第25話 偽りを纏いし者

「リカ様」

 シィラの落ち着いた警告にはっとし、ゼジッテリカは短剣を手に取った。中庭を焼き尽くそうとした炎を、シィラが何かの技で消し止めたところだった。

「そこを動かないでくださいね」

 木々を背にたたずんだゼジッテリカは大きく頷いた。前方にいるシィラの右手には薄青の光が収束している。それが剣をかたどるのを、ゼジッテリカは呆然と見つめた。

 技というものをきちんと見るのは初めてのことだった。昔テキアが戯れに氷を出してくれたことはあったが、それくらいだ。屋敷の中では危ないからといって、使うことはなかった。

 ――これが技なのか。短剣を抱きしめたゼジッテリカは唇を噛んだ。同時に、再び轟音が鳴り響く。抉れた土と草が舞い上がり、土煙が立ちこめた。思わずゼジッテリカは俯きながら目を瞑る。

 シィラがいるから大丈夫。そう思うことはできるが、これだけ地が揺れると立っているのも難しい。両膝をついたゼジッテリカはどうにか薄目を開けた。

 煙の向こうで、シィラの黒髪が揺れている。いや、よく見ると彼女の足下には何かがいた。それは人間の男のように見えた。

「とうとう嗅ぎつけられてしまいましたね」

 淡々とシィラが告げた次の瞬間、その男は突然消えた。煙の向こうに光が満ちたと思ったら、影も形もなくなっていた。ゼジッテリカは瞠目する。

「今のが、魔物? 人間みたい……」

「髪や瞳の色は派手ですが、それ以外は人間そっくりですよ」

 呆然としたゼジッテリカの呟きにも、シィラは律儀に答えてくれた。いや、その間にも頭上に手のひらを掲げて、何かを生み出している。空気そのものが震えているかのようだ。シィラの手の先の何かが、空から落ちてくる黒い光を受け止めて跳ね返す。

 シィラは先ほどからほとんど動いていないのに、的確に攻撃を防いでいる。何が起こっているのかゼジッテリカにはわからなかったが、シィラが強いことは確信できた。

「煙が濃くなってきましたね。リカ様、剣を」

 と、肩越しに振り返ったシィラがふわりと笑った。わけもわからず頷いたゼジッテリカは、握っていた剣を胸の前に掲げてみる。

 すると自分の周りを、透明な膜が包み込むのが見えた。燃えさかる炎の音が遠ざかった。瞬きを繰り返したゼジッテリカは短剣を見下ろす。目をちくちくと刺すような砂まみれの風まで消えていた。

 これが剣の効果なのだろうか? よく見ると短剣は白っぽい淡い光を帯びている。結界を生み出すといっていたが、この薄い膜のようなものがそうなのか?

「シィラ」

 ゼジッテリカはその名を呟いた。結界のおかげで風がおさまったので、シィラの動きを先ほどよりもはっきりと見ることができる。

 シィラは全ての攻撃を弾き返していたが、その余波までは防ぎきれていない。彼女自身は平気だが、木々や草が無事ではなかった。このままでは本当に中庭が燃えてしまう。あっという間に火の海だ。

 こんな中でもシィラは平気なのか? それがゼジッテリカには不思議だった。熱いし息もしづらいに違いない。それなのにシィラには苦しそうな様子がない。

 再び、地面が揺れた。こればかりは結界でもどうにもならないらしい。ぎゅっと短剣を抱きしめると、シィラの薄青の刃が何かを切り裂くのが見えた。それが小柄な魔物であると気づいたのは、叫び声が響いたからだ。

 一体魔物はどこから現れるのか? ゼジッテリカの目が捉えられないだけかもしれないが、急に姿を見せているように見える。しかしそれでもシィラは即座に対応していた。

 テキアは無事だろうかと、ゼジッテリカは瞳をすがめた。ファミィール家の人間は離れた方がよいとの意見が一致したので、テキアはバンと共に大庭の方へ向かうことになった。

 戦うためにはある程度の広さがいる。バンとシィラはそう主張した。誰かを守るとなると、これはますます重要らしい。

 ゼジッテリカは身を震わせた。火の粉がまた、透明な膜へと触れて消えた。どこかで何かが燃えているのか? 慌てて頭上を見上げれば、強い風が結界を叩く感触がする。

 いや、そう思わせたのは音のせいだ。膜越しにも感じられる轟音に、びくりと肩を縮めてゼジッテリカは目を瞑った。

 直接攻撃された? それとも空で何かが爆発した?

