第2話『エレナの魔剣』


――魔法都市 アルトアイゼン

    アイゼルネ・ユングフラウ城。



 騎士団長エレナは、討伐の結果を魔王に報告すべく、謁見の間を目指して歩いていた。

 重厚な扉が開き、エレナの前に謁見の間が姿を現す。


 いつもの荘厳な光景が、エレナの眼前に広がる。


 黒い鎧に身を包んだ魔王が、王の象徴たる王座に腰をかけ、君臨していた。

 彼はフルフェイスのメットを被っているため、その表情を確認することはできない。

 エレナは謁見の間に踏み出すと同時に、帰還の報告を行う。


「騎士団長エレナ! 討伐からただ今戻りま…し…… なっ!!!」


 エレナは言葉を失いつつ、もう一度ある場所を見返した。

 彼女が二度見するのも無理はない。

 地下神殿に置き去りにしたはずのレイブンが、王の前で立膝を付いていたのだ。


(馬もなしに、どうやってここまで!!)


 そう思った刹那、魔王からこんな言葉を投げかけられた。


「話しは聞いているぞ、エレナ――」


 その言葉にエレナの背筋が凍る。


「レイブンを逃がすために、身を呈して勇者に立ちはだかるとは、素晴らしい判断と同時にとても勇敢な働きだった。しかも相手は、レイブンと同じ勇者と言うではないか。それを退けるとは、なかなかの偉業だ」


 エレナはレイブンと同じ位置にまで進むと、彼と同じように立て膝を付き、王に深々と頭を下げた。


「あとで褒美をやる。楽しみにするがいい」


「ハハッ!」


 レイブンが顔を上げ、王に進言する。


「陛下、私から一つお願いがあるのですが、よろしいでしょうか」


「ドラゴン討伐の報酬か? 勇者レイブン、なんなりと申してみよ」


 エレナが『無礼なこと言ったら殺す! いや、王に殺されるぞ!』という視線でレイブンを見る。

 レイブンはその釘を刺すような視線を無視し、


「エレナが使っていた魔剣、カインフェルノについてなのですが――」



           ◆



 謁見の間を出たレイブンとエレナ。

 扉が閉まった早々、エレナが喧々囂々と言葉をまくし立てる。


「レイブン! これはどういうことだ!」


「どうって……陛下に申しあげた通りです」


「仕返しか! 私が地下神殿に置き去りにした仕返しなんだな!!」


 レイブンは「それは関係ない」とキッパリと断言する。


「違います。その魔剣は本来の力が出ていないから、オーバーホールが必要なんです。私はその剣を使い、それを実感したから言ったまでで――」


 エレナは魔剣を渡したくない一心で、涙目で必死に拒否する。


「だからってお前に剣を譲渡しろだと?! じょ、じょ、冗談ではない!」


「剣とは騎士の心であり、体の一部であることは重々承知しております。渡すのを躊躇うのも無理はありません。ですが、その剣がなまくら刀のままでは、勇者との戦いの際に支障をきたす恐れがあるのです。どうかご理解を」


