第8話 そして船はまた走り出す (1)

「なんで長尾が来るんだ?」

「さぁ?」

鍋島艦長と木下副長が、怪訝そうな顔で本社からの連絡メールをのぞき込んでいる。


 輸送船「しきしま」は四年間の長い木星往復の旅の、最終段階に入っていた。すでに火星軌道の内側に入っており、地球到着まであと残り四ヶ月である。そんな時に突然、本社の長尾取締役が来月、「しきしま」を視察したいと連絡してきたのだ。


 ここまで地球が近くなれば、地球から「しきしま」まで、高速輸送艇を使った物資の輸送が採算的に可能になる。そこで二週間に一便のペースで、地球からの高速輸送艇が到着するようになる。


 生活物資は「しきしま」艦内で全て自給自足しているので、本来物資の補充などは基本的に不要なのだが、地球で流行している商品などは、情報だけが来て艦内では再現生産できない物も多い。

 この高速輸送艇が運んでくる品は、そのような地球でしか手に入らない楽しい品々が中心なので、艦内で暮らす人々はこの便の到着をずっと心待ちにしていた。

 この高速輸送艇が到着するようになると艦内は、地球が近くなったという実感から、どことなくリラックスした明るい雰囲気になる。


 長尾取締役は、そんな地球からの高速輸送艇に同乗して「しきしま」までやって来るのだという。二週間滞在して艦内を視察した後、高速輸送艇の帰り便に乗って地球に帰るというスケジュールだ。


 いくら地球に近づいたとはいえ、地球から「しきしま」にたどり着くまでは、高速輸送艇を使ってもまだ片道一ヵ月はかかる。往復に約二ヶ月と滞在二週間。あまりにも異例の長期出張といえた。


「次のボスが自分だって事を艦内に見せつけたいんだろう。いかにも長尾が考えそうな事だ。まだ内々示すら出てないのに。」


 鍋島艦長がいまいましげに言い捨てるのを、木下副長は神妙な硬い表情で見守っていた。木下副長は普段「顔の造りがすでに笑った形になっている」と冗談を言われるほど常に笑みを絶やさないのだが、そんな木下副長が、まず見せる事のない珍しい表情だった。


 「しきしま」の艦内で暮らしていると、地球の本社で繰り広げられているえげつないポスト争いからはどうしても一歩引いた感じになる。

 しかし幹部級の乗務員は誰しも、本社内部の最低限の情報収集は怠っていない。地球にいる友人、元同僚、元部下等のネットワークを通じて、たとえ船が地球から数億キロ離れた場所を航行中であっても、様々な噂はちゃんと伝わってくる。


 「しきしま」が地球に帰還した後の次の木星往復では、長尾取締役が後任の艦長になるのではないかという噂は、早い段階からかなりの確度をもって噂されていた。

 ステラ・バルカー級の艦長は常務取締役と同格とされるが、長尾取締役はまだ五十五歳。彼は橋本社長のお気に入りで、今回もし艦長に就任すれば大抜擢であり、日本宇宙輸送株式会社で歴代最年少の艦長となる。


「社長は分かりやすいのが好きなんだよ。」

 鍋島艦長は表情を全く動かさずに言い捨てた。その後、木下副長に何か明るく声を掛けてやろうと一瞬だけ考えたがやめた。


 長尾取締役が次の艦長になるという噂には、木下副長がそのまま副長として留任するらしい、という話がセットになっているのだ。

 木星往還輸送船では、前の旅で副長だった人間が昇格して次の艦長になるというケースが非常に多い。しかしこの噂が事実なら、木下副長の昇格はなく、しかも本社から落下傘のように降ってきた、実務を知らない年下の新艦長に四年間仕えなければならない。


 木下副長は鍋島艦長の二歳年下の六十五歳。次の木星往復を終えたら六十九歳である。定年は七十歳なので、もしこの噂どおりの人事が決まれば、木下副長は艦長になれずに会社人生を終えることが確定することになる。


 輸送船「しきしま」において木下副長の存在は、トップの鍋島艦長が少々強面で近寄りがたい雰囲気であるだけに、艦長と乗務員の間を取り持つ仲介役として必要不可欠なものとなっていた。

 いつも微笑をたたえて誰もが気軽に声を掛けやすく、鍋島艦長とは二十年来の付き合いの木下副長の存在は、乗務員たちにとって大変便利でありがたいものだった。


 いつしかこの船において、厄介な相談事は自然とすべて木下副長のもとに集まるようになっていた。

 木下副長もそれを全く面倒臭がる様子はなく、毎日変わらぬ調子で、とりあえず淡々と部下の話を聞いて受け止め、その後、適切な相談相手を見つけてそこに話をつないでいく。

 もしこの船に木下副長の存在がなかったら、この船にはきっと深刻な問題が数多く、しかも艦長の目には決して映らない形で人知れず蓄積していたに違いない。

 乗務員に限らず、協力会の幹部も、乗務員とは直接全く接点のない艦内の一般人でさえ、そんな木下副長の事をよく知っていて誰もが彼の事を敬愛していた。


 それでも、艦長にはなれない。


 人望と地位は、一致するケースも当然たくさんあるが、一致しないケースもたくさんある。それが組織というものだ。


「まあ、来たいという奴に来るなという訳にもいかんし、何しに来るのか知らんけど、要は表面だけチャチャッと見てもらって満足して帰ってもらえばいいんだろ。てきとうにあしらっておこう」


 木下副長の硬い表情を見て、この話題は早く切り上げるべきだと思ったか、鍋島艦長は不自然に元気な声でぶっきらぼうにそう言うと、取ってつけたようにハハハと笑った。

 あまり他人に気を遣わない鍋島艦長にしては、珍しい事だった。

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