第13話『零式艦上戦闘機52 丙型』




「この世界の人々が呼称した神機。我々の世界ではこれを神機とは呼びません。 零式艦上戦闘機52 丙型――またの名を “ゼロ戦” と呼びます」



 シルエラはレイブンの元に歩みながら、改めて彼の姿を凝視する。



「神兵と同じ瞳の色に黒い髪。そして神機の名を知っている。やはりあなた! 日出ずる国から来たのね!」


「えぇそうです。私は神兵と同じ国から来た、日本人です」


「どうりで懐かしい感じが。あの人と……とても似ているわ」


「神機の乗り手――いえ、零戦のパイロットですね」


「えぇそうよ。もし彼が生きていたら、すごく喜んだのに……」


「その口ぶりから察するに、すでに彼は――」


 シルエラは申し訳無さそうな表情で俯き、顔を横に振った。


「ごめんなさい、助けられなかったの。十年前、レパン出血熱にかかってしまって。私が彼の最後を……看取ったの」


 レイブンは俯いたシルエラの肩に手をのせ、先人の手厚い保護に奉謝する。


「そうでしたか……。シルエラ、彼を最後まで守って頂き、深く感謝します」


 シルエラはレイブンに背を向け、溢れ出そうになっていた涙を隠す。

 助けられなかったにも関わらず、レイブンは責めるどころか、いたわりの言葉をかけてくれた。その優しさが、彼女の心をキュッと締め付けたのだ。

 込み上げる罪悪感。そして泣いている姿を見られたくないという想いから、シルエラは、レイブンの目を直視できなかった。


「お礼なんて……彼のこと、助けられなかったのよ」


「危険を承知で、人間達から零戦とパイロットを匿ってくれたのです。彼を看病し、その最後を見とってくれた。そこまで尽くしてくれた方を責めるなんて、できるはずがないじゃないですか。

 もしあなた達が匿ってくれなければ、人類に楯突いた裏切り者として、彼は殺されていたでしょう。例え捕まらなかったとしても、外界の人間と接することなく、独り、孤独な最後を迎えていた。でも彼は独りではなかった。ダークエルフという仲間がいた。そうですよね、シルエラ?」


