1-2

 ランクは危険度を表すのと同時に、隊員の能力値に合わせて適当に分配するための目安として定められている。Aランクから特Sまでの任務には身体能力値の平均がAA以上、もしくは【特攻隊員】のみというのが規則なのだ。

 漠夜の肩書は【白鷺一番隊・特攻隊長】。総司令の次に権力を持つ、白鷺一番隊における戦力の要。

「葉邑一等兵には荷が重すぎるかと思いますが――」

「構わねえ、置いてく」

 輝が全てを言い終わらないうちに、漠夜は資料を閉じてさっさと踵を返してしまう。おそらく任務に向かうのだろうが、冷の処遇については宙に浮いた状態だ。研修という事で、偶然パートナーのいない漠夜と共に行動していたが、さすがに今回の任務について行っていいのかは冷自身も甚だ疑問だった。なぜなら、彼の身体能力値は白鷺一番隊の選考基準ギリギリの範囲でしかない。特に体力の面ではBという評価を受けており、本来ならばAランクの任務など受けられる権利がない。

(えっと……でもパートナーだから、少佐がああ言っても僕も着いて行かないと)

 輝に指示を仰ぐかどうか迷ったが、彼は漠夜のパートナーが冷であることを承知の上で任務を渡している。それはつまり、行けと言う事ではないのだろうか。必死に考えて辻褄の合う結論に至った冷は、輝に向かって一礼すると慌てて駆けだして漠夜の後を追った。扉を閉める瞬間に微笑みを浮かべたまま小さく手を振る彼の姿が見えたが、その意図が掴めなかったため小さく会釈してその場を去った。


「少佐! どこですかー!」

 漠夜に遅れてトランスポートで転移した冷は、鬱蒼と茂る森の中で一人佇んでいた。早く現場に到着したからといって、漠夜がパートナーを待つような人物ではないと十分心得ていたつもりだったが、冷の予想以上に木が生い茂っていて人影を見つけるのは非常に困難だ。

 猟師が頻繁に出入りしているということは野生生物も多く存在していることは想像に容易く、下手に大声を上げ続けるのも得策ではない。一度大声で呼んでみたものの答える声は無く、ほとほと困り果てた冷は当てもなく道なりに歩いている所だった。

「せめて応答してくれたらなあ……」

 森に到着してすぐ漠夜へ通信機で呼び出しをかけてみたが、彼がそれに応じる気配はまるでない。うんともすんとも言わない受信用通信機を揺らしながら途方に暮れながら歩いていると、ひときわ高くそびえる大木が目に入って足を止めた。

 樹齢数百年は下らないような太くて立派な幹から感じる力強い霊力は、これがこの森の霊域としての効果を高めている事が魔術師として未熟な冷でも一目でわかる程だ。

 感嘆の息を漏らして近付き、幹にそっと手を添える。静謐としていて根強く泰然とした霊力は、まるでつい最近まで生きていたような気配さえ感じさせた。

「……あれ?」

 その根元に腰を降ろして一息つこうと思って下を向いた冷は、そこで初めて足元に何かが落ちている事に気が付いた。

 蝶の絵があしらわれた美しい赤い着物を纏い、頭には大きなリボンを結んだ小さな人形のようだ。極東の海に浮かぶ小さな海洋国家で好んで制作されている人形は独特の姿形をしていて、中央大陸で作られる磁器人形とはまた違ったその意匠に、一瞬目を奪われた。

「犠牲になった方の持ち物かな?」

 報告書によると、被害者の中には商人のキャラバンが含まれていた筈だ。極東から仕入れた荷物を移送している最中に被害に遭い、落としてしまったものが回収される事もなく打ち捨てられてしまっていたのかもしれない。

 拾い上げて観察してい見ると新品のように傷一つなく、地面に接していた部分に少し土埃が付いているだけのように見えた。

(任務が終わったら届けてあげよう)

 どこの誰が落とした物かわからないが、これだけ珍しい物だったならきっとすぐに持ち主が見つかるだろう。そう判断した冷が人形に目線を落とすと、不意にその人形と目線が合った。

『――お兄さん』

「うわっ!」

 本来ならば開くはずのない部分から漏れた声に、冷は思わず人形を取り落とす。かしゃん、と小さな音を立てて落ちたそれは、驚くべきことに自らの手足で器用に立ち上がってじっと冷を見つめている。

