第10話 愛奪いの加々爪④


「ごめんやっぱり無理だわ。だって、楓が悲しむことはしたくないし。――それに、やっぱり僕は楓以上にに魅力的な女性を知らない」

「…………そ、そう」


 彼の一言で場の空気は確実に変化した。さっきまであれほど釘付けになっていた私の胸にも目をくれず、落ち着いた表情で私を見ていた。


 私は心の中で舌打ちをする。


 ――しまった。少し踏み込み過ぎたか? チョロい奴だと思って少々強引に攻めすぎたかもしれない。まさかあそこで我に返るなんて……。


 こうなってしまったら私にとって非常に分が悪い。大人しく撤退するのが吉なのだが――


「ホントにいいの? 付き合わなくてもいいから、私を助けるためだと思って慰めてよ。太一君は何一つ損しないじゃない。私を都合のいいモノとしてすら扱ってくれないの?」


 私は太一君の手を持って、強引に自分の胸に押し付ける。今にも泣きそうな媚び媚びの表情を浮かるが、内心は腸が煮えくり返る思いであった。


 私は学年で誰よりも美しいと思っている。これは間違いなく事実である。性格の悪さで減点されて断られるならまだ納得できる。納得できるだけで不満なのは変わりないけど。


 ――でも、よりによって。あんな目つきの悪くて態度も悪い群青楓負けるのは――どうしても私のプライドが許せなかった。


 仕切り直した方がいいことは分かっている。長期的に戦った方が勝率が高いのは分かってる。


 しかし、吐きそうなほど込み上げてくる来る怒りがどうしても止められない。私らしくない。冷静じゃない――客観的に分析する心の中の私が指を指してあざ笑う。


「なんで私じゃダメなの? ――群青楓よりも」

「うん。悪いけどそれは僕の中でずっと変わらないと思う。絶対に。それに、楓と……ごにょごにょ……がしたいだけで、加々爪さんとはしたくない。あ、加々爪さんが嫌いとかそういう訳じゃないんだけど」

「じゃあ別れてから! 別れるまでずっと待ってるから!」


 藁にもすがる思いで、私は彼に縋りつく。


 ……しかし、太一君は私の肩をもってグイッと突っぱねた。先ほどまであれほど隙だらけだったのに、今の太一君は冷静そのものだった。


 ――もう今は、何をやっても通用しないよ。私の培われた女の勘がそう囁く。うるさい。黙れ。


「ごめん。それも無理。楓が別れたいと言ったら別れるかもしれないけど、例え別れたとしても――きっと楓以上に好きになる人はいないと思うからさ。もう他の人を好きになれないと思う」

「そんなの付き合っている今だから言えるんだよ!! そんなのまやかしだよ! 嘘っぱちだよ!! 奇麗ごとだよ!! 愛な訳ないじゃん!!!」


 私は怒りに任せて感情をぶちまける。まるで駄々をこねる子供みたいに。


「ああもう、面白くない面白くない! 私はただ愛が知りたいだけなのに、意味分かんないよ! 何も分かんない! 有象無象は私を目の敵にするし、太一君はよく分かんないこと言うし!!」


 もう怒りの矛先は太一君だけではなくなっていた。日頃感じている鬱憤が、次々と口から漏れていく。


「何がムカつくって、私が群青楓より魅力で劣ってるって断言されることがムカつく! あんな常に上から目線で、愛嬌もなくて、協調性もなくて、喋ってもつまらそうな女の何がそんなにいいのよ!!」

「ははっ」

「何がおかしいのよ!!」


 私は太一君を睨む。何が面白いのか、ひくひくと肩を上下させながら笑う彼。口元を隠して笑いを堪えようとしているのが余計に腹が立つ。

 彼女を馬鹿にされているんだよ? ちょっとは怒ったらどうなの?


「いや、ごめんごめん。やっぱ楓って愛嬌もなくて、協調性もないように見えるよなぁ」

「違うって言いたいの?」

「秘密。それを知りえるのは、彼氏の特権だから」


 得意げに胸を張る太一君。ムカつくムカつく。怒りで無意識にスカートの裾を強く握りしめていた。あと少しでも理性が飛べば、のろける太一君に足蹴りでもかましてしまいそうだ。


「ねぇ。私が分かるように教えてよ。なんで太一君はそんなに群青楓が好きなの? まだ付き合って一年も経っていないでしょ? ラブラブなのは今の内だけで、じきに飽きて冷めて別れるにきまってる。そんなつまらないのが愛なんでしょ? 違うの?」