 レイブンは優しい笑顔を見せる。その笑顔は、今は亡き神兵にそっくりの微笑みだった。

 シルエラは目に溢れんばかりの涙を浮かべながら、レイブンへと振り向く。


「ほんとそっくりよ。そういう優しいところとか……とくにね」





           ◇




 地下迷宮 物資回収地点


 ゼノヴィアは目を閉じ、深く、そして静かに息を吸い込む。そして腰を落とし、拳にすべての力を集めながら、ゆっくりと腕を引いていく……


「すぅ……―― ハァアァ………」


 そして目を見開き、引き手から一気に拳を突き出した。


「フンッ!!!」


 ゼノヴィアが放った一撃が、☓印の交差点で炸裂した。その突きによって壁は粉々に砕け、奥に隠されていた部屋が現れる。


「すげぇ、ほんとに隠し部屋があんのかよ」


 ゼノヴィアは瓦礫を跨いで、隠し部屋の中へと進む。


「いったいどうやって、こんな場所まで物資を運んだんだ? そもそもレイブンは、近衛兵が見張ってたんじゃねぇのかよ」


 不満と疑問を口にしながら、ゼノヴィアは隠し部屋を探索する。部屋の中には、ゼノヴィアにとって見慣れないものがいくつも並んでいた。


「あー、レイブンが持ってこいって言ったのはコレか。にしてもなんだこりゃ? た、樽か?」


 それはカーキ色が印象的な、円筒状の物体だった。形状は樽に使いが、樽のようにふっくらとした形状ではなく、スリムな形状だった。

 ゼノヴィアは、その見慣れない樽らしきものに触れてみる。表面は鉄のように固く、ひんやりと冷たい。そして見たことのない、異国の文字が書かれていた。



『火気厳禁 ガソリン 100octane 200リットル』



 ゼノヴィアは地図を取り出し、その裏に書かれていた輸送物資のリストを確認する。地図の裏側に、分かりやすく絵を交えた説明文が書かれていた。


「やっぱ持ってくるものは、この樽モドキでいいみたいだな。それと、あとはアレか」


 ガソリンが入ったドラム缶の横に、木の箱が積まれていた。その木の箱にも、見慣れない文字の焼き印が押されている。



『横須賀航空技術廠 二式二五番三号爆弾』


『13.2 mm×99 mm曳跟弾薬包改3』


『20 mm x101mmRB 焼夷通常弾薬包改4』



 木箱には炎の絵に☓印のシールが貼られており、火気厳禁であることを誰にでも分かるよう配慮されていた。


「火は駄目ってことは、これは火薬の類か? にしてもすげぇな。全部の箱に、寸分違わぬ同じ絵が描かれていやがる。どうやったら、こんなことができるんだ?」


 配慮はそれだけに留まらず、木箱を落としたら爆発するイラストが描かれ、取扱注意を促すシールが貼られていた。

 ゼノヴィアはそのシールを剥がし、まじまじと眺める。


「この材質は……紙じゃないよな? 表面がツルツルして、光沢を放っていやがる。それに粘着性のあるネバネバ……いったいどんな技術を使えば、こんなもん作れるんだ?」


 ゼノヴィアは他にも奇妙なものがないか、改めて部屋全体を見渡す。すると部屋の両端に立て掛けられた、三脚を見つけ出した。先端部には板状の見慣れないものが取り付けられている。


「しかも物資を運んで、わざわざ壁を塞いだのか? なんでそんな手間の掛かることを?」


 

――謎はそれだけに留まらない。



 このレイブンが用意した地図や輸送リストには、ほとんど文字が使われていない。代わりにイラストがふんだんに使用されており、それは明らかに、文字が読めない者に対して配慮されたものであった。


 つまりレイブンは、ゼノヴィアが文字が読めないことを知っていたことになる。

 

 ゼノヴィアは答えを導き出そうとする。



 なぜ壁の中に兵站を隠したのか。


 どうやって隠し部屋の中にこれだけの量の兵站を隠せたのか。


 そしてなぜ、レイブンが文字が読めないことを知っていたのか。



 だが自分一人では仮説すら立てる事すらままならず、彼女は謎という迷宮の中で彷徨い、その中で頭を掻き毟ることとなった。


 筋肉担当のゼノヴィアは、頭脳派不在を嘆きつつ苛立ちを露わにする。


「あぁああああ! クソッ!! なんだってこんな肝心な時に限って、グレイフィアもアーシアもいないんだ! 余計な時はいるくせによぉ!」


 答えが見つからない以上、その案件を棚上げするしかなかった。無駄なことに拘り、時間を浪費するのは得策ではない。ゼノヴィアはそう考え、先に片付けるべき課題を消化することにした。


 ゼノヴィアは隠し部屋の外に出ると、この場を預かる指揮官として、ダークエルフの少女達に指示を下す。


 その口調は先程のものとは一線を画する、威圧的なものだ。

 生半可な慣れ合い口調では、部下に示しがつかない上、いつまでも彼女達の心が切れ変われない。それに扱うものが危険物である以上、お遊び半分の気分で作業されては、彼女達に危険が及んでしまう。


