2-4

「――僕?」

「……冷」

 腰まで伸ばされた金髪が、彼の言葉に返事をするようにさらりと揺れる。鏡写しのように全く同じ姿をした、もう一人の葉邑冷がそこに立っていた。

 全く同じ体型に、同じ顔、同じ姿。敢えて相違点を上げるならば、瞳だろう。こちらを見る両の瞳は冷よりも鋭利に研ぎ澄まされ、どこか漠夜を彷彿とさせるような輝きを持っている。

「まさか……写し取ったというのですか」

 魔を映す特別な道具である魔鏡を取り込むことで、込められた魔力だけではなく持ち主の姿まで奪い取ったのかと輝の頭が推論を導き出す。

 体内で生成される魔力と、それを現世に実現化させる為の媒体を得たのだから、先程よりも厄介な存在になるだろうという事は漠夜も輝もある程度予測していた。しかし問題の媒体が魔鏡であった為に、予想以上の結果をもたらしたのだろう。

 それ単体でも立派な魔具と成りうる魔鏡を取り込むことによって、MR四二五は人間としての姿と知性を手に入れた。

「とんだ化け物だな」

 呆然と立つ彼に向かって、漠夜は間合いを詰めて足を振り上げる。顔面を狙って放たれた足は彼に命中する前に阻まれ、途端に走る鈍い痛みに漠夜は表情を変える。

 落ち着き払った様子で漠夜の攻撃を結界によって防いだMR四二五は、漠夜が体制を整えている間にそっと距離を取る。

「凄いな……思うように体が動く」

 掌を握ったり閉じたりを繰り返しながら、彼はあまり感情の篭らない声で呟く。今しがた手に入れたばかりの体を思い通りに動かすのは難しいと思っていた分、指先一つでも自由に動かすことのできる肉体に彼は驚きを隠せない。

 驚く程、輝の与えた知識は彼の体に馴染んでいた。

「人間の体で魔術を使うのは、こうするのか?」

 伸ばされた指先から、豪炎が巻き上がる。あっと言う間に周囲を火の海に変えた彼は、己の探究心を満たすかのように瞳をあらゆる方向へと走らせる。どのようなアプローチを行うと、どのような反応が起こるのか。理屈ではなく感覚で術を発動させるために、彼は惜しみなく術を発動させていった。

「あの野郎……ふざけやがって」

 火の海を掻い潜りながら、漠夜はその中心に立つ男に向けて近付こうと試みる。術の発動に夢中になっていた彼に近づくのはとても容易な事で、ひときわ高い炎の壁を飛び越えた漠夜は、そのままの勢いで彼の頭部を蹴り飛ばした。

 意識の外からの強烈な衝撃に彼の意識は一瞬飛び、受身を取ることもできずに地面に叩きつけられる。

「よりによって、体力ゼロ野郎なんかの姿借りるからだっつーの」

 瞬く間に消失した炎の焼け跡を通り抜け、軽い脳震盪を起こしているMR四二五に向けて吐き捨てる。漠夜から見れば、所詮冷の身体能力など赤子も同然である。そんな漠夜の魔力を吸収している分ある程度の補填はされているのだろうが、それでも漠夜の身体能力はMR四二五の今の能力を遥かに凌ぐ。

「ふむ……知能はあるが、知性は無いといった所でしょうか……力の活かし方を全く心得ていない」

 倒れ伏す彼の姿を遠目に眺めながら、輝は対象の観察に余念がない。思いがけない方向に転がったが、何せ輝の長年の研究テーマである魔術の使用が可能な生物の誕生への貴重な成功例である。魔物の被害によって家畜や自然動物が減少する一方の近年において、この技術の確立は大きな意味を持つ。

「漠夜! 彼は一度連れて帰ります、そのまま捕獲を」

 輝に声をかけられ、漠夜は大きなため息をついた。目の前で痛みに呻く彼の姿は人間と見紛うほどで、これが今からどうなるのかを考えるだけで頭が痛くなってくる。

 上体を起こしかけた彼の背中に足をかけて、地面に押し付けながら腕を捻り上げて動きを拘束する。人間の姿になった分抑制が楽になったと考えながら、ふと見た彼の表情が激情を堪えるように歪められているのに気付いた。

「随分と、自分勝手なことしてくれるな……勝手に生み出しておいて、都合が悪くなったら処分かよ……!」

「上の命令だ。好きでやってんじゃねえよ」

 魔術を発動できない程度に痛みを与えながら、漠夜は周囲を見渡して拘束に使えそうな道具を探す。普段ならば拘束魔術を使用するのだが、彼に吸収されてしまう事を考えるとそれは賢い選択とは言えない。

「おい、どっちでもいいからロープ持って来い」

 腕を通常の可動域以上に捻り上げられた彼に苦悶の表情が浮かぶのを見ながら、後方の二人に拘束用のロープを催促する。本部に連絡すれば早いことなのだが、事をこれ以上大きくするのはあまり宜しくない。何故なら、輝の研究は一部の関係者を除いて一切非公開となっているからだ。おそらく今回の事も、外部から魔物が侵入したこととして処理されるだろう。出来るだけ穏便に済ませなければ、後始末の手間が増えてしまう。

