第二十八話 『公園』③ 星野魁

「え? 成海なるみをですか?」


 確認の為にそう質問した。まさか、この煙の示す先に成海がいるなんて言い出すんじゃなかろうかと疑心を抱かずにはいられなかった。


「私を信じて、どちらか着いて来てください。成海さんを連れ戻すには、成海さんと親しい人の協力が必要です」


 昌樹まさきは状況がよく飲み込めていない様に口をポカンと開けている。僕も似たようなものだけど、いなくなった成海を探しに行かなければならない事は解っている。この男が一緒に探してくれるというのなら願ってもない事だ。しかし、まるで成海の居場所を知っているかの様な口ぶりが解せない。


「僕が一緒に行きます」


 僕の言葉に頷いた男は、固まったままの昌樹に声をかけた。


「では、あなたがこの子の側にいて下さい。絶対に離れないように、隣で声をかけて励まし続けてあげて」


「わ…… わかりました」


 昌樹が首を傾げながら僕にペンライトを手渡してきた。


 陽子は頭を押さえたまま嗚咽を漏らし始めている。


 火のついた煙草を眼前に掲げて林へと足を踏み入れる男に着いて行く。前を歩く男をペンライトで照らしながら質問をぶつけた。


「あの…… 成海の居場所が解るんですか?」


 男は時々立ち止まり、不自然に森の奥へと伸びる煙草の煙を見つめてはまた歩き出すという動作を繰り返していた。


「この煙の先に、成海さんがいると思います」


 男があっさりそう言った時、既にかなり森の中へと入り込んでいた。


 やっぱり信用するべきじゃなかった。いつもそうだ。『止めといた方が』と頭では思っていても、結局は周りの流れに乗ってしまう。そして後悔する。


 この男に着いて行っても成海が見つかる訳がない。一旦、昌樹たちの所へ戻るべきか。そう考えていた時、視界を埋め尽くしていた木々が少なくなってきた。


 真っ暗で何も見えない空間にライトを向けて目を凝らすと、それが水面である事が解った。


「池ですね。滑り落ちないよう、足元に気をつけて」


 男にそう言われて、昌樹たちと一緒に見た駐車場の公園案内図を思い出す。


 昌樹たちと一緒に歩いていた道を進めば、池に架かる橋に辿り着くはずだった。あの道は駐車場から池を直線で結んでいる訳ではなく、池を迂回しながら橋のある地点に向かって伸びていた。


 となると今は、道の途中で森の中に入って進み、池までショートカットした事になる。


 男はコートの内ポケットからソフトタイプの携帯灰皿を取り出して、煙草を中に入れた。そしてまた新しい煙草を取り出して火をつけようとした時、ライターを持ったままの手で不意に耳を押さえた。


