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 そうしてしばらく歩いたところで、噴水公園の付近で妙な人だかりができているのを見つけた。見たところ女性ばかりのそれに近づいた冷は、その中心にいる人物が誰なのかに気付いて乾いた笑いがこぼれた。彼女らの中心に見えたのは、普段の様子が嘘のように爽やかに笑いかける漠夜の姿。

 真偽はともかくとして、女性というのは噂話にとても詳しい。隣の家の家庭事情から、近所の誰それの事まで、本当にどこから仕入れたのかと言わんばかりの情報量を抱えている。もっとも、大袈裟に脚色されている場合もあるので、選別の必要はあるのだが。

(やっぱり詐欺師だ)

 にこやかに笑い、いかにも人の良い青年を繕ってはいるが、実際の会話の中身は酷いものだった。人並み以上に頭の回転が速い漠夜は、持ち前の頭脳を駆使して上手に彼女らの発言を誘導している。吸血鬼の目撃情報は、被害者の特徴は、などの様々な情報を口八丁手八丁で瞬く間に聞き出していた。

 そうして約数分後、一通り情報を聞き出した漠夜が彼女らに別れを告げる様子が目に入った冷は、慌てて腰掛けていた噴水の台座から立ち上がる。どうやら冷が来ている事に気付いていたようで、漠夜はこちらへとまっすぐ歩いて来ていた。そのせいで背後の女性たちに訝しげな顔で見られたのだが、男なのだからそんな関係ではないと心中で言い訳しながら漠夜へと駆け寄った。

「どうでした?」

「ダメだ。警備隊の捜査情報以上の物は出てこねえわ」

「本当に人間の起こした無差別殺人なのでしょうか……」

 合流した二人は再び市街を見て周り、見落としが無いかを確認しながらとある場所へと歩を進める。そこは、つい昨日まで一般人立ち入り禁止区域に指定されていた、一番新しい犯行現場。魔力探査をあまり得意としていない漠夜としては、出来るだけ痕跡が残っているうちに調べておきたい所だった。しかし予想以上に立ち入り許可が降りるのに時間がかかってしまい、既に犯行から三日が経過している。連続事件だけあって警備隊の緊張は尋常ではなく、よほど事件に手を出されたくなかったのだろう。帝国魔天軍の人間だったとしても、警備隊の立ち会いの元で捜査を行う事を条件にと、ようやく許可が下りたのだ。それだけでも現場の警戒態勢はかなりの物だと知れた。

「捜査許可がでるのに、結構時間かかるんですね」

「基本的に警備隊も正規軍も、帝国魔天軍のことは嫌いだからな」

 立ち入り禁止の札がかかったロープを乗り越え、両手に手袋を装着しながら冷は周囲の様子を観察する。つい先日発生した、六件目の事件。それは中央地区の寂れた公園で起こっており、真夜中の犯行だったために目撃者もいなかったらしい。

「被害者は殺害後に、頭部を地面に擦り付けられた形跡があったようです」

 事件の資料に目を通しながら、冷は公園内を歩き回る漠夜の後ろを付いて回る。少し離れた所から向けられる警備隊の胡乱げな視線を背後に感じながら、二人は遊具の間から公園の隅々まで念入りに確認していく。後ろの彼には何をしているのか理解できていないだろうが、漠夜はただ歩き回っているのではなく魔力の痕跡を探していた。三日経っていたとしても、おそらく何かしらの痕跡は有るはずだと一つの痕跡も見逃さないように注意を払う。

 遊具の隙間や土の下などを時間をかけて丹念に調べていた漠夜は、入り口付近の錆び付いた鉄柵に目を留めた。所々塗装が剥がれており、こびり付いた泥が彼の手に撫ぜられてボロボロと零れ落ちていく。

「これは……」

剥がれ落ちた泥に指を沿わせた漠夜の瞳に、その泥に何が含まれているのかが映し出される。ただの泥かと見逃してしまいかけたが、魔術探査の為にと気を張っていたが為に、それが単なる泥ではないと気付いた。

土の合間から僅かに覗く見慣れた金色が、血の色に侵されてすっかりくすんでしまっている。

「末羽の魔力に近いが、これは……」

 すっかり見慣れてしまった彼女の魔力よりも、僅かに黄色の強い魔力に漠夜は目を見張った。限りなく彼女の魔力に近いのに、しかし全く異質であるその魔力。漠夜は少しの間逡巡した後、他者の意見を聞く為にと遠くでブランコを調べていた冷を呼び寄せた。

「おい、これちょっと見てみろ」

「これは、泥……ですか?」

 呼ばれて近寄った冷は、彼の手のひらに少量の泥が乗せられている事に気づき、手元を覗き込む。すっかり表面が乾いてしまったそれは、微かにそよぐ風に今にも飛ばされてしまいそうなほど軽くて脆い。

 それに血痕でも含まれていたかとじっと注視した冷は、わずかな逡巡の後、魔力探査を要求されているのだと思い至る。何も見えませんと答える前で良かったと思いながら、その泥に残っていると思わしき魔力を探るべく意識を集中させた。