「な、ナマクラガタナ? 食べ物かなにかか?」


「なんで食べ物の話が出てくるんです。お腹空いているですか? なまくら刀とは切れ味の悪いという意味で、その剣の本領が発揮できていないということです」


「その必要はないと言っている! カインフェルノは今のままで十分よ!!」


「よ?」


 女の子らしい言葉に、レイブンはその部分を復唱してしまう。

 エレナは慌てて言い直した。


「あっ、じゃなくて! いや、じゅ、十分だ!」


「十分だ……ですか。じゃあ、魔剣の刃を見て下さい」


「刃の部分を? なぜだ」


「それを見てからでも、譲渡するかしないかの判断をするのは、遅くはないでしょう」


「?」


 エレナは言われた通り、魔剣の刃を確認する。そしてなぜ、刃の部分を見るよう促したのかを理解した。

 刃の部分が欠けていたのだ。


「これは、まさかあの時の!」


「そうです。あの勇者がつけたものです。魔剣カインフェルノでなければ、今頃まっ二つだったでしょう。私はその剣に命を救われましたのです」


 エレナは動揺する。


 この剣は騎士団長に命名された時に、魔王ガレオンから贈られたものだ。栄えある騎士団長の象徴であると同時に、自分の誇りだった。

 騎士団長を夢見ていたエレナとって、この魔剣カインフェルノは彼女の象徴であり。自分の人生そのものだった。


 それを傷つけられたエレナは、眉間にしわを寄せ、殺意を剥き出しにする。


「くッ! あの腐れエロ猿め……今度会った時は、この手で殺してやる! 必ずな!」


 エレナは勇者に向け、呪詛の言葉を吐き連ねた。

 そして傷ついた魔剣の刀身を優しく撫で上げる 彼女の顔はまるで聖母のような慈愛に満ちており、傷ついた剣をいたわった。


「すまんな……カインフェルノ」


「陛下の許しを得た以上、こちらとしても身を引くわけにはいきません。必ずや、カインフェルノを元の状態に戻して見せます」


「絶対に、だな?」


「ハイ、お約束します。必ずや修復してご覧にいれます。陛下の御威光の元、アルトアイゼンに栄光と勝利をもたらすために」


 陛下という言葉を引き合いに出され、エレナは「ぐぬぬぬぬ」と悔しげな表情を浮かべる。レイブンに逆らうことは、陛下に逆らうことになるのだ。


「そんな顔しても、私は引きませんよ」


「わ、分かっている!」


 エレナはしぶしぶカインフェルノを差し出す。

 レイブンは差し出された柄を掴むと、自分の元に引こうとする。が、どれだけ引こうとしても、微動だにしなかった。


「あ、あの……」


「どうしたレイブン? 直す自信が無くなったのか? 考えなおすのなら今のうちだぞ」


「いえ、そうではなく……」


 エレナは尋常でない力で、カインフェルノを掴んでいたのだ。それも指先だけで。


「往生際が悪いですよ」


 エレナは青筋を立て、目元をピクつかせながらとぼける。



「ん? はて? なんのことだレイブン。なにを言っているのか分からんな。それよりも考えなおしたほうがいいとは思うのだが。どうだろう? 陛下の前であれだけ豪語したはいいが、もしも、その魔剣を修復できなかった時はどうする? 魔王に虚言を吐く者に命はないぞ。今ならまだ間に合う。勇気を出して『私には荷が重かった』と言えばいいのだ。陛下も命までは取らんだろう。大丈夫、なにも心配することはない。陛下には私からとりなしてやるから安心しろ。これは君にとって吉報じゃないか。そうだろ? 鍛冶場の知識はあるかもしれないが、魔導学を知らぬお前に直せるはずがない。そう、直せるはずがないのだ。騎士団長として忠告しておこう。耳の穴をかっぽじってよ~く聞け。危ない橋を渡らないほうがいいのだ。勇気と無謀はコインの裏表ではないのだ――と。そもそも私は思うのだが――」



 エレナは説得しようとしているらしいが、その言葉は、思いやり&心のこもっていない、棒読み丸出しの台詞。とにかく魔剣を譲渡したくないという思いが滲み出ている言葉だった。

 脅しや脅迫とはまた異なる、異様な威圧を放ちながら、エレナは魔剣を渡すまいと最後の抵抗を見せる。


 このままでは埒が明かない。

 そう判断したレイブンは、エレナに鋭い睨みをきかせ、単刀直入にこう告げた。


「エレナ」

「はい?」

「放せ」


 丁重な言葉であるが、その言葉はあまりに攻撃的だった。

 エレナはその威圧に屈し、反射的に手を放してしまう。


「あ、あっ?! あ……」


 エレナはまるで、プレゼントを取り上げられた子供のように、名残惜しそうな言葉をこぼし、ただ指をくわえるしかなかった。

 魔剣を手にしたレイブンは、エレナを一切気にかける様子もなく、その場を去って行ってしまう。 


 魔剣という心の屋台骨を失ったエレナ。彼女はまるで、心にぽっかり穴が空いた抜け殻のように、その場に立ち尽くしている。

 それは茫然自失をテーマにした、現代芸術オブジェのようだ。

 そんなエレナを気遣ってか、レイブンはこんな言葉を置いていった。


「オーバーホールが完了したら、いの一番にこちらから報告します。 それまで休暇だと思って休んで下さい。休むのもまた、騎士としての勤めです」 



           ◆



「私の……魔剣……」 


 エレナは喪失感を噛み締めながら、城内にある私室までトボトボ歩いている。フラフラと歩くその姿は、さながら魔剣を求めて彷徨い歩く、亡霊かアンデッド、もしくはゾンビだ。


