第1話 たった一度の憂鬱 (3)

 輸送船「しきしま」は、木星から大量の重水素を採取して地球に運ぶための超巨大宇宙船である。


 二十世紀から「究極のクリーンエネルギー」と呼ばれ続けてきた核融合発電は、西暦二○四八年に「いちおう」実用化された。

 これで、地球のエネルギー問題は完全に解決するかと思われたが、しかし、「いちおう」実用化されて一世紀弱以上経った今でも、人類はまだ、恒星の内部で起こっているような本当の意味での核融合を地上で完全に再現はできていないのであった。


 現時点で実用化されている核融合発電の何が問題かというと、燃料となる重水素の燃費が極端に悪く、消費量がおそろしく多い事である。実用化の最初の頃は火力発電の倍以上のコストがかかり、「世界最高の叡智を結集して成し遂げた、世界最低の無駄遣い」などと散々叩かれたくらいであった。


 そもそも、核融合発電の大きなメリットの一つとして昔から言われ続けてきたのは、燃料の重水素を海水から無尽蔵に採取できるという事だった。しかし、現時点で人類が到達できた「いちおう核融合」で必要な電力をまかなおうとすると、それに必要な重水素は、海水から採取するなどといった悠長な生産方法では全く足りないのである。

 人類の核融合発電の百四年間の歴史は、すなわち重水素の生産コストダウンの苦闘の歴史といえた。


 その一方で、人類の二十世紀以来のもう一つの大きな夢であった宇宙進出は、二十一世紀後半からの約百年間でめざましい進歩を遂げていた。


 月からの希少金属採取を目的とする国際商業用宇宙ステーションが西暦二〇八六年に完成すると、その後は、わざわざ莫大な燃料を使って巨大な地球の重力と大気の摩擦を振り切るのは無駄が多いという事で、ほとんどの宇宙船が地球には戻らず、衛星軌道上に停泊してそこから発進・帰還するようになった。

 衛星軌道上からの発進であればロケットも小型のもので済むため、宇宙旅行のコストは劇的に低減した。


 さらに、遠心力を利用した人工重力発生装置の進歩により、無重力の宇宙空間でも地球上と全く変わらない環境を生み出せるようになり、たとえ乳幼児であっても身体への悪影響なく、地球上とほぼ変わらない環境で長期の宇宙旅行ができるようになったのである。


 そして、これら二つの社会的要因が組み合わさった結果生まれたのが、「だったら木星から重水素を採取してくればいいじゃないか」という発想だった。


 重水素は自然界に存在する水素の中に〇・〇一五%しか含まれていない。地球上でこの重水素を抽出しようとすると、まず大量の海水から重水を分離して、その重水をさらに分解して・・・と多くの工程とエネルギーが必要になる。

 しかし、木星の大気中に存在する無尽蔵の水素を大量に採取して、遠心分離で一気に重水素だけを取り出してしまえば、はるかに簡単で安価に重水素を作る事ができる。

 分離して残った九九・九八五%の普通の水素は、地球に持って帰ってきても大した使い道がないので、超高速に加速させて後方に噴射してしまえば、地球に帰るための推進力として活用できるので無駄もない。


 こうして二十二世紀に入ると、木星から水素を大量に採取してくるための巨大な輸送船を各国が競うように建造するようになった。

 最初の頃は輸送船のサイズも全長五~一五km程度のものが主流だったが、効率化の面から急速に巨大化が進み、二一一〇年代には全長三十km程度のVLHC級というサイズが主流になる。


 しかし、その後も輸送船の巨大化競争は止まらず、西暦二一二〇年代中頃にその決定版となる、全長百km程度の「ステラ・バルカー級」と呼ばれる超巨大水素輸送船が登場した。

 なお輸送船「しきしま」は、日本で二番目に建造された、この「ステラ・バルカー級」輸送船にあたる。


 この「ステラ・バルカー級」水素輸送船は、それまでの水素輸送船の概念を覆す圧倒的な巨大さに加えて、いくつかの画期的な特長を備えており、それによって成し遂げた超低コストによって、またたく間に世界の水素輸送の主流となった。

 そんな「ステラ・バルカー級」の数多くの画期的な点の中で最も重要なものは、やはり、それまでの輸送船には乗組員だけが乗っていたのに対して、家族も帯同するようにしたという点であろう。