「これは……蝶の……羽?」

 朧げながらうっすらと浮かんできた刻印を分析した冷の脳内に浮かんだのは、片羽の蝶。しかも事前に輝が言っていたルリタテハのような羽ではなく、アゲハのような羽だ。

 輝と同じように映像で刻印を捉えるタイプだったらしい冷の言葉を聞いて、漠夜の中で末羽の関与の可能性が薄れていく。人によって形の異なるそれは、生涯変わることなどないからこそ、似て非なるものという情報が彼の思考を半透明にする。

(輝が読み間違えたのか?いや、あいつに限ってそれは……)

 不透明な事実のみが重なって、肝心の情報がまるで掴めない。いくら思索を巡らせてもそれ以上の事がわかるわけでもないと判断した漠夜は、一旦考えるのを止めた。

「おい、これの鑑定を頼む」

 通信機の送信先を冷から白鷺壱番隊へと切り替えた漠夜は、基地で待機している科学班の元へとトランスポートの物質転送機能を使用して送り届けた。様々な概念から多角的に魔力を解析する技術を有している科学班の手にかかれば、あれだけはっきり残っていた魔力の解析などあっと言う間に終わるだろう。

 転送を済ませた漠夜は、隣で待機していた冷に目配せをする。彼の視線に気付いた冷は神妙な顔で頷きながら、背後で訝しげな表情を浮かべる警備隊の男に顔を向けた。どうやら二人で何かを真剣に見つめているのが不審に見えたのだろう、今にも咎めてきそうな男の様子に冷は落胆する。

 同じ目的で捜査をしているというのに、どうも帝国魔天軍というだけで怪しげな眼差しで見られてしまう。同行という名目でついてきてはいるが、一定の距離から決して近づいてこない限り、彼の心中など容易に想像できてしまう。

化物め、と。

「僕はこれから北区に行ってみます」

 背後の男にも聞こえるよう少し大きな声でそう告げれば、彼はあからさまに安堵の表情を浮かべていた。イヤミの一つや二つ言ってやりたい心地になりながら、それでも任務の方を優先させるべく立ち上がる。

 これから数時間だけだが、漠夜は軽く体を休めにと宿へと戻る。その間冷は科学班の解析結果を待ちながら、五件目の事件が起こった北区へと向かう事になっていた。大きく五つの地域に別れたこの街で起こった連続事件なだけに、捜査範囲は二人では調べるのにも数日以上必要としてしまう。

(せめて他に共通点がわかれば……)

 五つ目の事件の資料に目を通しながら、冷は北区へと続く橋を渡る。

 五件目の被害者は血液が抜かれていた事の他に全身が激しく損傷しており、元の面影が全くわからない程だったのだという。猟奇殺人とも呼べる手口に、おそらく六件の中で一番世間を騒然とさせた事件だろう。

(損傷状態に一貫性が無さすぎる)

 一件目と二件目は、喉が裂かれていた。三件目は瞳が抉り取られ、四件目は原型がわからなくなるほどに左腕が潰されていた。

 被害者は毎回体のどこかが必ず損傷しており、程度はバラつきが見られたものの、どれもが死後改めて付けられたものである。吸血痕を隠すようにも見えるが、それ以外にも何か意図があるようにも見受けられた。

 全く事件の概要すら掴めずに冷が嘆息している頃、漠夜は宿へと向けて歩いていた。本来は一昼夜働き詰めだった事などさして問題は無いのだが、やはり魔力の不足が体にかなりの負担を与えていたようだ。今ではほとんど戻りつつあるが、体力の半分以上を魔力の回復に当てていたせいで疲労が強い。

 一時間でも眠れば回復するだろうと足を動かしていた漠夜だったが、通り過ぎようとした小さな路地から妙な気配を感じて足を止める。

(術師――かなり弱い力だ)

 微かに感じる魔術の気配に、漠夜はインバネスの内側から札を数枚取り出しながら路地の様子を窺う。正午でもあまり日が射さないそこに目を凝らしてみれば、ほの暗く映る影が二つ。女性と思しき人影が男性の首を締め上げている姿が漠夜の眼前に広がる。

(犯人か……?)