 そんな彼女の後方から、魔王の側近である宮宰のゴボラがやって来る。


「エレナ殿! 勇者レイブンは! 彼はどうなされましたか!」


 問いかけられたエレナは足を止め、ゴボラの方向へと振り向く。彼女はまるで感情のないタイプライターのように、魂のこもってない言葉をカタカタと打ち出した。


「あの忌々しくスカした顔の優男か? あぁ……非常に屈辱的で不本意ではあるが、まだ息をしている。なぜだろうな? ハハハ……」


 それを聞いたゴボラは、安心した笑みを浮かべ勇者の健闘を讃えた。


「さすが陛下の召喚された勇者。いやはや、ただならぬ雰囲気に包まれていましたが、封印されていたドラゴンを解呪し、それを討伐してしまうとは! 長生きするというのも、悪い事ばかりではありませんな! 実に素晴らしい! これで我が軍の力は、飛躍的に増大しましたぞ!」


 興奮気味に語るゴボラとは対照的に、エレナは眉をひそめ、ボソリと呟いた。


「……気に入らぬ」


 エレナの思いがけない言葉に、ゴボラは問い掛ける。


「なぜです? 喜ばしいことではありませんか。これで我が魔王軍の力は、より強固なものになったのですぞ。それが不満で?」


 エレナはいつになく真剣な表情で、ゴボラに語った。


「それは喜ばしいことだ。なにより私が気に入らないのは、たった数日書庫に篭っただけで、固定化魔法の解呪をマスターできるか? ということだ。 あまりにも不自然と思わないか? 高僧なダークプーリストやスペルマスターならまだしも。けばレイブンの世界には、魔法が存在しないと言うではないか! つまり魔法の存在すら知らなかった、まったく知識のない素人が、こうも簡単に魔法を習得したのだ。断じてありえん」


「それはすべての勇者に対しても、同じことが言えるのではないでしょうか? 地上の人間が召喚した勇者は、我々には到底及ばない魔力や、強靭な力が備わると聞いております。レイブンもまた、召喚された陛下の影響を受けたのでしょう」


「例の仮説か。その召喚された勇者が享受する仕組みも、一切解っていない。一説には、享受されるその力は、召喚士の魔力に作用されると言うが……」


「封印を解呪したのも、ドラゴンをたおしたのも、すべては召喚士である陛下のお力があったからこそ。――ということならば、納得できると思いますが……」


 ゴボラの考え方に、エレナは思わず頷いてしまう。


 そういう考え方ならば、レイブンが魔剣を使えたのも、いとも簡単に勇者を撃退したのも、すべて納得がいくからだ。


「魔王の能力を継承したのか……そうか、だから――」


 レイブンが魔王を敬愛するのも、かつて皇帝を崇拝し、皇帝のために戦場を駆け抜けた黒騎士ガレオンの姿そのもの。

 魔王に召喚された勇者レイブンは、魔王の天才的な才能、知略、皇帝に仕えていた頃の忠誠心までをも受け継いでしまった。――そう考えるのが自然な流れだった。


 だがそれでも、エレナは納得することを良しとはしない。

 ここで納得してしまえば、人間であるレイブンを受け入れる事になってしまうからだ。


 ゴボラはそんなエレナの顔色を伺う。結論を棚上げし、優しい口調で諭した。


「騎士団長の立場としては複雑でしょう。陛下の召喚した勇者とはいえ、魔都を護る身としては、敵と同種族の人間を、騎士団に編入させなければならないのですから。さぞ、心穏やかではないでしょう。不快に思う気持ちは、痛いほど分かります」


 ゴボラの心遣いに、エレナは感服する。


「さすがはゴボラ。皇帝時代からこの城の主に仕えてきた宮宰。隠し事はできんな」


 ゴボラはほくそ笑むと、皇帝に頭を垂れるように深々と頭を下げた。

 敬意を払われたエレナは、優しい笑みを浮かべて感謝する。


「私もゴボラのように、理性的な立ち振舞いができるようになりたいものだ。私はどうも、冷静な視点に立てず感情に囚われてしまう。人の上に立つ者としては未熟で、とても情けない……」


「そう自分を卑下しないで下さい。皇帝に仕えた私にだって、騎士団長という大役は務めることができないのですよ。それは秀でた才がある、エレナ殿だからこそできるのです。だからどうか、今の自分に自信を持って下さい。あなたは魔王ガレオンに選ばれた、騎士団長なのですぞ」