 風に乗って微かに声が聞こえた。女性の呻き声の様なものが確かに聞こえる。


 声のする方へ歩き出す男に着いて行く。声は次第に大きくなり、やがてそれが『殺す』『許さない』という様な怒りの言葉である事が明らかになってきた。


「成海さんの声ですか?」


 男の質問に答える事が出来ない。


 成海の声に聞こえない事もない。が、普段の大人しい成海の口調からはあまりにもかけ離れていた。


「どうですかね…… 多分、違うと思いますけど」


 そう答えた時、ライトの明かりが池のすぐ側に落ちているリュックサックを照らした。


「成海のだ」


 リュックサックのファスナーは限界まで開かれて、中は空っぽになっている。


「絶対コロス!」


 すぐ近くの暗闇から飛び出してきた声に驚き、ペンライトを向ける。


 明かりが照らし出した光景を理解するのに数秒かかった。いや、それでも何が起きているのかを完全に把握した訳では無い。


 池の方を向いて座り込んでいる成海は、両手に掴んだ日本人形の首を絞めながら恨みの言葉を浴びせている。


「成海さんで間違いありませんね?」


 相変わらず落ち着いた声のまま男がそう口にした。


「そ…… そうです」


「少し正気を失っている様なので、名前を呼んで、声をかけてあげてください。そうすればとりあえずは大丈夫ですから」


 微かに顔を歪ませて耳を押さえている男にそう言われ、ゆっくりと成海に近付く。成海を照らしているライトを持つ手が震えている事に気が付いた。


「おい、成海?」


「ゆるさない、絶対、ころす、絶対、ゆるさない」


「成海、何やってんだよ。大丈夫か? 僕だよ。かいだよ」


 成海の肩に手を置くと、人形に向かって浴びせられていた憎悪の言葉が止まる。


「何やってんだよこんな所で。急にいなくなって。みんな心配してるぞ」


「……魁くん?」


 ようやくこっちを向いた成海は、自分の手に視線を戻して悲鳴を上げる。成海の手から離れて地面に落ちた人形にライトを向ける。


 腹の部分に大きな裂け目があって、その中から数本の毛が飛び出しているのが見えた。


「成海? もう大丈夫か?」


「ごめんなさい。わたし…… 違うの。違う」


 酷く動揺する成海の横で、人形を拾い上げた男が成海に話しかけた。


「これをどこで手に入れたんですか?」


 男の声は今まで通り落ち着いていたが、さっきまでの優しい感じは少し影を潜めていた。


「ネットの、オークションで買いました…… でも、こんな事するつもりじゃ」


「使い方はどこで?」


「出品者が商品の詳細欄に書いてたんです」


 成海の返答を聞いた男は、手にした日本人形を見つめている。


 僕は震えている成海が心配だった。


「成海、とりあえず落ち着いて。ここで何してたんだ」


「陽子が、最近昌樹と仲良いからちょっとムカついて。少しだけ驚かしてやろうと思ってただけで…… でも、ここに来てから頭がボーっとして……」


 自分の彼氏と仲が良すぎる友達に嫉妬して、驚かしてやろうとした。そこまでは解る。だがその結果、今の成海の異常行動が陽子を苦しめているという事実に結びつかない。この人形に込めた呪いが陽子に届いたとでも言うのだろうか。


「どういう事? 陽子、今すごいなんか頭痛いって言って動けなくなってるんだけど、それと何か関係あるの?」


 成海からの返事に耳を傾けた時だった。


「ちょっと、待ってくれ」


 男の声に初めて焦りが感じられた。


「なんですか?」


「ヨウコ? さっきの子が、ヨウコ?」


「そうです」


折山おりやま陽子ようこさん?」


「そうですけど…… 知り合いですか?」


 声には出さなかったが、苦い顔をした男の表情からは『しまった』という様な言葉が滲み出ていた。一体どんな大きな失態を犯せばこんな渋い表情が出てくるのか。


「急いで陽子さんの所へ戻ろう。早く」


 男がそう声に出した瞬間だった。


 突如、目に映る全てのものが赤くなった。闇に包まれていた森や池が夕焼けの様な明かりに照らし出されてその姿を浮かび上がらせる。


 空は異常なまでに濃い夕焼け色に染まり、果てしなく広がっている。


 雲ひとつ無いかと思われたが、血溜まりの様な池の向こうに聳える山に暗雲が見えた。展望台があるその山の頂上からは光が発せられていた。


「えっ? 何?」


 夜が明けた訳ではないだろう。何が起きたのか解らず困惑しているのは成海も同じだった。ただ、コートの男だけが展望台のある山から放たれる光を見つめて悲しげな顔をしていた。


「成海さん、立てる? みんなの所へ戻ろう」


 男は成海のリュックに人形を詰め込んだ後、成海の腕を掴んだ。


「成海? 歩けそうか?」


 ゆっくりと立ち上がった成海は、消えてなくなってしまいそうな不安な表情で疑問を口にした。


「なんで急に明るくなったの……?」


「わかんない。白夜かな」 


 こんな日本の山奥で突然、白夜が起こるはずもない事は解っている。だが、適当に返事する事しか出来ない。


 成海の手を握りながら、森の中へ戻る男の後ろを着いて歩く。


「あの人、誰? 陽子の知り合いなの?」


 成海が疑問に感じるのは最もだ。ここへは友達四人でやって来た。それが、突然現れたコートの男が陽子の名字を知っていたのはどうも怪しい。


「あの…… すみません、あなたは?」


 質問すると、男は立ち止まって振り向いた。


 少し先を急いでいた様だったが、その表情からは既に焦りは感じられなかった。表情と同じく、優しく落ち着いた声で名乗った。


由良ゆらと言います。『由緒』の由に『良し悪し』の良し」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る