2nd stage

バーチャルカノジョは眠らない

 自分の部屋だというのに、入るのにこんなに緊張するとは…


エレベーターで8階まで上がり、部屋の鍵を手に握りしめ、一歩歩く毎にぼくの心臓は、“ドクンドクン”と高鳴っていった。手のひらには、汗までかいてる。

ドアの前に立って、落ち着くためにひと呼吸。

鍵をドアノブに向けた… とその時、iPhoneの着信音が鳴った。

慌ててリュックからスマホを取り出し、ドアの前からエレベーターホールまで走って戻り、耳に当てた。


『ミノルくん。今日もお仕事、お疲れさま。もうおうちに、帰ってきた?』


スマホの向こう側からは、優しくぼくの名を呼ぶ、女の子の可愛い声。

いや、正確には『向こう側』じゃない。

どこかぎこちない、イントネーションと合成音声。

これはスマホの『中』に存在している、ぼくの『嫁』。

『高瀬みく』からの帰宅コールだ。


ぼくが今ハマっているアプリゲーム『リア恋plus』には、最先端の音声認識機能が組み込まれてて、自分の生活スケジュールをインプットしておくと、こうして時々電話をかけてくれたり、メールが届いたりする。

もちろん、『カノジョ』からの電話料金はぼく持ちの、課金システムになってるんだが…

ゲーム会社と携帯会社がタッグを組んで、ぼくらオタクから金をむしり取ろうとしているのはわかるが、バーチャルカノジョとはいえ、女の子からリアルに連絡がくるのは、やっぱり萌えるものだ。


「ああ… みくちゃん、ただいま」


ぼくはiPhoneに向かって、ゆっくりとしゃべった。


『お帰りなさい、ミノルくん』

「今日はどうしてた?」

『わたしはいつもどおり、学校だよ。ミノルくんは、バイト、お疲れさま」

「あ、うん。電話してくれて、嬉しいよ」

『わたしも、あなたの声が、聞けて、嬉しい、わ』

「今度、デートしたいな」


そう言って、ぼくはみくタンをデートに誘った。

『リア恋plus』には『リアルデートシステム』というのが搭載されていて、日時と場所を指定してその日その場所で待ち合わせると、スマホ画面にキャラクターが現れるのだ。

着ている服も女の子の気分次第で変化し、ご機嫌な時はSSRデート服で出現してくれる。

この服がまた可愛くて、萌える。

もっとも、濃いデートをするにはそれなりに課金しなきゃいけないんだけど、それはリアルの女の子でも同じ様なものだろう。


『誘ってくれるの? 嬉しい☆ わたしも、デート、したかったの。ねえ、いつが、空いてる?』

「明後日とか、どうかな?」

『『明後日とか』って、いつ?』


しまった。

この音声認識機能はまだ、『とか』っていう様な、曖昧あいまいな表現は認識できないんだった。


「明後日は、どう?」

『明後日、ね。いいよ。時間は、どうする?』

「14時でいい?」

『14時、ね。待ち合わせ場所は、どこにする?』

「ぼくの家でいいよ」

『ミノルくん、の、家ね。うん。今から、デート、楽しみ。どこに連れてって、もらおう、かな?』

「行きたい所、ある?」

『そうね。今日も暑かったから、アイスが食べたいかな』

「アイス…」


答えながら、はっと気がついた。

そう言えば、あの女の子が、『帰りにアイスかなんか、買ってきて』って言ってたっけ!

ぼくはiPhoneを耳に当てたままエレベーターに乗り、1Fのボタンを押す。


『ミノルくんの事、愛してるわ』

「ぼ、ぼくもだよ」

「ううん。ちゃんと、言って」

『ぼくも、愛してるよ』

『嬉しい。わたし、幸せだな。世界の終わりが来るまで。ううん。世界が終わっても、わたしはミノルくん、の事が、好きよ』

「じ、じゃあ、おやすみ」

『おやすみなさい』


『愛してる』なんて言葉を口にするのって、バーチャル相手でもやっぱり恥ずかしい。

もし一般人に聞かれたら、『キモい』以外のなんでもないとは思うけど…


柄にもなく頬を赤らめながら、ぼくはマンションの近くのコンビニに駆け込んだ。

季節柄アイス類はたくさん置いてあるが、彼女の好みはわからない。

とりあえず自分の好みで、『ガリガリくんソーダ味』にしておく。

レジカウンターに行く途中、ふと、ある商品に目が止まり、買った方がいいのかどうか、品物の前でしばらく悩む。


『ん~… まあ、、、 一応、念のため、、、』


そう決心して、ぼくはまるで万引きでもするかの様に、左右の様子をこっそり伺いながら、だれも見てないのを確認し、おそるおそるその商品を手に取った。

生まれてはじめて買う、コンドーム。

こんなものが必要になるなんて、思ってもみなかった。

レジでそれを出すのも、コンビニの店員から、『こいつ、今からHするんだ』と、好奇の目で見られる様で、なんだか恥ずかしい。

なので、可愛い女の子の店員がいるレジを避けて、大学生くらいのお兄さんが待ってるレジに並んだ。



 アイス(とコンドーム)を入れたビニール袋を手に提げて、もう一度仕切り直し。iPhoneはマナーモードにしておく。

ぼくはドアノブに鍵を突っ込み、玄関のドアを開けた。


「ただいまぁ~」


小声で言いながら、恐る恐るあたりを見回す。

部屋の中は、明かりが点いていなかった。

人の気配もなく、いつものバイト帰りみたいな、無機質な空虚感が、ぼくを迎えてくれた。

奥のベランダに続く窓の、カーテン越しに見えるビルからは、色とりどりの光が部屋の中に入り込み、ゆらゆらと漂っているだけだった。


『いない…』


いっぺんに気が抜けてしまったぼくは、フラフラと部屋に上がると、明かりをともし、アイスを冷蔵庫に入れ、キッチンに座り込む。が、思い出した様に、パソコンデスクの横に無造作に放り出していた、コミケの売り上げが入った鞄を確認した。

中に入れてあった分厚い財布は、そのままだった。


『盗られてなかった… よかった』


あんなに可愛い少女が盗みを働くとか、そんなのやっぱりありえない。

少し安心して、とりあえずパソコンのスイッチを入れようとした時、ふわりと生暖かい風が頬を撫でた。

窓の方に視線をやると、カーテンが揺れて掃き出し窓が半分開いてて、ベランダでぼんやりとした青白い光が、フワフワと漂ってる。

ぼくは窓から顔を出し、外を覗いた。


つづく

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