8Fまでは駆け上がれない

しかし、、、


落下地点に、彼女の潰れた姿はなかった。

ぼくの部屋の真下の地面に落ちていたのは、栞里ちゃんが着てた淡いピンクのカットソー。

それだけだった。

周りが暗かったから、単に勘違いしただけか。。。


「栞里ちゃん、、、、、、」


気が抜けたぼくはその場にヘナヘナと座り込み、カットソーを手にして、マンションを見上げた。

また、なにか落ちてくる。


“ファサ”


花びらの様に地面に広がったそれは、彼女のはいてたスカート。

無意識のうちに、ぼくはそれも手に取った。

自分の着てる服を、どうしてバルコニーから投げ捨てるんだ?


いや!

そんな事考えてる場合じゃない!

次は栞里ちゃん本体が落ちてくるかもしれない!!


そう考えるといてもたってもいられなくなり、ぼくは急いでマンションに駆け込み、ガチャガチャとエレベーターのボタンを押した。

エレベーターは、4階付近を上がってる途中だった。

なかなか下がってこない。

イライラする、、、

こうしてもたついてるうちに、栞里ちゃんが落ちてこないとも限らない。

反射的にエレベーターの隣にある非常階段の重いドアを開け、ぼくは階段を2段跳ばしで駆け上がりはじめた。


だけど、走っても走っても、8階は遠い。

運動不足の脚は鉛の様に重く、なかなか上がってくれない。

息が切れて苦しい。


「くそっ!」


それでもぼくは走る事をやめなかった。

ここで休んで、その間に栞里ちゃんがいなくなったら、ぼくの後悔は永遠に続く事になる。

そんなの、イヤだ!

絶対イヤだっ!!