 誰が上で誰が下なのか、その立場を明確にする必要があった。


「いいかよく聞け! これから移送する物資は、すべて危険物だ。扱いにはくれぐれも慎重に行え! それと火気は絶対に厳禁! 近くで炎や雷撃魔法を使うなよ! いいな!」 


 その気迫に満ちた声に、自然と少女たちの背筋がピンと伸びる。


「了解!」


 楽しいピクニックは終わり、兵士として仕事をする時が来たのだ。彼女達もそれを自覚し、真剣な表情に変わる。


 ゼノヴィアは少女たちの眼の色が変わるのを確認し、作業開始の下知を飛ばした。


「よし! 総員作業にかかれ!!」



           ◇



 レイブンは零戦の周囲を歩き、外装を確認していた。


 シルエラはこの場にいない。レイブンに涙を見られまいと、「用事を思い出した」と言い残し、席を外していたのだ。


 待機所に残されたレイブンは、黙々と飛行のための準備を始める。まずは外側から、異常がないかを慎重に確認していた。


「……よし、大丈夫そうだな」


 レイブンのいる待機所内は、竜騎兵の待機所とは見えない、格納庫の様相を呈している。


 何機もの戦闘機が悠然と並び、分解された零戦は壁際に寄せて置かれていた。機体には丁寧に枕木が敷かれ、倒れないよう厳重に固定されている。そして零戦の心臓とも言える栄二一型発動機は、分解され、予備パーツとして青いシートの上に並べられていた。


 それらすべて、燃料や機体の腐食を防ぐために固定魔法によって封印され、本来の輝きや色も失っている。その姿はまるで、白黒映画に登場する零戦の色合いだ。


 格納庫に並ぶ亡骸の数々は、整備員達が行った努力の爪痕だった。状態の良い部品を他の機体から集め、それを飛行可能な良機に移植したのである。



 時空を越える現象は、なにもレイブンなどの勇者に限ったことではない。



 非常に稀な現象ではあるが、なんらかの作用によって時空の歪みに呑まれ、こちらの世界へ彷徨いこむことも確認されている。そういった人智を超えた存在は、各国の童話や御伽話の中で、『天から使い』や、『戦巫女の化身』という理解し易い存在として加工・再解釈され、フィクションの中でその活躍が語られる事となった。

 だが歴史の表舞台に名を残す、大々的な出来事が起こる。それが、魔族を討ち滅ぼす突破口を斬り開いた存在――、超空の神兵である。




――時は第二次世界大戦に遡る。


 大戦末期に差し掛かった頃、ソ連政府は日ソ中立条約を一方的に破棄し、占守シュムシュ島と神威実カムイノミ島に侵攻。北海道に向けて南下を開始していた。それを阻止すべく、神威実島守備隊は沿岸部に部隊を展開。徹底抗戦の構えを見せた。


 ソ連軍との地上戦が開始しようとした最中、神威実島全土を奇っ怪な現象が襲われてしまう。天が不気味に鳴り響き、島全体が七色に輝くオーロラに包まれたのだ。


 そして彼らは気がついた時には、信じがたい現実と直面する事となる。グリフォンやドラゴンが飛翔し、魔法が当たり前に存在する世界との対面だった。


 島もろとも異世界に迷いこんでしまった、神威実島守備隊。

 そんな彼らに待っていたのは、浮世絵離れした異世界で勃発する、前人未踏の戦争だった。



 人類と亜人によって構成された連合軍と、地上侵攻を目論む魔族との大戦。神威実島守備隊は様々な因果から、当時劣勢だった連合軍側に味方する事となり、襲い掛かる魔族と熾烈な戦いを繰り広げる事となった。