 恐る恐る目を開けると、すぐ傍の地面がちりちりと焦げたような煙を上げていた。若干、鼻につく臭いもする。それでも熱さは感じなかった。

 すると不意に、目の前の煙が晴れた。突然の変化だった。ゼジッテリカは顔を上げて、食い入るようにその光景を見つめる。

 ゼジッテリカの前で、片膝をついていたのはシィラだった。その右手の薄青の刃は、傍に立つ大柄な男を串刺しにしていた。

 声にならない悲鳴が漏れた。だがシィラは振り返ることもなく、そのまま剣を振るう勢いで男を壁へと叩きつける。崩れかけていた壁にぶつかった男は、そのまま地面へと落ちた。――そして、消えた。

「大丈夫ですか? リカ様」

 立ち上がったシィラは、振り返ってそう尋ねてきた。返り血を浴びて赤い染みを作った彼女の上着を、ゼジッテリカは信じがたい思いで見つめる。

 ここは戦場だ。今、目の前で戦闘が行われている。襲ってくる魔物をシィラが倒している。その事実をようやくゼジッテリカは実感した。シィラがいなければ、ゼジッテリカは死んでいるだろう。

「それにしても、そろそろ本気にならないとまずいみたいですね。時間ばかりがかかってしまいます」

 軽くそう述べたシィラは、おもむろに空を見上げた。それにつられてゼジッテリカも頭上を見た。はじめは、よくわからなかった。日の沈んだ空を黒い雲が覆っているのが見える。

 だが凝視すれば、その中に赤に青、様々な光が明滅しているのが捉えられた。ゼジッテリカは息を呑む。

「シィラ、あれ――」

「全て魔物です。リカ様、どうかそこを動かないでくださいね。何があっても。たぶん先ほどので感づかれましたので」

「……え?」

 そう告げると、シィラの薄青の剣は一瞬で消えた。いや、消えたと思った次の瞬間には、別の刃が生み出されていた。それは先ほどのものとは比べ物にならない長さで、ゼジッテリカは眼を見開く。

 シィラの右手にあるのは巨大な白い刃だった。形の定まらないそれは、揺らぎながらも確かな存在感を纏っている。時折刀身から薄紫の光をほとばしらせつつ、力強く輝いていた。光の強弱にあわせてシィラの黒い髪も揺れる。

「短剣を手放してはいけませんよ」

 そうシィラは言い残して地を蹴った。同時に空から落ちてきたのは、無数とも思える黒い矢だった。しかしゼジッテリカが怯える暇すらなく、それらは跳躍したシィラの刃によって切り裂かれる。

 ゼジッテリカは目を疑った。白い刃は先ほどよりもさらに伸び、まるで生き物のように形を変えていた。細長くなった刃は次々と矢を払い、ついで急降下してきた何者かの体も切り裂く。

 あれは、おそらく魔物だ。切り裂かれたその何者かは、悲鳴を上げる間もなく光の粒となった。

 これはおかしい。何かがおかしい。技についてはよく知らないゼジッテリカにも、そう感じ取れる光景だ。魔物がこうも簡単に殺されることがあるのか? あっていいのか?

「まさかっ!?」

 その次の瞬間、今まで誰もいなかったはずの場所から声がした。それは右手の壁、先ほど大男が叩きつけられた方向だった。

 一部が崩れた壁を背に、赤髪の男が立ちつくしている。その後ろの穴からは、数人の魔物が顔を出していた。色とりどりの風変わりな衣装が、暗がりの向こうにちらちらと見える。

「まさかも何も、探していたんだろう?」

 すると赤髪の男に向かって、足を止めたシィラが言い放った。ゼジッテリカは耳を疑った。

 今のは本当にシィラの声なのか? 確かにシィラと同じ声なのに、まるで別人の言葉のように聞こえる。口調のせいだろうか? そこからは余裕の響きしか感じ取れない。

「いや、しかし、まさか……。では何故先ほどは動かなかった!?」

「おびき出したかったのはこちらだって言ったら、頭の弱そうなお前でも理解してくれるか?」

 体を震わせる赤髪の男に向かって、シィラは小首を傾げながら不敵に笑った。緩く結わえられた黒髪が、風にあおられて揺れる。炎に照らし出された白い頬には、幾つか血しぶきがかかっていた。