「しっ、栞里ちゃんっ!!」


“バタン”と勢いよく玄関のドアを開け、部屋に飛び込んだぼくは、大声で彼女の名を呼んだ。


「…」


返事は、、、 なかった。

狭い部屋をバタバタと横切ってバルコニーに駆けていき、ぼくは外を見た。


栞里ちゃんは、、、


いた。


パンツとブラだけを着けたまま、彼女はバルコニーの隅で両足を抱えて座り込み、頭を膝の間に埋める様にしてた。

その姿がなんだかとってもちっちゃくて、弱々しい。


『ちゃんと生きてる!』


そう思って、ぼくはホッと胸を撫で下ろした。


しお、、ハァハァ、、、 ちゃん、、、 よかっ、、ハァハァ、た」


彼女に声をかけようとしたけど、息が切れてまともにしゃべれない。

栞里ちゃんは、膝に顔を埋めたまま、ポツリと言う。


「、、、そつき」

「え?」

「嘘つき」

「…」

「お兄ちゃん… あたしの事、見捨てた」

「そっ、そんな事、ハァハァ、ない。ないから!」

「嘘!」

「ほんとに、喉が渇いて、ハァハァ、だけだから、、、 だから、、コンビニに、行って」

「…」

「そしたら、バルコニーに、栞里ちゃんの影が、見えて、、、 飛び降りたかと思って、急いで帰ってきて、、、」

「…」

「よかった、、、 栞里ちゃんが、ちゃんと、生きてて」

「…」

「服が落ちてきた時は、もう、こっちが死ぬかと、思ったよ」

「あたし… 死んだりしないもん」

「え?」

「負けたくないもん! お姉ちゃんにも美優にも、ガッコのだれにも!」

「栞里ちゃん、、、」

「あたし、ひとりでも生きてくもん。だれの力も借りずに!」

「…」

「だれも信じない! だれの助けもいらない!」

「ぼっ、ぼくが…」

「お兄ちゃんも、いらない! お兄ちゃんなんか、大っキライ!!」


そう言って栞里ちゃんは顔を上げ、ぼくを睨みつけた。


なんて鋭くて、ギラギラとした瞳。


それは今までの様な、どこか投げやりで虚ろで、この世界のどこも見てないみたいだった栞里ちゃんとは、まるで違う。

『怒り』という命の炎が燃えさかって、その炎を全力を込めて、ぼくにぶつけてるみたいだった。

あまりの迫力にぼくは怖くなり、思わず身じろぎして逃げたくなったけど、それをこらえて必死でそこに留まろうとした。


栞里ちゃんの気持ちを、ちゃんと受け止めてあげたい。

例えそれが怒りや憎しみだとしても、、、

それを面と向かってぶつけられても、、、

どんなにひどい言葉を投げつけられても、、、

そうする事で彼女の気が紛れるのなら、ぼくはそれを受け止めてあげたい。

なんの力もないぼくには、そのくらいの事しか、してあげられない。


「ごめん栞里ちゃん。ぼくが悪かったから、、、 栞里ちゃんに嫌われても当然だよね。

でも、ぼくは栞里ちゃんの事、好きだから。

ちゃんと信じてるから。

栞里ちゃんにいてほしいから。

栞里ちゃんの側から離れたくない。

ずっと栞里ちゃんの事、見守っててあげたい!

こんなデブサなキモオタで、なんにもできないぼくだけど、栞里ちゃんが幸せになるんだったら、ぼくはなんでもするから!」


自然と口をついて出た言葉だった。

その気持ちに偽りはなかった。


ぼくは、栞里ちゃんが好きだ。

彼女が死んだら、ぼくも生きていけないくらい、好きだ!

女の子には全然モテないぼくだから、栞里ちゃんから嫌われても、しかたない。

それでもぼくは、遠くからでもそっと、彼女を見守っていきたい。

もう逃げない。

栞里ちゃんからも、自分の気持ちからも。


相手が14歳だからとか、

自分がデブサなキモオタだからとか、

彼女いない歴=年齢だからとか、

バージンじゃないからとか、、、


もうそんな事を、言い訳にしたくない。


『恋とかできるわけがない』なんて言い訳して、逃げ回る様な事は、もうしたくない!



「………」


爛々らんらんと怒りの炎を燃やしながら、ぼくを見つめてた栞里ちゃんだったが、ぱっちりとしたその瞳は、またたくまに透明なしずくで濡れてきた。


、、、涙?


その水滴は止まる事なく瞳から溢れ、頬を伝って、ポタポタとこぼれ落ちる。


「し、栞里ちゃん、、、?」

「バカ…」


ひと言そうつぶやいて、クシャクシャに顔を歪ませた栞里ちゃんだったが、立ち上がってツカツカと歩み寄ってくると、いきなりぼくをギュッと抱きしめた。


いや、、、

正確には、『しがみついた』と言った方がいいかもしれない。


栞里ちゃんの突然のアクションにびっくりしたが、それでもぼくは彼女のするがままにしていた。

ありったけの力を込めて、栞里ちゃんはぼくの二の腕を握りしめる。

思いっきりぼくの胸元に噛みつく。

爪が腕にめり込み、血がにじむ。

歯形がつく程強く噛まれる。食いちぎられそうだ。


痛い。


だけどぼくは、耐えた。

ぼくにはそのくらいしかできない。

そのあと彼女は、なにも言わず肩を震わせて、可愛らしいその顔を、ぼくの胸に埋めた。

これって、、、


ぼくは栞里ちゃんから、頼られてるって事?


『お兄ちゃんも、いらない! お兄ちゃんなんか、大っキライ!!』

なんて言ってたけど、ほんとはそうじゃないって事?

こういう場面シーンを人生で今まで経験した事ないぼくには、どうリアクションすればいいかわからない。


とりあえず、おずおずと、栞里ちゃんの素肌の背中に、両腕を回してみる。

ピクンと肩が震えたけど、彼女はぼくの腕を拒まなかった。

栞里ちゃんを、そっと、抱いてみる。

折れそうなくらい華奢で、つぼみの様に固い、栞里ちゃんのからだ。

それはまだ、おとなになり切れてない、少女のもの。

妄想でもなんでもなく、今、栞里ちゃんが、ぼくの腕のなかにいる。


『だれかが守ってやらなきゃいけない。それはぼくなんだ』


そう思うと、彼女を抱きしめる腕に、自然と力が入る。

夜のバルコニーで、ぼくたちはずっとひとつになったままだった。


つづく

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