレザーのわたしを睨みつけた。
「そっか、あなた……因果律が……無いのか。自ら死を選んで……自殺したハル……死人なのね……あなた……死人風情がっ! わたしの! ハルを! 奪うなよ!」
ハジメの怒号は、わたしのプロモーショングリッドを震わせた。さっきまで、薄ら笑いを浮かべていたブレザーのわたしも、一瞬だけ、つまらなそうな顔をしてから、ペッと、虹色の唾を吐きだす。
「……で、話は終わり? そんじゃ、さっさっと済ませちゃおうか」
プロポーショングリッドが警告を発した。ブレザー姿のわたしは、上着とシャツのボタンをプチプチと外し、服を脱いでいくと、鍵穴だらけの……蓮の実ような、ブツブツしたグロテスクな裸体を露出させた。
「あなた、その姿……」
「ハジメ下がって!」
「ど、れ、に、し、よー、かなー……っと」
十本の指の先が、テヅルモヅルのように枝分かれし、多種多様の成分を持つミネラルキーへ相転移させた。
「はあ……ハイブリッドパーティーカラーですって?」
「本当に無茶苦茶だねー、ほんとに滅茶苦茶ー……相転移を開始」
ノブヨとゴマスたちが、武器を構えた。
「ハル……」
「ハジメ……最後まで見届けてね……相転移を開始」
「相転移を開始……」
「フラクチャードレス、ソリタリーシェル」
「フラクチャーネイキッド、クイーンズライク」
全ての鍵穴に、ミネラルキーを差し込んだかと思えば、穴という穴から、黒い……黒いヒョウモンダコか、黒い蛭のような、触手が狂ったように生え始め、その先から、虹色に煌めく銃口が現れた。わたしに、ノブヨ、ゴマスらが、一斉に、各々のフラクチャーを裸のわたしに向けるが……。
あれ……、その銃口の先が……数千を超えるプロポーショングリッドの弾道は、わたしや、ノブヨ、ゴマスたちに向けれていなかった。すべて……まさか、コイツ……初めから、ハジメを……。
『ハジメ!』
わたしと、ノブヨは一緒に叫ぶ。過去、未来、現在、今までのわたしたちでは、考えられなかった。ハジメと出会っている可能性のわたしたちでは、あり得ない事だった。それを、この愚かな裸のわたしは、逆に利用してきたのだ。
ハジメの命だけを狙うことによって。
ノブヨはダイヤの矢を、ゴマスたちは目にも止まらぬルチルクォーツの金槌で、わたしもありったけの真珠の銃弾で、対処しようとしたが、駄目……どうしても、ハジメに……。
「ハ……ハル」
良かった……ハジメは傷一つ負っていない……本当に。
「良かった……ハジメ」
穴だらけの肉体からずれ落ちるように、ハジメの誕生石のペアリング……ダイヤのリングが、辛うじて皮一枚で繋がっていたような、わたしのフラクチャーの銃が、ゴトンと音を立てながら、ハジメの目の前で、崩れるように落下した。
「ハル……そんな……」
プロポーショングリッドが機能を停止した。真っ赤な警告表示は、無色透明となり、視界がレンズのピントをぼかしたかのように、曖昧となっていった。もっと……もっと、ハジメを見たかったが、段々と、わたしの身体が、身体の形が……保つのを止めていくのを感じた。
「ハジメ……ごめんね」
「ハァルッ! イヤだ! まだ! わた……」
視界が粉々に崩れ去り、ハジメの姿が絶叫と共に、ブツンと消失した。そのまま地面に落下したと思えば、暗転、意識が一瞬だけ途切れ、見覚えがあり過ぎる場所に放り出される。
「そんな、イヤ……ここは!」
目の前に、巨大な……例の旅客機のエンジンが迫ってきていた。
「へえ……今まで、あり得ない数のIR……わたしの死に様を見てきたけど、これは確かに大袈裟なくらいに滑稽な光景だわな」
裸のわたしが、ソファの上であぐらをかきながら、わたしの最期を見届けようとしていた。ハジメを狙った卑劣な行為に、今すぐにでも、彼女を殴り、撃ち殺したかったが、身体が金縛りのように動かない。
「このクソッタレ女! よくも……よくも、ハジメをっ! あんたなんかっ!」
「あんたなんか、わたしじゃない……腐るほど、聞いたよ」
裸のわたしは、トコトコとこちらに歩み寄ってきた。
「ねえ、わたし? 最期に聞きたい事があるんだけどさ……最初から選択肢を奪われてるって、どんな気分だと思う?」
彫刻を触るかのように、金縛りになったわたしを、トコトコと指で肩から頬の方まで、ゆっくり走らせる。
「……選択肢?」
「五十六億七千万分の一……あの、鈴木一という女に出会わない、わたしが、この世でたった一つ、ただ一人だけの存在だと言われた時……あなただったら、どうする?」
