第8話『その出逢いは、時空を越えて』



――レジスタンス 始祖の姫君 回収地点ランデブーポイント




 陽が沈み、闇が広がっていた。



 星々は遠く、今にも消えてしまいそうなほど、薄く輝いている。




 濃闇の中で唯一、鮮明な輪郭を保持し、大地を淡く照らす存在。それは夜の象徴であり、多くの世界の神話を彩る存在――月のみだ。




 ファシストの管轄外である、レジスタンスの勢力圏内。騒乱が起きる前、ここはかつて大規模工業地帯だった。日用品や食料、軍用の兵站。――果ては特殊部隊用のガンシップまで。多種多様を極めていた。


 しかしそれはもう、歴史の1ページに過ぎない。なぜならここは、工業地帯の成れの果て――その機能を喪失した廃墟なのだから……。



 劣化した工業用オイルの臭い。


 放置された薬品から放たれる、ハッカに酷似した悪臭。


 そして時折、工場の床を走るネズミたち。



 清潔とは無縁な、混沌とした闇が広がっている。



 その廃墟を彷徨う、ふたつの小さな影があった。――アダムとイヴである。かつてアダムは、イヴの手を取り、彼女をこの異世界まで導いた。しかし今は逆だった。イヴがアダムに肩を貸し、ぐったりした彼と共に逃げていた。



 闇に潜む死の執行人。ファシストの私設軍隊から……




「アダムしっかりして! 寝ちゃだめよ! 意識を保って!!」




 アダムは左肩と右脚に銃創を受け、失血していた。大量の血を失ったことにより、顔面は青ざめ、体が震えている。イヴはそんな彼を気遣い、少しでも体温を上げるために腕を擦った。気休め程度にしかならないのは、承知の上。それでも、やらないよりかは遥かにマシだ。



 なぜ、安全な世界に逃げ遂せたはずの二人が、未だ混迷の中にいるのか?



 二人は無事、この世界に顕現することはできた。しかしその直後に悲劇が起こる。


 ファシストの部隊が、この回収地点を強襲したのだ。それにより、アダムとイヴを保護するはずだった護衛部隊は、反撃する間もなく壊滅。その多くが目的を果たすことなく、命を落としてしまった。



 あまりにもタイミングが良すぎる強襲。それが物語るものは、情報がファシスト側に漏れていたという事実である。



 しかし今更それに気づいても、なにもかもが手遅れだった。アダムとイヴは辛うじて、ファシストの部隊に気づかれることなく、ここまで逃げることはできた。しかしアダムの運は、この世界に足を踏み入れた時点で潰えていた。




――銃撃戦の際、イヴを庇って負傷したのである。




 アダムは覚悟を決める。このまま一緒にいても、いずれは捕まる。ならば、とるべき最良の策は一つだ。




「イヴ、止まって……」


「ごめんなさいアダム。 痛かった?」


「違う、そうじゃないよ。呪いは……どう?」


「見ての通り。もうなんともないわ。ラプチャーの言っていた通り、術者から離れたから、発動は防がれた。だからほら! 元気そのものよ!」





 呪縛から解放されたイヴは、感謝と共に嬉しそうに微笑む。それを見たアダムもまた、釣られて微笑んでしまう。銃創の痛みがうずくが、彼女の笑顔はそれを忘れさせるほど輝き、美しく見えたのだ。



 シーフとして彼の人生は、御世辞にも誇れる人生ではなかった。しかし教団の魔の手から、彼女を盗み出した――いや、救い出したこの成果は、シーフとしてだけではなく、人間として誇れること。心から背を伸ばし、胸を張れることだった。




 アダムは今まで、彼女と歩んだ旅を思い起こす。


 苦しく、思い出したくもない事もあった。だがそれ以上に、イヴに支えられ、彼女と笑い、過ごした日々は楽しかった。




 彼にとって、その思い出は――いや、彼女という存在は間違いなく、人生の宝だった。



 だからこそアダムは、大切な彼女イヴに生き延びてもらうため、万感の想いで決断を下す。




 アダムは自衛火器であるハンドガンDART-Gを取り出し、イヴに差し出してこう訊いた。





「イヴ。このハンドガンの使い方、覚えてるよね?」




 その口調と覚悟を決めた瞳に、イヴは気づき、すべてを察する。




「待ってよ。――そんなことできない! あなたを見捨てるなんて!!」



「この傷を見てくれ。僕はもう、君の足手まといなんだよ…… だから君だけでも逃げて、レジスタンスに合流するんだ!」


「合流するってどこへ?! そんなのわかんないわよ!!」


「僕にもそれは分からない。あれは予期せぬアクシデントだったし、なんせここは未知の世界だ。見るものすべてが初めて。どれが安全で、どれが危険なのかも分からない。ハハハッ……これじゃシーフ失格だな」


