第三章 夜闇のレクイエム

 中央大陸の帝都から少し離れた平原に遥か高くそびえたつ、帝国魔天軍白鷺一番隊の専用本部。そこは夜でも煌々とした明かりが灯っており、本部内は未だ賑わいを見せているのが外からでも十分に伝わってきていた。しかし、その敷地内の一角を占める小高い丘にはすっかり夜のとばりが降りていて、しんと静まり返ったそこだけが生き物の気配を感じない程に静まり返っている。

 ふと、そこに一陣の風が舞い込んできた。

『もう一度、日の目を見せて上げる』

 静かな丘にどこからともなく舞い降りた一つの気配は、足元の草を揺らしながら目的のモノへと手を伸ばす。梅の花が散るように一つまた一つと空に漂う紅い蝶は、戯れながら目の前のそれへと纏わりついていく。

『愛しいあの人に、逢わせてあげるよ』

 伸ばされた先に静かに佇む、小さな墓石。刻まれた名前をかき消すように指先で撫でた人影は、謳うように、呪うように言葉を紡ぐ。乾いた音を立てながら零れ落ちる砂の粒子は蝶の体へと降り積もり、羽ばたきの風に流されていった。

『私が逢わせてあげるから……出ておいで』

 鈍い音を立てて隆起した地面から、白い指先が覗く。意思を持った異物は静かに地面から這い出し、やがて薬指一本ほどの長さまで外気に晒されたところで動きを止めた。

 月光に照らされる青白い骨は所々土に汚れ、生前の姿を思い起こすことはできない。ただ、ある一点を除いては。

『相変わらず醜い女だよ、君は』

 白骨の指先に引っかかるようにして光る銀色に、末羽は憎悪の表情を浮かべて笑った。



「復帰直後ですが、早速次の任務に行っていただきます」

 MR四二五による白鷺壱番隊襲撃事件から三日ほど経った後、後始末を終えて戻ってきた輝に呼び出された漠夜は、その手から数冊の冊子を受け取った。表紙にはランクCと書かれているが、その下に小さく彼のものと思われる文字でMと書かれているのが目に入る。

 文字の意味を問おうと視線をそちらに向ければ、彼は僅かに浮かべた笑みを崩さないまま口を開いた。

「南方の都市で、吸血鬼の仕業と思われる事件が発生しているそうです。被害者は六名、本部の判断ではランクCが妥当との事でしたが――」

 そこで言葉を切った輝は、一瞬だけ冷の腕に視線を向けた後、眼光を鋭くして僅かに声を潜めて話し始めた。

「幾つか残された痕跡から、私は末羽の関与も疑っています」

 輝に促されて目を通した冊子の最後に添えられた資料には、彼が独自に調査したと思われる痕跡の調査結果が書き連ねられている。魔力の残渣、犯行の手口、そして使用された魔術の特徴。どれもこれも上手に誤魔化されているが、見る人間によってはすぐにわかってしまうモノばかりだと彼は話す。

「……それで、わざわざ俺指名でこんなランクCなんかの任務を持ってきたわけか」

 冊子を閉じた漠夜は、それまでのやる気のなさそうな表情から一変し、闘争心に満ち溢れた表情で笑う。隣で話について行けなくなっていた冷に向かってその冊子を放り投げると、彼は輝の机へと近付き、小さな紙袋を受け取った。


「それ何ですか?」

「……ああ、そういえば葉邑一等兵はこの系統の任務は初めてでしたね。これは潜入用衣装ですよ」

 話について行け無くなっていた冷は、冊子を片手に持ちながら漠夜の持っている紙袋を見る。中には衣類と【人物設定】と大きく書かれた紙が入っており、その意味がわからずに冷は更に首を傾げる。彼の顔面には、なぜ隊服のままで任務に行ってはいけないのかという疑問がありありと浮かんでいた。

「世間的には、まだ猟奇事件の枠を出ていないからです」

 ――とある南方の市街地では、数週間にわたり連続殺人事件が起きていた。被害者に共通しているのは性別と、頸部に着けられた歯型のような傷跡と、体内の血液が抜かれていたことである。市民の間で吸血鬼の仕業では、という不安が広がっており、警備隊も捜査に難航しているというのが今回の現状だ。