 開戦当初『果たして魔法やドラゴン相手に、我々は対等に戦えるのか?』という不安があったが、始まってみれば、その心配は徒労に終わる。

 零戦が向かうところ敵なし。次々に戦況を塗り替えていく活躍は、まさに鬼神と呼ぶに相応しいものだった。


 連合軍側があれだけ苦戦した軍勢を、零戦や現代兵器の力を持ってして、次々に壊滅させていったのだ。


 そして連合軍側に勝利の兆しが見え始めた頃には、神威実島守備隊はこう呼ばれるようになっていた。



 神々が遣わせた兵士――“超空の神兵”と。



 だがその神の如き力が災いする。魔族を容易く葬る力に、目をつける者が現れたのだ。


 大戦を勝利に導いた神威実島守備隊だったが、力を浴する公爵や列強国によって追われる身となってしまう。

 そして魔族との大戦後に勃発した、人類と亜人による第二次大戦。その動乱の中、超空の神兵は歴史の表舞台から、姿を消す事となった。

 無理もない。いくら無敵の力を誇る兵器とはいえ、燃料や弾がなければ、飛行機も車も銃も、単なる無用の長物と化してしまうからだ。


 それを防ぐため翻弄したのが、兵器を支える整備員だった。


 基地ごと転移した中には、パイロットだけではなく、整備員達も含まれていた。戦後の激動の中、零戦を少しでも長く生き長らえさせようと、彼らは懸命な努力を重ねた。

 パーツ調達が不可能な状況下。消耗品の損失を限界まで抑え、延命に延命を重ねたのだ。


――並の人間なら元の世界に帰れないと絶望し、自暴自棄な行いをする者や、命を絶つ者もいただろう。


 だが、零戦の隅々まで行き届いた整備に、毅然と陳列された部品を見れば、当時どれだけ士気が高く、統率がとれていたのかがまざまざと分かる。彼らは命が尽きるその瞬間まで、整備員としての職務を全うしたのだ。


 職務を全うしたのは、整備員だけではない。


 この世界に転移してしまった神威実島守備隊全員が、もはや二度と故郷の地は踏めないと覚悟を決め、亜人達を守るために奮闘したのだ。


 生きて再び本土に残した家族に会うことも、愛する者を抱きしめることも永遠に叶わない。ならば、日本人の心である八紘一宇の精神を忘れることなく、帝国軍人として恥じない死を迎えようではないか。


――この世界に迷い込んだのも、なにかの縁というもの。どうせ帰れないのだから、この世界を少しでもより良くするために戦い、誇りを胸に、華々しく散ろう。



 レイブンの前にある零戦は、単なる戦闘機ではない。



 ほんの少しでも零戦を生き永らえさせようとした、整備員の切なる願い。神威実島守備隊がこの世界で生き、この世界のために戦ったという証を残したい。その切なる想いを凝縮させた、最後の零戦だった。


 レイブンは零戦から伝わるその想いを、ひしひし感じる。そして奮闘した神威実島守備隊に感謝と敬意を払い、労いの言葉を添えた。


「並みの整備なら、今頃この零戦はスクラップだったでしょう。……さすが芙蓉部隊から教えを賜った整備員、この卓越した技能には、脱帽する他ありません」


 感傷的な想いに耽るレイブン。そんな彼の元に、顔を洗い、涙を洗い流したシルエラが現れる。一人だけではない、魔導師メイジ弓兵アーチャー、シールダーなどの指揮官を連れ、鳳凰の間に現れたのだ。彼女達はシルエラを取り囲み、総出で彼女を説得しようとしている。



「姫様お考え直し下さい! いくら恩があるとはいえ、神機を他の種族に譲渡するなんて!」

「たかが髪の色と瞳の色が同じだけです! そもそも日本人であるという確証はありません!」



 そしてレイブンの姿を見るや、指揮官達は冷やかな視線を向ける。

 シルエラが駆け寄り、レイブンに謝罪した。


「すまないレイブン。私が説得しようとしたのだが、族長として信頼がないばかりに――」


 レイブンは「むしろその逆ですよ」という言葉を残し、指揮官の元へと向かう。その中の一人が、レイブンに罵声を浴びせた。偵察兵オラクルを指揮するクロエである。


「貴様か! 姫様を誑かした無礼者は!」


「無礼? ナダルとカイムを救い、ツノツキの奇襲から村を救ったことが、無礼だと言うのですか? それに関して不快に思われたのなら、謝罪します。困っている人に手を差し伸べたくなるのが、我々の国民性ですので。そして私は、この世界に来て間もない身。不勉強であったことをお詫びします」


「そうじゃない! 姫様の弱みにつけ込み、零戦を奪おうとしている事だ!」


「族長であるシルエラの承諾は、すでに得ています。従って強奪ではなく、歴記とした譲渡です」


「我々が納得していない! 零戦を誰の手にも渡らないよう、我々は今までずっとこの場所を守り続けてきた! それを昨日今日現れた人間に。しかも魔族と繋がりのある勇者に譲り渡すなんて! できるはずがない!」