「冷、ロープ」

 普段ならばいの一番に取りに走りそうな冷の返事が聞こえず、漠夜は苛立った様子で彼の方を振り返る。先ほど駆け寄ってきたのだろう、思っていたよりも近くにいた彼にもう一度声をかけようと口を開きかけるが、そのときにようやく彼の様子がおかしいことに気付いて漠夜は開きかけた口を閉じた。

 およそ数歩分離れたところで立ち尽くす彼の瞳は、僅かに目を見開きながら漠夜の下で痛みに呻く彼の姿を一心に捉えている。血の気が引いて蒼白となってしまった顔面を無表情に固め、唇を戦慄かせながらひたすら、彼から目を離さない。

「どうしました? 葉邑一等兵」

 輝が彼の方に手をかけたのと、漠夜が更に腕を捻りMR四二五が痛みに声を上げたのは、ほぼ同時だった。

「嫌だ……!」

 輝の手を跳ね除け、冷は自らを庇うように腕で頭を抱えながらその場にうずくまる。恐怖に染まったその表情と、痙攣しているとしか形容できないほど震えた彼の腕。涙こそ流さないものの、彼のその姿は明らかに異様だった。

「冷、どうした!」

 漠夜の声に、冷の視線が彼の方へと向けられる。しかしその視界に漠夜の姿は写っておらず、ただただMR四二五のみを写している。

 冷の唇から、小さな悲鳴が零れ落ちる。恐怖とも憎悪とも取れない表情を浮かべ、頭を垂らした彼の双眸は固く閉ざされてしまった。

「もう何もしませんから! ごめんなさい! どうか……どうかもう許して下さい!」

 悲鳴にも近い声を上げながら、冷はひたすら見えない何かに向けて謝罪を繰り返す。頭を掻き毟るように両腕に力を込め、途中何度も言葉に詰まりながら彼は泣いていた。

「ごめんなさい……ごめんなさい! もう嫌なんです!」

 ただならぬ様子の冷に、輝は対応を考えあぐねていた。明らかに他者との接触を拒んでいる彼には、声をかけることも叶わない。

「どうか、僕を人間として見てください……っ!」

 一際大きく、彼の声が辺りに響く。戸惑いを顕にするMR四二五から離れた漠夜は、彼の事を輝に任せ、冷のもとへと歩み寄った。

 近付く足音と他人の気配に一目でわかるほどの恐怖を見せた冷は、その体を震わせてじっと蹲る。数センチも離れていない程の至近距離に接近しても、彼はそれが漠夜であると認識できていないのはすぐにわかった。

「おい、冷」

「ごめんなさい、もう嫌なんです! 嫌だ!」

 話しかけても、返ってくるのは誰に宛てたとも取れない言葉ばかり。漠夜は溜め息をつきたい衝動を堪えながら、冷の顔を強引に上げさせて彼の表情をじっと観察する。

『――葉邑冷は、狼の皮をかぶった羊だよ』

 末羽の言葉を不意に思い出した漠夜は、こういうことかと一人納得した。虚構と去勢で塗り固められた彼の瞳は、彼に何があったのかを漠夜に如実に語りかける。今なお消えることのない恐怖に怯えた、もろく崩れかけたガラスのような瞳。

「そこから這い上がるのは、お前にしかできねえぞ」

 彼の前髪をかき上げ、懐から取り出した薄紫色の札を額に貼り付ける。揺らめいていた瞳が、静かに閉じられる。眉間に寄せられていたシワも消えており、漠夜は魔術が上手くかかった事に安堵の息を漏らした。脳神経に直接作用し催眠や睡眠導入に使用されるそれは、主に情報操作や事件の隠蔽に活躍している魔術だ。

「輝、そいつの事は任せたぞ」

「分かりました」

 戸惑い、反抗する様子のないMR四二五を横目で見つめながら、漠夜はすっかり気を失ってしまった冷を肩に担ぎ上げる。人一人担いでいるとは思えないほど軽快な動作で走り出し、彼の姿は二人の視界からあっと言う間に消えてしまう。ひらりと小さく手を振った輝は、その姿が完全に見えなくなってしまったのを確認した後、横で膝をつく彼に視線を動かした。