 魔物の関与が疑われる事件で、今回のように元凶がはっきりしていない場合、帝国魔天軍は表立って捜査してはいけないという制約があるのだ。その理由として、魔物は魔術師でなければ殲滅させる事は不可能であるという事が一番に上げられる。

「なるほど……絶対に敵わない相手が犯人となると、何をどうしたら良いかわからなくなりますからね」

「そうだ。迂闊に動いて、混乱を広げるわけにはいかねえからな」

 ただでさえ不安が広がっている中で、魔物専用の特殊組織である帝国魔天軍が動く事はとても重い意味を持っていた。

彼らが捜査に乗り出したとなれば、市民の間では魔物の関与が確定となってしまうだろう。もしもそうなれば、恐怖と不安は瞬く間に都市全体に感染し、無用な混乱を招いてしまう事は確実である。

 逆に言えば、直接吸血鬼の姿が目撃されていたほうが楽だったのだと漠夜は語る。正体不明のモノに怯えるよりも、犯人は魔物で、魔物退治の為に警備に当たる人間がいるのだと示したほうが市民は安心するのだと。

「こんな状態だと、とにかく口を割らねえ奴らが多すぎる」

 時間が惜しいという漠夜の後ろをついていきながら、操作の説明を受ける。目立たず騒がず、できるだけ有用な情報を集めつつ、可能であれば原因の除去を行う事。それが必要なのだという。

 郊外の目立たない位置にトランスポートの移動地点を設定した漠夜は紙袋を片手に足早に街へと入り、指定されたホテルへと向かった。その後ろを小走りでついて行った冷は、目の前に建つ高級ホテルに目を疑う。てっきり小さな場末の宿屋だと思っていた彼は、入り口でさっそく気圧されてしまったのである。

「あの、少佐……間違えてませんか?」

「間違えてねえよ。さっさと来い」

 震えながらホテルを指さした冷の腕を引っ掴み、漠夜はそのまま入り口をくぐる。慣れた様子でチェックインを済ませる様子を後ろから恐々と見ていたのを見かねたのか、漠夜はエレベーター内が無人なのを確かめてから口を開いた。

「ここの支配人は帝国魔天軍に出資している。調査のためならある程度の融通が利くんだよ」

 そう言い捨てた漠夜は、軽快な音を立てて到着したエレベーターから素早く降りて、フロントで渡された部屋番号を探して歩き始める。高層階だからなのか、余計な喧噪とは切り離された落ち着いた雰囲気の廊下を歩いていると、冷は身分違いな気がして落ち着かなくなるのだが、どうやら漠夜はそうではないようだ。

 目当ての部屋を見つけた彼は冷が部屋の扉を閉めたのを確認すると、上に着ていたコートを脱ぎ捨てて紙袋の中に入っていた服に着替え始めた。

「お前もさっさとしろよ」

 黒い長衣に着替えた漠夜は、苛立ちを抑えぬ口調のまま吐き捨てた。どうやら彼に与えられた設定は、修行のために各地を周る騎士らしい。幸いにも身体能力に恵まれていた彼は、旅人等の職業で潜入するよりもよっぽど向いている設定と言える。今までも、持ち前の容姿と演技力で様々な人間を誑してきたのだから世も末だと冷はため息をつきたい心地になる。

「……結局、人間って見た目なんですね」

「バカ言うな、俺は頭も使ってんだ。その辺の見掛け倒しと一緒にすんな」

 容姿を売り物にしている踊り子やモデル達よりも遥かに整った顔に微笑みを浮かべた彼の顔は、どこから見ても騎士の風格など感じられない。良く見積もっても裏稼業のそれだろうと言いたくなる笑みを常々見ている冷にとっては、彼に一番似合う職業は詐欺師である。

 黒色の長衣に簡素な飾りが付いた漠夜の腰には、申し訳程度の片手剣が携えられている。役作りの為にと用意されたそれは、彼が普段使用しているものと比べると格段に重く、手にもあまり馴染まない粗悪品である。

 そして、自分にはいったいどんな役割が与えられたかと思い冷が自分に渡された紙袋を覗くと、そこに入っていたのは漠夜と同じ素材で作られた黒衣に細身の短剣が入っている。二人組んで行動しても目立たないようにということは、お供か何かかと予想しながら設定書を開くと、師匠について各地を周る半人前という設定が書かれていた。