「どの道このままでは、零戦も、この砦も、エストバキアの手に渡ってしまいますよ」


「なに?」


「もうすぐここに、エストバキアの軍勢が押し寄せます。まず勇者による先発部隊を送り込み、各所の砦を奇襲。戦力をできるだけ削いで疲弊させた後に、本命である騎士団を投入させ、地下ダンジョンにあるすべての砦を、一気に陥落させるつもりなのです」


「舐めるな! この砦には、千を越える兵で守りを固めているんだぞ! 勇者一人がなんだ! エストバキアの騎士団共々、返り討ちにしてやる!!」


「誰が勇者一人と言いましたか? エストバキアは、すべての勇者をこの地下ダンジョンに投入する気です。つまり勇者の人数は一五人」


 勇者一五人という言葉を聞き、指揮官達は顔面蒼白で息を呑む。勇者という存在は、度重なる戦いを勝ち抜いた指揮官でさえ、畏怖を持たれる存在なのだ。一人で何千もの軍勢と渡り合える勇者が、一五人も一気に襲来するとなれば、その絶望具合が見て取れるだろう。


 そんな指揮官連中を尻目に、レイブンは淡々と話しを続ける。


「一人なら、辛うじて退けるかもしれませんが、一五人同時に相手にするほどの戦力は、この砦の兵力で賄えないでしょう。しかも勇者達によって戦力を大幅に削られた後、間髪入れず騎士団の大隊を渡り合わなければならないのです。――断言しましょう。明朝この砦は、エストバキアの軍勢によって落城します」



 その言葉に、この場にいたダークエルフ達全員が絶句する。


 誰も反論できない。


 いつもならば「そんなはずはない!」「我々の力を侮らないで!」と豪語するところであるが、さすがに勇者一五人という数を前にすれば、威勢すらも張れなくもなる。

 勇者一五人とは即ち、大国の軍勢を相手にするようなもの。いつもの盗賊や人さらい、小国の遠征騎士団とはわけが違う。

 勇者一五人ですら、勝てるかどうか分からないにも関わらず、その上騎士団の大隊とも戦闘しなければならない。どう足掻いてもダークエルフの側に、一切の勝ち目はなかった。



「この砦が勇者の軍勢に襲撃されたとなれば、魔都から迎撃部隊が投入されるでしょう。

 なにせ相手は勇者を率いた軍勢 魔族側は血相を変え、ありったけの兵力を投入するはずです。そうなればエストバキアの思う壺。手薄になったアイゼルネ・ユングフラウ城に、竜騎兵による空挺部隊を向かわせる事ができるからです。

 ガラ空きとなった城を奇襲し、陛下を亡き者にしてしまえば、もはや魔都は手に入れたようなもの。指揮系統は総崩れとなり、魔都は人間たちの手に堕ちる。もしそうなれば、貴女達ダークエルフは……」


 レイブンはここで話しを切り上げる。すでに彼女達の脳裏に、その続きが描かれていたからだ。


 だがレイブンの言葉に、クエロは疑いの目を向ける。


「デタラメだ! そもそもなぜお前が、エストバキアが攻めてくることを知っている!」


 レイブンはクロエの質問に対し、あえて質問で返した。


「逆にお訊きしますが、なぜエストバキアが攻めてくることに、あなたは気付かなかったのですか?」


「お前はいったい何を言っているんだ?」


「ミューリッツ湖。あの湖に、遠征部隊の野営地があることは、知っていますね?」


「私は偵察兵の指揮官だぞ! 情報を統括し、姫様に御連絡するのが務め――無論そんなこと知っている! 報告を受け、私もその目で確かめてきたからな。

 あれはツノツキ狩りに駆り出された、エストバキアの討伐部隊だ。お前は知らないだろうが、奴らはいつも決まって、あそこに野営地を建てるんだ」


「ツノツキ相手にするには、いつもより兵の数が多いとは思いませんでしたか?」


 クロエはその言葉にハッ!とした表情を伺わせる。レイブンの言う通り、たしかにいつもより、兵が多いと感じていたのだ。だがそれでも、クロエはレイブンの言葉を信じようとしない。