『こんな寒い所でどうしたの? 迷っちゃった?』

 それは鈴を転がしたような音だった。無垢な少女のように軽やかでころころとした声は静寂の中に良く響いている。作り物特有の温度のない容貌さえなければ、きっと本物の少女と錯覚すらしていただろう。不可思議な現象に一瞬繭を顰めた冷だったが、すぐに表情を青ざめさせて息をのんだ。

 もしもこの人形が被害者の遺物というだけではなく、魂を取り込んでしまった人形だとしたら。この大樹の霊力をもってすれば、現場に発生した未練を人形に定着させてしまう可能性は十分にあり得る。それどころか、妖の類になってしまっていも不思議ではないだろう。

『私とおんなじだね……』

 人形の迫力に圧倒されて思わずその場に座り込んでしまった冷に、彼女はゆっくりと近寄ってくる。彼女自身が大きな蝶のように袖を揺らしながら優雅に動き、朗々と言葉を紡ぐその姿は少女のようでいて、しかしどこか達観したような雰囲気さえ感じさせた。

「え、あ……」

『私、ずっと一人で寂しいんだ……お兄さんは一緒にいてくれる?』

 張り付けた笑顔のまま、少女が泣いている。球体関節がむき出しの指先を伸ばす。温度のない指先が首筋に触れた途端に背筋を悪寒が突き抜け、冷は思わず音にならない声で漠夜の名前を叫んでいた。

「今度の芸風は捨て子か?」

 コンクリートを壁に叩きつけたような鈍い音が響いて、冷は瞑っていた目を見開く。開けた視界の先では、どこからか突然現れた漠夜が人形を蹴り飛ばしていて、いとも簡単に吹き飛んで行った少女の人形が草むらの影へと一瞬で消えていく。

 視界を埋め尽くしていた深紅が白へと姿を変え、眩い白銀が冷と少女の間に立ちはだかった。

『……やあ、久しぶりだね』

 予期せぬ闖入者に吹き飛ばされた少女はまったく痛がる様子もなく立ち上がると、その表情をひどく歪んだ笑みへと塗り替える。作り物の口から放たれる声音はおぞましい邪気が感じられるようなものへと変貌し、少女は今の一瞬でまるで別人のように様変わりした姿で草むらから平然と歩いてきた。

「捻くれたところは何も変わってねえな――末羽まつは

 彼女の名前と思しき単語を漠夜が発した瞬間、足元から冷気が突き刺さる。大幅に体温を奪っていくそれは末羽と呼ばれた少女から発せられているもので、あまりの禍々しさに冷は思わず身震いして一歩後ずさる。

 狂気や怨念の塊――そうとしか形容できない、得体の知れない何かがそこにいる。

『未羽の仇討ちのつもり? 君ってそんなに情熱的だったかな』

「そんな綺麗なものじゃねえよ」

 不思議そうに首を傾げながら挑発するような言葉をかける少女にも、漠夜は至って冷静に懐から札を取り出して気を窺っているようだ。

 それよりも冷が気になったのは、末羽が発した『未羽の仇討ち』という言葉。冷が聞いている限りでは漠夜のパートナーである如月未羽は事故死であり、仇となるような存在などいない筈である。それがはっきりと彼女は自らを仇敵と表現し、漠夜もそれを肯定した。それが導き出す事はつまり――

「殺された……?」

 冷の表情が驚愕に染まる。漠夜の前パートナーであり、中佐にまで上り詰めた特攻隊長の片割れ。それが事故死ではなく末羽に殺されたのだとしたら、冷では圧倒的に力不足なのは明らかだった。

 事の真偽を確かめるべく漠夜へ視線を移すが、彼の背中はこれ以上の深入りを拒絶するような雰囲気を纏っている。

「俺は、あの時お前を仕留め損なった責任をとらなきゃならねえんだよ」

 漠夜の手にした札から炎が勢いよく燃え上がり、漠夜の姿を包んでゆく。炎の中で一際眩い光を放つ彼の左手薬指に嵌められた指輪が、明滅しながら光の魔法陣を映し出していくのがおぼろげながら視界に映る。

「あの日あの場所で、お前は殺しておくべきだったんだ」

 漠夜からの明確な殺意を向けられて、末羽の顔は至極満足そうに塗り替えられた。それはまるで、欲しかった玩具を与えられた時のような純粋で混じり気のない狂気。それに一瞬で気圧された冷の身体は、彼女を討伐しなければならないという使命感に反して指一本動かすことが出来なかった。