 その姿は妖艶と言ってもよかった。彼女だけがまるで別世界の住人のようだ。同じ絵画の中の人物でも、意味が違う。

「お前たちの上司、どうも慎重派みたいだから」

 刹那、シィラの背後に黒い影が現れた。何もない空間から突然、光と共に出現した。あっとゼジッテリカは声を漏らす。だがシィラは全く動じなかった。

 ただ振り返るだけ。ゼジッテリカにはそう見えた。振り向きざまに軽く右手を振るうのみ。それなのに、白い刃は易々と影たちを切り裂いていた。

 そう、複数だ。上がる悲鳴が重なり合って消えていくのを、ゼジッテリカは呆然と見つめた。

「そんなに申し子が怖いかな? こんなに集めちゃって」

 シィラが肩をすくめると、赤髪の男は一歩後退した。彼の瞳にあるのはもはや恐怖の色のみだった。ゼジッテリカはその様をただ見つめながら、ことの成り行きを見守るしかない。

「そんな、馬鹿な、一体いつから……」

「われならずっといたよ、ここに」

 シィラはふわりと微笑むと、再び地を蹴り上げた。彼女の刃は、恐怖で固まった赤髪の男の体を難なく薙ぎ払った。否、それはその背後にいた魔物たちもろとも葬り去っていた。また白い刃が揺らめいて、そこから薄紫色の光がほとばしる。

「後は上空かな」

 そのままシィラはひらりと振り返って、夜空を見上げた。ゼジッテリカも顔を上げた。そこでは相変わらず、色とりどりの光が明滅していた。あれが全て魔物だとしたら一体どれくらいいるのか。

「ではリカ様、ちょっと行ってきますね」

 と、いつものシィラの声がした。しかしそう思った次の瞬間には、その姿はかき消えていた。ゼジッテリカはあんぐりと口を開け、予感に従い空を見上げる。

 先ほどと変わりなく、やはり様々な色の光が見える。いや、そこに白い何かが瞬いた。それが先ほどの白い刃であると理解するのに、さしたる時間はかからなかった。

 あそこにシィラがいる。はっきり姿は見えなくとも確信できる。

「すごい」

 ゼジッテリカはぼんやりと呟いた。これはもはや戦いですらなかった。舞踊だ。何かの見せ物だ。白い光が軌跡を描く度に、明滅する光が減っていく。あれでは一体何が起こっているのか、他の護衛にもわからないかもしれない。

 魔物は恐ろしい。そのはずなのに、シィラの方が圧倒的に強かった。あのシィラなら、全ての魔物を倒してくれるに違いない。これを奇跡と言わずに何と呼べばよいだろうか。

 不意に、また地面が激しく揺れた。どこかで爆発でも起きたのか? 膝をついたままゼジッテリカは唇を噛んだ。中庭の木々も燃え続けている。炎が再びはぜると、火の粉が薄い膜にぶつかって弾かれた。

 その時突然、短剣を包む光が強くなった。驚いてそれを凝視すると、今度は前方から強い風が吹き付けてきた。膜越しにも伝わる圧力にゼジッテリカは目を細める。

「シィラ!?」

 狭まった視界の中でも、ゼジッテリカはすぐにシィラの姿を見つけだした。空にいたはずのシィラが、突として目の前に現れていた。

 シィラが掲げた左手が、うっすら光を帯びている。何か技を使っているのか?

 どうやら自分を守っているらしいと気づいたのは、圧力が弱まったからだ。もしかしたら短剣では守り切れぬ攻撃だったのかもしれない。ゼジッテリカの背に汗が滲む。

「ようやく首謀者のお出ましか」

 煙が満ちた中庭に、感情の読み取れぬシィラの声が響いた。左手の光がおさまると、今度は右手の刃から薄紫色の光がほとばしる。

 ゼジッテリカは目を凝らした。シィラの向こう側、灰色の煙の先が、ゆらりと揺らめくのが見える。

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