 そんな彼女の本心を見抜き、レイブンはさらにこう続ける。


「兵の数だけではありません。よく思い出してみて下さい。兵站の量や竜騎兵の数も、いつもと違い多かったはずですよ」


「確かに多かった……でもあれは! い、いつもの――」


 レイブンは、クロエが言おうとしていたことを代弁する。いや、それを代弁と呼ぶには、不気味なほど正確なものだった。


「『いつもより少し多いくらい。そもそもこの砦を攻め落とす理由もないし、魔族と戦争をする時代はすでに終わっている。地上は嗜好品で隣国と争っているのだから、ここに攻めてくることはない。この地下ダンジョンに足を踏み入れる愚か者は、物好きな盗賊かエルフを狙う奴隷商人くらい。だから今回も大丈夫――』。あなたはそう思い、脅威ではないという判断を下した。違いますか?」


 クロエは自分が言おうとしていたセリフをすべて先に言われ、口をパクつかせながら唖然とする。さらにレイブンは続けた。


「『いつまでも平和であって欲しい』 『今度もきっと大丈夫』 『あれはいつものツノツキ狩り、だからここに攻めてくることはない』 『だって攻めてくる理由メリットもないのだから』その希望的観測が現実を歪め、間違った解釈で濾過された後、誤った判断を下してしまった。いつの世も、人の深層心理と主観は厄介なものです」


 心を見透かしたような言葉の数々に、クロエは絶句してしまう。そして偵察部隊を預かる者として、取り返しの付かない失態を犯したことに気付き、罪の大きさに絶望した。


 肥大化していく罪悪感に、心を押し潰されようとしているクロエ。レイブンはそんなクロエに、優しい言葉でこう諭した。


「クロエ。“次からは”客観的な報告をお願いしますよ」


「え? それはどういうこと?」


「今回は貸しにしておきます。もうなにも、心配することはありませんよ」



 レイブンはシルエラとダークエルフの指揮官達に向け、作戦の全貌を説明する。



「勇者を含むエストバキアの相手は、すべてこの私が引き受けます。地下ダンジョンでエストバキアの兵力を削ぎ、仕留め損ねた敵は、この大砦で駆逐して下さい。

 従ってこの大砦が、魔都への侵攻を防ぐ最終防衛ラインとなります。現在他の砦に分散している兵力を、早急に集結させて下さい」


 まさかの言葉に、全員が耳を疑った。いくらツノツキの一派を撃退したレイブンとはいえ、勇者一五人を一人で相手をするのは、あまりにも無謀だ。

 指揮官達がざわめく中、シルエラがレイブンへと詰め寄る。


「ちょっと待って! 一人で一五人の勇者と、騎士大隊を相手にする気?! そんなの無茶よ! 死にに行くようなものだわ!」


「彼らが襲ってくるのを分かっていながら、何もしていないとお思いですか? すでにある程度の手は打ってあります」


「手は打ってある?」


「目には目を、歯には歯を。相手が反則的な力を持つのなら、こちらも同等の力で迎え撃つまで――」



 レイブンは零戦に向かって歩き出す。



「彼らを斃した後。この零戦で空に上がります。時間的に間に合うかどうか際どいところですが、やるだけの価値はあるでしょう。どの道、エストバキアの空挺部隊を堕とさない限り、魔族とダークエルフに未来はありません」


 黒いローブに身を包んだ魔導師メイジが、それは不可能だと断言する。


「レイブン卿。残念だがそれは無理な話だ。その零戦には強固な固定魔法が施されている。今から解呪したとしても、完了したときにはすでに夜が明けているだろう。そもそも零戦を動かすとされる燃焼液は、錬成することができなかった。そして零戦の牙となる弾丸の類も、我々の技術では作れなかった。 例え残っている燃焼液で飛べたとしても、牙がない以上、空を飛ぶドラゴンを墜とすこと叶いませんぞ」