「あなたの力が必要よ! だってあなたは世渡り上手だもの! 私みたいな世間知らずじゃ、この世界を生きていけない!!」


「そんなことはないさ……君は自分が思っている以上に、見識が広くて聡明だ。だって交渉術は、君のほうが上手いじゃないか」


「あ、あれは! あなたがいてくれたから! あなたがアドバイスしてくれたから、できたのよ!」


「もう……君は、一人で十分だよ。一人でもやっていける。君なら、きっと――」




 ついにアダムが力尽きる。イヴの肩からすり抜けるように、地面へと倒れた。



「アダム!!」



 イヴは、うつ伏せに倒れたアダムを、急いで抱き起こす。

 アダムは泣きそうな顔の彼女に、懇願する。



「コーネリア、頼む……生き延びて、この世界を救ってくれ。じゃないと意味がない。ここまで来た意味がなくなるんだ。僕らの旅を、こんな薄汚い場所で終わらせないでくれ」



「バカ! あなたがいないこの世界なんて、それこそ意味がないじゃない!!」



「うれしいな。君にそこまで言ってもらえるなんて。誰かにここまで必要とされたのは、久しくなかったよ。なんだか……懐かしいや」



 アダムは最後の力を振り絞り、真剣な口調でイヴの背中を押す。



「今から30秒後に、この照明弾を撃つ。君は30秒間、敵に見つからないよう全力で走れ。照明弾が撃ちあがったら、一旦隠れ、耳を澄まんだ。


 きっと敵は照明弾に釣られて、人員をこちらに割く。足音が去ったのを見計らい、また全力で走る。


 例え敵が包囲網を構築していても、これだけ目立つ照明弾を上げれば、どこかしらに穴が開くはずだ。


 そして絶対に焦らないこと! 今は夜で、この闇は君の味方だ。目で捉えようとしないで、周囲の気配を全身で感じ取るんだ。そうして包囲網を慎重に抜けたら、この区域から脱出しろ」


「でも!」


「時間がない。もう行くんだ! 僕を無駄死にさせないでくれ!!」

 


 アダムは強い言葉で、イヴを突き放す。


 イヴは目から涙を零し、なにもできない自分が憎く、歯痒いという表情を浮かべる。


 間違いなくこれが、今生の別れとなろう。ここまで導いてくれた功労人であり、世界を救ってくれた勇者に、別れのキスを捧げる。これが今の自分にできる、精一杯の気持ちだ。



 そしてイヴは「ありがとう……わたしの大切な勇者様」と告げ、その場を去った。



 束の間、イヴは足を止めそうになる。『彼を救う方法があるはずだ』『このまま彼を見捨てるの?』『こんな結末は嫌』『なんとしても助けたい』そんな想いがぐるぐると螺旋を描き、心を絡め取る。だがそれをアダムの言葉が掻き消した。僕の死を無駄にしないでくれ。死ぬのなら、せめて君の命を守る盾になりたい。――そんなアダムの想いが、文字通り躊躇うイヴ背中を押したのだ。



 イヴは、心が張り裂けそうになりながらも走り出す。アダムに振り向きたいという衝動に何度も駆られたが、振り向けば、その決意が揺らいでしまう。だからこそ彼女は振り向かず、一心不乱に走った。すべては、アダムが切り開いたチャンスを無駄にしないために。彼との約束を、果たすために――。






「30…………29…………28……――」





 アダムはイヴの後ろ姿を見送りながら、消え入るような声でカウントダウンを始めた。今までの人生で感じたことのない、猛烈な眠気――それが死への誘いであることは明白だった。だからこそアダムは、言葉で数を紡ぐ。それをしなければ意識が遠のき、照明弾という疑似餌を闇夜に撒けない。



 アダムはなにかに祈るように願った。『死んでもいい。だからせめて、この照明弾を撃つまでは見逃してくれ』と。







 彼は半ば意識を失いつつ、孤独な死へのカウントダウンを続けた。











 どのくらいの時間が経過しただろうか。




 暗闇から二人編成の兵士が現れる。彼等はラプチャーにも増して、異様な出で立ちだった。



 のぞき穴すらない、フルフェイスの防護ヘルメット。そしてその体には、外骨格と思しきパワードスーツに身を包んでいる。腰から生えたメカニカルアームには、制圧用の重火器 チェーンガンが装備されていた。


