第3話 サザエ絶滅事件 (3)

 現在、世界には二十九隻の「ステラ・バルカー」級水素輸送船が存在し、木星と地球の間を往還している。その他にも、在来型の比較的小型(と言っても全長十km以上はあるのだが)なVLHC級・LHC級といった無数の水素輸送船が木星―地球間航路にひしめいているので、それらの船同士の間の交流というのはごく普通に行われていた。


 どの船も、途中で物資が不足しないよう余裕を見て十分すぎる量の物資を積んで地球を出発するが、それでも一回の行程が数年間という長旅の中では、不慮のトラブルや想定外の事態により、ある物資が不足したり余ったりといった事が多かれ少なかれどの船でも発生する。

 そこで、近くを航行する水素輸送船と連絡を取り合い、小型の連絡艇を使って余剰物資と不足物資をお互いに物々交換するのである。二一五〇年代の宇宙では、そのような船同士の交流や助け合いが日常的に行われていた。


 二十二世紀初頭に木星からの水素採取が始まったばかりの頃は、周囲を航行する船もほとんど無く、航路の途中で発生した重大なトラブルは即、乗組員の全滅を意味した。

 しかし現在は、常にどこかの船が周辺を航行していて助けを求める事ができるため、万が一地球から最も離れた木星周辺宙域で深刻なトラブルが発生しても、それが致命的な事態になる確率は大幅に低下している。


 地球から最も離れた木星付近でトラブルがあった場合、地球から全速力で救援が駆けつけても到着まで一年近くかかってしまう。そんな救援を待ち続けるよりは、付近を航行中の一般の船同士が助け合って救援する方が、ずっと現実的で合理的である。

 それに宇宙船の乗組員達は、一旦事故が起こったら即生命の危機に陥るという共通した緊迫感を誰もが抱いている。だからこそ理屈以上に、人種や船は違えども皆、孤独な宇宙空間を旅する以上は仲間同士だという連帯意識があった。


 そのため、ある船がSOSを発信すれば、損得や効率を度外視してでも国籍を超えて相互に助け合うのは当然だという意識が徐々に船乗り達の間で芽生え、いつしか当然の常識として定着し、その感覚は各国の宇宙輸送会社も尊重するようになった。

 それが、人類が宇宙旅行を商業ベースで活発に行うようになって五十年余りの期間で人々が育て上げた「宇宙船乗りの流儀」という文化であった。


 さて、輸送船「しきしま」糧食部水産課の担当者達は、通信課と連携してテキパキと他船と連絡を取り合い、サザエの有無を確認していった。

 どの船からも「サザエ?あるわけないでしょ」と不審がる反応ばかりが返ってきたが、担当者達は全く意に介せず、ただ機械的に「サザエ:×」とリストに記入しては次の船への通信に移っていった。


「本艦の周辺宙域を航行中の、全ての日本船籍の宇宙船に連絡を取ってみましたが、サザエを積んでいる船は一つもありませんでした」

 山脇課長が棒読みで読み上げる報告を、飯田部長は怯えと苛立ちが混ざり合った表情で落ち着きなく聞いていた。


「まずいよ山脇君。まずいよ」

「は。しかし我々は最善を尽くしました」

「なんでサザエを積んでいる船が一つもないんだ。一つくらいあってもいいもんじゃないのか」

「大小さまざまな船に片っ端から確認しましたが、サザエみたいな特殊な嗜好品だと、ステラ・バルカーでなければまず積んでませんでしたねぇ。でも日本のステラ・バルカーのうち、現時点で連絡艇で行ける距離にいるのは復路途中の『みずほ』だけですが、『みずほ』にサザエは積んでいませんでした」


 日本は二一二〇年代後半に、五年に一隻のペースで、計二十年かけて合計四隻のステラ・バルカー級輸送船を建造しようという「四・五艦隊」計画を国策として打ち出した。

 その結果生み出されたのが、一番艦「ふそう」、二番艦「しきしま」、三番艦「あきつしま」四番艦「みずほ」の四隻である。


 この「四・五艦隊」は、一年に一隻ずつ日本に到着するよう等間隔に運行しているので、現在往路の途中にいる「しきしま」は、復路途中の「みずほ」と近いうちにすれ違うのである。

 一年先をゆく一番艦「ふそう」と、一年後をゆく三番艦「あきつしま」はあまりにも遠すぎて交流はできない。彼らと交流できるのは往路と復路ですれ違うタイミングだけである。