 レイブンは無言で零戦に触れる。黒い零戦の表面に、生物的な七色の光沢が走る。そして刹那の間を置き、機体全体が極光に包まれた。

 深緑色に、太陽を象った真紅のエンブレム。眩い光の下から現れたのは、元の色合いを取り戻した零戦だった。 


 クロエに続いて魔導師も言葉を失うこととなる。魔導師は常識外れな現象に、「こんなこと有り得ない……」と言葉を漏らす。なにせ自分よりも高尚な魔導師が施した固定魔法を、瞬く間に解呪したのだ。


「半日は掛かる解呪を一瞬で……。レイブン卿! いったいなにをなさったのです!」 


「伊達に城内の書庫に篭っていません。それと、懸念されていた燃料と弾薬に関してですが、すでに問題は解決しています。もうすぐゼノヴィアが――」


 噂をすればなんとやら。ベストタイミングで、鳳凰の間にゼノヴィアが参上する。


「レイブンどこだ! 姿を見せろ!」


 望まぬピクニックを堪能させられたゼノヴィア。彼女はこの場の空気を完全に無視し、レイブンへずしずしと歩いて行く。

 ゼノヴィアは、まさにぷんすかと擬音がピッタリな表情で憤慨しながら、レイブンへと詰め寄った。


 レイブンはそんなこと一切気にせず、無事帰還を果たしたゼノヴィアを歓迎する。


「ハネムーンはいかがでしたか?」


「おい、次にふざけた口きいたらぶっとばすぞ。こっちはなぁ! お前のせいで散々な目に遭ったんだからな!」


「それは残念。あれだけの美女と一緒にデートできるなんて、私からすれば羨ましい限りですよ」


「そりゃお前はいいよ、男なんだからさぁ。でも俺は女だよ女! グレイフィアとは違うんだよ! しかもあの娘たちみんな、俺を見る目が尋常じゃなねぇんだ! なんつーか、こう……キラキラしてるっていうか、恋しちゃってるっていうか…… と、とにかくあれは! ちょっと怖かったぞ!」


 その場に居合わせたダークエルフ達は、『ちょっとなんだ……』と心の中で思った。


 レイブンは「ものはついでに」といった口ぶりで、ゼノヴィアに最後の頼み事をする。


「それは本当にご苦労様でした。ゼノヴィア、大砦まで移送した物資を、ここまで運んで来て下さい」


「ハァ? 俺だってバカじゃねぇよ! もうお前の頼みなんて聞いてやるもんか! 欲しけりゃ自分で持ってくるんだな!」


 レイブンは憤慨するゼノヴィアの口に、あるものを押し込んだ。


「ふんぐ?!! ん? んん! こ、これは! りこりしゅあめリコリス飴!!!」


 ゼノヴィアはあれだけ怒っていたのに、次の瞬間には満面の笑みへと変わっていた。彼女はキラキラと目を輝かせ、幸せそうな表情でリコリス飴を堪能する。


「ゼノヴィア、特製のリコリス飴はおいしいですか?」


「うん!」


「もっと欲しいですか?」


「うん!」


「じゃあここまで物資を運んでくれますか? 約束した通り、見合った報酬はすでに用意してありますから」


 レイブンはジャケット裏から、パッケージングされた大量のリコリス飴を取り出す。いったいジャケット裏にどうやって隠し持っていたのかと、ツッコミを入れたくなるほどの量だ。


 だがゼノヴィアにとっては、そんなことどうでもいいことだった。喉から手が出るほどの大好物が、目の前にぶら下がっているのだ。


「え! こ、ここ、コレを全部くれるのか!!」


「もちろんですとも。それ相応の報酬は用意すると、あなたと約束しましたからね」


 大好物を目の前で見せられ、ゼノヴィアはものの数秒で手のひらを返した。


「レイブンってほんと良い奴だよな! よっしゃ任しとけ! 全部ここに持ってくればいいんだな?待ってろ、今すぐ持って来てやるからな!!」


 善は急げと、ゼノヴィアは猛速ダッシュでその場を後にする。

 その後ろ姿に、もはや四天王の面影はない。ただ純朴にリコリス飴のために奔走する、健気な魔族の姿があった。



 シルエラと指揮官一同は、レイブンが行った一連のやり取りに対し、『え、餌付けだ……』と、心の中で密かに思った。


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