「お前はここで破壊する」

 光度を増しながら明滅を繰り返し、光はやがて足元を起点に大きな魔法陣を完成させる。中心に位置する漠夜の足元から巨大な炎の柱が噴出し、周辺一帯の木々を薙ぎ払いながら天高く飛翔していった。

「ソロモンに捕われし七十二の悪魔よ、月折漠夜の名のもと今一度姿を現し我に従え!」

 懐から紫の符を取り出した漠夜は詠唱を紡ぎながら名前を刻んでいき、刻んだその端々から一瞬で炎が生まれ、高く渦を巻いて燃え上がっていく。

 その様を見ているしかできない冷には何が起こっているのか理解が遅れていたが、その時はっきりと思い出した言葉がある。

「紅蓮の炎で焼き尽くせ“    ”!」

 轟音を立てながら炎が巻き上がる音に、最後に唱えた言葉がかき消される。炎がとぐろを巻き、生き物の姿を形作るさまをただ見つめながら、冷の脳裏に過ぎるのは漠夜とパートナーになった当初にかけられた言葉。

『あれは悪魔に魂を売った化物だ』

 燃え盛る炎より生まれ出たのは、真紅の羽毛に覆われた霊鳥・フェニックス。かつてソロモンに捕われし七十二の悪魔のうちの一柱、不死と謳われる業火の悪魔。

 漠夜の魔術によって生み出された最高位の悪魔の姿を瞳に写しながら、冷は感嘆とも怯えともとれる息を吐き出す。

 魔術師が集う帝国魔天軍の中で、召喚系の魔術を使うことのできる人間は限られていた。彼ら魔術師が魔術を使うためには、己が生まれた時の星の並びによって定められた媒体を必要としており、それは自然界に存在するあらゆる物質の数だけ存在している。召喚系の魔術を使用するには、精霊などとの契約の他に、媒体が非常に重要な要因であった。

 媒体と召喚魔の相性こそが最重要事項、それは軍に入隊する前に叩き込まれた基本中の基本。召喚魔と媒体の相性が悪ければ、その四肢は相反する魔術によって塵芥へと切り刻まれてしまう。

(少佐の媒体は【紙】だったはず……どうして炎系の召喚魔を召喚できるんだ?それにあれは――)

 最も相反する物として存在するはずの紙を媒体に炎系の悪魔を召喚しただけでも十二分に驚くべき要素だが、それよりも召喚した悪魔こそが冷の心に引っかかる。フェニックスを始めとするソロモンが封印し従えた七十二の悪魔は、“決して従わせる事のできない召喚魔”として魔術師の間では広く知られている。それこそ歴代の高位魔術師の誰しもが成し得なかったことだ。

 化け物。その言葉が意味する本質の一端を垣間見た気がして、冷は小さく身震いした。

『その程度、蹴散らしてあげるよ』

 フェニックスの降らす火の粉を躱しながら、末羽は右手で剣印を結んで文字を描く。漠夜の魔法陣のように浮かび上がる梵字は彼女の身の丈程に肥大し、火の粉を消滅させながら光を増していく。

「まさか、式神を召喚するつもりじゃ……!」

 梵字の中心部から勢いよく水が迸しり、その中心部に踊る一匹の龍のような影を見ながら、冷は信じられないとでも言うように目を凝らしてその正体を探る。

 式神は召喚魔のように詠唱や契約を必要とせず、己自身の魔力によって作り出される妖のような物だ。魔術師の中には実在する妖怪をそのままなぞらえる様に式神を従える者も多く存在しており、おそらく彼女もその中の一人なのだろう。

『この子を漠夜に見せるのは初めてだったかな?』

 末羽によって作り出されたのは、海底を移しこんだように青く光る瞳と白銀の鱗に覆われた肢体を持つ、巨大な蛇。

 その長大な肢体を蠢かせながらフェニックスを見定めるように瞳孔を光らせ、末羽を守るように薄い水膜を張り巡らせる。超音波のような咆哮を上げる蛇の姿を視界に入れながら、漠夜の顔は憎らしげに歪んだ。

「ミズチじゃねえか……またとんでもないもん作りやがったな」

『私は、殺した人間を糧にして強くなるものでね』

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