 通信装置の大容量・低コスト化により、もはや宇宙船の中からでも地球との通信に制約はほとんどない。

 宇宙船の乗組員は、地球にいる家族や友人と、地球にいるのとほぼ変わらないような感覚で、個人の端末から気軽に私用の通信を行うことができた。銀行口座なども、地球上のネット環境に接続して操作するので、電子データ上は地球にいようが宇宙にいようが扱いは全く変わらない。

 人工重力発生装置があるので、宇宙船の中の日常生活はほとんど地球上と変わらない。むしろ気候は一定で災害も無く、地球上よりも暮らしやすいともいえた。


 それでもなお、往復二年弱もの間地球を離れて、一回出発してしまったら途中で何が起ころうとも独りだけ地球に戻る事はできない木星への旅は、やはり敬遠されがちだったのである。かなりの高給・好待遇にも関わらず、木星行きの船の勤務希望者は常に不足していた。


 宇宙船での勤務希望者の多くは家族を持たない若い独身者か、よほど金に困った食い詰め者ばかりで、家族を持つ三十~五十代の中堅・ベテラン層の熟練船員をあの手この手で安定確保する事が、木星からの水素採取船の運行においてはどの国も抱える最重要課題だった。


 そんな閉塞した状況の中で生まれた「ステラ・バルカー級」では、発想を一転して、巨大な船体を活用して広大な居住スペースを確保し、「乗組員は家族帯同OK」とする事でこの難問を一挙に解決してしまったのである。


 家族が帯同できる事になった事で、木星往復は「旅」から「転勤」に扱いが一変した。

 会社は地球上の海外転勤と同じ感覚で、社員に比較的気軽に木星行きの船に乗る事を命じる事ができたし、従来型の輸送船の乗組員に支払っていた莫大な木星船員手当てと比べると、「ステラ・バルカー級」の乗組員への特別手当は、海外赴任手当てより少し手厚い程度で済んだ。


 また、旧型の小型船でも軽く全長五km以上は超えるサイズになる水素輸送船は、その超巨大な質量をほんのわずか加速させ、速度を少し上げるだけでも莫大なエネルギーと費用を必要とする。

 よって経営層としては、コスト削減のためできるだけ輸送船の速度を抑えたいという根強い要望がある。


 しかし従来型宇宙船の場合、木星に行って帰ってくるまでせいぜい二年弱というのが船員の忍耐と物資補給の限界であった。これ以上船の速度を遅くすると、いくら有利な条件で求人をしても、なかなか船員が集まらないのである。

 それが「ステラ・バルカー級」の場合、家族帯同なので必ずしも急いで帰ってくる必要はなく、巨大な船体を活かして大容量で余裕のある物資循環システムを搭載できるので、物資補給の制約もずっと少ない。

 その結果、地球で海外赴任する際の一般的な赴任期間を参考に、「ステラ・バルカー級」は四年間で地球に帰ってくるような速度設定が一般的となった。


 従来型輸送船の半分以下まで速度を犠牲にした分、その代償として「ステラ・バルカー級」の運用コストは圧倒的に安く、大量輸送によるメリットも上乗せされて、この船の登場は宇宙輸送の世界に、まさに流通革命と呼ばれるまでの変化を引き起こしたのだった。


 ただし、乗務員だけでなくその家族も四年間乗り込むとなると、まず単純に乗船する人数が四倍近くなる。

 さらに、ただ人を乗せれば良いわけではなく、未就労の子供もいるので当然学校も必要になるし、四年間という長い期間を皆が不満なく暮らすためには、住宅・商店・病院・娯楽施設といった膨大な社会インフラと、その運営に関わる人たちも乗せる必要がある。


 輸送船「しきしま」の場合、宇宙船の運航に直接携わる乗務員は実は千人強しかいない。それに対して、学校や病院、商店、各種サービス業などに従事する人が約四千人、未就労の子供や学生、専業主婦などが七千人弱、合計一万二千人もの人が暮らしていて、それはもはや一つの完結した社会といってよかった。


 それでもなお、長さ二十km×直径十六kmの円筒形が縦に五つ連結された形をした、全長百kmにもおよぶ巨大なステラ・バルカー級の船体は、それらの社会基盤全てを抱え込んで余りある十分な体積を有している。

 宇宙船の運航に直接関係の無い乗組員が、乗務員数の十倍以上「余計な荷物」として乗り込んでいるにも関わらず、ステラ・バルカー級の巨大さと低速が生み出すコストメリットは十分お釣りが来るほど大きいものであった。そしてそれは、水素輸送船の乗組員の確保と莫大な手当ての負担が、それだけ深刻な問題であったという事でもあった。

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