 戦法とか駆け引きとか関係なしの、ただ純粋な質問をぶつける。太一君の迷いの無い態度がイチイチ勘に触る。


 納得がいかない。なんで対して恋をしてないコイツが、愛を知った風に語ってるんだよ。私は全然わからないのに。


「分かるようにか……難しいなぁ。楓ってホラ、天邪鬼だからさ。普通に相手をしても伝わらないんだよ。チューニングみたいに、こっちが波長を合わせないと駄目なんだよなぁ」

「それが魅力なの? ただのめんどくさい人じゃん」

「まぁまぁ、確かにそうかもしれないけどさ」


 すると太一君は何か懐かしむように遠くを見た。


「……前にさ、一年の時に遠くの体育館ホールを借りて体育大会したの覚えてる? 最寄り駅まで電車で行ってさ、バスで移動した奴」

「覚えてるよ。高校生になってすぐにあった奴だよね」確か、生徒の親睦を深めることを軸とした行事だった気がする。


「あれさ、実は楓ってバスに乗れなかったらしいんだよね。バスが来る反対側で待っていたらしくて。連絡のできる友達もいなかったらしいから、間違いだと気づかぬまま」

「……それで、どうしたの?」

「――歩いた。体育館ホールまで」

「はぁ? 馬鹿じゃないのッ!?」


 確かあの体育館ホールは駅から何十キロと離れていたハズだ。まともな神経なら歩こうなどと思わないハズである。


「でもやっぱ滅茶苦茶遠いから――結局、楓が着いたのは夕方で体育大会なんてほとんど終わってて、行事には一切参加できなくて、ボロボロになった体を引きずりながら帰りのバスの中で死んだように眠るだけだったらしいだけどね」

「………………」


 ――やっぱ馬鹿じゃないの。呆れて言葉も出ないとはまさにこういう状態を指すのだろう。どこをどう捉えたら魅力的に映るか本気で理解できない。


 それを実に楽しそうに語る太一君も訳が分からなかった。


 普通、バスの乗る時間に遅れたなら先生あるいは親に連絡して迎えに来て貰うか、諦めるかの二択である。タクシーで向かうという方法もあるかもしれないが、歩こうなんて論外もいい所である。


 だって、歩いて向かっても無意味だからだ。行事に出れないし、変な目で見られるし、私みたいに馬鹿だって思う人もいるだろう。損してばかりだ。メリット皆無。


「……で、その話がなんなのよ。全然彼女の魅力が伝わらなかったんだけど? もしかして、劣っている女性が好きとかいうそういう感情?」

「違う違う。僕も始めは訳が分からなくて、『なんで諦めなかったの?』って聞いたんだけどさ――」




「――楓は『諦めたら負けた気がしてムカつくから』ってさ」




「……は?」

「おかしいよな。誰と戦っているんだよって話だよな。他の人を頼ったらいいだけの話なのに。でも、多分そんな訳わかんない所を含めて――僕は楓が好きなんだと思う」

「……訳が、分からないよ」


 私の頭の中で――何かがブチンと切れた。


「訳わかんないのが好きって――本気でそう思ってるの!? なんでよ! おかしいよおかしいよ! 無茶苦茶だよ! それじゃあ、そこに愛があるか分からないじゃん!!」

「……別によくないか? よく分かんないのが愛ってことで。探求するのもいいと思うけど、僕は考えてもよく分からなかったから」


 ――そんなの、思考停止だ。納得いかない。違う。それは愛じゃない。

 でも――もしかしたらその訳の分からない部分に愛がある訳で、


 それをまとめて愛している太一君はある意味――愛を理解していると言えるのか?


 分からない。

 ……愛って一体なに?