 アダムの目には、ベルカで配備されている重騎士の類に見えていた。


 重装兵はアダムを見つけると、それを本部に報告する。重装兵は倒れているアダムに歩み寄ると、チェーンガンを構えながら、足でアダムを蹴った。



「レジスタンスめ。手こずらせやがって!!」


「おいこいつ、まだ息があるぞ」


「ドブネズミっていうのはほんと、生命力豊かだ。潰しても潰しても湧いてきやがる」


「なぁところでよぉ、レジスタンスの言っていた 始祖の姫君。お前、どう思うよ? 本当だと思うか?」



「異世界からの亡命って話か。あんなもの戦意向上のためのプロパガンダさ。超

技術を駆使した異世界からの亡命? ねぇよ。そんなファンタジー小説みたいなこと、あってたまるか。レジスタンスの連中、負けすぎて頭おかしくなったんだよ」



「俺も最初はそう思ったさ。でもその馬鹿げた作戦に、奴ら、それなりの戦力を割いてるだろ。さすがに時空を越えた亡命なんて世迷い話、嘘だと思うぜ。だがきっとなにか、本筋を隠すためのカバーストーリーに違いない。そうは思えないか?」



「おいおい勘弁してくれ。お前までレジスタンスの妄想癖が伝染ったのかよ」



「あーはいはい。言ってろ言ってろ。ったくお前に話して損した。まぁとにかく、コイツを始末して、早く目標を仕留めないと」



「始祖の姫君――か。異世界からの亡命者かしんねぇが、絶対に見つけて銀翼功労賞を頂く! そして特別報酬は俺のもんだ!!」





 重装兵がそう言いながら、チェーンガンの銃口をアダムに向けた――その時だった。





 女性の声が、それを制止したのである。




「待て! エコー9、8! なにをしている!!」



 制止したのは同じファシストの女性兵士だった。フルフェイスのヘルメットを被り、流線を基調としたアサルトライフルを装備している。


 アダムを殺そうとしていた重装兵は、思わず女性兵士に銃口を向けそうになる。しかし友軍のシグナルを確認し、即座に銃口を下げ、制止の意味を問い質す。



「いったいなんのつもりだ! ブリーフィングを忘れたのか? 本作戦はデッド・オア・アライブ生死問わずの殲滅サーチ・アンド・デストロイ見つけ次第 射殺せよのはずだ!」



「作戦目標が変わったのを知らないのか! なら本部に確認してみろ!!」



 そう怒鳴られた重装兵は、念の為、無線を開いて確認する。もし仮に間違っていれば、勲章どころか懲罰もの。最悪、ファシスト上層部の機嫌を損ねでもすれば、初めからいなかったように消されてしまう。どうせ倒れている相手は子供で、虫の息。確認してから殺しても問題はない。逃げる力すらない瀕死なのだ。




 重装備兵のエコー9が、しぶしぶ無線を開く




「こちらエコー9。本部、応答願います」


『ザザザ――……キュイィィイィッ! ジジジ……ザザザ――』




 しかし先程まで明瞭だった無線が一転。騒音混じりのノイズメイカーと化していた。


 エコー9は喫驚し、『どうなっているんだ! まさかジャミング?!』と言おうとする――が、彼はもう二度と口を利けなかった。ファシストの女性兵士が、二人の重装兵を射殺したのだ。



 女性兵士はヘルメットを脱ぎ、アダムに駆け寄る。



「アダム! 無事か!!」



「――ッ?! どうして……僕の……名を?」



「遅くなってすまない。私がラプチャーの話していた、レジスタンスのリーダー ザックだ。まぁ君と同じで、これはある種のコードネームであり、性別を隠すための偽名。本名は、アンジェラ・ペルダーデだ」



「アンジェラさん……僕のことは……いいから。イヴを、彼女を……救ってくれ!!」



「イヴはすでにレジスタンスが保護している。彼女から君の居場所を聞いたんだ。『彼をぜったいに助けて!』ってね」



「よかった……無事なんだね。本当に……よか……た――」



 ついにアダムの意識が遠のき、安堵の淵で永遠の眠りにつこうとしていた。


 しかしアンジェラが、それを許さなかった。



「まだ死ぬな。私は彼女と約束したんだ。『君を生きて会わせてやる』ってね」



 アンジェラはそう言いながら、ファシストからくすねた救急キットを取り出す。そして注射器のような物体を、アダムの心臓に突き刺した。


 刺されたアダムは目を見開き、体を硬直させる。



「グハッ!?!」


「あ、痛いぞ」


「刺す前に言ってくれ!!」


「待ってたら死んじまうだろ。今 若干、天に召されてたぞ」


「でも人の体に――ん? !! どうなってるんだ? 体が?!」


「心臓に打ち込んだコイツ、、、は、回復ジェルってやつだ。ファシストの研究機関が開発した即効性の高いファーストエイド。なんでも、回復魔法を付加した液体を、体に行き渡らせて体力を回復。しかも内側から傷口を塞ぐっていう万能薬らしい」