「少佐の弟子ですって!」

「マシな役で良かったじゃねえか。蒸発した妻を探して各地を周る父子の設定付けされた一葵と月華の前でそれ言ってみろよ」

 表情を輝かせながら報告する冷を見ながら、漠夜はかつてとんでもない設定を押し付けられた二人の話をして笑う。

 特攻隊に所属し、ペアを組んでいる荒野一葵と御園月華は、あらゆる意味で名物コンビだった。二人の年の差は一歳だが、その身長差はジャスト三十センチ。約百八十の一葵と、百五十にも満たない月華は、共に行動しても不自然ではない設定を考えるのに苦労したのだという。

 青髪と黒髪、そして地味顔と童顔という評価を受けている彼らには兄弟というのも難しい。以前うっかり漠夜達のような設定をつけてしまい、未成年者略取の疑いをかけられた事があり、最早彼らの潜入話は伝説となっている。


「わかったから聞き込み行くぞ」

 装飾物の擦れる小さな金属音を鳴らしながら、漠夜は扉を開く。調査の間宿泊する宿は街の中では商人などが主に利用するところだったらしく、受け付け付近では談笑に興じる男たちの姿が目に付いた。

 出来るだけ目立たないようにコートに身を包んだ二人は、その商人の間を縫うようにして入口へと向かう。何故わざわざ人並みの中を通るのかと冷の中に疑問が浮かぶが、今ここで口にすることでもないだろうと無言で彼の後ろを着いて行く。

「どうして、あんな混んでいる所を通ってきたんですか?西口の方は人少なかったですよ」

 ホテルから出て少し歩いたところで漠夜に質問すれば、返ってきたのは呆れ果てた表情。何も考えずに着いてきたのかと、言葉に出さずとも伝わるその表情に、冷は思わず後ずさった

「お前は訓練課程で何を習って来たんだ……噂話の収集も大事な調査だろうが」

 潜入捜査で最も重要なのは、いかに沢山の情報を得るかどうかである。

 信憑性はこの段階ではさほど重要ではなく、とにかく大量に集めることを目的としていた漠夜は、各地を旅する商人から情報を得るためにわざわざ人波のど真ん中を通り抜けたのだ。商売先の情報というのは物のやり取りにすら影響するため、数多の顧客を抱える彼らはその情報網を使って日夜情報収集に必死になっている。

「今だって、今回の事件に関する話が幾つか出ていた。犯行時間だとか、場所とかな」

「……凄いです、しょ……師匠」

 彼らの間をすり抜ける時に、漠夜は飛び交う情報の渦の中から今回の事件に関することを盗み聞いていたようだ。そのことを知った冷の瞳は尊敬に輝き、少佐といいかけた口を閉じて師匠と言い直す。

 それから道ですれ違う人間の噂話を盗み聞いていった漠夜はたち、ある程度の犯行時間と被害者の情報を把握することに専念した。流石に実際に事件の起こった街中だけあって、その情報は輝から渡された資料よりも多い。

「やはり、皆さん話題のほとんどが今回の事件のようですね」

「そりゃそうだ。同じ事件として分類されてるだけでも、六体くらい死体が上がってんだ。しばらくネタには困らねえだろうよ」

 三十分ほど街中を回った二人は、中心街から少し離れた酒場に腰を下ろしていた。冷は集めた情報をメモに書き起こしており、漠夜は向かいに座ってその様を眺めている。

 ペンを走らせながら漠夜の様子を窺っていると、いくつかの視線を感じて顔を上げた。目線を辿った先には数人の女性がいて、冷が見ていることに気付いた彼女たちは黄色い声を上げながら一斉に顔を背けた。

(少佐、本当に恰好良いからなあ……目立たないようにするなら顔をまず隠すべきなんじゃ……)

 黙っていれば美しい西洋人形のようだと称される漠夜は、その中身を知らない人間の視線の中心になる事が多々あった。パートナーになって日が浅い冷でもその片鱗はちらほらと目に入っており、外部から取材の申し込みすら受けるほどにその容貌はひどく整っている。完璧な程に整った容貌の派手な美形である漠夜の隣に立つには少し貧相な自分の身体を見下ろし、冷はこっそりため息をついた。

「もうちょっと愛想を良くしたらもっと人気になるんだろうな……」

 何となく呟いた言葉を聞き取ったのか、漠夜が顔を上げる。その拍子に耳にかけていた髪が数本垂れて、それを煩わしそうに払う姿すら嫌味なほどに似合っていた。

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