第3話 サザエ絶滅事件 (4)

 無数のサザエの稚貝が二センチほどの大きさまで成育し、ここまで来ればもう全滅する事はないだろうという段階まで達したところで、飯田部長は運よく確保できた五個のサザエのうち、老齢で繁殖力の落ちた最も大きな一個を、サザエ復活の証として艦長の食卓に提供する事にした。


 その晴れ舞台となる場所は、銀座の本店で修業した板前が料理長を務め、宇宙空間に居ながら豊洲と同じ味が楽しめるという高級割烹「和田倉」。

 艦長が大事な人との打ち合わせの際に必ず使う店である。


 その日の会食は、「しきしま」の運行を司る乗務員の幹部と、「しきしま」内部で暮らす人々の自治を司る共生会の幹部が、お互いの親睦を深めるために定期的に開催している懇親会だった。


 参加するのは「しきしま」側が鍋島艦長、木下副長、阿部運行管理部長の三名。共生会側は、艦内規定で艦長とほぼ同格の権限を認められている黒田共生会長を筆頭に、坂本副会長、高山監査役の三名。事実上、この「しきしま」艦内で暮らす人間のトップ六と言ってよい。苦労して確保したサザエのお披露目の場としては、これ以上無い最高の晴れ舞台といえた。


 飯田部長がこの会食に賭ける意気込みはすさまじく、宴会に出されるサザエを実際に水槽に赴いて自分の目で確かめ、厨房への搬入までの手順とスケジュールを提出させ、部長自らチェックしては細かい点をくどくどとダメ出しをしては修正を繰り返させた。

 ただ、実際に調理をする「和田倉」の方には特に何のフォローもせず、「こういう事は素人が口出しせずプロにお任せした方がいい」などと言って、料理長に「くれぐれも頼みます」と挨拶をしただけで済ませてしまったところが、飯田部長の脇の甘いところであった。


 鮮度を最優先にせよという飯田部長の厳命により、会食当日の午後に「和田倉」に持ち込まれたサザエを見て、担当の板前は頭を抱えた。

「サザエって、六個じゃなくて一個なんですか?」


 特別なサザエなので最高の料理法でもてなしてくれ、とだけ連絡を受けていた「和田倉」側は、当然人数分のサザエが持ち込まれるとばかり考えていて、サザエ料理の定番であるつぼ焼きをベースにした創作料理を考えていた。しかし一個しか無いのでは、つぼ焼きはできない。


「せめてサザエの殻だけでも人数分ありませんかね?」

 一個のサザエを六等分して他の食材と混ぜた和え物を作って、六つのサザエの殻の中に一人前ずつ入れれば、見た目にすぐサザエ料理と分かる料理にはできる。板前の苦肉の策である。

 しかし、死んでしまったサザエの殻はすでに他の貝殻と一緒に全て粉砕され、肥料として人工農園に送られてしまっていた。

「となると……小鉢で仕立てるしかありませんね」


 かくしてこの貴重なサザエは六等分されて、見た目サザエだとは全く気付かないような先付けの小鉢に仕立てられた。各自がありつけたのはほんの小さな一かけらだけで、「和田倉」の板前の匠の技をもってしても、ほとんど味も歯ごたえも分からない状態となってしまっていた。

 さらに運の悪い事に、「和田倉」側の手違いで仲居さんにこのサザエの話がうまく伝わっておらず、先付けを出した時の料理の説明では、ごく簡単に料理の名前が告げられただけだった。

 結局、飯田課長が是非ともアピールしたかったこのサザエにまつわる苦労話は、全く出ずにあっさりと終わってしまったのだった。



――後日、飯田部長が艦長室に入ってきて開口一番、「艦長、先日のサザエ、いかがでしたか?」と下卑た笑顔で尋ねて来た時には、鍋島艦長は一瞬何の事だか全く分からなかった。


 しかし、そういえば先日の月例部長報告会で、こいつはサザエ、サザエとやたら連呼していたなぁ、とボンヤリと思い出し、それで質問の意図を全て察したので「あぁ、うまかったよ」とだけ答えた。

 ただ、いつどこでサザエを食べたのかはその後も全く思い出せなかったし、まぁ、どうでもいいかと、鍋島艦長は思い出す出す事自体をすぐにやめて次の仕事に頭を切り替えたのだった。



 システムの構造的な問題点が修正され、故障した機器の修理も終わって稼動を再開した第十七水槽をボンヤリと眺めながら、山脇課長と岸本係長が立ち話をしていた。


「まあね、確かにこのとおりサザエの稚貝は十分に確保できたよ。でもこれが食べられる大きさに育つのって、二年後なんだよね」

 諦めと皮肉のこもった乾いた笑いを浮かべながら、山脇課長がそう言った。

「もう地球に帰るまで残り一年を切っていますよね」

「だよね」

「まぁいいじゃないですか。『サザエが食べられる事』が重要なんじゃない。『サザエが絶滅しなかった』という事が我々にとっては重要なんです。本当に今回は運が良かったですよ」

「……運が良かった、って言うのかねぇコレ?」


 それは水産課員たちが連日何時間も残業しながら周囲のあらゆる国籍の船にサザエの有無を聞いて回り、その全てが無駄な努力と終わった数日後の事だった。

 その頃になると、サザエの絶滅の情報は艦内の一般住民の間にも徐々に噂として伝わりはじめたが、そもそも宇宙船の生活とはそういうものだと十分理解している住民達は、絶滅したのがサザエという普段ほとんど食べない食材である事もあって誰一人深刻に問題視する事はなかった。せいぜい、バラエティ専門テレビ局のVTVが低俗なワイドショー番組の中で、最近あった愉快な笑い話として面白おかしく脚色して取り上げる程度であった。

 その番組を飯田部長の娘がたまたま見ていて、娘経由でその屈辱的な伝えられ方を知った飯田部長が激怒し、またもや糧食部のメンバー達の余計な仕事が増えるといった一幕もあったが、VTVとはいえテレビで報道された事が結果的には幸運な偶然を呼んだ。

 たまたま見たテレビでそのサザエ絶滅の報を知った「いけす海鮮料理 浜新」から、店内のいけすに、まだ客に出していない生きたサザエが五個残っているという電話があったのである。


 飯田部長は狂喜乱舞し、水産課のメンバーは茫然と脱力し、かくしてもう完全に希望は絶たれたかに思われていたサザエは、この運よく残された五個を慎重に慎重に繁殖させる事で、かろうじて絶滅の危機を回避したのであった。


「運が良かったですよ、課長」

 岸本君のこういう言動は、こういう時本当に助かるなぁと、山脇課長はしみじみと岸本係長の顔を眺めた。


「そうだな。たとえ責任が問われない嗜好品であったとしても、絶滅しなかった。それは糧食部として何よりも喜ばしい事だし、確かに運が良かったよ今回は」

 そう言うと山脇課長は笑った。

「今回の件は、みんなで慰労会しないといかんな!

 飯田部長には、何とかして会には出席させないで、金だけ出してもらう方法がないかどうか、ちょっと考えてみよう」

 それを聞くと岸本係長も、ふふふと子供のような目で笑った。



 なおこれは後日談になるが、この事件の半年後に「しきしま」は、木星から帰還する途中の日本のステラ・バルカー級輸送船「ふそう」とすれ違い、そこで物々交換を行う。

 そして幸か不幸か、「ふそう」には潤沢すぎる量のサザエが積まれていたのである。


 その結果、慎重に繁殖させていたこの稚貝たちも結局はほとんど無意味なものになるのだが、この時点の山脇課長と岸本係長はその事を知るよしも無い。

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