「すごい……いったいどんな魔法を?」


「さぁな。レジスタンスの魔法技術は、お世辞に言っても寂しいもんでね。だから詳しいことはサッパリわからん」


「そんな得体の知れないモノを、心臓にぶっ刺したのか!!!」


「死ぬよりかマシだろ? そういったのを選り好みするほど、この世界は贅沢じゃないんだよ」



 彼女の言う通り、選り好みできるほど贅沢な世界ではなかった。


 ファシストのガンシップから、眩いサーチライトが照射される。そして闇夜の中いたアダムとアンジェラを、鮮明に照らし出したのだ。



「なッ?! 見つかった!!」



 ファシストのガンシップが機銃掃射を開始するが、攻撃は当たらなかった。同じファシストの軍勢であるはずガンシップから、攻撃を受けたのだ。


 同士討ちフレンドリーファイアではない。その迷いのない動きは、明らかな殺意を持っての行動だ。



 被弾したガンシップは高度をとり、態勢を整えようとする。だが地上からのSAM対空攻撃によって、その願い叶わず、撃墜されてしまう。ガンシップは制御不能となり、回転しながら貯水槽へと墜落。その衝撃で内蔵火器が誘爆し、工場を焔色に染め上げた。



――まるでそれが合図だったかのように、ファシストに偽装していたレジスタンスが、反撃を開始する。工場各所で銃声と爆発が轟き、炎と煙が上がり始めた。



 ファシスト勢力は、突如仲間の格好をした敵に襲われ、混乱状態へと陥る。識別信号を欺瞞され、無線はジャミングによって不通。状況が掴めず、中には同士討ちする者までいた。


 一方のレジスタンスに、そのようなトラブルはない。独自の敵味方識別信号を駆使し、足並みを乱した敵勢力を各個撃破していく。その姿はさながら、規律のとれた正規軍だ。



 ファシストを攻撃したガンシップが、アンジェラの前に着陸する。カーゴベイが開き、その中から一人の少女が現れる。



「アダム!! 」



 レジスタンスに救助されたイヴだ。彼女は喜びに涙しながらアダムに駆け寄ると、急いで肩を貸す。



「よかった! 間に合ってくれた!!」


「まさか照明弾を撃つ前に、救助が来るなんて……」


「いいえ、あれからずいぶんと時間が経っているわ」


「なんだって?! じゃあ僕はカウントダウンの途中で、意識を失っていたのか?」


「ほんと……お寝坊さんなんだから」



 イヴは嬉しそうに茶化しつつ、アダムをキャビンのシートに寝かす。


 そしてアンジェラも、アサルトライフルを構え、警戒しながらガンシップまで後退する。乗り込んだアンジェラは、カーゴベイを閉めるレバーを上げ、パイロットに「目標確保! 離陸しろ!」と叫ぶ。





 ファシストから拝借したガンシップが、レジスタンスの隠れ家に向けて飛び立つ。





 レジスタンスのリーダー、ザックことアンジェラは、軍用アーマーを脱ぎ、アサルトライフルをラックへ戻す。


 だがその際、自分の胸から下がる、古びたロケットペンダントに気付く。それは亡き家族との思い出が詰まった、幸運のお守りだ。普段は気にかけないほど、アンジェラの一部となっていた。



 アンジェラは親指でチャームの蓋を開け、懐かしき家族と対面する。



 ペンダントの写真には、驚くべきことにアダムとイヴにそっくりな少年と少女――そして二人の間に挟まれるように、若きアンジェラの姿があった。




 アンジェラは、キャビンで寄り添うアダムとイヴへ視線を移す。そして複雑な表情を浮かべながらも、互いを想い合う二人の姿に、ほくそ笑む。




「ラプチャーめ。……なるほど。君に二人は殺せない、、、、、、、、、とは、こういう意味だったのか。いやにしてもこれは……似すぎて気持ち悪いくらいだぞ」




 アンジェラはそう言いながらも、今は亡き弟と妹に似たアダムとイヴに、優しい視線を注いでしまう。



 そして二人を守るためにも、必ずやファシストの支配を終わらせようと、固く誓った。




 もう二度と、家族を失わないために。




 あのアダムとイヴのように、互いを想い合う世界を創るために……。


 


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔王に召喚された勇者 十壽 魅 @mitaryuuji

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