 * * * * *



 私は強引に太一君を空き教室から追い出し、雑に置かれた机の内一つに座った。外では運動部の掛け声が飛び交い、上の階では吹奏楽の演奏が聞こえる。


 うるさい。一人にさせてよ。


 ……あ、そういえば一人じゃなかったっけ。


「…………出てこないの? 群青楓さん」


 気だるげに、私は――掃除用具ロッカーに向けて声を放つ。



「……………………」

 中から、目玉焼きぐらいなら出来るんじゃね? ってぐらい顔を真っ赤にさせた――群青楓が出てきた。


 彼女はチラリとこちらをバツの悪そうな表情を浮かべ、フラフラと空き教室を出ていく。


「……あー。失敗したなー」


 実は太一君を空き教室に誘導するよりも前に、群青楓と接触していたのだ。

「なんか太一君が私のこと好きらしくて、今から告白をされるんだけどどうする?」と嘘を吹き込んだら、群青楓はぶすぅとした顔で空き教室のロッカーに自ら隠れた。


 目的は当然、二人の関係の悪化だ。私が積極的に誘惑したのも、太一君が性欲に負ける瞬間を彼女に見せるためだった。


 上手くいけば、二人の関係は今日崩壊するだろうと思っての嫌がらせだったけど、まさか――群青楓をさらに惚れ直させるとは恐れ入った。私の盛った毒が完全に裏目に出た。


「はぁ、今回ばっかりは私の完敗かぁ」


 あそこでキッパリと断られたら、認めざる負えない。――私は敗北したのだ。


「でも……大丈夫……まだ……太一君は落とせる……」


 毒を盛る事には失敗したが、今回の目的の『太一君に告白する』は達成した。何も焦ることはない。


 あの二人の関係はまだまだ脆い。いくらでも隙があるし、まだ私が完全に失恋した訳ではないのだ。


 今回は少々早とちりしてしまって失敗した。ならば反省点を洗い出し、改善をすればいい。


 いままでずっとそうしてきたじゃないか。大丈夫今からでも絶対取り返せる。だから――



「……ムカつく……ムカつく……ひっぐ…………うぅ」




 ――この鬱陶しい涙を早く止めなきゃ。泣いている場合じゃねぇだろ。


 涙を堪えようとすればするほど、まるで壊れた蛇口みたいにポロポロと涙が零れ落ちる。数々の恋愛をこなしてきたが、涙が出るほど悔しくて悲しい思いをしたのは初めてであった。


 まるで自分の体じゃないみたいだ。立ち上がろうとしても足に力が入らない。胸には鋭いナイフで抉られるような痛みが続き、体は鉛のように思い。


 視界がぐにゃぐにゃだし、鼻水は止まらないし。こんな顔、絶対に誰にも見せられない。



「うぅ……ムカつくよぉ…………悔しい…………ひぐ」


 ……これが、失恋の辛さ……なのかな?




 * * * * *




 次の日、廊下を歩いているとばったりと太一君と合った。

「…………おはよう」


 太一君は気まずそうに、でもちゃんと挨拶をしてくれました。彼の隣には群青楓が相変わらずぶすぅとした顔でこちらを見ていた。


 あはは。確かに彼女が何考えているかさっぱり分からない。確か、楓ちゃんの波長に合わせてあげるんだっけ? ホントよく付き合ってるよ。


「ねぇねぇねぇねぇねぇねぇ。太一君太一君太一君太一君!」

「……なに?」

「えへへー呼んでみただけー! おはよう太一君!!」


 私は廊下で会った時と同じように、鏡で何百回と練習した人懐っこい笑みを浮かべた。太一君はその笑顔を見て少しほっとしたようだ。


 うふふ何でほっとしたのか? 私が落ち込んでいないか気にしたのかな?

 相変わらず甘いなぁ。

 そんなんじゃ、アッという間に奪っちゃうよ。



「ねぇねぇ太一君。今じゃなくていいからさ」




 ――私と付き合ってくれないかな?





「……ごめんなさい」

「だよね。知ってた」


 たった一日では何も変わらない。断られるのは当然だ。それでも――私は言った。


 これも彼に罪悪感を負わせる立派な作戦だ。前と違って泣きそうなほど胸が痛むけど、私はここから積み上げていこう。

 訳の分からない――愛を知っていこう。


「ねぇねぇ太一君! 私、絶対絶対君を諦めないから! 太一君が私のことを好きになるまで――ううん。好きになっても、ずっとずっと傍にいるつもりだから!」

「なッ!?」

「――ッ!?」


 彼や彼女に宣戦布告。今の発言は相手を混乱させるとかそんなの関係なく――純粋に思っていることを口に出しただけだ。


 ふふふ。驚いている驚いてる。太一君は口をあんぐりと開けて。群青楓はいつも通りぶすぅとした表情だけど、頬がピクピクと痙攣していた。


 驚いているのかな? なんだ、案外可愛い所あるじゃん。今すぐ脇腹をくすぐって仏教面の中の本音を引きずり出したくなる衝動にかられたけど、今は我慢だ。


 群青楓には是非このまま不器用なままで欲しい。だって――そっちのが私にチャンスがあるじゃん?


 学年で一番の美人は間違いなく私だ。だから、太一君が冷静さを取り戻して群青楓と別れた時。


 その時は――私の時代だ。最も、待ってやる気はさらさらないけど。

 私の戦法はいつだってシンプル。押す。押す。折れるまで押すだ。


「ねぇ、あれなに?」

「ん?」


 私は窓に向けて指を指すと、太一君は馬鹿正直にその方向を見た。

 そして――彼が横を向いている隙に彼の顔を両手で持って引き寄せて――強引に唇にキスをした。



「――――――――ッ!!!」

「えへへー! ファーストキスいただき!!」



 私は笑いながら太一君から逃げる。授業? そんなの知るか! 私は愛が知りたいのだ!


 太一君を好きになっても、愛のことはまだ全然分かんないけど。



 加々爪愛は愛のことを――ちょっとだけ好きになれたみたい。


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