「皇帝に仕えたあなたに、そう言ってもらえるとは……光栄だ。ところでゴボラ、言いそびれていたが、一つ、悪い知らせがある」


 温和だったゴボラの表情が、硬いものとなる。


「それはなんですかな?」


「我々が地下神殿に赴いた際、人間達から奇襲を受けた。襲撃した勇者曰く、内通者から情報がもたらされたとのことだ」


「城内に裏切り者が?」


「察しがよくて助かる。すでに奴らは、この城でなにかを企てているに違いない。宮宰として、少しでも不自然なことがあったら報告してくれ」


「承知いたしました」


「些細なことでも構わん。頼んだぞ、ゴボラ」


 立ち去ろうとするエレナ。だがゴボラは彼女を呼び止めた。


「エレナ殿。一つ、よろしいですかな?」


「なんだ?」


「もし、私が内通者だったら――ということは、お考えにならなかったのですか」


「皇帝に仕えた貴方に限って、内通しているなどありえん」


「それはどうですかな。殿下が亡くなられてからというもの、陛下は戦意を失っているのが現状。この状況を快く思わないものもいます」


「『人類は地上に巣食うノミ』と豪語する、あの好戦派か。バカバカしい。継戦能力の有無をうんざりするほど論じても、ああいった連中は聞く耳を持たん。未だに大戦初期の栄光を引きずり、人間に勝てると思っている。我々は、あの戦争に負けたというのに……」


「戦争を引き起こせば、自分たちを護るため、魔界から皇帝陛下がお戻りになられる。そう考えている者もいます。そのためには人間と手を組み、魔王を亡き者にすればいいと考えている者も――」


 その言葉を聞いた途端、エレナは尋常でない剣幕でゴボラを睨みつけた。そして怒りの矛先が間違っていることに気付き、瞬時にゴボラから目をらす。


「すまないゴボラ……」


「いえ、いいのです。今のあなたの目を見て確信しました。やはりあなた信頼できる御方だ。陛下は最高の逸材を騎士団長に任命したと、改めて感じましたぞ」


 ゴボラはこの城に住む家族として、エレナに警告する。


「いいですかエレナ。よく聞いて下さい。裏切り者が誰であるか判明するまでは、私を含め、誰も信用してなりません」


「ではいったいどうすればいい。誰を信用すれば……」


「内通者がいる場合の、有効な対処法はただ一つ――『誰も信じるな』。です」


「誰も……信じるな」



 エレナは耐え難い孤独感に襲われ、心を締め付けられる。

 今まで味方だと信じ、家族以上に全幅の信頼を置いていた者達。それがすべて、敵と繋がっているかもしれないのだ。


 疑心暗鬼が彼女の心を蝕む。


 ゴボラはそんな彼女のことを思い、励ましの言葉を捧げる。それはゴボラにとっても現状を打開できると期待している、ほんの一握りの小さな希望だった。



「まぁ現状ではたった一人だけ、信じられる者がいましたがな」


「この状況で信じられる人物?」


「いるではありませんか」


 エレナはその人物を探し当てようとするが、候補者すら思い浮かばなかった。


「いったい誰のことだ?」


「勇者レイブン。彼ですよ。彼は召喚されたばかりで、地上と内通する機会がまったくありません。もし私が騎士団長なら、唯一信頼できる彼を、仲間として見ますな。地上の人間たちに寝返る前に……。現状、我々の中でもっとも信頼できる人物です」



           ◆



「現状、もっとも信頼できる人物……か」


 ゴボラと別れたエレナは、そんな独り言を呟きながら、私室へと歩んでいた。


「……」


 エレナは私室に戻るのを止め、ある場所へと向かう。


 レイブンの部屋だ。

 ゴボラの助言は正しい。この状況で一番信頼できる味方は、不本意ではあるが彼しかいない。

 

 レイブンの部屋の前に着いたエレナは、深呼吸で呼吸を整えると覚悟を決める。そしてゆっくりと、ドアノブに手を伸ばした。


「ん?」


 エレナはドアノブに伸ばした手を止める。ドアの向こう側から女性の声が聞こえたのだ。


 自分とは比べ物にならないほど、美しく上品な声。その声だけで、ドアの向こう側にいる女性が美人なのが、おのずと手に取るように分かってしまうほど、気品高い声だった。


(城内の女を連れ込んだか。くっ! 魔剣の修復を差し置いて、女と悦しむなどと!)