 「ふそう」とすれ違うのは木星到着の少し前、「あきつしま」とすれ違うのは木星を出発して復路に入った頃。いずれも半年先、一年以上先の話になる。


 この報告で、この不毛な仕事は終わるはずだった。山脇課長も水産課員たちも、そうだとばかり思い込んでいた。しかし、飯田部長の口から出てきたのは意外な一言だった。


「日本船籍以外はどうした?」


「は?」

「日本人以外でもサザエは食べるだろう?」

「食べますかね……? 食べないと思いますが……」

「調べたのか?」

「いえ、調べてませんが」

「そんな中途半端な姿勢だからいかんのだよ君は。仕事というものは徹底的に――」


 思わず山脇課長は机を叩いてしまっていた。怒鳴ってはいけないと思ってはいるが、自然と声が大きくならざるを得なかった。

「いや食べないですよサザエ!宇宙空間に来てまで何としてもサザエ食べたいなんて思う国民、日本人以外にいませんって。

 だいたいそれだと、聞いて回らなきゃならない船の数が前回の比じゃないですし、しかも英語で声をかけなきゃいけないですから、膨大な作業量になりますよ?そんなのうちの課のメンバーにど……」

「やるしかあるまい。なにしろ艦長の好物なんだ」


 打ち合わせ後に個室から出てきた山脇課長は、すれ違う人が不審がって思わず振り返るほど生気のない顔で、がっくりと肩を落として自分の席まで戻った。

 前回のサザエ探索の時はまだ笑って課員に指示する事ができたが、今回はさすがにその経緯が余りにも情けなさ過ぎて、課員への申し訳なさと部長を止められなかった自分の不甲斐なさを恥じる気持ちが、山脇課長を追い詰めたのだった。


 明らかに尋常ではない山脇課長の様子に、課員たちはつとめて普段と同じ様子を装いながらも、チラチラと課長席に目をやって課長の動向を注視していた。

 意を決したかのように、山脇課長の右前の席に座った岸本係長が不自然なまでに明るい声をかけた。


「また例の件ですか?大変ですね課長も」

 その声の朗らかさに山脇課長は少しだけ救われた気がした。そして目に若干の生気を取り戻し、机に座った課員全員に呼びかけた。

「ちょっとみんな、すまないが打合せ室に集まってくれないか」


 その不毛な作業は、まずサザエを英語で何と呼ぶのかを調べる所から始まった。Turban Shell=「ターバンの形をした貝」、それがサザエの英語での呼び名だった。

 それから、今度は日本船籍に限らず全ての国の、周辺を航行する宇宙船のリストを航法課に作ってもらった。そして前回の軽く三倍以上の数の船に対して、水産課員たちは片っ端からサザエの有無を根気強く質問して回った。


 アメリカとインド船籍の船は英語のネイティブスピーカーが居たので、不審がられはしてもまだ話が通じたが、最も苦戦させられたのはロシアと中国船籍の船だった。それとEU船籍でも、フランス系とドイツ系の船だと、英語のネイティブスピーカーの乗組員が案外少なく手こずらされた。

 これらの船とのやり取りでは、まずサザエが何であるかを理解させ、その上で日本にはこれを食べる文化があるのだという説明をし、サザエの有無を確認する所にこぎつけるだけでもう一苦労なのだった。


 山脇課長はそれと同時並行で、これは課員に頼まず自分ひとりで、艦長の好物が本当にサザエなのかどうか密かに聞き込みを始めた。

 まずは最も相談しやすく、鍋島艦長との付き合いも長い木下副長に聞いてみたが、サザエが好物などという話は一度も聞いた事がないという。


 そこで次に、飯田部長の機嫌が良い時を見計らって、それとなく「サザエが好きだって、鍋島艦長がご自分でそうおっしゃっていたんですか?」と聞いてみると、飯田部長はそうだと答えた。いつそんな話題になったのかと聞いてみると、先日の部長会に艦長が来られて一緒に飲んでいた時だという。


 その話を再び木下副長にすると、木下副長は怪訝な顔で答えた。

「うーん。そんな話出たかなぁ?

 でも、そういえばその時、確か鍋島艦長の子供の頃の思い出話になったな。それで、艦長は長崎の海辺の町のご出身で、幼い頃から商品にならない傷物のサザエとかアワビが食卓によく並んでいて、今になって考えてみるとそれは非常に贅沢だったなぁって話はしていたよ。

 ただ、だからと言って、サザエが好きだと言ってたかどうかと聞かれると、それはどうだったかなぁ……?」

それを聞いて山脇課長は膝から崩れ落ちそうになった。


 こんなの、ただの根拠のない憶測じゃないか!

 俺達には徹底的に調べろと言っておきながら、自分は勝手な思い込みで判断して、その裏付けすら取っていないじゃないか!


 この話は、半年後くらいにこの件が笑える思い出話になるまでは課員には絶対に黙っておこう、と山脇課長は決意した。

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