裸のわたしは顔を近づけながら、頬を押す指の力が段々と強くさせた。ああ……なんて瞳だ。ルビーのアステリズム効果を彷彿させる、星の光芒。オパールのイリデッセンスを想起させる、止め処もない虹色のイルミネーション。IFグレードのダイヤモンドのような、完璧なシンメトリーを体現させたラウンドブリリアントカット……一〇五のミネラルウェアは、全ての鉱物を内包させているといわんばかりに、その万華鏡の瞳が、その形を、その色を、その重さを、その輝きを、わたしを圧倒させる。でも……おかしいな……本来なら、美しいと思える筈なのに、蠢く虫の集合を見ているような、この不快感は一体……。
「キモイでしょ? わたしのミネラルウェア……って、もうウェアでも何でもないか……準結晶と呼ばれる一〇五の原子は、流動的かつランダムでカオスな相転移を繰り返しているの、まるで、リモコンのボタンの数が無尽蔵に存在し、絶えずザッピングされたテレビのチャンネルのようにね……で、さっきの質問の答えは?」
「あなた……全てのわたしだけじゃなく、何もかも全て……EI、インクルージョン、幻色……ハジメを破壊……いえ、殲滅するつもりなの?」
「あっ・たっ・りぃー!」
ビキビキと炭酸カルシウムの肌が音を立てながら、彼女の指が、わたしの頬を貫く。悪意に満ちた、愉悦に震える、わたしを見ながら、わたしは強い無力感に包まれた……そして、わたしは思わず、彼女の名前を呟こうとした。
「助けて……ハジメ」と。
「ハル!」
わたしは自分の目と、耳を疑った。なぜなら……わたしたちの目の前に、わたしのIRに、ピンク色に発光するダイヤモンドの……ダイヤモンドのミネラルウェアを纏ったハジメが、現れたからだ。
「ハジメ……どうして……」
間抜け面を浮かべたわたしに、ハジメがコツコツと、ダイヤの足音を立てながら、こちらに近づいてきた。これは……夢なの?
「ただいま、ハル」
「どうして、ここにいるのよ!」
「へえ……あなたが、わたしの彼女って訳ね」
「はじめまして、わたしのではないハル」
ハジメのその一言に、わたしはケタケタと笑う。
「面白い事を言うんだねキミは。でも残念。この愚かなわたしは、あなたのものでは無くなるの……永遠に」
裸のわたしはエンジンをノックしたと思えば、高速で回るタービンが、わたしに向かって飛んできた。ハジメの瞳から、未知のプロポーショングリッドの反応があると思えば、再びタービンの回転が停滞した。
「ハジメ……あなた、その瞳……」
「ハル……ごめんね」
ハジメは、どういう訳か、わたしのフラクチャー……ソリタリーシェルの銃を持ち、まさか……それは、ソウギョクを撃った時の……それを……自らの心臓に向けて。
「やめて……ハジメ……」
ハジメの首にぶら下げた、わたしとハジメのペアリング。わたしのミネラルウェアの欠片である真珠が、相転移を開始する。リングの留め具から分離し放散虫状の、巨大な弾丸にへと……それが、チャンバーにセットされた。
「ハル……インクルージョン……そして、幻色……この様を見ているか?」
「やめてええええっハジメ!」
「これが、わたしの選択だよ」
弾丸が、ハジメの心臓を貫こうとした。注射針のようにゆっくりと、わたしの弾丸がハジメの中に、ゆっくりと挿入されていく。
わたしはハジメを止めようとするが、クソッたれ……身体も動かないし、時間の停滞から逃れたエンジンが、わたしを粉砕しようと、迫ってきた。
「ハル……必ず、迎えに行くから! それまで、待っていて! 例えそれが、十万年先でも……五十六億七千万回愛してるから! だからまた、一緒に踊ろうよ!」
肉体の相転移を開始しながら、ハジメがこちら向かってきた。ハジメの指先が、わたしの指先に触れる。静電気を起こしたかのように、ビリっと感じた。わたしはその痛みを一生忘れないだろう。忘れるもんか。忘れない。忘れられるわけがない。だから……わたしは。わたしは!
「待ってるよ……ハジメ! わたしもあなたを……あ」
その言葉をハジメに言い切れぬまま、わたしの肉体はタービンに一瞬で粉砕される。ハジメの匂い、ハジメの味、ハジメの声、ハジメの感触、ハジメの色……すべての五感を研ぎ澄ませ、わたしの肉体へ、わたしの脳へ、わたしの一〇五へ最期のコンマギリギリ秒まで焼き付けようとしていた。
光。
ハジメへ伸ばした手の先に、ストロボのような眩い煌めきが、起きたかと思えば、わたしという存在はこのEIから、一気に切り離された。
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