 不快感と怒りが込み上げると同時に、なぜか例えようのない落胆がエレナに重くのしかかった。


 あれだけ真面目で、顔色一つ変えず勇者へ立ち向かう姿。その雄々しい後ろ姿に、エレナは尊敬と憧れを抱いていたのだ。



(所詮レイブンも……男だったということか)



 城内で女と悦しむのは、禁止されてはいない。


 むしろ兵力増強と士気向上のために、恋愛等の行為は場をわきまえた上で、率先して行うようとのお達しが出ているほどだ。なにも疚しいやましいことはない。


 だがそれでも、エレナは落胆の色を隠し切れない。

 憧れが失望へと変わるのを止められず、次第にそれが切なさへと色あせていった。


(やはり私には、男を見る目がないということか……)


 そしてエレナは気持ちを切り替え、小悪魔的な笑みを浮かべた。


(だがこれは絶好のチャンスだ。この場を押さえ、弱みを握るついでに脅かしてやろう。奴の慌てふためく様は、さぞかし滑稽だろうな!)


 エレナはノックもせず、勢い良くドアを開けた。


 だが、最終的に度肝を抜かれたのは、エレナのほうだった。


「ふぁッ?!!」


 エレナの眼の前に、素っ裸のユーミルがいたのだ。


 水を浴びたばかりなのか、ユーミルは水に濡れた髪をかきあげている。その姿は幼女とは思えないほど美しく、女性のような色気に満ちていた。


 ユーミルがエレナの存在に気付き、彼女に声をかける。


「あら……あなた確か、エレナだったかしら? どうしたの? そんなところに突っ立って」


「な、なぜだ! なぜココにぃ!」


「なぜって。魔王さまのお許しを得たから、ここにいますけど?」


「陛下がお許しに?」


 洗面所の方向から、タオルと下着を手にしたレイブンがやって来る。


「お願いだから、全裸で歩かないで下さい。あとちゃんと拭かないと部屋が水びだしに―― あれ? どうしてエレナがここに?」


「レイブン説明しろ! なぜあの娘がココにいる!!」


「言っておきますが、陛下からお許しはもう得ていますよ」


「陛下が許しになるはずがな――……」


 エレナは作業台の上にあるものに目を奪われる。魔剣カインフェルノの柄だ。


「これってカインフェルノの柄――あっ! あぁあああああああ!」


 エレナは絶叫する。

 作業台の上には、バラバラになったカインフェルノがあったのだ。

 彼女は騎士団長という地位を忘れ、大切な物を失った一人の少女として猛抗議を開始する。


「レイブン! これなんなの! この状況を説明してよ!! なんなの! なんでこうなっちゃったの! いくら置き去りの仕返しだとしても、こんなの酷いよ!!!」


 エレナはバラバラになったカインフェルノを指さし、あたふたしながらレイブンに説明を求める。エレナは完全に動揺し、騎士としての威厳もクソもなかった。

 とりあえずレイブンは「落ち着いて下さい」と告げ、エレナを宥めようとする


「オーバーホールすると、あなたに伝えたでしょう」


「で、でもこれバラバラよ! 完全にバラバラじゃないの!! 直してとは言ったけど、壊してなんて一言も言ってない! どうするのよコレ!!」


「まずは深呼吸して落ち着いて下さい」


「これが落ち着いて入られますか!」


 これでは底のないバケツで、永遠に水掛け論をする羽目になる。そう感じたレイブンは、カインフェルノのグリップを握り、壊れていないことを証明する。


「カインフェルノ。ソードモードアクティブ」


 レイブンの掛け声と共に、分解状態だったカインフェルノのパーツが浮かび始める。それらはグリップへ吸い寄せられるように集まり、瞬時に剣の形を再構成した。

 エレナが普段目にしている、魔剣状態へと戻る。


「えっ!!! なに?! なにが起こったの?!!」


「もとから、こういう機能が備わっていたのです」


「機能だと?」


「バラバラになっていたのは、剣のメンテナンスモードを起動させたからです。セパレートブロック式で、各部分ごとに調整可能になっています。この剣は普通の剣とは一線を画す規格で製造されていて、おそらく他にも、多くの機能が隠されていると考えて、まず間違いありません」


 エレナはレイブンに不信感を抱く。

 異世界からの来訪者が、この剣に関して異常なまでに詳しいのだ。このわずか数日で、騎士団長以上の魔法学の専門知識を蓄えることは不可能だ。


(やはり、レイブンは信用できない。彼にはなにか裏がある)