 その女は緩くウェーブのかかった髪を揺らしながら、一切の躊躇も見せずに男の首を片手で絞めている。もがく男の手を煩わしそうに振り払う腕は、時折彼の髪を撫で付ける様子も見られた。その行動の理由が何なのか理解できなかったが、彼女から感じる殺意が明確なものになったのを感じ取った漠夜は、その手を止めるべく一歩踏み出した。

「そこまでだ」

 言い終わる前に、踏み込んだ足を軸にして彼女の鳩尾めがけて足を振り切る。漠夜の気配に全く気づいていなかった彼女は、突然の闖入者に対応しきれずに路地の奥へと吹き飛ばされた。身体能力値SAという白鷺壱番隊の最高記録を叩き出した漠夜の蹴りは重く、引き摺られたように数メートル離れた所に倒れ込んだ彼女は痛みに呻く。小さく声こそ聞こえるものの、相当なダメージだったのか彼女が起き上がる様子はない。

 その間に被害に合っていた男性に目をやった漠夜は、彼の容貌に目を見張った。顔立ちこそかけ離れていたものの、ややくすんだ銀髪と青い虹彩を持った、漠夜とよく似た色合いの男性が咳き込んでいる。やけに同じような特徴を持った彼の姿を見ているうちに、彼の中で今回の事件の被害者をつなぐ糸が見えた気がした。

 事件資料に添付されていた被害者の写真を見る限り、瞳を抉られた被害者は漠夜と同じ深海のような深い青色をしていた。そして左腕を潰された被害者は彼の伴侶曰く、少し値が張る指輪をしていたのだという。漠夜が未羽に贈ったものと、同じ意匠が使用された銀色の指輪を。

 漠夜と同じ背格好をした五件目の被害者と、同じ銀色を持つ六件目の被害者。もしも、一件目と二件目の被害者が漠夜と似たような声をしていたとしたら。事件の裏に潜む末羽の存在が、彼の中で揺れる。

 吸血鬼は、漠夜の姿を探しているのだと。

「嘘だろ……」

 不愉快そうに舌打ちをした漠夜は、先程蹴り飛ばした女性の方を向いて忌々しげに吐き捨てる。確証はなく、まだ彼女が犯人と決まっているわけではないが、それでも彼にとっては殆どそれで間違いなかった。末羽の関与が疑わしいと仮定すると、彼女の狙いが漠夜であることはほぼ間違いないのだ。白鷺壱番隊の管轄内で大掛かりな事件を起こせば起こすほど、漠夜が出向いてくる事を彼女は知っていた。

「おい、今のうちに早く行け!」

 動きの邪魔になるインバネスを脱ぎ捨て、呆然と腰を抜かす男性を急き立てる。末羽の差金ならば、あの吸血鬼はここで仕留めなければならないのだと経験が告げる。少し血液を奪われていた男性はフラつきながらも路地から逃げていき、完全に離れたのを確認した漠夜は、彼女に向けて声をかける。

「顔上げな。お前には聞かなきゃならねえ事が沢山あんだ」

 咳き込みながら体を起こす彼女に剣を突きつけながら、漠夜はこちらを向くように促した。彼の重い蹴りをマトモに受けた彼女は相当なダメージを受けていたようで、咳き込んだ拍子に数滴の血痕が吐き零されて行く。

 地面を赤く染め上げていた彼女は、やがてゆっくりとその顔を上げる。ようやく顔が拝めるかと内心ため息を付いた漠夜は、上げられた彼女の顔を見た瞬間に驚きのあまり剣を持つ手が一瞬緩んだ。

「お前は……」

 顔を上げた彼女の瞳には嫌疑の色が浮かび、こちらへの敵意を隠そうとすらしない。蹴り飛ばされた衝撃で乱れた髪を血に濡れた掌で掻き上げながら、彼女はその表情を歪めた。

 見たこともないような、敵愾心に溢れた瞳が漠夜の姿を映す。血液と砂埃でやや薄汚れていたが、彼女の顔を彼が見間違える筈もないほどに見慣れた顔は、冷酷非道と評される漠夜の手元を揺らめかせるには十分すぎるほどだった。

「未……羽……?」

 揺れる切っ先が、彼女の表情を捉える。輝とよく似た面差しを向ける彼女の顔に動揺した漠夜は、咄嗟に発動している魔術を切り替えて彼女を拘束する。

 両手足を拘束し、鈍く光を放つ拘束用術符を見ながら、漠夜は頭を抱えた。目の前の彼女は、間違いなく一年前に看取った筈の婚約者、如月未羽その人である。なぜ、絶命したはずの彼女が今も目の前で動いて居るのか。心臓を貫かれ、呼吸が停止するのを確認した筈だったのにと、漠夜の中で疑問が巻き起こる。

「ちょっと、離しなさいよ!」

 彼が思案しているところに、彼女は不満そうに声を上げる。何とか拘束を解こうと試みているようだが、彼女の魔力では到底漠夜に太刀打ちできていないのか、拘束術は一寸の歪みすら見せることはない。

「なんなのよ、急に現れて! 私の食事の邪魔しないでよ!」

 歪められた表情のまま、彼女は漠夜を詰り続ける。その様子から、彼女には漠夜に関する一切の記憶がないのだと理解する。それが別人だからなのか、それとも別の要因によって記憶を失っているのかはわからなかったが、彼の意識を引き戻すには十分なきっかけだった。

 彼女を失ったときのことは今でも記憶に残っているが、それでも彼はそれだけの理由で目の前の“吸血鬼”を見逃せるわけでもない。混乱する頭を整理するように彼女の顔を観察するが、見れば見る程その顔は記憶の中の未羽と同じ顔をしている。

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