IV - 08

「この後、ちょっと出かけてくる」


 夜の十一時を回り、説明でもするように言った僕の台詞に紫苑は振り返る。


「……どうしたの?」

「まあ、用事みたいなもんだよ」

「真夜中に?」

「真夜中に」

「それは、どうしても、外せない用事かな」

「……残念ながら。どうしても、外せない用事」


 決められた時刻まで、約二時間。

 僕はコートを確かめ、アーミーナイフを確認してからポケットに入れる。紫苑とこんなやりとりをしても、誰かもわからない誰かの家を焼かなくちゃならない。

 スクラップアンドビルド。 


「…………どういう用事か、訊いてもいい?」


 馬鹿正直に答えるのはやめておけ。

 紫苑の質問に、頭の底が警告を出す。


「なんだろうな……悪事、みたいな感じ」

「なにそれ」紫苑がくすりと笑う。「悪の秘密組織にでも入ってるの?」

「まあ、悪の秘密組織、といえなくもないな。高身長で皮肉を呟く眼鏡着用の相棒とか、巨乳のセクシー女幹部がいたりする。あと一言も喋らない熟練の職人みたいな先輩もいるし、活動内容は……街を破壊したりする」

「それは、まごうことなき悪の秘密組織だね」

「だろ」


 僕は陳腐な言葉に落とし込むようにして物語を作った。五色の変身ヒーローが活躍して戦う特撮番組の敵組織みたいに火点け屋のことを話した。僕は下っ端の戦闘員で、ボスの顔など拝んだこともない。


 それでも、完全に嘘を言っているわけじゃなかった。


 たぶん紫苑もそのことに薄々は気づきながら、僕の話を聞いていた。

 組織の名前を訊かれ、固有名詞の名前なんてものは存在しないので僕が思いつきで口から出まかせに「ファイアスターター」と言うと、「名作だね。ボスの人は小説が好きなのかな」と紫苑は笑った。


「それで?」紫苑が尋ねる。「その秘密組織は街を破壊して人々を絶望の渦に陥れようとしてるんだよね? 動機は? なんで、そんなことしてるの?」


 岸田の話。播磨の話。

 それを少しだけ考えた。


「居場所がないから、かな」僕は言った。「みんなが幸福そうにしてると、身の置き場がなくて息が詰まるだろ。でも、幸福になる方法もわからないから、そういうことをする」


 幸福な部分が眼に入らないように破壊する。

 現実には不幸が進んでいるんだと認識する。

 応報が巡ってきて死ねることを期待する。

 だからやるんだ、と僕は言い、とってつけるように「まあ、普通に金が目当てのやつもいっぱいいるだろうけどな、たぶん」と言った。言ってから、順番が逆だ、と思ったが、なんとなく、訂正はしなかった。


「……きみは?」


 紫苑が尋ねた。


「きみは、どうして、その悪の組織で活動してるの?」


 僕の言葉選びのせいで、紫苑の質問はおかしな響きをしていた。

 何と答えればいいんだろう。

 考えたが、いい言葉が見つからなかった。


「雇われてるからな」

「お金で?」


 紫苑の言葉が短く響く。

 言葉が出ない。

 良くない。嘘を吐くのに抵抗が生じている。 


「もしかして、昨日きみに渡されたお金に関係があるのかな」


 僕の言葉が出ないから、紫苑は質問を重ねる。

 僕は答えない。

 沈黙。


「……きみが何をしてるのかはわかんないけどさ、あんまり悪いことしちゃだめだよ。悪いことしたら、誰かに悪いことされちゃうからね。きみになにかあったら、きっと、私は心配になるよ」


 紫苑は言う。


「今日は、ここにいてくれないかな」


 いじらしい表情で、紫苑が僕を見上げた。

 提案としては魅力的だった。

 乗れるなら、乗りたいくらいに。


「……悪い。それでも、行かないといけない」


 もう岸田は僕を待ち始めているかもしれないし、播磨はどこかで人を観察しているのかもしれない。ドライバーはエンジンを温め、幸福な誰かは破滅が迫っていることにも気づかず幸福にしているのかもしれない。 


「そっか、それじゃあ、仕方ないや」


 寂しそうに紫苑は笑った。

 紫苑が立ち上がって傍まで来て、少し背伸びしながら普段被っている帽子を僕に被せる。


「帽子、防寒用に貸してあげるから、汚さずに返すように」


 手でカメラみたいにフレームを作り、そこに僕を捉えて、似合うね、と紫苑が呟いた。

 少し拗ねて、少し怒って、それから笑って紫苑が言う。


「待ってるから、なるべく早く帰ってくるように」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る