「……希望があれば聞きますよ」

 まるで迷子になった子供のような、拠り所のない不安げな瞳が輝の姿を映す。MR四二五は先程までの凶暴性を見せず、呆然としたまま口を開いた。

「俺は――」


「あれ、あそこ走ってんの漠夜じゃね?」

「どこ?」

 本部に残り瓦礫の片付けに勤しんでいた四人は、月華の言葉を聞いて顔を上げる。視線の先には冷を肩に担ぎ上げたまま走る漠夜の姿があり、その光景に彼らは首を傾げた。

 先程同行していた輝の姿が無く、こちらに声をかけようともしない。流石に何かあったのかと疑問符を浮かべていたところに、今度は遠く離れた丘から大きな爆炎が上がった。

「……森が吹っ飛んでる」

 慌てて外に視線を向ければ、丘近くに整備されていた森林の間から巨大な黒煙が立ち上っている。

「あれの後始末って……」

「ああ、俺達だ」

 帝都を一望できる丘から、一目で爆発があったとわかる爆炎が空に広がる。つい最近捏造した山一つ焼失事件の事を思い出しながら、二人は深く息を吐き出した。奇妙な生物を常に創り出している男と、破壊神とあだ名される男を上司として持つ四人には苦労が絶えなかった。

 落とした視線を森へと戻せば、黒煙は徐々に規模を小さくしており、このまま行けば鎮火できるだろうという程になっている。一瞬輝が消火しているのかと思ったが、それはありえないと一葵はすぐに首を横に振った。先ほどよりも異質な変化を遂げた魔力は感知できるものの、輝の魔術が発動された気配はない。今感じているのは、おそらく謎の生物を処分した事により飛び散った魔力残渣だろう。

「あーあ、転職したい」

「正規軍追い出されて、ここにきた時点でもう転職先は無いだろ」

「……それを言うなよ」

 しみじみと吐き出した一葵の言葉に、とても冷静なツッコミが入る。個人差はあれど、この帝国魔天軍に在籍している人間のほとんどが訳ありである。そんな彼らが次の就職先を見つけることなど、ほぼ不可能と言っていい。中学生の頃から全く見た目が変わることのない月華にそれを言われてしまった一葵は、何も言えずに肩を落としてため息をついたのだった。


 後片付けが全く終わらず、明日に持ち越される事となった深夜、輝の執務室を訪れる一つの人影があった。

 音を立てないように静かに開かれた扉は、彼が室内に入ったと同時に静かに閉じられる。僅かな物音に反応していていた書類から顔を上げた輝は、そこに佇む男にソファを促した。大きな窓から射し込む月光を受けて輝く銀色の髪を揺らめかせながら、漠夜は疲労を全て吐き出すかのような深いため息をついた。

「――ようやく落ち着いた」

「ご苦労様です」

 背凭れに頭を預けながら、漠夜はすっかり灯の落とされてしまった天井に視線を彷徨わせる。彼の脳裏には動揺しきった冷の姿が映り、思考から離れない。

 眠らせた彼を寮の私室へと運び込んだ漠夜は、そこで冷の異常性を目の当たりにした。それまで何の反応も見せなかった彼が、寝台に横たえた瞬間に瞳を大きく見開いてこちらを見たのだ。恐怖に暴れる彼を押さえつけ、かと思えば途端に動きを留めて感情の浮かばない笑みを浮かべ続ける彼の姿は、人形よりも作り物めいたものだった。

「思っていたよりもデリケートなんですねえ……」

「全くだ」

 呆れたように言いながら、輝は数枚の資料を持って彼の正面に腰掛ける。間に挟んだ机にそれらを並べながら、彼は不敵に笑った。

「まあ、神経は図太いみたいですけど」

 並べられた紙へと視線を移した彼に、輝は笑みを崩さないまま言葉を続けた。

「全て偽造でした」

 冷の登録データと、それに照らし合わせて調べ上げたありとあらゆるデータが、ほぼ全ての項目で不適合となっている。出身地も、両親も、その他出自に関わる様々なデータが嘘で塗り固められた彼の登録情報に、漠夜は呆れ混じりに笑いを零しながら一枚手にとった。

「戸籍も?」

「そうでしょうね。貧民区に行けば、戸籍の無い人間など山ほどいる」

 貼り付けられた一枚の写真が、漠夜へと微笑んでいる。

どれだけ調べても情報の一つも出てこなかった冷は、おそらく出生届など提出されていないのだろう。彼の名前が“葉邑冷”であるという証拠はどこにも存在しないが、調べていくうちに同じ遺伝子を持つ一組の夫婦が浮かび上がった。死産したという赤子の診察記録を見た時、輝の推論は確信に変わる。

「もうじき情報も全て揃うと思いますけど、どうします?」

「いらね」

 興味を失ったように書類を放り投げた漠夜は、ごく小さな炎術を発動させて全てを燃やしてしまう。炎に照らされた輝の顔は燃やされていくそれを無感動に眺めており、そこに何の感慨も感じさせない。燃え尽きたのを確認した漠夜は、薬指に着けられた指輪に視線を移して笑うのだった。

「例え鬼の子だとしても、俺の役目を達成するのには何の支障もない」

「そう言うと思っていました」

 好戦的に輝く青銀の瞳を見つめながら、輝は小さな笑みを漏らす。彼の中に宿る揺るぎない覚悟を常に誰よりも近くで見ていた輝にとって、例え葉邑冷が何者であろうと漠夜には関係がない事など、とうにわかっていた。

「期待していますよ」

 輝のその言葉に、漠夜はただ不敵な笑みを返しただけだった。

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