 直感的にそう感じたエレナは、異端審問官のようにレイブンを問い詰めた。


「なぜ剣の主たるこの私でさえ知らないことを、お前が知っている!」


「さっきから言動の情緒が不安定ですね。女の子になったり騎士団長になったり」


「余計なことはいい。さぁ答えろ!」


「分かりました。この世界の文化や歴史、魔法などを調べるために、城内の王立図書館をお借りしました。その時、カインフェルノの記述を見つけたのです」


「そんな馬鹿な話があってたまるか。だとしてらなぜ、王立図書館の館長はおろか、この剣の主であったガレオン陛下すら知らないのだ!」


 レイブンは作業台の下から、紙の束を取り出す。


「分からないのも致し方ありません。なんせこうやって、多くの本の中に隠されていたのですから」


 エレナは手渡された紙を手にすると、紙に書かれていた記述を確認する


「なんだこれは? 模様? いや、これはただのラクガキではないか!」


「一枚だけならそう見えるでしょう。でもこれならどうです?」

 レイブンは丁寧に紙を束ね、部屋の中にあった魔光石にかざして見せる。紙の束が光に照らされ、それぞれの紙に描かれた線が重なった。


「こ、これは!」


「一枚だけなら描きかけの絵やラクガキに見えても、こうして、それぞれのページを重ねて見ると、歴とした一枚のページになるのです」 


「これが本の中に……いやちょっと待て。まさか王立図書館の本から、ページを破って来たのか?!」


「それがなにか?」


「お前を監視していた近衛兵はなにをしていた! 本は国の宝であり財産! この上ない知識の結晶であり、掛け替えのない貴重品なのだ!! それを破って持ってくるなど言語道断!!」


「あとでちゃんと戻しますから」


「そういう問題ではない! あの館長に知れたら、お前は火炙りどろこでは済まさんぞ! 地の果てまで追い詰められ、生きたまま生皮を剥がされて本の革表紙にされるからな!」


「大げさですよ。あの人はとても淑女な婦人でしたよ」


「お前はあの女の怖さを知らんから、そういうことが言えるのだ! 私なんて紅茶の水滴をちょっと付けただけで、館長から呼び出しを受け、大目玉を喰らったのだぞ! 城内に本嫌いが多いのは、あの女の功績と言っても過言ではない!!」


「それに関しては、本読みながら飲み食いしてた、あなたが悪いと思いますが……」


「し、仕方ないだろ! 振られたヒロインがあまりに可愛そうで、涙が止まらなくなったのだ! 泣いたら喉が乾いてしまって、紅茶を飲んだらちょっとだけ、ほんのちょっとだけ零れてしまったんだ」


「ページを汚した事を、ちゃんと館長に申告しましたか?」


「それは……してない」


 レイブンは肩をすくめ、「それでは、怒られてもしかたありませんね」という表情を見せた。


「し、仕方ないではないか! あの館長は本を我が子同然で可愛がっているのだ! もはや溺愛の領域なんだぞ! いくら婚期を逃したからって、本に愛情を注ぐだなんてどうかしてる!!」


 自分に非なないと必死に弁明するエレナ。

 レイブンはエレナの熱弁を背中で聞きながら、紙の束を作業台の下に戻す。そしてエレナへと向き直り、咳き込んだ。


 それは「そこらへんで止めた方がいい」という彼なりの気遣いだった。

 だがそれでもエレナは止めようとしない。館長への文句をノンストップで言い続けている。そうとう館長に対する不満が溜まっていたのだろう。だがその意見に嫌味はなく、親しいからこそ気付き、言えるものばかりだった。


 レイブンは数回咳き込み、エレナに気づいてもらおうとした。

 そしてエレナはようやく、レイブンの警告に気付く。


「どうしたレイブン。風邪か? まさかお前も、婚期を逃して焦っているわけではあるまいな? ハハハッ、だとしたら滑稽な話だ。お前は館長と違ってまだ若いのだからな。婚期を逃したと焦るのは、うちの館長ぐらいの年齢になってからだ」


 そう豪語するエレナの後ろから、その館長の声が響く。



「誰が……婚期を逃したのかしら?」



――その冷たい淑女の声に、エレナの表情は凍りついた。



           ◇



 館長に首根っこを捕まれたエレナが、廊下をズルズルと引きずられながら、どこかへ連れ去られている。

 エレナは「あうあう」と手を伸ばし、レイブンとユーミルに助けを求める。

 レイブンとユーミルはそんな彼女に手を振り、エレナに別れを告げた。

 ユーミルがレイブンに質問する。


「彼女、生きて帰れると思う?」


 レイブンは一切の躊躇いなく即答した。


「無理でしょうね」



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